目次
プロローグ
2016年12月24日、高岡駅に降り立つと青空が広がっていた。前日の天気予報では雨も降るような悪天候という話だったので、予想外の快晴に足取りは軽い。
まずは余分な荷物をコインロッカーに収めようと、構内に佇む氷見線からやってきたらしき、ディーゼル機関車に牽引された貨物列車を横目に改札へと向かう。駅の山側にある瑞龍寺口と呼ばれる側に出ると、表面に氷見線の観光列車「べるもんた」のデザインされたロッカーがあった。
身軽になったところで再び改札を抜けて氷見線ホームに急ぐ。待っていたのは氷見線では見なれた単行ワンマン運転のディーゼルカーだ。路線も車両も短いが利用者は多く、辛うじて空いていたボックス席窓側を確保した。
程なくして出発すると富山湾へと向け北上していく。どこまでも続く市街地をかき分けるように進み8時56分、最初の下車駅である越中国分に到着した。
越中国分
- 所在地 富山県高岡市伏木国分二丁目
- 開業 1953年(昭和28年)7月1日
- ホーム 1面1線
高岡から続いてきた平野部の終端で、前方には海と山が立ちふさがるように迫り、都市近郊の路線からローカル線へと表情を変える駅である。氷見線では最も新しい駅で、明治大正に開業した駅が並ぶ中で唯一の昭和生まれだ。駅は新しいが地域の歴史は古く、駅名が示すようにかつては越中国分寺があり、越中国一宮である気多神社も近くにある。
列車を降りるとホーム上には学生や老人の姿が見られる。乗る様子はないのでどうやら高岡行きを待っているようだ。まもなく乗ってきた列車とは次の雨晴ですれ違ったのだろう、2両編成の高岡行きがやってくると駅には誰もいなくなった。
駅はホームが一面あるだけで建物は木造の待合室しか見当たらない。いかにも後から設置しましたという感じの駅だ。前方に目をやると白波を立てる富山湾の姿がちらりと見え、ホーム端まで行ってみると海がすぐ目の前に広がり思いのほか景色がよい。かなりの荒れようで波の打ち寄せる音がこちらにまで響いてくる。
こうしている間にも太陽は出たり隠れたりを繰り返し、目まぐるしく天候が変化していく。空を見上げれば高岡での快晴が嘘のように雲が一面に広がり、相当に風が強いらしく見上げている間にもどんどん雲が形を変えていく。
小さな待合室に向かうと、外壁にはどういう絵なのか謎だが大きな絵と、木の板に手書きされた趣ある駅名板が掲げられていた。傍らには冬場の除雪用なのだろう、除雪機がシートをかけられて置いてある。
冬の厳しさのためかしっかり密閉された作りなので、ガラガラと引戸を開けて中に入る。狭く薄汚れた空間を想像したが、外見から想像したよりも広く、そして清掃も行き届きなかなかと居心地は良さそう。
作り付けのベンチ上にはたくさんの座布団が置かれ、ゴミ箱や時計も設置されて駅舎の待合室と遜色ない。窓際に置かれたペットボトルには花が生けられており、近所の人が手入れでもしているのだろうか。
伏木側のホーム端までやってくると、そのまま線路と交差する道路に出る。一応ここが駅前ということかな。元々はここだけが出入口だったようだが、先ほど海を眺めた雨晴側の端にも、越乃庭なるスーパー銭湯の駐車場への出入口があった。そちらは随分と新しく最近設置された様子。
岩崎ノ鼻灯台
さてどこへ向かうかだが、国分寺跡や気多神社といった有名所は歩くと結構距離があり、次の列車に乗るのに時間的に厳しい。そこですぐ目の前で氷見線の行く手を阻むように海に突き出す、岩崎ノ鼻と呼ばれる小さな岬上にある灯台に行ってみる。駅の間近にある灯台とはなかなか珍しく、灯台なら眺めも良いのではなかろうか。
この小さな岬を氷見線や道路はごく短いトンネルで向こう側へ抜けているが、灯台に行くには岬の上に行かねばならず、向こう側に行っては都合が悪い。山沿いに続く細々とした道路で少しずつ高度を上げていく。
