因美線 全線全駅完乗の旅 6日目(美作河井〜美作加茂)

因美線の旅6日目の旅行記&乗車記の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)

2019年12月25日、深夜を思わせる暗く静かな中に鳥取駅が見えてきた。駅前通りとは思えないほど往来がない。明かりを灯しているのは駅とコンビニくらいのもの。冷たい空気に眠気が消し飛んでいく。時刻は5時10分になろうとしていた。

目指すは昨年の晩夏以来となる因美線。あれから冬春夏秋と季節ごとに再訪の計画を立てたが、その度に取りやめとなり、1年以上が経過してようやく実現の運びとなった。

乗車するのは5時18分発の智頭行き。鳥取駅の始発列車である。迫る発車時刻に忙しく券売機と改札を巡りホームに上がる。既に入線していた列車は3両編成に車掌付きという、堂々たる姿をしているが乗客の姿は見当たらない。実態としては智頭まで通勤通学客を迎えに行く回送列車といえよう。

鳥取駅で発車を待つ、普通列車の智頭行き 651D。
普通 智頭行き 651D

先頭車両に乗り込んで腰を下ろすと、それを合図のようにしてエンジンが唸りを上げた。時間には余裕があるつもりだったが、起きるのが数分遅ければ乗り遅れていたところだ。

鳥取駅を抜け出すとすぐに車掌が検札に回ってきた。車窓はひたすら暗闇で街灯や家々の明かりが点々と流れていく。途中駅はまだ眠りの中にあり乗降客の姿はない。駅前のコンビニで仕入れてきたパンを食べ終えると暇を持て余す。誰もいない車内から暗い景色を見つめていると、始発列車というより最終列車に揺られている気分になってきた。

智頭では2両編成の津山行きに乗り継ぐ。車内はまた貸切り。そんな乗車率ながら2両も連ねていることが、津山に近づく頃には通勤通学客で混み合うことを物語る。

智頭駅で発車を待つ、普通列車の津山行き 673D。
普通 津山行き 673D

列車は鳥取と岡山の県境をなす中国山地の脊梁部に向けてゆるゆる登っていく。那岐駅の辺りまでくると空が白みはじめた。取り巻く山々がシルエットを描いている。冬の山陰で山間部とくれば雪が想像されるが、目を凝らしても白いものは見当たらない。沿線には枯れ草色ばかりが目立ち、冬というより晩秋を思わせる。

県境の長いトンネルを抜けて美作河井駅に到着すると男子学生がひとり乗ってきた。ここからは高校のある津山に向けてどんどん学生が増えていくに違いない。それにしても鳥取を出てから12駅目にして、ようやく利用者に出会うとは閑散としたものである。

知和ちわ

  • 所在地 岡山県津山市加茂町小渕
  • 開業 1931年(昭和6年)9月12日
路線図(知和)
知和駅舎。
知和駅舎

穏やかな山並みがどこまでも広がる中国山地のただ中、静かに流れる加茂川沿いで、いくつもの山々に見下された山間の駅である。近くには郵便局まである比較的大きな集落が存在しながら、それを避けたかのような位置であるため、周囲には山林と農地が目立つ。

列車を降りようとするが運転士が私の存在に気づかない。降りる人が居ないことが当たり前になっている様子。仕方なく声をかけて切符を渡す。そんなことをしていると後ろのドアから学生がひとり乗り込んできた。それにちらりと目をやりながらホームに降りると、駅前に車が走り込んできて、そこから飛び出してきた学生が列車に駆け込んだ。

山間にこだまする列車の音が遠ざかっていくと、繰り広げられていた慌ただしさが嘘のように静まりかえった。動くものがないどころか風すらない。張り詰めた冷たい空気が静けさを強調する。薄明に浮かぶ駅舎や待合所からは灯りが溢れ、どこか寂しげで、夜と朝の狭間を思わせる光景が何とも言えず美しかった。

知和駅ホーム。
知和駅ホーム

構内はホームが1面と線路が1本あるのみ。駅前には幾ばくかの田んぼがあり、駅裏には薄暗い樹林が広がる。これだけならローカル線でおなじみの小駅なのだが、堂々たる木造駅舎を従えているから不思議に映る。

多くもなさそうな切符販売や小荷物扱いのために駅員が常駐していたのだろうか。そんなことを考えていると駅舎の脇に貨物ホームらしき跡があることに気がついた。木材の積み出しなどで賑わった時代があるのかもしれない。

