因美線 全線全駅完乗の旅 1日目(鳥取〜津ノ井)

旅の地図。

目次

プロローグ

2018年1月4日、午前8時の鳥取駅にやってきた。目的は当駅から岡山県の山間にある東津山までを結ぶ因美いんび線だ。鳥取と津山それぞれの旧国名である因幡と美作の頭文字を取って、この路線名が与えられている。

因美線は中国山地を縦断する路線のため大部分が山間を走り、全長は70.8km、駅は両端の2駅を含めて16駅ある。大正8年に鳥取〜用瀬が開業したのを皮切りに、鳥取と津山の双方から少しずつ延伸してゆき、昭和7年に全通した。姫新線・津山線・智頭急行といった路線と組み合わせることで、鳥取と大阪・岡山方面を結ぶ陰陽連絡線を形成している。

冬の山陰地方で山間部に向かおうというのだから、大雪に見舞われたらどうしようかと思ったが、幸いにして細かな雪がちらちら降っている程度で、路面には雪さえ見当たらない。空は暗くどんよりしているが、鳥取の日照時間は日本有数の少なさなので仕方がない。

鳥取とっとり

  • 所在地 鳥取県鳥取市東品治町
  • 開業 明治41年4月5日
路線図(鳥取)。
鳥取駅北口。
鳥取駅北口

鳥取駅は山陰本線の主要駅であると同時に因美線の起点でもある。鳥取市を代表する大きな駅だ。開業は明治時代と長い歴史を擁するが、高架駅という近代的な姿に生まれ変わり、往時を偲ばせるようなものは見当たらない。もっとも高架化されたのは40年近くも前の国鉄時代なので、これはこれで結構な歴史を持っている。

駅前に立つと地上駅時代の駅舎や線路の跡地なのか広々としていて緑も多い。バスターミナルも併設されていて続々と路線バスが出入りしている。そんな一角には因幡の白兎伝説の土地だけあって、やはりというか当然というか大国主命と白兎の石像が鎮座していた。

高架下は南北の市街地を結ぶ自由通路になっている。通路の東側には改札やみどりの窓口など駅施設が並び、西側には商業施設が広がっている。そのため鉄道以外の利用者も多くて賑わしい。通路脇にはこれまた鳥取らしく、砂で作られた白兎や鮫が展示してあった。

改札口周辺。
改札口周辺

まだ列車には乗らないが高架上にあるホームも見ておこうと入場券を購入。改札を抜けると幅の広い階段で2階に上がる。ここには3階のホームに上がるための階段やエスカレーターが配され、ちょっとした待合室がある。まずは手近なエスカレーターで1・2番ホームに上がる。

ホームには大きな荷物を抱えた帰省客らしき人たちが列を作り、移動にも苦労するほどの混雑ぶりである。そこかしこに「〇号車指定席」「自由席」などと書かれたプラカードを手にした駅員が立つ。どうやら京都行きの特急を待っているらしい。

発車案内板には京都・若桜・米子・倉吉・城崎温泉・浜坂と様々な行き先が並び、4番線まであるホームには特急や普通列車が入れ代わり立ち代わりしていて活気に満ちている。

京都行きスーパーはくと4号。
京都行きスーパーはくと4号

人混みを避けるようにホーム上を移動していく。長大な客車列車が走っていた名残りかホームはとても長い。遠くに目をやると頭上がすっきりしていて空が広いのが新鮮に映る。鳥取駅は県庁所在地の代表駅でありながら電化されていない珍しい駅なのだ。同様の駅は他に山口・徳島・高知の3駅しかない。列車が発車するたびに大きなエンジン音が響いてくる。

どんより曇っていた空からは薄日が差し込みはじめ、これは幸先が良いと思ったのも束の間、突如として大粒の雪が激しく降りはじめた。

構内には新しい車両の特急列車が発着する傍ら、古びた国鉄型車両を使用した普通列車も続々とやってきて懐かしさを感じさせる。若桜鉄道や智頭急行といった第三セクターの車両も乗り入れてきており、バラエティ豊かな顔ぶれは眺めて楽しいものがある。

国鉄型車両も行き交う。
国鉄型車両も行き交う

再び駅前に戻ってくると近くにある鉄道記念物公園に向かった。駅前に立つ見逃しそうなほど小さな標識で気がついた公園で、このいかにも鉄道と関係ありそうな名称を目にしては、行かないという選択肢はない。