大した高さはないが遮るものがないので眺めはよく、富山湾や伏木市街地が視界に広がってゆく。ちょうど日が差し込んできて国分浜と呼ばれる海岸が逆光に輝いている。運が良ければ背後には立山連峰も見えるのだろうが、雲の中に隠れてしまい山など存在しないかのよう。
岬の反対側にも行ってみると眼下に氷見線の線路が走り、その向こうには大荒れの海を挟んで能登半島も姿を見せる。このあたりの海は岩があちこちに顔を出していて、男岩と呼ばれる大きな岩も沖合に浮かぶ。高い波が押し寄せてきては岩場で砕かれ、周辺には轟々とした音が響いていた。
再び灯台に向けて曲がりくねった道路を上がっていくと、道ばたに崩れかかった説明板が立っている。こんな所に一体なんだろうかと読むと国分山古墳群だそう。約1500年前に作られたというから歴史ある土地だと実感させられる。
大半が失われているが5基現存しているそうで、どこにあるのかと辺りを見回すが、結局どこが古墳なのか全然わからなかった…。
さらに少し上がったところで、ようやく目的の岩崎ノ鼻灯台が見えてきた。駅と同じように小じんまりとした作りをしている。傍らには大きな桜の木があり、満開の頃に訪れれば青空を背景にして白い灯台と並ぶ姿は絵になりそう。
先ほどの場所より少し高度が上がっただけだが、怖いくらいに響いていた波音は随分と小さくなり、周囲に人気がないこともあり随分と穏やかな雰囲気だ。
入口脇には説明板が設置されており、それによると昭和26年に完成した灯台で、昭和59年までは隣に事務所や宿舎もあったそう。雑草に覆われた空き地がその跡地だろうか。
灯台からは海を一望できる。という状況を期待したが、下から全然見えない灯台だけあって上からも下は全然見えない。木々の隙間から辛うじて海面が見える程度であった。
これ以上は特に見どころもないので駅に引き返す。帰りは灯台に少しだけ近い氷見側にある新しい出入口からホームに戻ってきた。
意外と晴れ間が多いと喜んでいたのも束の間、列車を待っている間にどんどん厚い雲が広がっていく。あっという間に今にも雨が降り出しそうな薄暗さになってしまった。
次に乗車するのは氷見行きの普通列車535Dで、ハットリくん塗装のカラフルな車両がやってきた。同じ車両が行ったり来たりしているのかと思ったが、先ほど乗車したのとも高岡へ去ったのとも違う車両だ。
発車するといよいよ車窓右手には海が迫り、先ほどの岩崎ノ鼻を短いトンネルで抜けると海岸線ギリギリを進んでいく。氷見線でも屈指の景勝地である訳だが、残念ながら列車はほぼ満席と非常に混雑しており、景色を眺めるどころではない。
氷見線の列車は混雑している印象しかないから、正直言って途中駅からはあまり利用したくない路線である。
雨晴
- 所在地 富山県高岡市渋谷
- 開業 1912年(大正元年)4月5日
- ホーム 2面2線
雨晴とは文字としても言葉の響きとしても実によい駅名で、名前につられてふらっと降りてみたくなる。実際かなり昔に訪れたことがあり、なぜここで下車したのかは記憶に残っていないが、やはり駅名にでも惹かれたのだろう。周辺は景勝地として知られる国定公園の雨晴海岸があり、義経岩や沖合に立山連峰を背景にして浮かぶ女岩は有名だ。
ここはちょっとした観光地でもあるので、観光客と思しき人たちが結構下車する。以前訪れた時は委託駅で、窓口の中から駅のスタンプを出してもらった事を覚えている。さすがにもう無人駅だろうと思いきや今も駅員は健在で、改札口ではきっぷの集札に忙しそう。
構内は相対式ホームの交換可能駅で、山側の駅舎に接したホームと、構内踏切で結ばれた海側のホームがある。改札前からは向かい側のホーム越しに富山湾がちらりと見える。
