因美線 全線全駅完乗の旅 2日目(津ノ井〜河原)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2018年1月5日、空には暗い雲が垂れ込め、しっとり湿った路面が夜半まで降っていたことを示している。午前8時を迎えようとする鳥取駅は、いかにも平日といった具合に通勤通学客でごった返し、正月が終わったことを感じさせる。

鳥取駅北口。
鳥取駅北口

ホームに向かうと乗車予定の智頭行き普通列車が停まっていた。因美線だけを走る列車なのに智頭急行の車両なのが面白い。因美線では智頭急行だけでなく若桜鉄道の列車も乗り入れてくるから、どの会社の車両が現れるか楽しみなものがある。

発車まで時間があるせいか車内は空いていた。どちら側にしようか迷いながら進行左側に陣取る。因美線の上り列車に乗るのは前回に続き2回目だが、あの時は往路は混雑、復路は日没で景色どころではなく、ようやく車窓を楽しむことができる。

落ち着いたところでホームに目をやると、浜坂行きの普通列車を待つ列ができていた。やがてこちらにも1人2人と乗客が乗りこんでくる。そして各ボックス席に1〜2人くらい収まったところで列車は動きはじめた。

鳥取駅で発車を待つ、普通列車の智頭行き 631D。
普通 智頭行き 631D

すぐに到着した津ノ井では、木造駅舎の改札口に駅員が立っているのが見える。さらにこんなに乗っていたかと驚くほど大勢が降りていく。近くに高校や大学があるから通学需要が旺盛なのだろう。私が訪れた時はまるで人気がなく、どこかうら寂しい雰囲気が漂っていたが、今は同じ駅とは思えないほど活気がある。

すっかり空席の目立つ車内となり津ノ井を発車。このあたりから鳥取平野が終わり徐々に山間に分け入っていく。線路も心なしか上り勾配がきつくなった気がする。エンジンを唸らせながら勾配を上り、いよいよ上りきったところで列車は停まった。

東郡家ひがしこおげ

  • 所在地 鳥取県八頭郡八頭町堀越
  • 開業 1956年(昭和31年)11月1日
  • ホーム 1面1線
路線図(東郡家)。
東郡家駅ホーム。
東郡家駅ホーム

鳥取市と八頭町を隔てる小さな峠のような位置で、周辺には山林と農地が広がり、いくつかの集落が点在している。街というほどの存在がなく、となりの郡家駅まで2.1kmと近いこともあり、路線開業から30年以上も駅は存在しなかった。ようやく開設されたのは戦後になってからのことで、因美線では新しい部類の駅である。

列車を降りたのは私だけで乗る人もない。線路や家々の屋根には薄っすらと雪が残り、薄暗さも相まって見ただけで寒くなるような景色である。実際にも暖かな車内から降りると身が引き締まるような寒さで、じきに手が冷たくなってきた。

構内はホームが1面あるだけで駅舎も交換設備もない。いかにも後年になり設置しましたという簡素な姿をしている。駅舎はないが木造の待合所があり、開け放たれた出入口から中を覗くと、ベンチや清掃道具といった定番の品々に加え、雪国らしく融雪剤の入った箱や、除雪用らしきスコップなどが置いてあった。

物品の並ぶ待合所。
待合所

駅を出るとそのまま鳥取と姫路を結ぶ国道29号線の歩道に出た。主要道だけあり車がひっきりなしに行き交う。写真で見たら静かそうな駅なのに現実には騒々しい。駅前ではあるが平地がないので国道の他にはバス停くらいしか見当たらない。

家々は駅裏ともいえる線路の向こう側に集中していて商店らしき建物も見える。しかし目の前にありながらホームと反対側のために、見たところは200mほど離れた踏切まで迂回しないとたどり着けない。しかし駅の郡家寄りに国道から線路脇に降りる階段があり、その先の線路上に目をやると雪のおかげで人々が往来した跡がはっきり残されていた。

成田山清龍寺

駅から郡家方面に向けて緩やかな坂道を下っていく。農地が多いため視界は広く、遠く郡家の市街地まで見通せる。人家も点在しているため、犬の散歩をする子供たちや、自転車に乗った老人など、この寒さをものともしない人たちとすれちがう。

