ご来光見学バスで目指す乗鞍岳の剣ヶ峰

2022年8月6日、小雨のしとつく深夜の平湯バスターミナルに立っていた。奥飛騨温泉郷を構成する平湯温泉の玄関口であり、また上高地・新穂高・乗鞍岳などへのバスが行き交うなど、観光客でごった返すところであるが、時間が時間だけに静まりかえっていた。

待っているのは乗鞍スカイラインを経由して、乗鞍岳の山上、標高2,702mの畳平に向かうバスである。通常便の始発は5時40分であるが、晴れる可能性がある日には3時30分に、ご来光見学バスというものが運行される。この日は運行するというので、ご来光を楽しんでから標高3,026mの主峰、剣ヶ峰に登ろうという計画である。

気がつけば待合室が開いていて、室内に置かれた券売機も稼働していたので、さっそく畳平までの切符を購入。通常は片道1450円であるが、早朝は特別料金で1750円であった。

平湯バスターミナル。
平湯バスターミナル

待合室で休んでいるとバスがやってきたので、来たかと乗り場に向かうが、バスは関係のないところで止まった。時間的に新宿から高山に向かう夜行バスだろうか。眺めていると登山格好の人たちが続々と降りてくる。これから北アルプスの山々を目指すのにちがいない。

ほどなく本当の畳平行きがやってきた。待合室には片手で数えるほどの利用者しかいなかったが、夜行バスからの乗り継ぎ客もあって、十数人を乗せての出発となった。

それでも空席はたっぷりあったが、暗い山間を走ること約15分、ほおのき平で大勢が乗ってきて満席となった。広大な無料駐車場のあるここまでマイカーでやってきた人たちだろう。畳平に通じる乗鞍スカイラインはマイカー規制があるので、自分の足か公共の乗り物に頼らなければ通ることはできないのである。

平湯発車時の空いた車内。
平湯発車時の空いた車内

ひと通りの案内放送が終わると車内は消灯となり、車窓もまた真っ暗なので、やることもなくとろとろしていると、到着のアナウンスで目覚めた。

終点の畳平まであと数百メートルというところで、ご来光登山口という公式サイトにすら記載の見当たらない謎のバス停に止まり、半分くらいの人たちが降りていった。名前から察するにここで降りるのが正解の気もするが、どうしようか迷っているうちにドアが閉まった。

そして定刻通り4時30分に畳平に到着。標高2,702mで日本一高いバスのりばとして知られるところだ。気温は体感的に15度にも満たないくらいで涼しい。気になるのは空模様で、幸いにして雨は上がっていたけど、空には一面に雲がうごめいている。ご来光を望むことができるのかどうか微妙な状況であった。

畳平バスターミナル。
畳平バスターミナル

乗鞍岳というのは主峰の剣ヶ峰をはじめとするいくつもの山々からなる山の総称で、畳平の周りでは大黒岳・富士見岳・恵比寿岳・魔王岳などが取り囲むようにそびえている。囲まれているということは日の出を迎えるには都合が悪く、なにかしらの山頂に向かいたい。理想的には剣ヶ峰であるが、日の出時刻まであと30分を切っているので、もっとも手近な東側にある山ということで富士見岳を目指す。

刻々と白んでいく空に急かされるようにリュックを背負って出発。山頂までのコースタイムは30分ほどなので余裕がない。前方に暗く浮かぶ富士見岳の中腹では、ご来光登山口で降りた人たちだろうか、いくつものヘッドライトが動いている。

富士見岳登山口。
富士見岳登山口

先行する人たちを追いかけるように登りはじめると、強い風にあおられ真夏とは思えないほど寒く、風に運ばれてきた霧で急速に視界が閉ざされはじめた。足を上げるごとに白さが増していく。このタイミングでついてないと思うが、山の天気は変わりやすいので、まだ分からないぞと言い聞かせるように登っていく。

そして日の出時刻を迎えようかというタイミングで、幕が開けるように霧が散りはじめ、東の視界がすっきりと広がった。空には全体に雲が広がっているけど、ちょうど太陽が顔を出すあたりだけ切れ間があり、そこが赤々と輝きはじめている。山頂はもう2〜3分のところにあるけど、この様子では間に合いそうにないので足を止めた。

ほどなく眩しい光があふれ出しはじめ景色を赤く染めていく。雨や霧に諦めることなく来てよかったと思う。周りに目をやれば赤い顔をした人たちが、立ったり岩に腰かけたりと思い思いの姿勢でじっと見つめていた。

ご来光。
ご来光

ご来光の時間が終わると、幕を引くかのように再び霧に包まれていき、止まっていた時が動きはじめたかのように人々が足を動かしはじめた。

目前にある富士見岳の山頂まで行ってみると、標柱や山のように小石の積まれたケルンなどがあり、ご来光を楽しんでいた人たちでごった返していた。ここは眺望に優れていて名前通りに富士山までも見えるそうだが、いまは勢いよく流れる白いものがあるのみだ。