改札を抜けて駅舎に入ると意外なことに暖かい。珍しいことに待合室には石油ストーブが置かれており、木造駅舎にストーブとは何だか懐かしい組み合わせ。暖房中ということもあり乗客が全員改札を抜けると改札口の戸は閉められてしまった。その戸には中に入るには入場券を買ってくださいの張り紙がしてあり、気軽に出入りはしにくい。
待合室は壁一面に写真やポスターが並び、パンフレットもたくさん置いてあり観光地の入口らしい佇まいだ。かつての駅務室は観光案内所に改装され、駅員が案内所の係も兼ねていた。どちらかというと案内所の係員が窓口業務もやっているという感じか。
外に出ると風が強くヒンヤリとしているが、歩き回るには汗もかかずちょうど良い。空は相変わらず青空が広がったかと思えば、すぐに雲が広がるというハッキリしない空模様が続く。
ここの駅舎は二階建てかと思うほどに背の高い木造駅舎で、その広い壁面が一面に板張りという姿が気に入っていたのだが、すっかり改装されて板張りではなくなっていた。上に何かあるのだろうかと昔から気になっている背の高い駅舎である。
駅周辺は住宅が密集する小さな集落になっており商店や民宿らしき建物もある。ただ人通りはほとんどなく、一緒に降りた観光客がどこかへ消えてしまうと、後は車がたまに通り過ぎていく程度と、どこか寂しい感じがする。
雨晴海岸
ここでは以前も訪れたことのある雨晴海岸を再訪しようと思い、線路沿いを伏木方へと歩いて行く。左手には線路越しに海が広がる。少し進むと氷見線と並走する国道に合流する。このあたり交通量が激しい上に歩道すらない危なっかしい場所だったが、すっかり整備されて歩きやすいことになっている。
まもなく線路の向こうに海にせり出す大きな岩が見えてくる。これが雨晴海岸の見どころのひとつ義経岩だ。かつて義経主従が奥州平泉へと落ち延びる途中にわか雨にあい、弁慶が持ち上げた岩陰で雨宿りをしたという伝説が残る。そしてこれが雨晴の名の由来だそう。
その義経岩に向かうには氷見線を横断しなければならない。以前は線路をそのまま横断したように記憶しているが、なんと警報機に遮断器まで付いた歩行者用の踏切が整備されている。このあたり一帯はすっかり観光地として整備された感じだ。
義経岩の前に広がる海岸に降りて、しばし高波に洗われる女岩を眺めて過ごす。
相変わらず海は大荒れで沖合は相当な高波だが、周辺に広がる岩場が波を打ち消しているのか、不思議と海岸には静かな波しかやってこない。とはいえ突然大きな波がくる事もあるから、遠くを眺めつつも足元が気になる。
この女岩と富山湾の後ろにそびえる立山連峰という構図は、雨晴海岸でも定番中の定番ともいえる眺め。だが肝心の立山はちらりとも姿を見せてはくれない。こんな天候とあってか観光客はカップルが一組だけであった。
さてまた国道に戻り海沿いを進んでいくと、線路際で釣りをしている人の姿が見えてくる。線路と海の僅かな隙間に立っており、よくあんな落ち着かない場所で釣ってられるものだと、半ばあきれ、半ば感心する。
カメラを手に眺めていると、近くで同じくカメラを手にしたおっちゃんが話しかけてくる。氷見線の列車でも撮影しているのかと思いきや、釣りを撮影しているそうで、あそこで釣っているのは釣り仲間なのだそう。
どうやら私を同業者だと勘違いしているらしい。さっき釣り上げたのを見たか撮ったか、このあたりは遠浅の岩場で大きい黒鯛が釣れると、釣りの話がとめどなく続く。
そんな釣り話が一段落したところで観光列車「べるもんた」がやってきた。義経岩に居た頃はすっかり曇り空だったが、再び晴れ間が広がってきており、富山湾を背景にして走る姿はなかなかと絵になっていた。車内に目をやれば満員の盛況ぶり。
さてこれ以上進むとまた先ほどの岩崎ノ鼻に行ってしまうので引き返す。
駅に到着するとまだ次の列車まで30分ほどあったので、暖かな待合室で休憩したり、構内を散策して時間を潰す。やがて観光客らしき人もぽつぽつと集まりはじめた。
