因美線 全線全駅完乗の旅 3日目(河原〜用瀬)

因美線の旅3日目 旅行記&乗車記の地図

目次

プロローグ

完乗状況の路線図

2018年1月6日、朝から小雨のぱらつく空模様だった。旅先の雨は嫌うどころかむしろ好んでいるので悪くない。傘という余計な荷物が増えるし時にはずぶ濡れにもなるけど、そんなことはどうでも良くなるほど雨の景色は魅力的に映る。

もたもた支度をしていたら遅くなりホテルを出たのは7時半だった。鳥取駅のホームに上るともう8時発の智頭行き普通列車が入線していた。これに乗ろうと思っていた訳ではないが、結果的に前回と同じ列車での出発となった。

智頭行き 631D (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
智頭行き 631D

鳥取発車時には学生で混んでいたけど途中の郡家までにほとんど降りてしまい、車内にはお年寄りや旅行者がわずかばかり残された。徐々に強くなる雨脚に窓ガラスには雨粒が勢いよく流れていく。

前回到達駅の河原を過ぎると鳥取を出てから初めてとなるトンネルが現れた。短いトンネルで抜ける前も後も大して景色は変わらず山間の農村風景が続く。そのまま町らしい町もないままに列車は速度を落としはじめた。

国英くにふさ

  • 所在地 鳥取県鳥取市河原町釜口
  • 開業 大正8年12月20日
完乗状況の路線図
国英駅舎 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
国英駅舎

乗降客は私だけで列車が去ると雨音だけが聞こえる静かな駅だった。もう9時近いというのに明け方のように薄暗い。周辺は小高い山々に囲まれた千代川せんだいがわ沿いの平地で、田んぼや果樹園の広がる山間のひなびた集落という感じがした。

そんな立地の1面1線という小さな駅ながら、開業が大正時代と古いせいか木造駅舎を備えていた。駅舎はどこか妙に幅が狭くてバランスが悪い外観をしていて、どうも待合室だけを残して取り壊した結果こうなったらしい。ホームに接して待合室があるせいかホーム上に待合所はなく、思えばホームに待合所がない駅というのは因美線で初めてだ。

駅舎のとなりには割りと大きな駐輪場があり、きっちり収めれば100台近く並べられそうにも見えたが、大半が荒れていて肝心の自転車は2台しか止まっていない。昔は利用者が多かったことを想起させる寂しげな眺めだった。

1面1線の簡素なホーム (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
1面1線の簡素なホーム

誰もいないと思いきや待合室にはじいさんが1人座っていた。今の列車に乗らなかったのだから鳥取行きを待っているのだろう。そこに駅裏から線路を越えてホームに上がってきたじいさんが合流して、終日禁煙の文字もむなしくふかしながら話し込んでいた。壁には家庭ごみを持ち込む輩がいるため、ゴミ箱を撤去したとの貼り紙があり何だか考えさせられる。

ほどなくして鳥取行きの列車がゆっくり入線してきた。それを見ながら慌てる風もなく高校生くらいの若者が悠然と自転車でやってきた。降りる人はなく全員が乗車したので駅には私だけが残された。

何があるという訳ではないこの駅で存在感を放っているのが、待合室でも出入口の真上という一等地に掲げられた肖像画だ。場違いとも思えるこの絵は一体何だろう。駅に関係のある方が描いたのか、はたまた被写体の方が関係あるのか、それとも単なる飾りなのか、思いを巡らせるが分からない。今更ながら先ほどのじいさんに聞いておけばよかったと思う。

肖像画が目を引く待合室 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
肖像画が目を引く待合室

駅前からは先の見通せない狭い道路が伸びていて住宅が何軒か建ち並ぶ。さすがにこの立地では商店どころか商店だったらしき建物すら見当たらない。雨は相変わらず降り続いていて傘がなければ数分でずぶ濡れになってしまいそうな降り方だ。