地図で確認すると20分も歩けば成田山清龍寺に至るはずだ。もうひとつ峰寺薬師堂という気になる存在もあるけど、両者は方向が逆なのでそちらは見送った。他にも駅トイレの屋根上には姫路公園と書かれた大きな案内板が掲げられていて興味が湧いたけど、15kmという文字を見て一瞬にして興味を失った。

駅の郡家側に広がる農地。
駅の郡家側に広がる農地

門尾という集落の入口までくると石灯籠と共に六地蔵が祀られていた。その背後には荒々しい表情をした大きな木が立ち、歴史の深そうなお地蔵さまによく似合う。すぐ先には町指定文化財なる門尾三本松峠と書かれた標柱が立っていて、なぜこんな平地に峠なのかと思いきや、ここはかつての若桜街道が、鳥取城下に向けて越えた峠への入口なのだという。

六地蔵の背後には周辺にあったものを一箇所に集めた感じだろうか、多数の小さなお地蔵さまや五輪塔がひしめく。何れも風化が進んで丸みを帯び、何とか輪郭でそれと分かるような姿をしていた。由来が気になるけど何も分からないし尋ねられそうな人もいない。

門尾集落の六地蔵。
門尾集落の六地蔵

沿道には朽ちかけた土壁の廃屋から、立派な白壁や板塀のある大きな家まで様々な建物が現れてくる。昔は何かの商店だったらしい建物もあるけど、現実に営業している商店は見当たらない。その点だけはどの地方を歩いても同じようなものだ。

屋根を見ると大半が瓦屋根で、山陰地方は西に行けば行くほど赤茶色をした石州瓦が増えていくのだが、この辺りは赤茶色と黒色が混ざり合う。若干黒色の方が多いだろうか。

門尾を過ぎて下門尾という所までくると成田山清龍寺と書かれた、見逃しそうな小さな標識が家の壁に取り付けられていた。それに従い山裾の緩やかな傾斜地に広がる集落の中に入り込んでいく。軽自動車でもこすりそうな狭い道で、両側には錆の目立つトタン壁や黒ずんだ板壁の家並みが続く。意味もなく歩きたくなるような良い道である。

門尾集落の家並み。
門尾集落の家並み

集落の一番奥の辺りに成田山清龍寺と刻まれた石柱が見えてきた。そこから山の中腹にある伽藍に向けて、庭園のように手入れされた斜面上を階段が伸びる。手入れされた樹木や苔むした石垣、それに池まで配されていたが、季節柄か地味な色合いをしているため、サザンカの赤い花がひときわ鮮やかに映る。

踏み外したら転げ落ちそうな階段なので、庭に目をやりつつも足元にも気が抜けない。上がりきると小さな平場があり、本堂・鐘楼・庫裏などが身を寄せ合うようにひしめいていた。残された空間といえば通路がようやく通せるくらいしかない。この小さな空間に全てが揃っているという凝縮感が好ましい。

まずは参拝しようと真っ直ぐ本堂に向かうと脇から住職が現れ挨拶を交わす。朝のおつとめだろうか忙しそうに動き回っていて、気がつけば姿だけでなく気配までも消えていた。

成田山清龍寺。
成田山清龍寺

説明板によるとこの寺は710年に行基によって開かれ、古くは花喜山浄光寺と呼ばれていたとある。710年といえば平城京に都が置かれ奈良時代が始まった年だ。

戦国時代には秀吉の鳥取攻略時に兵火にかかり消失したが、辛くも持ち出さた3体の仏像が今も残り、明治に入ると成田山新勝寺より不動明王を勧請し、現在の成田山清龍寺を称するようになったという。また本堂は近くにあった白兎神社の社殿が移築されたものだそうで、なぜそういう事になったのか気になるけど経緯は書かれていなかった。

本堂のある平場からはさらに高台へと続く階段があり、何があるのだろうかと試しに上がっていくと、固く扉の閉ざされた宝物庫のような建物があった。どうやら例の消失を免れたという仏像が収められているようだ。

ここは見晴らしが良くて眼下には郡家の街並みが広がる。ガタンゴトンと列車の走る音に目を凝らすと、京都行きだろうか長い特急列車が走り去る姿が見えた。寺の背後にある山の方を見ると、山頂に風力発電の風車があり、朝もやの中でゆったりと回っていた。