そこは小さいながら遊具の代わりに所狭しと鉄道関連の品々が並び、ちょっとした鉄道資料館を思わせる濃厚な空間であった。薄っすら雪化粧した園内は貸し切りで、鳥取駅の喧騒とは対照的なまでの静けさが落ち着く。

特に目を引いたのが古びた上屋のある石積みホームで、高架化される前の鳥取駅から移設したのだろうと想像するが、説明板の類が見当たらず詳しい事は分からない。他にも腕木式信号機や踏切に転轍機と何でも揃っている。雨ざらしなだけに劣化や破損が進行しているのが少し気がかりで、将来的に朽ちてしまわないか心配になる。

鉄道記念物公園。
鉄道記念物公園

雪はいつの間にか小康状態になり、それどころか青空まで顔を出しはじめた。上空は余程強い風が吹いているのか目まぐるしく天候が変わっていく。服を着込んで動き回っているため体は暑いくらいだが、気温自体は低いらしく手は若干冷たくなってきた。

鳥取砂丘

駅の内外をひと通り散策したところで鳥取砂丘に向かう。鳥取でどこかと考えると自然と砂丘に落ち着く。珍しい球状の石垣がある鳥取城にも心惹かれるものはあるが、あいにくと両者の距離は離れすぎているので諦める。両方を訪ねようものなら因美線に乗ることなく日が暮れてしまい、もはや因美線の旅とは言えなくなる。

観光案内所で砂丘への行き方を尋ねると、日々繰り返される質問らしく定型文のような案内が早口で返ってきた。路線バスを使うしかないようだが、残念ながら砂丘行きのバスは出たばかりで次は1時間後だという。最後にバスの時刻表と砂丘周辺の地図を手渡された。

この時間を利用して朝食にしようと駅に併設されたそば屋に入った。半端な時間だけに先客はひとりだけと空いていた。立ち食いではなくテーブル席もあるのがありがたい。名物だという砂丘そばを注文すると、鳥取名物のあごちくわが入ったそばが出てきた。かつお出汁の効いたつゆは食べやすく美味い。

砂丘そば。
砂丘そば

駅前のバスターミナルに向かうと下手な駅舎より大きな建物であった。待合室に入ると暖房が効いていて暖かい。ここで待ちたいところだが座る場所が見当たらないほど混み合い、通路には高速バスの受付カウンターに向けて列ができている。これはたまらないと外にある砂丘行きバス乗り場に向かい、傍らに置かれた小さなベンチに腰を下ろした。寒いけど徐々に青空が広がり、眩しいくらいに日が差し込んできた。

砂丘行きを待つのは私だけで、冬場の平日ともなるとこんなものか。そんな事を考えていると発車時刻が近づくにつれ、1人2人と観光客らしき人たちが集まってきた。そしていよいよ乗車という段になると、どこに隠れていたのかと思うほどの人々が現れ、概ね満席となった。

鳥取砂丘行きバス。
鳥取砂丘行きバス

出発すると日本海に向けて市街中心部を走り抜けていく。車窓には特別新しくもなければ古くもない街並みが流れていく。鳥取は古くから因幡の中心地であると同時に空襲を受けていないから、風情ある古い街並みが残っていそうなものだけど、多くの歴史ある建造物は昭和18年の鳥取地震と、昭和27年の鳥取大火により失われてしまったという。

市街地を抜けると徐々に山間に分け入っていく。海に向かっているはずなのに不思議な感じがするが、市街地と砂丘の間には小高い山が横たわっているのだ。やがて短いトンネルを抜けると空は開け、地上には砂丘の防砂林らしき松林が広がった。

観光案内所で聞いた砂丘最寄りのバス停で降りる予定でいたが、その手前にある砂丘センターという所で大半の乗客が席を立った。何やら高台で見晴らしが良さそうだし、ここで降りるのが正解に思えてきて、つられるように一緒に降りてしまった。本当にこれで良かったのだろうかと若干不安を感じつつバスを見送った。