せっかく駅員もいることだしと入場券を買ってみるが、ペラペラのレシートのような味気ないものが出てきた。一応観光用にはカレンダーや絵はがきを販売しているようだが、せっかくだから入場券も観光用を用意すればいいのに。
改札が始まりホームで列車を待っていると、いよいよ雨がこぼれはじめた。風があるため上屋の下に居ても吹き込んできて、目まぐるしく変わる天気が冬の日本海らしい。
まもなく姿を現したのは先ほど越中国分から乗ったのと同じ車両だ。車内は大混雑で座るどころではなく、どうせすぐ降りるのだからと運転席のすぐ後ろに立つ。
雨晴を出ると山は遠ざかり平地の中を進む。右手には海沿いに松林が続き、左手には広々とした農地の中に黒瓦の家が点在する。これまでの沿線風景で初めて、海辺の農村といった雰囲気になってきた。
そこへ突然雨なのかみぞれなのか知らないが激しく降りはじめ、列車の前面窓に音を立てて叩きつけてくる。雨晴という駅名のごとく雨が降ったり晴れたりの空模様だった。
島尾
- 所在地 富山県氷見市島尾
- 開業 1912年(大正元年)4月5日
- ホーム 1面1線
周辺は閑静な海沿いの集落といった様子で、そんな中にホームが一面と新しい駅舎があるだけの小じんまりした無人駅。まるで後から開設したような感じもするが、こう見えて明治末期の開業と歴史は古く、ほんの数ヶ月とはいえ氷見線の終着駅でもあった。
小雨のぱらつくホームに降りると、海は見えないが地響きのような波の音が聞こえ、海の近さとその荒れ具合が想像される。周囲はすっかり薄暗くなり、早々と照明の灯る駅舎で雨宿りをするが、幸いにして雨はすぐに止み、あっという間に雲の隙間から青空が見えはじめた。今日の天気はいったいどうなっているのか。
改めて構内を散策してみるが、特に何があるわけでもなくガラーンとした印象。歴史があるせいか広いホームと、かつてもう1本線路があったと思われる何もない敷地が、余計にそう感じさせるのだろう。
駅舎は中央が通路になっていて通り抜けて駅前に出るだけだが、その両脇にトイレと待合室が併設されていて一応待合室にも入ってみる。すると今では無人駅だが有人だった時代もあるようで、カーテンの降ろされた窓口があった。ただその名残りである駅務室が場所を取っているせいか、駅舎の外観から想像するよりも狭い。先客がいたら入る気にならないかも。
閉鎖された窓口のかわりに券売機が設置してあるが、側面の目立たないところに故障中の張り紙がしてある。最初は全然気付かず、正面に貼ってくれないとうっかり使ってしまいそうだ。
駅前に出ると雪国らしく融雪装置の付いた道路が延びており、曲がりくねる道沿いに住宅の建ち並ぶ様子は古くからの集落という感じがする。すぐ目の前には旅館でもやっていたのか、風情ある大きな建物の商店があり、ひときわ目を引く存在だ。
島尾海浜公園
駅舎の脇には大きな観光案内板が立っているので見てみるものの、すっかり色あせてしまい何が書いてあるのか全然わからない。それとは別に島尾海岸という標識が立っているので、この地響きのような音を立てる海がどれほどの荒れ具合か見に行くことにしよう。
駅から海への道すがらは人気もなくひっそりしていて、徐々に波の音だけが大きくなっていく。民宿らしき建物が点在しているので、海水浴シーズンにでもなれば賑わうのかな。
ほんの4〜5分も歩けば、もう松林の広がる島尾海浜公園の入口が見えてきた。かなり大きな公園で色々な施設も点在しているようだが、こんな荒れた冬の日に訪れる物好きは他に居ないとみえ、どこを歩いても誰とも出会わない。おりがあったので中を覗いてみると猿が何匹か寒そうにしていた。
いよいよ海岸までやってくると想像していた以上に広々とした砂浜が広がり、激しい波がなだらかな砂浜奥深くまで押し寄せてきていた。海水浴には良さそうな所だが、今は立ち入ったら助からないだろうと思わせる怖いくらいの荒れよう。あまり近寄りがたい雰囲気である。