清龍寺高台からの眺め。
清龍寺高台からの眺め

駅に戻ってくると先ほど開いていた待合所の戸が閉まっていた。静々と近づいて内部に目をやるが誰もいない。どうやら留守にしている間に利用者があったと思われる。

次に乗車する若桜行きの普通列車は、行き先からそうだろうと予想した通り若桜鉄道の車両でやってきた。乗降客はこれまた予想通り私だけだった。小さな単行列車だけど車内は空いていたので4人がけのボックス席に収まる。数少ない乗客のひとりは旅行者で、鳥取の名物駅弁、かに寿司を頬張っていた。

東郡家駅に入線する、普通列車の若桜行き 1333D。
普通 若桜行き 1333D

駅を発車すると緩やかな下り坂を軽快に進んでいく。先ほど眺めた田んぼの中を通り抜けると郡家市街に入り、家並みをかき分けるようにして郡家駅に滑り込んだ。

郡家こおげ

  • 所在地 鳥取県八頭郡八頭町郡家
  • 開業 1919年(大正8年)12月20日
  • ホーム 2面3線
路線図(郡家)。
郡家駅舎。
郡家駅舎

鳥取県を代表する河川の千代川、その支流の私都川が流れる開けた土地で、八頭町の中心的な街が置かれている。役場や高校なども近く特急停車駅でもある当駅は、因美線の所属駅としてはもっとも利用者が多い。若桜鉄道の分岐駅という要衝でもあることから、地方のローカル線としては比較的大きな駅である。

列車を降りると、頭上には鉄骨のがっしりした上屋があり、その下にはベンチが並べられている。木造の古びた待合所があるので立ち寄ると、見た目とは裏腹に暖房が効いていて過ごしやすい。全体に雪国の特急停車駅らしい設備をしている。乗ってきた列車は若桜鉄道に乗り入れるので、ホーム上にはJRと若桜鉄道の運転手が交代する姿がある。

1・2番線ホーム。
1・2番線ホーム

広い構内には長いホームが2面並んでいる。駅舎側から島式と片面を配した2面3線で、錆びついているが側線も1本ある。跨線橋や地下道はなくそれぞれが構内踏切で結ばれていた。

降り立ったのは島式ホームの1番のりばだったので、奥にある片面ホームの3番のりばにも足を伸ばす。こちらは特急が発着しないためか冷遇されていて、上屋は小さなもので待合所も暖房はなく冷え切っていた。おまけに室内は禁煙だというのにタバコ臭く、あまりの居心地の悪さに早々と逃げ出す。そんなことをしている間にも2番のりばには、帰省客だろうか特急を待つスーツケースを手にした人が増えていく。

3番のりばから駅の裏手を見るとこちらにも線路があったらしき空間が残る。昔は島式ホームで4番のりばもあったのだろうか。そんな空き地には大きな桜の木が並んでいた。

3番線から鳥取方面を眺める。
3番線から鳥取方面を眺める

見るからに完成して間がない新しい駅舎は、木材を多用した暖かみのある内装で、暖房もよく効いているので居心地が良い。単なる有人駅というだけではなく、みどりの窓口・コンビニ・観光案内所などが取り揃えられていた。ゆったりした休憩スペースもあるため、ここにも特急を待っているらしい荷物を抱えた人の姿があった。

駅舎内は大部分が天井まで吹き抜けの構造になっているが、線路側にだけ2階部分があり階段で上がれるようになっていた。行ってみるとホームから駅舎内まで眺められる展望スペースになっていた。なぜだか等身大の人形があちこちに置いてあり、徳島県の限界集落を思い起こさせるものがあった。

窓口と改札周辺。
窓口と改札周辺

駅を出ると昔日の賑わいが偲ばれる鄙びたアーケードが伸びている。並べられた商店には空き店舗が目立ち、薄暗さと往来のなさもあって物寂しい。駅舎が新しくきれいなだけに駅と商店街、どちらを中心に眺めても、相手が浮いて見える眺めだった。

白兎はくと神社

駅前には八頭町の観光案内板があるけど、近場にはこれといった見どころはないようだ。古くからの街道沿いにある街だから、歴史的なものがありそうだがそうでもないらしい。数少ない見どころの中から、先ほどの成田山清龍寺に社殿が移されたという、白兎神社に向かうことにした。その辺の繋がりだろうか駅前には白兎の石像があった。

沿道には住宅だけでなく休業日なのか閉店しているのか、判断に困るような個人商店が点在する。八頭町の中心地ともいえる郡家の駅前を通る道路だというのに、途中ですれちがったのは年配男性のひとりだけと、どんよりした曇り空と相まって活気が感じられない。