善南寺と顕彰碑

地図を穴が空くほど眺めても近場には何もない。少し歩くなら約2kmほど離れた千代川の対岸にある大義寺に、戦国時代の一時期に因幡の実権を握りながら、最後は謎の死を遂げた武田高信の墓があるという。そのあたりでも散策してみるかと傘を開いた。

歩き始めるとすぐに宅地は抜けて田んぼが広がった。ふと因美線のすぐ後ろで雨に煙る山並みに目をやると何だろう、中腹に明かりがぽつんと灯っている。地図によると寺院があるらしいが、人里から離れたあんな場所にどういう寺だろうか。明かりがあるということは住職が居るようだし、妙に気になり訪ねてみることにした。

濡れない程度の小降りになってきたので傘を片付けつつ歩く。沿道には刈り終わった田んぼと柿の実が目立ち、何だか晩秋を旅しているように錯覚してしまう。途中の神社には何台もの車が並んでいて、まるで秋祭りの準備のようにも見えたが、正月の後片付けらしきことを町内総出といった様子でやっていた。よそ者の入り込む余地はなく横目に眺めて通り過ぎた。

線路伝いに寺を目指す (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
線路伝いに寺を目指す

寺の麓辺りまでやってきたが上り口が分からず困惑する。標識くらいありそうなものだけど何もないのだ。右往左往と探し回った結果これしかないだろうと、入口に小さな石仏が鎮座する山道に足を踏み入れた。周囲は墓地になっていて薄暗い雨の中を気分が良いものではない。しかし正解らしく山道は墓地を通り抜けると山上に向けて伸びていた。

雑木や竹に囲まれた薄暗い山道はつづら折りに山を上っていく。風がないので木々からしたたり落ちる水音が方々から聞こえてくる。ほとんど往来はないらしく足元は落ち葉に埋もれていた。所々に石が顔を出していて元々は石段があったのかもしれない。

本当に寺があるのかと思うような所だけど、点々と石仏が安置されていて参道である事は確かなようだ。石仏は随分と風化しているけどよく見ると氏名に加え、安政や明治といった年号が刻まれていた。江戸末期から明治初期にかけて奉納されたものらしい。冬だというのにまだ新しい花が供えられていて信仰が息づいているのを感じさせた。

参道には石仏が点々と並んでいた (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
参道には石仏が点々と並んでいた

車でも上がれるような道があるだろうという想像とまるで違う展開に、どんな寺なのか期待と不安が入り交じる。視線の先に瓦屋根が見えてくると石段らしい石段が少しだけ現れた。傾いたりして半ば崩れかけていたけど、この寺の雰囲気には何だかしっくりきた。

そうしてたどり着いたこの寺は善南寺という名前で、山の中腹に辛うじてあるような狭い平場にあった。その狭さに合わせるように小さな本堂と庫裏、それに鐘楼などが肩を寄せ合うように並んでいた。歩いてしかたどり着けないこのような寺にどんな住職が居るのだろう。などと思いきや無住らしく生活感も人の気配もまるで感じられなかった。

善南寺 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
善南寺

本堂のすぐ前に立てば木々の隙間から下界の景色が見えた。千代川を挟んだ対岸にある集落まで望むことができ、絶景とまではいかないけど眺めは良かった。時々列車がレールを刻む音が響いてくる。唐突に静かになるのでトンネルに入ったのだろうかと、そんなことを考えていたら雨脚が激しさを増してきて景色が白く染まっていった。

冬とはいえ雪ではなく雨というだけあって寒くはない。そこはやはり雪ではなく雨なのだ。でも寺の方は無住なだけに雰囲気が寒々しい。人気のない神社は落ち着くのに、人気のない寺は落ち着かないのはなぜだろう。

忘れ去られつつある寺のようにも思えたが管理はなされていて、最初に目に留まった明かりは本堂のものだが、裸電球が似合いそうなこの寺にして意外にもLEDが利用されていた。足元の山腹では治山工事をしていて真新しいコンクリートに覆われ、工事用らしきモノレールの姿も見られた。

