はじめに
登りたいけど登れない山がある。技術や体力から金銭まで理由は様々なれど、山登りが好きな人であれば、多かれ少なかれそんな山があると思う。
私はといえば旅の途上で見聞きした山がそれにあたる。秀麗な佇まいや深い歴史に心惹かれても、時間や装備の都合から頂を目指すことは叶わず、後ろ髪を引かれる思いで背を向けたことは数知れない。そうして旅をするごとに増える心残りの山をなんとかしたく、山を目的地とした旅をすることを思いついた。
旅というからには登山口に車を横付けするような無粋なことはしない。頼れるのは鉄道やバスといった公共交通機関と自分の足だけ。ふもとの町や村から頂を目指すのだ。古い山行記を読んでいても、面白いのは登山そのものより労してたどりつく登山口までの道のりほうだったりする。それを現代で再現するのもまた面白いのではないだろうか。
出発
2022年6月13日、午前5時をまわったばかりの名古屋駅にやってきた。日の出がもっとも早い季節だけに早くも空は白んでいた。
最初の目的地に選んだ心残りの山は、岐阜と滋賀の両県にまたがる、標高1,377mの伊吹山である。滋賀県の最高峰であると同時に、日本百名山にも数えられ、昭和初期には未だ破られることのない世界一の積雪量を記録、戦国時代には織田信長が薬草園を開いたと云われるなど、高い知名度と深い歴史を擁している。東海道本線で東日本から西日本へ、西日本から東日本へと移動するとき、その境界ともいえる関ヶ原付近で目にする台形のどっしりした山容は印象的で、いつか登ってみたいと思っていた。
名古屋駅とは思えないほど人影まばらなコンコースを通り、改札を抜けて東海道本線ホームに上がり、5時37分発の大垣行きに乗車した。長い道のりなので4時くらいに出発したかったけど、これが始発列車なので仕方がない。
枇杷島、清洲、稲沢、普通列車なので各駅に足を止めながら進んでいく。見つめる窓外は刻々と明るくなり、木曽川を越えて愛知県から岐阜県に入るころには軽く朝焼けもしていた。晴れ予報なのに雲が多いのは気にかかるけど、最近は連日のようにぐずついた天候なので降られなければ良しとしよう。
6時16分に到着した大垣では、6時20分発の米原行きに乗り継ぐ。発車まで4分しかないので同じように乗り継ぐ人たちと慌ただしく跨線橋を渡った。
車窓には目指す伊吹山が見え隠れしている。最初は頭だけをちらつかせるが、関ヶ原を過ぎて岐阜県から滋賀県に入ると、悠然と座っているような巨体が全容を現す。いつもはこうして眺めるだけに終始しているが、今日はあの山頂まで登るのだと思うと気持ちが高まる。
近江長岡駅
東海道本線がもっとも伊吹山に近づいた辺りに置かれた、近江長岡に降り立ったのは6時45分のことだった。視界をさえぎっていた列車が去ると、目の前にどっしり構える伊吹山の山塊が現れて視線が釘付けになる。
山肌を見つめているとスキー場跡の草原や建物に、大きな鉄塔や石灰石の採掘場などが浮かんでくる。人の営みと密接な関わりのある姿はでっかい里山といった感じだ。
ホームの名所案内板には伊吹山の文字が記されている。それによると山麓まで4kmとなっている。バスと3合目までの登山リフトありと紹介されていて、いかにも手軽に登れそうだけど、リフトは運営していたスキー場もろとも10年ほど前に廃止されている。
線路の向こうにある上りホームには岐阜や名古屋に向かうのだろう、たくさんの通勤通学客がたむろしている。いつもこの辺りは休日や日中に通過しているせいか乗降客を目にすることは稀で、自然の豊かさもあって閑散とした山間の駅という印象だったけど、平日の朝はこんなに利用者があったのだと驚かされる。