砂丘センターで下車。
砂丘センターで下車

天候は再び悪化しはじめ、つい先ほどまでの青空が嘘のように薄暗くなってきた。高台だけに風当たりは抜群で、雨まじりの冷たい雨が吹きつけはじめた。

風雨から逃げるように目の前にある砂丘センターに飛び込む。なにかと思えば土産物の売店やレストランが入ったドライブインだった。明るく暖房が効いていて外とは別世界だ。新しく大きな施設だけど、客は少なく店員の方が多いくらいだ。一緒に降りた大勢の人たちはどこに消えてしまったのかと思う。同時に彼らは何のためにここで降りたのかとも思う。

上層階には展望台があるというので階段を上がっていくが、屋外だけに雨が降りそそぎ、肝心の景色は雨に煙っていてよく見えない。すごすご退散するのみである。

展望台から眺める砂丘(建物はリフト乗り場)。
展望台から眺める砂丘(建物はリフト乗り場)

収穫が有ったような無かったような砂丘センターを後にして、砂丘に向かうべく目の前にある観光リフト乗り場に向かった。このリフトが砂丘とこの高台を直結しているのだ。下るだけとはいえ歩けば結構な距離があるので助かる。券売機で乗車券を購入して乗り場に向かうと他に利用者の姿はなく、もぎりのおじさんが所在なげに佇んでいた。

リフトに乗るのは子供の時分にスキー場で乗って以来だろうか、移動する座席にタイミングを合わせて座る動作が懐かしい。ゆっくりと下りながら、すれちがう上りのリフトを眺めていると、どこまで行っても空席ばかりである。どうやら贅沢にもリフト全体が私だけの貸し切りになっているらしい。

歩き回っていては気にならなかったけど、こうして何もせず座っているとやたら寒い。みるみるうちに手が痛くなってきた。乗っていたのは数分の事だったけど、リフトから降りる頃にはすっかり体まで冷えてしまった。

観光リフト。
観光リフト

リフトから降りるとそこは砂丘だった。鳥取砂丘は東西に16km、南北には2.4kmと広大で、一歩足を踏み入れれば日本らしからぬ荒涼とした景色が広がる。暗い空と雪景色がより荒涼さを際立たせている。日本海との境目には馬の背と呼ばれる小高い丘があるため、海はほとんど見えないが、地響きのような波音が伝わってくる。

みぞれが激しさを増してきたので傘を開き、馬の背に向けて足を進めていく。寒さと悪天候が加わり馬やらくだの姿はなく、観光客も遠くにちらほら数える程度しかいない。みぞれが傘を叩くバラバラという音と、怖いくらいに響いてくる日本海の音だけが耳につく。

最果ての地にでも来たかのような印象を受けたが、もし夏場の繁忙期に訪れたなら穏やかで人も多く、まるで違う印象を受けるに違いない。

荒涼とした鳥取砂丘。
荒涼とした鳥取砂丘

砂の上を歩くというのは無駄に体力を使って大変なのだが、幸か不幸か悪天候のために砂が湿り、固く締まっていて歩きやすい。ミドルカットで防水の靴を履いていたのも良かった。水も砂も入り込む心配がなく思い切り踏み出せる。馬の背に向けては緩やかな下り坂で、追い風も味方して足取りは軽い。

下り坂が上り坂に変わる馬の背との境界あたりは、窪地だけに地下水や雨水が溜まりオアシスと呼ばれる池ができている。風も当たらないので鏡のように静かな水面だ。水際まで行ってみようとしたけど、あまりになだらかな傾斜地のため、どこが水際なのか分からない感じで砂の斜面が水面に変わっていた。

馬の背は遠目で見たよりずっと急勾配で、スキー板でもあればサンドスキーが楽しめそうなくらいだ。この巨大な砂山によって波音と風が遮られるらしく静かで、傘を叩く雨音だけが妙に大きく聞こえた。靴に砂が進入して難儀する観光客を横目にぐいぐい登る。休んだら負けのような気がして休まず上がり続けたら、さすがに呼吸が荒くなり汗が滲む。

馬の背に登る。
馬の背に登る

上がりきると同時に視界を遮るものは何もなくなり、見渡す限りに激しくうねりをあげる鉛色をした日本海が広がった。はたと足が止まり言葉を失う光景である。

眺めが良いということは、風を遮るものがないということでもある。暴風雨をまともに受けて汗をかいた体が冷えはじめた。さらには傘が飛ばされて追いかけるはめに。後からやってきた人たちも景色を目にすると思わず歓声を上げるが、すぐに自然の厳しさに負けてそそくさ退散していく。