善南寺境内からの眺め (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
善南寺境内からの眺め

次は先ほどの神社に行こうかと思ったけど相変わらず賑わっていたので、予定を変えて近くを流れる千代川を見に行くことにした。途中なく振り返って寺を見ると誰か潜んでいた訳でもあるまい、いつの間にか本堂の明かりが消えていた。

道すがら大きな石碑が立っているのを見つけ、耕地整理とか土地改良の類かと近づくと、村岡範為馳という方の顕彰碑だった。あの村岡氏かと分かれよいが全然ピンとこない。それ以前に名前の読み方すら分からない。碑文に頼るとドイツ留学から東大の医学部や理学部教授といった経歴が並び、京大教授をしていた明治29年に国内初となるX線写真の撮影に成功したという方だった。ちなみに名前は「はんいち」と読むそうである。

村岡氏はこの地の出身で当時は釜口村といった。それが明治の合併により国英村、昭和には河原町、平成に入り鳥取市と変ぼうしていく。鳥取市河原町釜口という住所にその名残りを留めるが、駅名の元にもなった国英の名前だけ完全に消えている。おかげで地名でもない難読な駅名はどこからやって来たのかという感じだ。

村岡範為馳 顕彰碑 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
村岡範為馳 顕彰碑

千代川にかかる橋の上までやってくると水の流れる音が怖いくらいに響いていた。まだまだ川幅は広く100mくらいありそうだ。昔はここを人や物資を乗せた舟が往来していたという。結構流れが早いので下るには都合が良さそうだけど上るのはどうしてたんだろ。遠くの方には雨の降りしきる中で川に入って何かを採っている人の姿があった。

駅に戻ってくると急に雨は小降りになってきて薄日まで差してきた。まずやってきた鳥取行きを見送るが乗降客はない。続いて乗車する大原行きがやってきた。大原は智頭急行にある駅なので予想通り智頭急行の車両で現れた。こちらの乗降客も私の他には誰もいない。

大原行き 633D (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
大原行き 633D

単行列車にも関わらず車内はボックス席すらいくつか空いていた。日中のローカル線らしい光景ともいえるが寂しい乗車率である。暖かな車内とすっかり曇り景色の見えない窓が眠気を誘う。そこにどういう気まぐれか急に日が差し込んできたものだから、ただ眩しかったということだけを覚えている。

鷹狩たかがり

  • 所在地 鳥取県鳥取市用瀬町鷹狩
  • 開業 昭和36年8月1日
完乗状況の路線図
鷹狩駅ホーム (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
鷹狩駅ホーム

降り立ったホームには孫らしき子供を連れたじいちゃんが立っていた。乗客かと思ったら列車を見に来ていただけだった。空には青空が顔を出しはじめていて、このまま晴れてくるのかと思ったのも束の間、すぐに雲が広がりはじめると冷たいものがこぼれてきた。

昭和36年開業と因美線では新しい駅だけど周辺は思いのほか開けていて、見慣れた田んぼと住宅だけでなく色々な店舗に病院まであった。線路に沿うようにして国道が通っているので車の走行音もひっきりなしに聞こえくる。それらが組み合わさることで大正時代に開業した河原や国英よりずっと賑わいを感じた。

待合所に入るとこれまでの木造ではなくブロック積みで開業年代の違いを感じさせた。ベンチには座布団が敷かれ掃除や除雪道具が並んでいた。壁には部落ごとの清掃当番表が掲げられていて随分と大事にされているようだ。国英ではマナーの悪さから撤去されていたゴミ箱もここでは健在だ。

待合所 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
待合所

木製の電柱が残るホームを行ったり来たりしていると、待合所の脇に鷹狩駅と刻まれた小さな石碑があるのに気がつく。開業記念に設置したのかなと半ば癖のようなもので裏面も確認すると、総工費221万円に大村財産区とあった。もしかしてこの駅はこの地区で管理しているのだろうか。そう考えると清掃当番が割り当てられているのも納得である。