気になる駅舎に向かうと、外壁・窓枠・引戸・窓口・改札周りと、外装から内装に至るまで何もかもが木製である。木製でない所を探すほうが難しい。これぞまさに昭和の木造駅舎という姿をしている。ペンキが塗られたりトタンが張られたりしていないのがまた良い。補修や清掃が行き届き大事にされている様子を見るに、長年放置された結果残された姿ではなく、意図的にこの姿で残されているようである。

知和駅の窓口と改札口。
知和駅の窓口と改札口

駅舎を出ると50mほど先を横切る県道に向けて狭い道路が延びている。道路があるだけでそれ以外には何もない。駅舎がなければまさか駅前通りとは思わないだろう。

正面には加茂川を挟んだ対岸に山が迫っている。頂上部に岩肌を見せるとんがりを猫耳のようにふたつ載せているのが特徴的だ。地図を開くと白金山の一部のようだが、猫耳には何かしら地元での呼び名がありそうにも思える。ふと誰かに尋ねてみようと頭をよぎるが、この景色では鹿か猪くらいにしか出会えそうにない。

矢筈城址(高山城址)

異なる駅から同じ場所を訪ねることは滅多にない。せっかくなら訪ねたことのない所に向かいたい。しかしここでは隣駅の美作河井と同じ矢筈山に登ることにした。というのも矢筈山には美作河井と知和の両駅から異なる登山道があり、かつて矢筈山に存在した矢筈城の遺構は、知和からの登山道沿いに広がっているからだ。つまり前回を矢筈山登頂が目的とするなら、今回は矢筈城址の散策が目的といえよう。

登山口を目指して歩き始めると、冷たい空気にみるみる体温が奪われていく。指先の痛みに思わず本当に切れていないか確認してしまうほど寒い。身を切るような寒さとはよく言ったものである。歩いていれば暖まると思ったが、体はそうでも頬や指先はどうにもならない。

向こうから自転車のおじさんが近づいてくる。互いに視線を向けただけで後ろに遠ざかっていく。どこへ向かうのか不思議に思う。向こうは見慣れぬ不審な奴だと思ってそうだ。

やがて道路の両側に住宅が並びはじめた。近年建てられた新しいものや、板張りに白壁を見せるもの、茅葺屋根にトタンを被せたものまで様々。駅前の景色からはどうして駅があるのだろうと思えたが、こちらを見れば駅があるのも納得できるほど人家がある。もっとも今の時代に駅を利用しているのは学生と老人くらいのものだろう。

知和の集落と、背後にそびえる矢筈山。
知和の集落と矢筈山

集落から伸びる石段や石鳥居のある参道を通り、矢筈山のふもとに鎮座する千磐神社にやってきた。矢筈山の登山口はこの神社にある。千磐をなんと読むのが分からずにいたが、今更ながら駅名と同じ「ちわ」であることに気がついた。

思いのほか見どころの多い神社で、中でも印象深いのが拝殿正面に立つ大杉。神社と杉どちらが先にあったのか知らないが真正面にそびえている。そのため参拝するには拝殿と大杉の間に体を入れて手を合わせることになる。さらに大杉に絡みつくようにして臥龍藤と名付けられた藤の巨樹があり、これはぜひ藤の花が咲く時分に訪れたいものだと思う。

矢筈城とも関係の深い神社で、説明板によると城主の信仰が厚い神社だったという。また末社には城主である草苅氏の守護神として、かつて城内に祀られていた矢筈神社があった。

大杉と臥龍藤が正面に立つ千磐神社の拝殿。
千磐神社の拝殿と大杉

登山口の標識を横目に登り始める。それなりに往来があるらしく踏み跡は明瞭で、階段や標識なども随所に設置してある。安心して足を進められる道だ。西側斜面なので日が当たらず薄暗いが、15分ほどで尾根上に出ると朝日が差し込みはじめた。後はひたすら尾根筋をたどるように城跡と山頂を目指す。

序盤こそ植林されたスギやヒノキが目立つが、そこを抜ければクヌギ・ブナ・ミズナラなどが入り交じる雑木林に変わる。葉を落とした木々が大半で明るく暖かな日が降り注ぐ。見上げれば雲ひとつない青空が広がっている。足元には寝転がれば気持ち良さそうなほど厚く落ち葉が積もり、足を進めるたびに心地よい音を立てる。