耐えながら海を眺めていると手がピリピリしはじめた。単なる静電気だろうと特に気にしていなかったが、徐々に酷くなり手が痺れるほどになってきた。さらにどこからともなくパチパチと規則正しい音が聞こえてきて気味が悪い。発生源を探っていると傘の金具が音に合わせるように放電して光を放っているではないか。反射的に雷のことが頭をよぎる。こんな何もない所で落雷とか冗談ではないと逃げるように馬の背を降りた。

馬の背から眺める日本海。
馬の背から眺める日本海

帰りは下り坂だから楽かと思いきや向かい風が強くてそうでもなかった。視界を遮るように傘をささないと雨が顔にまで叩きつけてくる。風雨と戦いながら砂丘を脱出すると、途端に青空が広がり日が差し込みはじめた。まるで狙ったように砂丘滞在中だけの悪天候であった。

目の前には砂丘会館というドライブインがあり、昼ということもあり休憩がてら何か食べていくことにした。所狭しと並ぶ土産物の間を通り抜けた先に大きな食堂があり、ショーウィンドウの中には魚介類を中心とした料理が並んでいた。店内に入ると砂丘と同じで、広々としていながら人が少なく快適だ。

鳥取名物を食べようと思い、多数並んだカニ料理の中からカニとろろ丼を注文。鳥取といえばやはりカニが最初に思い浮かぶ。鳥取県はカニの漁獲高だけでなく消費量でも日本で一二を争う県なのだ。加えて長芋も砂丘の砂地を活かした特産品で、海と陸の名物同士の組み合わせという訳だ。味の方も想像通りの美味しさで、カニの風味にとろろの舌触りは食が進み、またたく間に完食してしまった。

カニとろろ丼。
カニとろろ丼

ゆっくり食後のお茶を飲みつつ腕時計に目をやると、バスの発車時刻まで10分を切っていることに気がついた。慌ただしく外に出るとまた雨が降っている。小走りにバス停に向かい、すでに止まっていた鳥取行きのバスに飛び乗った。

車内は思いのほか混雑していて、優先席しか空いてないように見えたが、幸運にもひとつだけ空席が残されていた。駅まで20分ほどかかるので助かった。さらに発車間際に駆け込んでくる人たちもあり、通路まで一杯になったところでドアが閉まった。

雨による多湿と人いきれで窓はすっかり曇り景色どころではない。荷物のようにじっと到着するのを待つ。観光客ばかりなので途中のバス停で降りる人もなく、混雑したまま終点の鳥取駅に到着した。

鳥取駅行きバス。
鳥取駅行きバス

いよいよ因美線の旅だと意気込みながら足早に改札口に向かう。そして頭上にある発車案内板で列車時刻を確認してがっかりした。1時間近くも先の14時10分まで列車がないのだ。つまり慌ただしく戻ってきたというのに、ゆっくり食休みをしてから30分後のバスに乗っても結果は同じだったのだ。

こうなると乗車券を購入するくらいしか仕事がなくて暇を持て余す。仕方がないのでホームに上がってみると岡山行きの特急を待つ人々でごった返していた。大きなスーツケースを持った観光客や帰省客と思しき人が多い。乗り切れるのだろうかと思うほどの列だったが、まもなく入線してきた列車にはきれいに収まり妙に感心した。

そんな特急が去ると入れ替わりに因美線の普通列車が入ってきた。たらこ色をした国鉄型車両の2両編成だ。通勤通学客のいない日中は空いてるだろう、という予想に反して次々と座席が埋まっていき意外と乗車率が良い。あまり混雑されると降りるのが厄介なので、下手に座らない方が良いと判断して先頭のドア横に陣取った。

鳥取駅で発車を待つ、智頭行きの普通列車 657D。
普通 智頭行き 657D

14時10分、定刻通りに発車した列車は、加速しながら大きく右に曲がり内陸部へと進路を向けた。左手に遠ざかっていく山陰本線を目で追っていると、いつの間にか高架から下りて地上を走っていた。車窓には住宅と田畑がどちらが主体という感じでもなく続く。