線路の向こうにも何やら石碑が立っていて向こうは見上げるほど大きい。裏面にはびっしりと文字が刻まれているのが見える。国英でのこともあり有名な方の顕彰碑だろうかと行ってみると、横谷美賀之助という方の顕彰碑だった。全然知らないなあと碑文に目を通すと、長年この地で議員や農協協会長を努めた方で知らなくて当然である。読み進めていくと実績として鷹狩駅の新設が挙げられていたのには少し驚いた。

線路脇に立つ顕彰碑 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
線路脇に立つ顕彰碑

駅前には駐輪場があるだけで駅舎どころかトイレすらなく、およそ駅前らしさというものは感じられなかった。戦後開業の小さな駅ともなると大体こんなものである。斜向いには焼き立てパンの店があり空腹感にさいなまれる。

鷹狩神社と美那理神社

赤波川おう穴群なる興味深い看板が立っていて、いいかもしれないと思ったが6km先という文字に足が止まる。向かえば私の寄り道の多さからして日没までに帰ってこれるかどうかすら怪しい。とりあえず頭の片隅に置いておくことにして、近くにある神社に向けて周辺を散策してみることにした。

近くには歴史を感じさせる家並みがそこらかしこに残っていて悪くない。狭く蛇行した道路沿いに板壁や土壁の古びた建物が並び、豊富な水が滔々と流れる水路が寄りそう。道端にはお地蔵様や大きな常夜灯の姿も見られた。かつて参勤交代にも使われた因幡街道はこの辺りを通っていたと思われる。

この辺りは昭和30年まで存在した旧大村の中心地らしく、何気なく目をやった石碑には大村役場跡と刻まれていた。鷹狩駅が開業したのは昭和38年だから、線路が役場のすぐ近くを通っていながら駅のない村だったのだ。次の用瀬駅までわずか1.3kmしか離れていないのに新設されたのも何となく分かる気がする。

駅近くの通り (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
駅近くの通り

家並みが途切れて田んぼの広がる景色になる頃、山すそに小さな神社が見えてきた。駅名と同じ鷹狩という名の神社で、特にどうということのない神社だけど、降りしきる雨と木々から落ちる雨だれの音に包まれた境内は神秘的なものを感じさせた。由緒書きによると創建年代は不明ながら少なくとも江戸初期には存在していたとある。

正月ということもあってか手入れの行き届いた拝殿の前には、どんど焼きに備えて置いていくのだろうか、しめ飾りがいくつも並んでいた。

印象に残るのが誰の手によるものか竹を活用した手水舎で、裏山の湧水だろうか勢い良く水の流れ出る水口から柄杓、さらには柄杓をかけておく所まで全てが竹で作られていた。安上がりなだけでなく見た目にも素朴で美しい。うまく作ったものだと感心してしまう。

雨音に包まれた鷹狩神社 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
雨音に包まれた鷹狩神社

駅に戻ってくると空は明るくなり雨も上がってきた。時刻表を確認すると次の列車まで30分以上あり、昼時なので飯にしようかと考えたが肝心の店がない。近くに焼き立てパンやコンビニはあるけど旅の食事としてそれでは物足りない。どうしようか迷ったけど次の用瀬に期待することにした。

代わりに時間つぶしがてら近くを流れる千代川まで行ってみた。鮎釣りで有名らしいが冬とあっては人の気配すら感じられない。そのまま橋を渡り対岸までやってくると美成という集落があり、蔵や六地蔵の見られるなかなか絵になる所だったが、こちらもまた人の気配どころか猫の姿すら見かけなかった。皆こたつで丸くなっているのだろう。