駅前に出ると学生を運んできた車でごった返していた。ここからは伊吹登山口行きの路線バスがあり、所要時間は16分、運賃は370円なので気軽に利用することができる。始発は1時間半ほど先の8時25分までないが、土曜休日だと登山者のためか7時35分と少し早まる。もっとも私は歩くつもりなので早くても遅くても関係はない。
伊吹せんろみち
伊吹山のふもとには山体から掘り出された石灰石を利用するセメント工場があり、生産されたセメントを輸送するため、近江長岡駅との間には貨物専用の線路が敷かれていた。いまはもう工場も線路も役目を終えているが、跡地は「伊吹せんろみち」という遊歩道として整備されている。駅から山麓までつづき、車は通らず、鉄道跡だけに傾斜は緩やかと、歩いて向かうのにこれを利用しない手はない。
7時ちょうどに登山口を目指して出発。名所案内板では4kmとなっていたけど、どうやらそれは直線距離のことらしく、地図によると歩く距離は5kmほどある。
駅前を横切る県道を1kmほど進み、駅の外れまできたら、正面に伊吹山を据えて延びる遊歩道に入る。レールや枕木はきれいに剥がされ舗装もしてあるが、絵筆で波線を引いたような緩やかな曲線や、一定を保つなめらかな勾配からは鉄道の匂いが漂う。セメントを満載にした貨物列車が重々しい足取りで下ってくる姿が目に浮かぶ。
明け方から灰色の空模様がつづいてきたけど、ここにきてようやく青空が広がりはじめ日差しが眩しい。草木や田んぼの緑も鮮やかに輝きはじめた。車はもちろんのこと人にすら出会わない歩きやすさもあって、気分は明るく足取りは軽い。
田園地帯を抜けると竹林や樹林のなかに分け入り、じわり山深い景色になってきたなと思っていると、いよいよトンネルまで現れた。さらにトンネルの向こうには別なトンネルが口を開けている。数分前まで高原を思わせる明るい景色だったのに急に深山の趣になった。
トンネルを抜けると再び景色は開けはじめ、細く延びてきた線路跡が広い駐車場に飲み込まれると、そこが遊歩道の終点であった。片隅には線路が敷いてあり、小さなホームが添えられているのが目を引く。現役当時のものかと思わせるが、全体的に新しいうえ待合所に似せた東屋まで置いてあり、駅を模した休憩所として整備したものだろう。
行く手には荒れ果てたセメント工場跡地が広がっている。ほとんどの設備は取り壊されたようで、草むらのなかにコンクリートの塊が散見される。操業していたころは何本もの線路が並べられ、貨車にセメントを積み込む設備などもあったはずで、それらしき遺構を視線で探してみるが見当たらない。大きすぎて取り壊しを免れたのか、淋しげに佇む天をつくような煙突だけが往時の威容をいまに伝えていた。
上野集落
近江長岡駅から遊歩道を通り抜け、セメント工場跡を過ぎると、いつしか山麓の上野集落のなかを歩いていた。登山口に置かれた集落で、狭い道路のめぐらされた緩斜面に多数の家屋が集まり、緑に包まれた伊吹山の山体が迫っている。廃業した伊吹山スキー場の玄関口でもあったところで、その名残りか民宿や道具のレンタルといった看板が目につく。
人気の山でありながら登山口が集落内にあるため、車で訪れるには止めるところが問題になるのだろう、あちこちの家の前では駐車場を貸し出している。爺さん婆さんが呼び込みや料金の徴収をしていて、いい小遣い稼ぎになりそうだなと思う。
登山口を目前にしたところに三之宮神社があった。掃き清められた明るい境内は見るからに清々しく、思わず立ち寄り手を合わせていく。「いまもむかしも伊吹登山の守り神」と記された説明板に目を通すと、伊吹山には奈良時代より多くの登拝者が訪れており、ここは山頂に向けての最初の聖地として多くの行者が集まったという。