所々に立てられた白兎神社への標識には、白兎のイラストに英語やハングル表記まで入っていて力が入っている。神社からの帰りだろうか場違いな装いの若い女性たちともすれちがう。

私都きさいち川という難読な川を渡ると田んぼが広がり、その中にぽつんと佇む小さな神社が白兎神社であった。どうしてこんな所に神社があるのだろうと思うような立地だ。人も車もほとんど通らないため、川の流れる音ばかりが耳についてくる。

私都川の脇に見える白兎神社。
私都川の脇に見える白兎神社

近づいてみると石造りの鳥居の向こうに祠のような建物があり、両脇にはそれらの構造物より古くからありそうな大木が立っていた。それだけなら何ということはないが、狛犬がうさぎの姿をしているのが面白い。この場合は狛犬ではなく狛兎というべきなのだろうか。最近作られたばかりという新しさで、そこらかしこに立っていた標識といい、観光用に整備しましたという感じのする神社である。

説明板に目をやると因美線が開業する5年前の1914年(大正3年)に、同じ郡家町にある賀茂神社に合祀し、社殿は成田山清龍寺に移築したとある。社殿を移築しておきながら簡単な作りとはいえ再び建てたのはなぜだろうか。再建したのであれば合祀された賀茂神社の方はどうなっているのだろうか。色々と疑問が湧いてくるが、その答えは説明板には記されていない。

白兎神社。
白兎神社

満足したようなしないような気分で駅に向かっていると、自転車に乗った地元のおばさんとすれちがった。何気なく行く先に目をやると白兎神社の前で降りると、手を合わせてから何事もなかったかのように走り去っていく。単なる観光施設かと思いきや地元の方にも大事にされているようである。

時刻表を確認すると次の列車まで30分ほどある。正午になるところなので食事にするのが良さそうだ。駅にはコンビニがあるけど旅なら駅前食堂が望ましい。これだけの街なら当然あるだろうと駅前を歩くとやはりあった。いかにもな好ましい佇まいをしている。営業しているのかよく分からないが、のれんが出ているし消えかかった文字で営業中と出ている。

郡家の駅前食堂。
郡家の駅前食堂

そろりと戸を開けると、いくつかの座敷とカウンター席の小さな食堂で、昼だというのに座敷に婆さんがひとり座っているだけと空いていた。するとこの婆さん私を目にすると、おもむろに立ち上がり調理場に移動していった。

話のしやすいカウンター席に陣取り、午後に備えて高カロリーなカツ丼を注文。目の前で揚げてサクッサクッとカツを切る音がたまらない。出てきたカツ丼は自宅で作ったかの如く飾り気のない姿をしている。駅前食堂というのはこういうのが良く似合う。この雰囲気で小洒落たのものが出てきたら逆に違和感がある。

カツ丼を頬張りつつ町の見どころを尋ねると「何もないねぇ」と頭をもたげる。しばらく考えてくれるがやはり何もないという。この質問を地元の方にすると大抵の場合、それまで賑やかに話していても言葉が止まるから面白い。見どころはないけど自民党の石破さんが郡家出身だそうで、ある種それが一番有名なことらしい。

昼飯のカツ丼。
昼飯のカツ丼

注文していないがデザートに地元で取れたという梨を剥いてくれたり、コーヒーを入れてくれたりと至れり尽くせり。テレビからは渋谷のスクランブル交差点や明治神宮の様子が流れ、つい先日訪れたばかりなので懐かしい。テレビを見たり話をしたりと楽しいけれど、時計を見ると列車時刻が迫っていて、慌てて勘定を済ませると小走りに駅に向かった。

すぐに入線してきた智頭行きの普通列車はまたまた智頭急行の車両だった。向かい側のホームには倉吉行きのスーパーはくと3号が交換待ちで停まっていて、どうやら30分くらい遅れているようだ。向こうも智頭急行の車両だし、JRの路線なのにJRの車両にはめったに出会わないという不思議な路線である。

車内は各ボックス席が1〜2人で埋まる程度の乗車率で、見たところ地元客と大きな荷物を持った旅行者とが入り混じる。通路を歩いていき運良く空いていたボックス席に収まった。