高台にある美那理神社に上がっていくと、参道には川原から集めたような丸みを帯びた石が敷き詰められていて、それが雨に濡れてつやつやと輝いていた。雨の日に訪れたからこその光景だ。その先では一升瓶と鏡餅が供えられた拝殿が鎮座していた。神社というのは隣り合う集落同士でも別世界のように雰囲気が違うから面白い。

駅近くを流れる千代川 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
駅近くを流れる千代川

慌ただしく駅に戻ってくると再び雨がこぼれはじめた。空の方も随分と慌ただしく一体どうなっているのかと空を見上げれば面白いように雲が形を変えていた。雨が収まるたびに濡れた傘を吸水カバーに片付けていたら、いよいよ吸水しきれなくなり、吸水カバーを収める吸水カバーが欲しいような状態になってきた。

次に乗車するのは智頭行きの普通列車で、見えてきた車両が乗り慣れた智頭急行のそれではなく、初日に乗って以来となるたらこ色をした国鉄型車両だったのが嬉しい。智頭急行の車両に不満がある訳ではないが、色々と走っている路線なので色々と乗りたいのである。

智頭行き 657D (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
智頭行き 657D

車内は混雑している訳ではないが空いているという程でもない、ほどほどの乗車率という感じだった。例によってボックス席に陣取ってはみたものの、発車したと思ったらもう到着する駅間距離の短さで、景色については何の記憶にも残っていない。

用瀬もちがせ

  • 所在地 鳥取県鳥取市用瀬町用瀬
  • 開業 大正8年12月20日
完乗状況の路線図
用瀬駅舎 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
用瀬駅舎

郡家以来となる久しぶりの街らしい街にある駅らしい駅だった。乗る人はなかったけど私の他にも高校生くらいの男女から、小さな女の子を連れたばあちゃんまで数人が降りた。はしゃぎながら駅を去っていく女の子と、それを追いかけるばあちゃんの姿がどこか懐かしい。

構内は1面2線の島式ホームで開業当時からの木造駅舎が残されていた。改札脇には「流しびなの里用瀬」の文字と共に、等身大のような特大の流しびなが飾られているのが見える。実際の流しびなは片手に乗せられるような紙びなで、旧暦3月3日に無病息災を祈り千代川に流す行事は有名だ。その日だけはこの駅にも特急が停車する。

雨が降ったり止んだりしているホーム上には、駅舎とは対照的な新しく簡素なプレハブ感のある待合所が建つ。その近くには大きな庭石のようなものが大小2つ置いてあり、飾っているようにも撤去が面倒だから放置しているようにも見えた。

用瀬駅全景 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
用瀬駅全景

構内踏切を渡り駅舎に入ると無人駅ながら古びた窓口と小荷物扱い所が並んでいた。使われなくなりカーテンや板で塞がれているが、現役当時の姿をよく残していた。あちこちリフォームされつつも木製の作り付けベンチなどに歴史を感じさせる。よく見るとちょっとした木材にも細工が施してあったりして、建設当時の力の入りようが伝わってくる。

壁には白黒写真が何枚も飾られていて、見ればまだ開業前の工事中の様子から、小さな客車を連ねた蒸気機関車の牽引する列車、それに出征の見送りなど用瀬駅にまつわる貴重な写真ばかりだった。これを見ると今では空き地になっている場所には側線や、上屋のある貨物ホームが存在したことが伺える。

開業当時の様子も記されていて、行楽客から用事もないのに乗る人まであり、列車は連日混雑したという。今からでは想像もできないような賑わいようである。

待合室には古びた窓口が残る (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
待合室には古びた窓口が残る

駅前に出ると小雨のぱらつく人気のない静かな通りが伸びていた。周辺は家々が隙間なく建ち並んでいるが商店はまるで見当たらない。かつてはそうだったらしき建物が点在しているくらいのものだ。駅前食堂で昼食をという計画は早くも頓挫してしまった。

