奥飛騨温泉郷を構成する温泉地のひとつである福地温泉は、湯だけでなく手軽に登れて眺めのいい福地山がある。登山口にバス停と日帰り入浴施設があるのも魅力で、過去に何度も訪れたことがある。3月も半ばとなりこのような奥飛騨の山にも春が近づいているが、数日前にまとまった降雪があったので、今シーズン最後になりそうな雪山歩きを楽しもうと久しぶりに訪ねてみることにした。
2024年3月16日、日の出前にふもとの福地温泉を出発。登山口は二股になっていて、左に向かうと福地山登山道、右に向かうと化石遊歩道になっている。福地温泉は化石でも知られたところで、遊歩道では山肌に現れた化石を目にできるのだが、いまは雪に埋もれて歩いた痕跡すらない。迷うことなく左に折れて登山開始。
序盤は急斜面をつづら折れに登っていく。はじまりこそスギ林だけどあとは葉を落としたブナやミズナラの明るく気持ちのいい雑木林がつづく。雪は積もっているけど人気の山だけに踏み固められ、夜の冷えこみでしっかり締まっているので、チェーンスパイクがよく効いて舗装路のように歩きやすい。
30分ほどすると向かいにそびえる焼岳の稜線から朝日が注ぎはじめた。青々としていた景色がほのかに暖かみを帯びた色に染まり山肌が輝く。
急速に上がりはじめた気温と強い日差しで雪が緩みはじめ、木々から雪の落ちる音があちこちから聞こえてくる。春の足音を思わせる音である。
登りはじめて1時間半ほどで、つづら折れの急登を抜け出し、無然平と名付けられた広場までやってきた。おおよその中間地点で、肩まで雪に埋もれた石像が佇んでいる。大正時代に飛騨で社会教育を行ったことや、雪の平湯峠で遭難した話などで知られる篠原無然である。平湯温泉に記念館があるほどこの地に縁のある人物ではあるが、ここにその石像があるのはどういう理由からなのか訪れるたび不思議に思う。
登山道の後半は傾斜が緩まるうえ展望地がいくつもあって足取りは軽い。展望地によって笠ヶ岳が見えたり、ふもとの家々が見えたり、乗鞍岳が見えたりと変化もあって楽しい。なかでも焼岳は目の前にあるため迫力があって見ごたえがある。これだけ天気がいいのだから向こうにもたくさんの登山者がいるにちがいない。
眺望だけでなく山上には豊かなブナ林があるため、遠景から近景まで春夏秋冬いつ訪れても楽しめるところだ。雪山登山という言葉から想像するものとは真逆ともいえるほど、快適で気持ちのいい道のりである。
10時すこし前に山頂についた。静かに景色を眺める人、食事をとる人、写真撮影をする人などで賑わっている。山頂で昼食にしようと時間を合わせて登ってくるのか、昼が近づくにつれて単独行から団体までが続々やってくる。徐々に宴会場のようなことになっていく。
山頂は槍ヶ岳と穂高連峰の展望台のようなところで、蒲田川の流れる深い谷を立ち塞ぐように両者の並ぶ姿は見事なものである。視線を左にやれば笠ヶ岳、右にやれば焼岳も目にすることができる。道中が楽しめるうえ、山頂にこれだけの眺望と大勢が休めるスペースがあり、ふもとには温泉があるとくれば人気があるのも当然の山である。
ゆっくり景色を楽しんだら一隅に腰を下ろしてカップラーメンをすすり、正午を前にして下りはじめる。残す楽しみは温泉だ。休んでいても暖かい陽気なので予想はしていたけど、すっかり雪が緩んでいて、溶けはじめたかき氷のような歩きにくい雪の上をざくざくと下った。
(2024年3月16日)
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