津ノ井つのい

  • 所在地 鳥取県鳥取市津ノ井
  • 開業 大正8年12月20日
路線図(津ノ井)。
津ノ井駅舎。
津ノ井駅舎

鳥取市街を中心に据えた鳥取平野、海側の末端を鳥取砂丘とすれば、山側の末端はこの辺りになるだろうか。現在では郊外の住宅地といった風情であるが、古代における因幡国の中心地はこちらが近く、周辺には国庁跡・国分寺跡・一宮などが点在する。それらを取り巻く平野には大和三山になぞらえ因幡三山と呼ばれる、甑山・今木山・面影山が並ぶ。

列車を降りると冷たい雨に叩かれ急いで傘を開く。一緒に降りた高校生くらいの若者3〜4人は足早に去っていく。周りには住宅やアパートが建ち並び、いかにも都市近郊の小さな町という印象を受ける。線路の行方には小高い山並みが立ちはだかり、まもなく平野が尽きようとしていることを感じさせる。

ひとり残されたホームは1面2線の島式ホームで、線路の向こうには古びた木造駅舎が佇んでいる。ホーム上にあるプレハブ小屋のような待合所を覗くと、外観に負けず劣らずの素っ気なさで、ベンチがあるだけで時刻表どころか貼り紙の1枚すらない。

津ノ井駅ホーム。
津ノ井駅ホーム

ホームと駅舎を結ぶのは遮断器すらない構内踏切で、県庁所在地駅の隣にして随分とローカルな雰囲気が漂う。駅舎を近くで見るとあちこち改修されているが、相当に古いことは間違いない。軒下には大きな除雪機が置いてあり冬の厳しさを物語る。鳥取県はその全域が豪雪地帯に指定されるほど雪の多い土地だ。

やたらと幅の狭い改札口を抜けて待合室に入る。誰もいないうえに雨の薄暗さが手伝い寒々しい。いかにも現役といった様子のきれいな窓口があるけどブラインドが下りている。営業時間は7時から16時35分と書いてあるので開いていなければおかしい。もしや無人化されたのかと貼り紙に目をやると、正月1日から4日まで休業と書いてあった。

待合室と狭い改札口。
待合室と狭い改札口

駅前に出ると水しぶきを上げながらひっきりなしに車が走り抜けていく。近くの信号が赤になるとずらり車が並ぶ。ここは鳥取と姫路を結ぶ国道29号線の旧道で交通量が多い。車の多さとは対照的に人の姿はまるで見当たらず町に活気は感じられない。くすんだ色合いをした景色の中で、駅舎の前に並ぶ自販機だけがやたら鮮やかに見えた。

因幡国の史跡巡り

ここでは北東2〜3kmほどの所にある、千年以上もの昔に因幡国の国府が置かれたという地域に向かう。歴史ある土地だけに史跡も四方八方に点在していて見どころには困らない。中でも訪れてみたいのが国府の中枢たる国庁の跡だ。その道すがらには国分寺の跡もあるので、まずはそちらを先に目指すことにした。

空気は冬らしく冷えているが歩いてさえいれば寒くはない。それより雨まじりの向かい風が困りもので、雨を防ごうと傘を前方に傾けて持つので手がだるい。

数分も歩くと町並みは途絶えて一面の田んぼが広がった。たまに思い出したように車が通るだけの静かな道である。田んぼの先には因幡三山のひとつ面影山がこんもりそびえている。

やがて建物の密集する小さな集落が近づいてきた。その入口付近に「因幡国分寺跡の礎石」と書かれた標識があり、それに従い建物に囲まれた蛇行する小路に入り込んでいく。その家並みや町割りから相当歴史ある集落であることは間違いなさそうだ。

国分寺地区の家並み。
国分寺地区の家並み

集落の中ほどまでやってくると最勝山国分寺という曰くありげな名前の寺があった。人の気配はなく静まり返っている。境内で見つけた碑文によると衰退した因幡国分寺を再興したものだという。とはいえ小さな本堂がポツンと佇んでいるだけで、七堂伽藍に七重塔があったという往時の姿を偲ぶことはできなかった。

実際の因幡国分寺跡はどこにあったかといえば、この集落一帯が寺域だったという。つまり先ほどから跡地の上をウロウロしていたという訳だ。発掘調査によって門と塔の位置は分かっているそうだが、家々がこれだけ密集していてはそれ以上の発掘は難しそうである。

境内の片隅には近くの水田から見つかったという大きな礎石がいくつも転がっていた。これは塔の礎石だという。大きさも形も千差万別で自然石そのままという姿をしていて、傍らに植えられた庭木と相まって説明板がなければ単なる庭石と勘違いするところだ。