神社に隣り合うようにして、伊吹山インフォメーションセンターなるものがあり、そちらにも足を向ける。登山届の提出箱や入山協力金の収受箱などが置いてあり、登山道の状況や山野草の開花状況などを記した掲示板もある。伊吹山は多様な山野草で有名なところで、並べられた花の名前に期待が膨らむ。
登山道
伊吹山の山上に向けてはいくつかの道がある。車やバスであれば伊吹山ドライブウェイという有料道路があり、徒歩であれば山麓から何本かの登山道が延びている。なかでも多くの登山者を惹きつけているのが、私も利用することにした上野集落からの登山道だ。
登山口を前にして神社に参拝などしている間にも、続々と新手の登山者がやってきては準備を整え、樹林のなかに消えていく。人のことはいえないが暇な人が多いものだと思う。梅雨時の平日でこれとは、繁忙期の休日ともなれば大変な混雑になりそうだ。
登山道に足を踏み入れたのは、近江長岡駅に降り立ってからちょうど2時間となる、8時45分のことだった。案内板には山頂まで3時間20分とあるので昼ごろには登頂できるだろう。
登りはじめた途端に早くも下ってきた人とすれちがう。ナイトハイクでもしてきた帰りだろうか。もしかしたら早暁に駆け上がって日の出を楽しんできたのかもしれない。どうでもいいようなことを思いめぐらせながら足を進めていく。
緑濃い樹林のなかをつづら折りに登っていく。どれほど多くの登山者が行き交ってきたのだろうか、足もとは広く固く踏みしめられていて古道の峠越えを思わせる。
密生する枝葉が日差しをさえぎってくれるが、風もさえぎるため蒸し暑く、汗がだらだら止めどなく流れ出る。今朝は出がけにパンとヨーグルトを食べてきたが、駅から登山口までの道のりでエネルギーを使い果たしたのか、早くも足が重くてペースが上がらない。休み休みに足を上げていると何人かに追い抜かれた。
樹林を抜けて明るいところに出てくると1合目の標識が立っていた。眼前には伊吹山スキー場のゲレンデ跡が広がっている。往時の忘れ形見のような旅館がひとつあり、併設された売店前には、よしずのかけられたベンチが並んでいる。なんだかもう半分くらい登ったような疲労感に10分ほど休んでいく。
売店のメニューにはカレーライスからかき氷まで、思わず注文したくなるものが書き連ねてあるが、平日だからか朝早いからか室内は真っ暗だ。飲料水は2Lほど持ってきたけど、予想以上の暑さに足りなくなることを危惧して、自販機で追加してから出発する。
しばらくは開けたゲレンデ跡を直線的に登っていく。日差しは厳しくなるが眺めは素晴らしいことになってきた。今朝から歩いてきたところが一望だ。時々休みがてら足を止めては眺めを楽しむ。豆粒のような近江長岡駅を見つけて、こんなに歩いてきたのかと思う。
2合目を過ぎるとゲレンデ脇の草木が茂るなかに進む。日なたがあまりに暑くてシャツが絞れそうなほどになっていたので木陰が嬉しい。鳥のさえずりと吹き抜ける涼やかな風に生き返る気分だ。木々の間に見え隠れする琵琶湖も暑さを紛らわせてくれる。
道の先に黒ずんだ小動物が動いているのを見つけて足が止まる。顔は白っぽいけど目の周りは黒くて、タヌキかなと思いながら、ゆっくり近づいていくとアナグマだった。こちらに気づいたアナグマと数秒ほどにらみ合ったが、すぐに草むらに逃げ込んでいった。
再びいかにもゲレンデ跡という広大な草原に出てくると、さえぎるものはなくなり、足もとから山頂まで伊吹山の全貌が視界いっぱいに広がった。辺りにはシカの食害対策で柵に囲われたエリアがあり、時期がくれば山野草の花々で埋め尽くされるようだが、いまは緑色に染まっていたので立ち寄ることなく先に進む。
ほどなく到着した3合目は、立派な公衆トイレに大きな東屋があり、ベンチもたくさん用意されているなど、さながらオアシスのようなところだった。追い抜いていった登山者の何人かもリュックを下ろして休んでいる。そのなかに混じるように木陰のベンチに腰を下ろし、持ってきた行動食を口にしながら10分ほど休んでいく。