全体に木が茂るため眺望はないが、木々の間に間にふもとの集落や、駅前の猫耳山などが見え隠れする。痛いほど寒かった谷間にもすっかり日が当たり暖かそうである。

城跡に続く矢筈山登山道。
城跡に続く矢筈山登山道

堀切から始まり櫓台に武者隠しと、案内板がなければ気づかないような小さな遺構をたどりながら1時間以上が経過。気温の上昇も相まって額に汗を浮かべながら登っていると、突如として広々とした平坦地に出た。明らかに人為的に作られたそれは、見下ろす斜面上にまでいくつも並ぶ。一帯には寺院や客殿、御殿などが建ち並んでいたという。もっとも柱の1本も残されてはいないので、その姿は広い土地とわずかに残る石垣から想像するのみである。

難なく城の中枢まで来てしまったが、往時の矢筈城は難攻不落の城であった。築城は1532年(天文元年)という戦国時代の真っ只中。草苅衛継の手によるもので岡山県でも最大級という規模の山城だった。3代目の城主である草苅重継は毛利氏に従ったため、対立する羽柴秀吉や宇喜多氏などの軍勢に攻められるも尽く退けた。

ところが1582年(天正10年)備中高松城の戦いで羽柴秀吉と毛利輝元が和睦、美作国が羽柴方に割譲されたことで状況が変わる。当初は明け渡しに抵抗した草苅重継だったが、最終的には安芸国へと移り、主を失った矢筈城は1584年(天正12年)に廃城となった。

城郭跡の広々とした尾根。
城郭跡の広々とした尾根

西から東へと堀切を越えながら狭い尾根を下っていく。まるで城跡を通り抜けて下山しているようだがそうではない。矢筈山には東西2つのピークがあり、それぞれに城郭が築かれ、両者はこの堀切の並ぶ鞍部で結ばれているのだ。そして向かう先にある東の城郭こそ矢筈城の核心部で、三の丸から本丸までの重要区画が並び、山頂もこちらにある。

鞍部を登り返して三の丸の小さな曲輪を過ぎると、美作河井駅から訪れた懐かしの二の丸に出た。東の城郭ではここが最も広い。美作河井駅へと下る登山道入口には、河合駅方面と記された真新しい標識が設置されている。昨年は半ば朽ちかけた標識が足元に転がっていたのだが、しっかり維持管理がなされているようである。

二の丸から急峻な斜面を登るとすぐに山頂だ。本丸跡でもあるためテント場にできるほど広く平坦に整地されている。標高は756mだが築城以前はもっと高かったに違いない。ここは昨年訪問時から何ひとつ変化したところがなく、ひと月ぶりに訪れたような印象を受けた。

矢筈山山頂の本丸跡。
矢筈山山頂の本丸跡

山頂は木々が取り巻くため360度の大パノラマとはいかないが、開けた箇所も多いため十分に眺望を楽しむことができる。北側にはどこまでも折り重なるように山々が連なり、旧阿波村の中心地だけが樹林の海に浮かぶ小島のように開けている。南東側には那岐山から広戸仙へと連なる山並みを望むことができる。昼も近いので携行食を口にしながら景色を堪能した。

県境の那岐山から広戸仙へと連なる山並み。
県境の那岐山から連なる山並み

落ち葉に足を取られながら下山する。深々と降り積もっているので非常に滑りやすい。慎重に足を運んでいても転倒しそうになる。その度に持ちこたえるが足首を痛めそうで怖い。急峻な所では落ち葉の上をスキーのように滑ることも。雪面を靴で滑り降りることをグリセードというが、まるで落ち葉のグリセードだった。

13時29分、定刻通りやってきた津山行きの普通列車に乗り込む。日中の閑散区間とあって単行ワンマン列車だ。車内は貸切りかもしれないと思ったが、旅行者4人に地元民1人、この区間にしては悪くない乗車率だった。

知和駅に入線する、普通列車の津山行き 677D。
普通 津山行き 677D

列車は枯れすすきをかき分けるように進む。車窓の見やすいボックス席は旅行者で埋まっていたので、立ったまま前方や後方を眺めて過ごす。谷が広がるにつれて建物が増えはじめ、平野といえるほど開けてくると、学校らしき大きな建物まで見えてきた。峠を越えて里に降りてきた気分である。

美作加茂みまさかかも

  • 所在地 岡山県津山市加茂町桑原
  • 開業 1928年(昭和3年)3月15日
路線図(美作加茂)
美作加茂駅舎。
美作加茂駅舎

因美線沿いを流れてきた加茂川と、支流の倉見川が合流する開けた土地、古代より製鉄で栄えた地域で、付近には大規模な石室を擁する万燈山古墳がある。現在は平成の大合併で津山市に編入されるまで存在した、旧加茂町の市街地や田園が広がる。因美線の岡山側では最も大きな駅で、かつての急行停車駅である。