緩やかに弧を描く海岸は遠くの街まで見通せ、蜃気楼のようにぼんやりとした姿で氷見市街や新湊大橋の姿が見えていた。
真っ昼間とは思えないほどに薄暗い中を荒れ狂う海。冬の日本海を絵にしたような眺めだったが、しばらくすると突然雲が切れはじめ、あれよあれよという間に青空が広がりはじめた。高岡の方を見ると相変わらず厚い雲に覆われており、どうやら晴れと曇りの境目のような場所に立っているようだ。
駅に戻ってくる頃にはさっきの雨はなんだったのか、と思わせる感じに日が差し込み、早くも道路は乾きはじめていた。
次に乗車するのは氷見行きの普通列車539Dで、2両編成ながら車内は大混雑で座るどころではない。もっともすぐ下車する訳だし、有人駅である氷見では全てのドアが開くことも分かっていたので、乗車するとそのままドア横に立っていく。
車窓には相変わらず松林と田畑の広がるのどかな景色が流れていき、徐々に街らしくなってきたかなと思ったらもう終点氷見だ。
氷見
- 所在地 富山県氷見市伊勢大町一丁目
- 開業 1912年(大正元年)9月19日
- ホーム 1面1線
古くから漁業が盛んで魚の町として全国的に知られる氷見。それだけに開業当時から住宅が密集していて街の中心部には入れなかったのか、終着駅ながら氷見の街外れというか入口のような場所にある。そのため田畑の中を走っていたら唐突に終着駅になるような感じで、あまり大きな街に来たという印象を受けない。
列車はゆっくりと入線していき車窓には側線のレールが何本か見えるが、どれもすっかり錆びつき使われていないようだ。使われているのは駅舎前にあるホームと線路1本だけで、終着駅にしては何だか寂しい。到着した列車がそのまま折り返すだけのシンプルな構造である。
とはいえホームの幅は広くなかなかと貫禄がある。混雑する列車の終点だけのことはあり、列車のドアが開くと改札前は人波で埋め尽くされ、ここまでの途中駅では見られなかった賑やかさだ。
さて終着駅に来たならば当然線路の末端がどうなっているのか気になるところ。ホームの端まで行ってみるとすぐ目の前で唐突に終わっていた。昔はもう少し先まで延びていたようだが、その跡地は公園として整備され腕木式信号機などが飾ってあるのが見える。
ようやく人波が去ったところでゆっくりと改札を抜けて駅舎に入る。さすがに駅舎内は今まで下車した氷見線の駅ではもっとも広く、みどりの窓口や観光案内所があり、伏木駅と同じように冷暖房のためかガラスで仕切られた大きな待合室があった。
かつて訪れたことはあるが全然記憶に残っていない中で、キヨスクで買い物をした事だけは覚えていて、記憶を辿るように待合室に入っていく。ところが待合室からはキヨスク自体が消え失せており、それらしい跡地だけが残っていた。最近はローカル線の駅で売店を見かけることがめっきり少なくなった。
駅前に出てみると駅舎の方は鉄筋コンクリート造なのか、白いシンプルな平屋建てと昔と変わりない。ただ駅前の方は最近になり整備されたようで、駅舎の前を横切るようにして、黒瓦屋根の小洒落た雨よけ屋根が続いている。
この黒瓦屋根に背の低いシンプルな駅舎は完全に存在感で負けており、駅前に立つとこの雨よけ屋根ばかりが目につく。駅舎はいったいどこにあるのかという感じで、これは駅舎の方も背の高い和風なデザインにでもしてもらわないと何だか似合わない。
ひみ番屋街まで街歩き
さてどうしたものか特に宛もなく、とりあえずは駅の脇にあった腕木式信号機の立つ公園に足を運ぶ。信号機には説明板が付いていて、平成3年まで実際に氷見駅で使われていたものだそう。単なる飾りだと思ったら氷見駅と関係のある信号機だった。