瀬戸川散策

この用瀬で有名なのは流しびなで、その名を冠した流しびなの館に行こうかと思ったけど、待合室に並ぶ観光地らしきパネルの中にある瀬戸川という1枚に視線が留まった。幅が2〜3mほどある石積みの水路に沿うようにして板壁の古い建物が並んでいる。思わず行ってみたいと思ったが、肝心の場所についての記載がないのだから片手落ちである。

どうしたものかと駅前通りを歩き始めた途端にそれらしい水路が横切っていた。これが瀬戸川かどうか知らないけど、風情ある光景を目の当たりにして気分が高揚してきた。変に観光化されておらず生活感にあふれているのが魅力的に映った。

上流と下流のどちらも良さそうで迷うところだけど、上流側を指して流しびなの館の標識が出ていたので、これは好都合とばかり上流に向けて足を進めた。さらさら流れる水面をのぞき込むと梅花藻が揺れていて水の美しさを感じさせる。

街中を流れる瀬戸川 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
街中を流れる瀬戸川

向こうから歩いてきたおばちゃんを捕まえて尋ねるとこれが瀬戸川だという。良いところでしょうとテレビ取材が来た話などが延々と続く。割り込むようにして板壁のある場所を尋ねると駅よりずっと下流だという。流しびなに釣られて見事に逆方向に来てしまったらしい。徐々に暗くなってきていて時間が気になるので、まだ話し足りなそうなおばちゃんに礼をして足早に引き返した。

水路の上には対岸の家に向けて無数の橋がかかり、小洒落た木造などではなく適当さの感じられるいびつな形のコンクリート製なのが良い。中には水路に覆いかぶさるようにせり出した家もあり、狭い土地をうまく利用しようとした痕跡を見ているようで面白い。

そんな雑然とした景色も良かったけど板張りの建物が並ぶ一角までくると、それらとはまた違った風情が残りこちらも捨てがたい。この水路は生活用水としてだけでなく、かつては17基もの水車が回る貴重な動力源でもあったという。今では1基も残されていないというから残念だけど、残っていたら観光客が押し寄せそうだからこれで良いのかもしれない。

瀬戸川沿いに板壁の残る一角 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
瀬戸川沿いに板壁の残る一角

堪能したところで流しびなの館に向かうべく引き返す。最初の選択を間違えたばかりに行ったり来たりとすっかり不審者である。駅から上流側には水路を渡って出入りする病院や、参勤交代の大名が休憩に使用したというお茶屋本陣跡、江戸時代から残るという石橋などが現れてくる。景色としては下流が良いかもしれないけど雰囲気としては上流が良い。そんな目の前の眺めに気を取られていたら後ろから自転車のベルを鳴らされた。

流しびなの館

標識に従い瀬戸川を離れるとすぐに見慣れた千代川に出た。対岸には流しびなの館が見えていて金閣寺を模したという木造建築は立派なものだ。それだけに最上部にパラボラアンテナがあるのはいただけないと思ったが、近くで見ると駅にあったのと同じく流しびなを模した大きな飾りだった。

流しびなの館に向けては太鼓橋というほどではないが、軽く弧を描いた赤い欄干の橋を渡っていく。ひなの古い呼び方であるひいなという名前を付けられた橋だった。昔は河口からこの辺りまで舟運があったそうで、どこに船着き場があったのか痕跡すら見当たらないけど、陸路と水路の接点として大いに賑わっていたのだろう。

人気がなさすぎて休館日ではないかと不安にかられるが普通に営業していた。館内は木造の暖かみを感じさせる内装で、歩くたびに床板がごとごとぎしぎし音を立てる。貸し切りの静けさの中でかすかに聞こえる雨音と若干の薄暗さが落ち着く。