次は主峰の剣ヶ峰に向かうことにして富士見岳を下っていると、砂礫の広がる斜面いたるところで、高山植物の女王といわれるコマクサの可憐な桃色の花を目にすることができた。それに負けじと青紫色をしたイワギキョウも数えきれないほど咲いている。遠景は見えずとも足もとに素晴らしい景観が広がっている。

コマクサ。
コマクサ

しばらくは水たまりのある細々とした未舗装の車道をゆく。平坦で歩きやすいけど冷たい風のみならず霧雨まで吹きつけはじめた。寒さと濡れ対策にレインウェアを着ようかどうしようか迷いながら、取り出すのすら面倒でそのまま足を進めていく。

沿道ではミヤマゼンコ・ウサギギク・ヨツバシオガマ・チングルマといった、砂礫帯とはまた異なる高山植物が、細かな水滴をたっぷりつけて風に揺れている。

お世辞にもいい天気とはいえないが剣ヶ峰を目指す人は多く、前にも後ろにも人影が絶えることはない。朝食なのだろう風下に顔を向けてパンをほおばる老人グループもいた。

水滴をつけたチングルマ。
チングルマ

車道の終点にある肩の小屋を過ぎると、剣ヶ峰に向けての登山道がはじまり、ハイマツと砂礫に覆われた斜面を、じぐざぐと稜線目指して登っていく。酸素の薄さによるものか軽い息苦しさを感じる。足もとには大小の石がごろごろしているが、老若男女が訪れる人気の山とあって整備されて歩きやすい。

登りはじめると間もなく、霧も雲も引き千切られるように散りはじめ、それに連れて青空が広がり日差しがそそぎはじめた。水滴を付けた草花がきらきらと宝石のように輝き美しい。

広がりはじめた青空。
広がりはじめた青空

立ち止まって頭を上げるごとに視界がすっきりと晴れ渡っていく。遠くを見やれば天を刺すような槍ヶ岳がくっきりと浮かび、黒部五郎岳・笠ヶ岳・焼岳・穂高岳、北アルプスの名だたる山々も頭を並べている。眼下には歩いてきたばかりの車道や肩の小屋、望遠鏡ドームが目を引く乗鞍コロナ観測所などが箱庭のように置かれている。これほどまでに見晴らしがよくなるとは、先ほどまでの霧雨からは信じられない気分だった。

槍ヶ岳までの眺望。
槍ヶ岳までの眺望

ハイマツどころか高山植物すらほとんどない、荒涼とした焦げ茶色の稜線まで上がりきると、巨大なケルンのように岩石を積み上げた剣ヶ峰が目前にそびえている。山頂には乗鞍本宮神社の鳥居と社があり、数名の人影が動いているのがよく見える。

富士見岳を下りてからというもの東側斜面ばかりを歩いてきたため、主として見えるのは長野県の景色であったが、県境の稜線上にきたことで西の岐阜県側も大きく開けた。真下には日本で2番目に高いところにある火口湖という権現池が口を開け、飛騨地方を埋め尽くす雲海の向こうには、白山らしき山並みが薄っすらと浮かんでいる。

岐阜県側に広がる雲海と権現池。
雲海と権現池

足を上げるほどに傾斜がきつくなり、売店があるだけの小さな頂上小屋を過ぎると、ほどなく標高3,026mの剣ヶ峰山頂に立った。数多ある乗鞍岳の峰々のなかでもっとも高いところだ。もう周囲に立ちはだかる山はない。それだけに眺望抜群で東西南北いずれの方角でも、はるか彼方まで見渡すことができた。

記念撮影に興じる人たちで賑わう山頂には、乗鞍本宮神社の建物があり、狭いところだけに祠と社務所が並ぶように同居している。時刻は7時になったばかりだというのに、もう神職の方がいて、毎日ここまで通ってくるのだろうかと思う。お守りのほかに乗鞍岳のピンバッジまで並べているところはさすが百名山である。

主峰の剣ヶ峰。
主峰の剣ヶ峰

賽銭を投げて納得するまで景色を眺めたら下りはじめる。通常便のバスでやってきたのだろう人たちが続々と登ってきていて、しばしば待たされるほどに途切れることがない。あとで聞いたところではこの時間帯はまだいいほうで、日中は渋滞が発生するほど混雑したという。狭い山頂は言わずもがなの状態だったようだ。

明け方の眺望のよさと、日中の混雑を考えると、人気の山は早朝に訪れるのに限る。もしまた乗鞍岳に訪れる機会があったら、そのときもまたご来光見学バスにしようと思う。

(2022年8月6日)

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