そのまま街を抜けて海沿いに出てみると、島尾に比べて随分と穏やかな印象。この海沿いを走る道路は、かつて訪れた時には建設工事中だったがすっかり完成し、2車線の立派な道路になっていた。あの時は海辺にたくさんのカモメが飛んでいたが、今も相変わらずたくさん並んでいて変わりない。
街中を歩けばいかにも古い港町といった様子の風情ある通りが延び、途中にある神社や漁港などに立ち寄りつつ先へと進んでいく。途中には氷見祇園祭の曳山が格納された背の高い建物や、魚取神社なるいかにもな名前の神社があった。
氷見漁港を過ぎた少し先には比美乃江大橋という大きな斜張橋が姿を現す。斜めに立つ主塔が特徴的で、漁師が地引網を引き上げる様子をイメージしたものだそう。橋の上からは五重塔などの姿も見える。が、風が強いのでさっさと渡ってしまう。
その先には「ひみ番屋街」があり、氷見線沿線で立ち寄ったどこよりも観光客や地元客でごった返していた。せっかくなので立ち寄り魚貝類や土産物などを販売する店を冷やかして歩く。そういえば今日はまだ昼飯を食べてなかったので、氷見といえば氷見うどんだろうと天ぷらうどんで昼食にした。
帰りの列車は氷見線を走る観光列車「べるもんた」に乗車する予定で、これといって何をしたわけでもない氷見だが、もう駅に戻らないといけない。せっかくだから乗車する列車にも変化を付けようと指定席を確保してみたが、これによって氷見は慌ただしく歩き回っただけとなってしまい、再訪の必要性を感じる。
せめて違う経路から帰ろうとアーケードの続く商店街を通る。途中にある神社に立ち寄ってみたり、すぐ近くに見えている小さな山、朝日山にも行ってみようとするが入口まで行った所でいよいよ時間が危ない。乗り遅れては目も当てられないので小走りに駅へと向かった。
エピローグ
しばし待合室で待っていると、高岡行きの「べるもんた4号」が入線してきた。ホームは記念撮影をする人たちでごった返し、だれも乗車しないのが観光列車らしい。
車内は山側にテーブル付きのボックス席が、海側には窓を向いた一人がけの座席が並ぶ。木目調のデザインと、海側の特大ともいえる大きな窓が印象的な作りだ。
さて私が指定されたのはこの海側を向いた席で、何気に座面から背もたれまで木製だから座り心地はどうかと思ったが意外と悪くない。何より目の前にある幅2.5メートルもあるという特大の窓からの眺望が素晴らしい。普通列車と違いしっかり窓が清掃されているので、一段と景色が映えて見える。
すぐ近くのカウンターでは握り寿司から日本酒まで色々と販売をしていて、周りの人が続々と注文にやってくる。せっかくだから何か注文しようと思うが、さっきうどんを食べたのが災いしてまるで食欲がない。鮨もありますよと勧められるが、ここは地酒飲み比べセットにしておく。3種類が選べるので甘口、やや辛口、辛口と頼んでみた。
氷見を出発してまもなく地酒が運ばれてきたが、これが思いのほか量がたっぷり。まずは一口ずつ飲んでみると味が全然違い、甘口の苗加屋が一番口にあったかな。
やがて雨晴海岸までやってくると景色の良い海沿いで停車する。額縁風にデザインされたという窓いっぱいに海が広がり、これは見事でまさに1枚の絵を眺めるような感じだ。相変わらず立山連峰はその輪郭さえ見せてくれないのが残念。
列車の前方では何やら観光案内もしているが、そちらは全然聞き取れなくて何を言っているのやらである。
やがて高岡市街へと入ってくる頃にはすっかり酔いが回りふわふわしてきた。短時間でグイグイ飲んだせいなのは明らかで、最初は全然違うと思った味も、この頃になるとどれを飲んでも同じ。ほろ酔いどころか二日酔いまっしぐらである。次回乗ることがあれば鮨セットの方を注文しようと思ったのであった。
(2016/12/24)
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