普通列車の智頭行き 635D。
普通 智頭行き 635D

発車するとすぐに若桜鉄道の線路がじりじり左に離れていく。こういうシーンではどうしても線路を視線で追ってしまう。じきに若桜鉄道沿いを流れ下ってきた八東川を渡り、大きく右にカーブしたところで向こうの線路は視界から消えた。

河原かわはら

  • 所在地 鳥取県八頭郡八頭町国中
  • 開業 1919年(大正8年)12月20日
  • ホーム 1面1線
路線図(河原)。
河原駅舎。
河原駅舎

歩いて数分で鳥取市という八頭町の西端に位置している。駅の開業時は鳥取市ではなく河原村で、平成の大合併までは河原町を名乗っていた。その中心地は当駅から2〜3kmの千代川沿いにあり舟運で栄えたという。因美線が開業すると舟運が衰退したうえ、その鉄道も通らないと踏んだり蹴ったりで、そんな河原村に配慮したのか、駅名には所在地名とは関係のない河原が与えられている。

列車を降りると目の前には古びた木造駅舎が佇み、周辺には住宅がいくつもあれど駅裏に山が迫り、静けさもあって町外れの印象が強い。見るからに利用者は少なそうに映るが、意外にも老人が2人降りて、近所の方らしく歩いて去っていった。

ホームは1面1線と簡素なものながら、駅舎との間には貨物用だろうか、2本の線路が横切っていたと思われる空き地がある。ホーム上には駅舎に負けず劣らずの古めかしい待合所があり、近くで見ると最近補修された形跡がありまだまだ現役の様子。こげ茶色に塗装された作り付けの木製ベンチには空き缶がひとつ座っていた。

河原駅ホーム。
河原駅ホーム

貨物側線とそれを横断する構内踏切があったらしき場所を通り抜け、駅舎に入ってみると外観から想像するよりずっと狭く、休める人数はホームの待合所と大差ない。事務室との間には曇りガラスの格子窓が並び、何だか駅らしくない内装をしている。委託駅なのか窓は一部分だけ透明ガラスと、切符を出し入れできる小穴が設けられ、呼び鈴まで設置されていた。

委託駅らしいが人気はなく現役なのか怪しいものがあり、ガラス越しに事務室を覗きこむと、やかんの載ったストーブや書類や文房具が並ぶテーブルが見えた。やはり現役のようだが営業日も営業時間も書かれてなく謎の多い窓口である。

待合室の壁面には昭和を感じさせる看板が何枚も掲げられていて目を引くが、こちらもどういう存在なのかよく分からない。駅舎に合わせた演出的なものなのか、それとも実際に古いものがそのまま残っているのだろうか。気になるものは多いけれど答えは何一つ分からない。

窓口上に掲げられた広告。
窓口上に掲げられた広告

駅前に出ると車も通らなければ人通りもない静かな所だった。鳥取から降りてきた駅の中ではもっとも静寂さを感じる駅だった。駅前通りは歩道も付いた広い道路だが寂れている。定番ともいえるシャッターの降りた商店もあり、看板を見ると食料品店があったらしい。唯一駅前らしいのは簡易ながらある郵便局で、ガラス戸の向こうでは話し込む人の姿が見られた。

河原城

向かうのは駅名の元になったと思われる旧河原町だ。見どころは戦国時代に秀吉が陣を構えたという城山に築かれた河原城と、因幡の白兎で知られる八上姫やかみひめが祀られた売沼めぬま神社がある。この辺りはどこに行っても白兎が顔を出す。時間があれば両方訪れることにして、まずはより近場にある河原城を目指す。

駅の周辺は鉄道が通ったことによってできた集落だろうか、駅から少しの間だけ家並みが続くが、そこを抜けてしまえば田んぼを中心とした景色に変わった。途中に三谷神社の大しだれ桜という気になる標識があり、春か秋なら思わず進路を変えていたかもしれない。

30分ほどで広々とした千代川が見えてきた。川幅は軽く200mはありそうだ。すぐ下流で若桜や郡家方面から流れてきた八東川や私都川が合流している。この川が鳥取平野を形造り、鳥取砂丘に砂を供給しているという。向こう岸には旧河原町の市街地があり、その背後にある山上では目指す河原城がこちらを見下ろしていた。

千代川の背後に河原城がそびえる。
千代川の背後に河原城がそびえる

千代川を渡り河原市街に分け入っていく。文房具や切手も扱う太田カメラ書店なる、何が本業なのかよく分からない商店が気になる。周りが廃業する中で色々扱うようにしたのか、それとも元々こういう何でも屋なのだろうか。バス停の時刻表に目をやると、鉄道がないだけにバスが発達しているらしく、通勤通学時間には6本もの鳥取駅行きが出ていた。