近づいてくるホーム上には5〜6人の利用者が待ち受けている。因美線の車内からこれだけ多くの人を目にするのは久しぶりだ。地元民らしき装いの若い女性に続いて降り立つと、旧加茂町の代表駅とはいえ町外れらしく、視界には意外なほど農地が目立つ。

久しぶりの交換可能駅で2本の線路が並ぶ。それを挟むように2面のホームがあり、昔ながらの構内踏切で結ばれている。上屋はないがそれぞれ駅舎と待合所があるので雨は凌げる。跨線橋や上屋のような頭上を妨げるものがないため空が広い。現在の1〜2両で走る列車には過剰なほど長い交換設備が、陰陽連絡線として栄えた当時の面影を残す。

美作加茂駅ホーム。
美作加茂駅ホーム

列車が到着したのは駅舎側のホームなのに、一緒に降りた女性は駅舎には向かわず構内踏切を渡っていく。向こう側にはホームがあるだけだがどういうことか。まさか乗り過ごして引き返す訳でもあるまい。見ていると線路を横断した足で線路脇の草地を横切り、駅裏を通る田んぼ道のような小路に出ていった。

近くに踏切がないのか、その後も構内踏切を利用して駅前と駅裏を行き来する住民の姿を目にする。駅裏の田園地帯の向こうには街並みが見え、駅と街を徒歩移動するにはここが近道なのかもしれない。子供に至っては駅舎から構内踏切まで自転車で通り抜けていた。

2番のりばの木造待合所。
2番のりばの木造待合所

駅舎は木造ながら近年建て替えられた新しいものだった。ローカル線の新駅舎といえば雨が凌げる程度の簡素なものが多く、駅舎自体がなくなってしまうことも珍しくない中で、木材を多用した広い待合室に、窓口や水洗トイレまで併設している。平成生まれとは思えないほど駅舎らしい駅舎だ。せっかく窓口があるのだから記念に入場券でもと思ったが、窓口は朝方と夕方のみの営業だった。

掲げられた時刻表に目をやると津山方面に向かう列車が大幅に増えている。知和駅では6本しかなかったのに10本もある。当駅と津山駅との間には何本もの区間列車があるのだ。津山から来た列車がここで引き返していくことが、県境部分の利用者がいかに少ないかを物語る。

朝晩のみ営業の窓口。
朝晩のみ営業の窓口

駅舎を出ると横切る県道沿いにずらり建物が並んでいる。駅裏には出入口がないせいか田んぼが広がっていたが、駅前はしっかり駅前らしい顔をしている。車が走り抜けるばかりで歩行者は見当たらないが、構えに商店の面影を残す建物も多く、かつては駅と市街地を結ぶ賑やかな通りだったのかもしれない。

日詰山

どこに行こうか決めかねる。いくつか候補があるから迷う。冬の日は短くあちこち巡る時間はない。現地情報に背中を押してもらおうと考えたが駅に観光情報がまるでない。サムハラ神社への案内図が掲示されている程度。大阪市内にある全国から参拝者を集める神社だが、当地には奥の宮があるのだ。カタカナ表記の社名とは珍しいが、これは正式なそれが神字であるため漢字では表現できないことによる。

それはともかく目的地としては街を一望できるという日詰山に決めた。全てを巡れない代わりに全てを眺めようという訳だ。しかもこの山には件のサムハラ神社も鎮座している。

まずは日詰山のふもとに位置する市街地を目指す。地元の人にならい駅裏から出発。田園地帯を抜けて加茂川に架かる橋を渡ると、狭い道路の入り組む街中へと分け入っていく。建ち並ぶのは大半が住宅だが、破れた日よけや色あせた看板などが残る建物も目につく。往来は少なく手押し車を押す老人がひとり歩いていた。

加茂川の流れ。
加茂川の流れ

どこか元気のない街にあってカキオコの文字が輝いて見えた。役目を終えた看板ではなく現役の看板だ。掲げているのはプレハブ小屋のような姿のお好み焼き店。木造家屋の中にあってはかえって明るく見える。15時近い半端な時間ながら営業中で、これを逃したら飯抜きになりかねないと、迷うことなくのれんをくぐった。

こんな時間に店を開けて客があるのかと思えるが、意外にも老夫婦や若い女性の先客がある。元気なお姉さんが切り盛りしていて、ここだけ随分と活気が溢れていた。

空いてる座敷に腰を下ろすとカキオコを注文。カキが苦手なのにカキオコとは看板に洗脳されたようで自分でもおかしく思う。程なく鉄板で運ばれてきたそれは目にも耳にも食欲をそそるものだった。大きなカキがこれでもかと載っている。しかも文句なく美味い。カキは滅多なことで美味いとは思わないのだが、その私が美味いのだから大したものである。