因幡国分寺の礎石。
因幡国分寺の礎石

礎石を眺めていると突然大粒の雪が降りはじめ頭や肩が白くなっていく。これはたまらないと本堂の屋根下に避難すると途端に体が冷えはじめた。やはり歩いていないと寒い。幸いにして雪はすぐに収まったので国庁跡に向けて足を動かす。

因幡の国庁といえば大伴家持が万葉集の最後を飾る歌「新しき年の始の初春の 今日降る雪の いや重け吉事」を詠んだ地として有名だ。1259年という時を隔てた同じように雪の降る正月だが、こちらの雪は全然吉事とは思えない。

国分寺の集落を抜けると再び田んぼの広がる中に出た。同時に雲が散りはじめ日が差し込んできた。あの激しい雪は何だったのかと言いたくなる。雨上がりのしっとりとした空気感の中で低い雲が散り散りに垂れ込め、そこに日が差し込む眺めは幻想的だった。遠くの山には虹までかかり吉事を期待させる。

天候の回復もあってか、どこからともなく現れた犬の散歩をする女性に追い越された。人の気配と日差しが合わさり、寒々としていた景色に暖かみが出てきた。

田んぼの向こうに面影山が佇む。
田んぼの向こうに面影山が佇む

見えてきた国庁跡は芝生の広がる静かな公園だった。駐車場やトイレに東屋まで整備されていたが誰もいない。周りは田んぼに囲まれていて因幡三山がよく見える。遠くに目をやれば上半分だけ雪化粧をした山並みが光を浴びて輝いていた。

発掘調査によって判明した南門・正殿・後殿といった建造物の跡には、円柱形の御影石が整然と並び柱跡を表していた。当時はここに檜の柱が立っていたという。しかしこれだけで当時の姿を想像するのは難しい。近くの万葉歴史館には再現模型や資料が展示されているそうで、そちらを先に訪れた方が想像を巡らすには良さそうだ。時間があれば今からでも行ってみるところだが残念ながらもう閉館時間が迫っていた。

到着時には誰も居なかったが1台また1台と車が集まりはじめた。最初は観光客だろうと思ったが、見るとその全てが犬の散歩を目的としていた。かつての因幡における政治の中心地も、今では犬が走り回るばかりの公園とは栄枯盛衰を感じさせる。

因幡国庁の正殿跡。
因幡国庁の正殿跡

宇倍神社

時刻は16時を回り日没まで1時間を切っていた。史跡が多数あると言っても日が暮れてはどうしようもなく、時間を考えれば駅に戻るのが賢明だろう。しかしほんの1kmも歩けば因幡一宮の宇倍神社があり、ここで立ち寄らなければ心残りになるのは確実で、帰途が夜になることは覚悟の上で向かうことにした。

それにしても国分寺・国庁・一宮と狭い範囲に見事に揃っている。どこをどう見ても因幡国の中心地というこの辺りの地名が国府町というのが実に分かりやすい。

国庁跡から少し歩くと袋川という小さな川があり、渡った先には住宅を中心に建物がどこまでも続いていた。地図を見ると鳥取市中心部から続いてきた市街地の末端になるようだ。行き交う人や車も増えはじめ、公民館のような建物には大勢の人が集まり賑わっていた。

宇倍神社の参道までやってくると出店が並んでいて驚いた。もう三ヶ日も過ぎたというのにまだこんなに出店が残っているとは、鳥取県でもっとも初詣の人出が多い神社というだけのことはある。とはいえ4日の夕方ともなると人通りは少ないようで、店主同士で話し込んでいる姿があるばかり。準備中なのか営業中なのかすら分からないような光景である。

人通りのない参道に並ぶ出店。
人通りのない参道

由緒書きによると宇倍神社が創建されたのは大化4年だという。西暦にすると648年で飛鳥時代の話しだ。奈良時代から平安時代にかけて作られた国庁や国分寺より歴史がある。

それより宇倍神社という名前が気になった。宇部といったらセメントや炭鉱で知られる山口県の宇部しか思い浮かばない。なぜここで宇部なのだろうかと気になり後日調べてみたけど、正確なところはよく分からず何となくモヤモヤが残った。