城山のふもとまでやってくると、山上に向けて丸太を活用した遊歩道が整備されていた。車が通らないので気楽なものだが延々と階段と坂道が続く。ゆっくり上がればいいものを一気に駆け上がったものだから汗がにじむ。息を弾ませつつ上がりきった所には、街を見下ろす東屋があり一旦ここで休憩して息を整えた。

河原城に伸びる遊歩道。
河原城に伸びる遊歩道

目の前には目的の河原城がどっしり構えていて、遠目には小ぶりに見えたが近くで見ると想像以上に大きい。見るからに鉄筋コンクリート造りだが貫禄は十分である。広い駐車場も併設されているが止めてある車は2台だけと寂しい。あまりにきれいで人気がないから、大金持ちが自分のために作った城に見えてくる。

立ち入って大丈夫だろうかと静々進んでいくと、城の入口には受付けがあり普通に観光施設になっていた。ちらりと視界に入っただけでも職員は3人、そんなに大勢で何をするのだろうと思うくらい来館者はいない。女性職員から入場券を購入すると新人なのだろうか、もぎった後に手渡されたのは値段が書かれた方の半券だった。

河原城。
河原城

内部は思っていたより充実した展示施設になっていて、河原町の歴史から名産品についてまで展示や解説がどこまでも続く。城といえば城主にまつわる品々や年表が展示されるのが定番であるが、この城は元々が単なる砦のようなものだったらしくそういう物は全然ない。だが郷土史好きとしてはこれで十分というかむしろ楽しい。時間があれば訪ねようと考えていた売沼神社や、八上姫伝説についての解説もあった。

暖房の効いた館内が貸し切りというのもまた良い。人が多いと周りに気を使ってしまい、落ち着いてゆっくり展示を楽しむことができなくなるのだ。なぜだか久石譲の映画音楽が静かに流れていて、かつて賑わった町の歴史資料を見ていると郷愁を誘うものがある。

最上階は言うまでもなく展望室になっていて、外に出るといつの間にか青空が広がっていたのには驚いた。ここからは千代川と河原町を一望でき、青空と差し込む光でとても色鮮やかに見えた。なんとなく訪れた城だったけど満足度は高い。

展望室から日本海方面の眺望。
展望室から日本海方面の眺望

当初は薄暗さと人気のなさから不安を感じるくらいだったが、徐々に来館者が増えてきたのと青空が相まってすっかり空気が一変した。子供が何人もやってきたので城内もすっかり賑やかになった。

時計を見ると15時になろうとしている。日の短いこの季節なので次の駅は諦めて、売沼神社に向かうことにした。全国的にも珍しい八上姫だけを祀る神社で、因幡の白兎における大国主との物語は日本最初の恋物語とされ、今は縁結びのパワースポットとして知られるという。

城を出ると先ほど汗を流して上った遊歩道を軽快に下っていく。そして街に出たら大体の見当をつけてひたすら歩く。六地蔵の鎮座する集落に入っていくと狭い道路が入り組んでいて楽しい。トタンや板張りという昭和を感じさせる住宅が目立つのもまたいい。

さらに進むと一気に視界が開けてきて田畑が広がった。日当たり抜群で暖かい。冬場の曇りということで寒さを予想して厚着をしてきたので、歩いているだけでも汗ばんでくる。

沿道には穏やかな景色が続く。
沿道には穏やかな景色が続く

やがて八上地区といういかにもそれらしい所に出てきた。道路沿いにはずらりと住宅が並んでいて郵便局もあり比較的賑わいがある。建物の構えから昔は商店が並んでいたことが想像される。その一角に目的の売沼神社が鎮座していた。太陽はいつの間にか山に隠れて、再び肌寒くなってきた。

まず向かったのは神社ではなく隣接する八上姫公園で、千代川支流の曳田川ひけたがわ沿いにある小さな公園だった。桜の木と共に人の背丈ほどもある大きな石碑が点々と配置されていて、側面には大国主と八上姫の物語が、文字だけでなく図案と共に刻まれていた。石碑を順番に見ていくことで、物語を紙芝居のように楽しめるという仕組みだ。