絶品のカキオコ。
絶品のカキオコ

店を出ると徐々に宅地は農地に変わり、やがて薄暗い山間へと入っていく。ありふれた田舎道であるが参道でもあるらしい、何気ない街角に金刀比羅神社の道標や常夜灯、それに鳥居などが点在している。日詰山にはサムハラ神社のみならず金刀比羅神社も鎮座しているのだ。風化したそれらの姿が古くから信仰を集めていたことを誇示しているようだ。

山上へと伸びる石段を上がっていくと金刀比羅神社の境内へと入っていく。新年を迎えようという冬枯れの中で、1本だけきれいに紅葉した木がある。その落ち葉をかぶる大きな石碑には社名と並び、大平正芳という総理大臣の名が刻まれている。眺めていると場違いなほど賑やかな女性グループが石段を降りてきた。思いもしないものが次々視界に飛び込んでくる。

石段を上りきると拝殿の前に出た。こじんまりしているが全体的な形や、丸金の文字が記された提灯に、四国のこんぴらさんを思い出す。それにしても海上交通の守り神が、どうして海とは無縁ともいえる中国山地にあるのだろうか。

金刀比羅神社。
金刀比羅神社

そこかしこに設置された展望台の標識に従い、拝殿脇の小路を上がっていくと、数分で銀色に輝く展望台が見えてきた。電柱を思わせる丸い鋼材で作られた櫓のようなものだ。最上部に向けて長くなだらかな階段が真っ直ぐ伸びている。遠目には巨大すべり台のよう。上がっていくと足元は建築現場の足場板のようなもので、多数ある隙間や小孔から下が見え、錆も目立つためどこか頼りなく不安を覚える。

眼下には加茂川と倉見川の合流点を中心に作られた市街地。そこから右手に広がる平野の中には駅が見える。こうして見ると町外れの駅であることがよく分かる。そこから取り巻く山並みへと視線を移していくと、矢筈山らしき姿に知り合いを見つけたような気分になる。展望台を名乗るだけあって眺望は抜群だ。

日詰山展望台からの眺望。
日詰山展望台からの眺望

ところでサムハラ神社はどこなのか、探していると金刀比羅神社の拝殿近くで見つけた。鳥居と共に祠のように小さな社殿がある。建造物は全体的に新しい。古色を帯びた姿を想像していたので少し意外に映る。これは近年になり当地に遷座してきたためという。日没迫る人気のない神社はことさら寂しく、ひとり参拝を終えると足早に山を下りた。

エピローグ

路線図(エピローグ)

駅に戻ってくると窓口のカーテンが開いていた。駅務室では見るからに委託駅員という私服のおばさんがふたり、大きな声で井戸端会議をしている。切符を買いに来た地元の人とも世間話をする様子は、切符の委託販売をする駅前商店の雰囲気である。

鳥取までの乗車券を所望すると手早く端末を操作して発券してくれた。その慣れた手さばきを目にした途端、近所のおばさんに見えていたのが駅員に見えてくるから面白い。到着時に買えなかった入場券のことも思い出してそちらも購入しておいた。

美作河井から鳥取までの乗車券。
帰途の乗車券

外は寒いので直前まで待合室で過ごしてからホームに向かう。まだ17時だというのに駅舎を出るとすっかり暗くなっている。ちょうど上下線の列車がある時間で、智頭方面のホームには私だけだが、津山方面のホームには人影がある。

最初に姿を見せたのは津山行きの単行列車だった。ゆっくり入線してくる車両を目で追っていると、車内に4〜5人の姿が確認できた。

程なくして智頭行きの単行列車もやってきた。学生を中心に満員なのに驚かされる。ところがそぞろ立ち上がりはじめ、話し込んでいた人たちも思い出したように腰を上げ、ついには大半の乗客が降りてしまった。残されたのは旅行者が2人と学生が1人、それに地元民らしき軽装の爺さんが1人であった。

美作加茂駅に入線する、普通列車の智頭行き 684D。
普通 智頭行き 684D

ひと駅目の知和で学生と爺さんが降りると車内は余所者ばかりとなった。物好きな旅行者でも乗らない限り、毎日のように空気を運んでいるのかもしれない。

車窓はみるみる暗くなっていく。窓に顔を近づけて家々の灯りや、残照に浮かぶ山並みを見つめる。辛うじて景色を楽しんでいたが、ふた駅目の美作河井に到着する頃にはすっかり暮れてしまい、車窓には自分の顔しか見えなくなった。

(2019年12月25日)

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