千代川と流しびなの館 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
千代川と流しびなの館

展示室に一歩足を踏み入れると見るからに歴史のあるひな飾りがずらりと並んでいた。よくある段飾りだけでなく絢爛豪華な御殿風もあり、思わず顔を寄せて見入ってしまう手の込んだ代物である。一方で私でも作れそうな簡素なひな人形もある。初めて目にする形態の数々とその由来を読んでいると、ひな飾りにそれほど興味を持ったことのなかった私ですら、すっかりその世界に引き込まれてしまった。

流しびなの館というだけあり当然流しびなの展示もあるが、竹田人形や市松人形まで並んでいて見応え十分である。市松人形のような日常生活の中で実際に使われていたものを目にすると、思わず足を止めてどんな経緯を辿ってきた人形なのかと想像をめぐらしてしまう。

外は荒れているらしく雷鳴が館内にまで響き、屋根を突き抜けて激しい雨音が聞こえる。無事に帰れるか不安を感じさせるほどだ。展示を見終わると最後にらせん階段を上がり、最上部に設けられた展望室に上がってみた。するとどうだろう雷雨どころか薄日が差し込んでいたのには驚いた。ここからは用瀬の街並みから背後にそびえる洗足山までが見渡せ、雨で濡れた景色が横からの薄日でしっとり輝いて見えた。

展望室からは市街から洗足山まで一望できる (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
展望室からは市街から洗足山まで一望できる

受付に戻ってきてさあ駅に向かおうかと思ったら、奥に日本庭園や売店がありますからどうぞと案内された。なかなか充実した施設である。裏口のようなところから外にでると広々した回遊式庭園があり、中央には大きな池が配されていた。雨で波紋の広がる水面に目をやれば色鮮やかな鯉がたむろしていたが、寒いからかじっと固まるようにしていて動きがない。

この庭園も金閣寺を模したという中に入っているのだろうか。思えば本物の金閣寺を見たことがないのだから、そう言われたところで似てるかどうかすら分からない。これは金閣寺にも行ってみなければなるまい。

改めて駅に向かおうと表に出たら門松を片付けているところだった。鷹狩神社に並んでいたしめ飾りといい、鳥取の松の内は6日までなのかと思えてくる。

流しびなの館に併設された庭園 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
流しびなの館に併設された庭園

日没が迫り暗さと寒さが増してきた中で再び千代川を渡ると、先ほどの薄日は幻かと思えるほどに激しい雨が吹き付けてきた。そこから先はすっかり魅せられた瀬戸川沿いをもう一度歩いてみた。最初に出会ったおばちゃんではないけど風情ある良いところで、今のところ因美線沿線で歩いた中では最も印象に残っている。

エピローグ

完乗状況の路線図

本日最後となる列車はこんな場所と時間だけあって空いていたので、私の他にも何人か乗車したけど思い思いの場所に収まった。あとはゆっくりと過ぎ去る景色に今日の出来事を思い起こしつつ足を伸ばす。1日の最後にこうして過ごす時間がとても楽しい。

鳥取行き 638D (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
鳥取行き 638D

途中駅で数人ずつ乗せながら河原までやってくると路面には薄っすらと雪が積もっていた。雨が徐々に雪に変わってきたようだ。ここの待合所のベンチには昨日降りた時に1つ、帰る時には2つの空き缶が放置されていたのを思い出し、あれは一体どうなったかと過ぎゆく待合所の中に目を凝らすと3つに増えていた。

今夜は積もるかと思ったけど次の郡家ではもう路面から雪は消え失せていた。わずかな距離なのに不思議なものである。ここでは15分以上も停車したが降りたのは1人だけ、残った人たちは流しびなの館で見た鯉のようにじっと静かに発車の時を待つ。

辛うじて残照の残る鳥取駅では素早く改札を抜けて駅弁屋に向かった。朝から何も食べていないこともあり蟹めしを入手するとホテルに急いだ。これから中国山地に進んでいくと食事難民になる事も増えていくのだろうなあ。

(2018/01/06)

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コメント

  1. zootie より:

    Tokuvin, thank you for your blog post.Really thank you! Awesome.