社殿は街に接した高台にあり、百段くらいありそうな長い石段を上がっていく。所々に照明こそ灯っているが、木々に覆われていて全体に暗い。頭上には戌年だからか「吠える鳥取犬」と大胆な筆跡で書かれた大きな幕が掲げられていた。よく見ると鳥取県の形をそのまま犬に見立てた絵も描かれていて、なるほど鳥取県は鳥取犬でもあるのだと納得。

息を弾ませながら石段を上がっていると、頭上から止めどなく水滴が落ちてくる。木の葉に付いた雨水だろうと思ったが、それにしては休みなくパラパラ音を立てて落ち続けていた。何かおかしいと思いつつ頭上に木々のない境内まで上がりきって判明した、小さなあられのような雨が降りはじめていたのだ。

石段の上には吠える鳥取犬。
石段の上には吠える鳥取犬

焚き火の煙がゆらゆら上がる境内には想像より小ぶりな拝殿が鎮座していた。内部ではご祈祷をしているのだろうか、何人もの方が座っている後ろ姿が見えた。均整の取れた美しい佇まいをしたこの拝殿は、明治32年に発行された五円紙幣の図柄に採用された由緒ある建物だ。神社が紙幣に印刷されたのは初めてのことだったという。

御祭神は日本書紀や古事記に登場する謎に包まれた人物、一説には360余歳まで生きたとされる武内宿禰たけのうちのすくねだ。この因幡国で行方知れずになったという伝承も残る。そんな長寿の武内宿禰と紙幣の図柄になった事が組み合わさり、長寿とお金にご縁があるという。

参拝を済ませたころ、あられが本降りになってきたから大変。風もあるので横殴りに叩きつけてくる。すっかり雨が上がり油断していたのか傘を持たない人が多く、社務所の軒下には駆け込んできた人たちが10人ばかり身を寄せている。私もその中に加わり、御朱印を書いていただきつつ境内に降り注ぐあられを眺めた。

暖かな灯りに照らされた社務所では何人もの巫女さんが動き回り、ここだけは正月の続きのような忙しさと活気を感じる。

紙幣の図柄にもなった宇倍神社の拝殿。
宇倍神社拝殿

あられは雨に変わったが降りやむ気配はない。悠長に眺めていたが17時をまわり、辺りが暗くなってきて焦りが出てくる。ここから駅までは少なく見積もって4kmはあるのだ。この天候に疲れも加わり歩きたくない気分だけど、暗闇の中もまた歩きたくない。思い切って傘を開くと石段を駆け下りた。

記憶を頼りに残照に浮かぶ細道を小走りに進んでいく。遠くの街明かりや車のライトが夕暮れの寂しさを増幅させる。幸いにして雨は徐々に収まってきたが、国分寺の集落を過ぎた辺りでとうとう暗闇に包まれてしまった。道を間違え右往左往しながら駅に到着したのは、宇倍神社から1時間が経過した頃だった。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

人気のない待合室で時刻表を確認すると、約20分後の18時20分の鳥取行きがあった。窓口は閉まっていて券売機もないので、そのままホームに向かって列車を待つ。どこからともなく人が集まってきて最終的には3〜4人ほどになった。

やってきた鳥取行きは若桜鉄道から乗り入れてきた車両だった。単行の小さな車両とあって車内は学生で混み合っていた。奥には進みようもなく乗車したドアの所に立っていく。こう暗くては車窓には自分の顔しか見えず、往路の記憶から景色を想像するよりすることがない。

津ノ井駅に入線する、鳥取行き普通列車 1344D。
普通 鳥取行き 1344D

鳥取駅に到着すると人波に押されるように忙しく降り立つ。ホームには昼間と変わらず特急を待つ行列ができている。この光景を目にするのは今日だけで何回目だろうか。発車案内板を見ると米子行きの特急で、近場だからか通勤や用務客といった出で立ちの人が多い。

改札に向かい運賃を払おうと思ったら窓口が留守で困った。仕方がないので改札に立っていた女性駅員に渡したら愛想よく受け取ってくれた。現金を出すと窓口に行くように言われることもあり、どういう規定になっているのかよく分からない。

駅を出ると雨はすっかり上がっていた。畳んだ傘を手にした人たちが往来している。また降り出さないうちにと宿に向けて足を踏みだした。

鳥取駅北口。
鳥取駅北口

(2018年1月4日)

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