曳田川を挟んだ対岸に見える小山は、尾根部分が5〜6世紀ごろの古墳になっていて、だけ古墳と名付けられていた。この古墳は八上姫の墓とも伝わるという。そんな景色は到着時より暗さを増していて気が急いてきた。

石碑の並ぶ八上姫公園。
石碑の並ぶ八上姫公園

売沼神社の鳥居に立つと、真っすぐ伸びた参道から奥に鎮座する拝殿まで、境内を見渡すことができる。参道沿いには押せば倒れそうなものから、見上げるように大きなものまで、姿形も様々な石灯籠が点在している。石材という石材の表面はすっかり苔むし美しい。それらが神社を取り巻く木々に包み込まれた様子は、薄暗さと静けさも相まって、外の世界から隔離されたような神秘的な印象を受けた。

ゆっくりと拝殿に向かいながら石灯籠に彫られた文字に目を凝らす。江戸時代の人たちが奉納したものなのだろう、安政や文久といった年号が読み取れる。中には風化して読み取れないものもあり、古くから崇敬を集めていたことを感じさせる。

一段高台にある拝殿は小ぶりながら見るからにそれと分かる整った姿で、屋根が石州瓦というのが山陰らしい。その手前に鎮座する狛犬は今にも飛びかからんとする形相と姿勢だ。拝殿の周囲にもまた何を理由にその位置を選んだのか、適当に配置したような感じで点々と石灯籠が並ぶ。この辺りは石材どころか地面まで苔に覆われていて見事なものである。

売沼神社拝殿。
売沼神社拝殿

雰囲気が気に入りすっかり長居をしてしまい、参拝を済ませて神社を後にするころには、随分と暗くなり寒さも増していた。それでも入れ替わるように若い女性の2人連れが境内に入っていく姿があった。さすが縁結びのパワースポットといったところか。

いつのまにか駅から4km近くも来ていて、日没までにたどり着けるか微妙なところ。急がなければとは頭では分かっていても、木戸や板壁に包まれた商店の廃屋に立ち寄り、雑草に包まれた堤防を探索し、興味を引かれるものが視界に入るとつい足を向けてしまう。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

河原駅に戻ってきたのは日没とほぼ同時刻だった。河原より河原口と呼びたくなるほど街から距離がある。ともかく時刻表を確認すると1時間以上も先までない。せっかく急いできたのにとがっくりきた。街中ならまだしも街灯すらまばらなこの地では、これからどこかに向かう訳にもいかず途方に暮れる。

鳥取行きの普通列車はないけど逆方向には2本もあり、それぞれから学生が10人くらい降りてきた。寂しい駅だが通学利用は多い。さらに通過してゆく鳥取行きの特急列車を恨めしく見送る。こんなに列車が通るのに鳥取行きの普通列車だけないのだから意地が悪い。

さらに意地が悪いのは駅舎の待合室が真っ暗ということで、室内灯が切れたままになっているらしく、壁に掲げられた時刻表を見るのにすら苦労するほど暗い。営業中の駅舎が真っ暗とは前代未聞である。

夕闇迫る河原駅ホーム。
夕闇迫る河原駅

暗くて寒い駅舎には見切りをつけてホームの待合所で列車を待つ。こちらは煌々と明かりが灯り、戸を閉めれば密閉することもできる。それでも寒いことに変わりはなく、ぼんやりしていると体が芯から冷えてくる。ベンチも冷たくて座布団のありがたみを実感する。降り立った時には1個だった空き缶が2個に増えていた。

ぽつぽつと高校生くらいの若者が集まってきたところで、ようやく列車がやってきて私を含めて4人が乗車した。車両は今日3度目となる智頭急行の車両で、ここは智頭急行の路線かというほどよく出会う。車内は各ボックス席に1人くらいと空いていた。

予想はしていたけど次の郡家で一気に通学の高校生が乗ってきて大混雑になった。暗さと静けさから深夜の気分でいたけど、この活気がまだ19時前と早い時間であることを気づかせてくれる。そして立ち客まで出たところで鳥取に向けて発車した。

鳥取駅に到着した 749D。
鳥取駅に到着

半日ぶりに戻ってきた鳥取駅は通勤通学客でごった返していた。ホーム上は一気に吐き出された学生と、山陰本線の列車を待つ人たちが交錯して足の踏み場もないほどで、人混みを縫うようにして駅を後にした。

(2018年1月5日)

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