10時30分に3合目を出発。ゲレンデ跡をまっすぐ登っていくと、前方に樹林の迫る行き当たりのところに4合目の標識が立っていた。リフト跡らしきコンクリートの塊がゲレンデ最上部であることを物語る。標識がなければ足を止めることもないようなところだった。
4合目からはまた樹林のなかに入り、ぐねぐねと10分ほどかけて登り抜け、視界が大きく開けたところが5合目だった。行く手にはもう樹林はなく、山頂に向けて400mほどの高さがある斜面が、巨大な壁のように立ち上がっていて目を見張る。壁面には登山道の道筋がジグザグと縫うように刻まれ、行き交う登山者はアリのようにうごめいていた。
赤い自販機がひとつぽつねんと置いてあり、雄大な自然のなかに佇むその姿はシュールな光景であった。まるでアート作品のようですらあるが、しっかり稼働していて、麦茶が1本240円となかなかの山価格になっていた。
6合目の辺りまで登ってくると、外壁に小石をびっしりと貼り付けた、石室を思わせる凝った外観をした避難小屋があった。内部がどんな造作をしているのか少し気になったけど、5合目でゆっくり休んだことで時間が気になりはじめたので先を急ぐ。
ここまでくるともう視界をさえぎるものはない。これから向かう先が丸見えなら、これまで歩いてきたところも丸見えだ。標高千メートルにも満たない地点とは思えないほど眺めがよく、人気の山であることもうなづける。
右に向かい左に向かい、また右に向かい左に向かい、こまめに方向転換をしながら高度を稼いでいく。登山者は軽快に足を運ぶ人から、休み休みの人まで様々で、その中間のような私は抜きつ抜かれつ進んでいく。この時間になると下ってくる人も増えて賑わしい。なかには小さな子どもの姿もあった。
各合目には小屋があったりトイレがあったり、なにかしら目印になる施設や足を休めるようなベンチがあったけど、7合目は標識が立っているだけだった。座るところも日差しを避けるところもないので、標高1,080mという文字を確認したらすぐに8合目に向かう。
踏みならされて歩きやすかった路面には、徐々に岩肌が目立つようになり、ロープが渡されたところもあった。これまで山野草の花はあまり目にしなかったが、黄色い小さな花を密生させたヒメレンゲが目立ち、優美な薄紫色をしたオドリコソウのほか、名も知らぬ山野草もちらほら咲いている。色々な意味で足もとから目が離せなくなってきた。
12時になると同時に8合目に到着した。標高1,220m、登山口から5.1km、山頂まで0.9km、あと少しだと力が湧いてくるような標識が立っている。テーブル付きのベンチが置いてあるので休んでいこうかと思ったけど、日差しで熱せられたベンチは座る気にならなかった。
空腹からか疲労からか暑さからか、理由は分からないがペースが大きく落ちこみ、景色を眺めがてら足を止めることが増えてきた。琵琶湖を水たまりのように見下ろす眺望は素晴らしいもので、標高はようやく千メートルを越えたばかりだというのに、森林限界を越えたアルプスの山上にきたような高度感だった。
9合目の標識を探しながら登っていると、見当たらないまま山上にめぐらされた遊歩道に出てしまった。リュックを背負った登山者に混じり、ショルダーバッグを提げた街歩きでもするような装いの女性が歩いている。分かっていたことだけど労して登ってきたところに、駐車場まで30分などという標識が立っているのは興が削がれる思いである。
遊歩道を数分ばかり進むと、飲食物や土産物を扱う山小屋が建ち並んでいて、そこに隣接する高台に伊吹山山頂の標柱が立っていた。著名な山の頂というと、狭いところに多くの登山者がひしめく光景が目に浮かぶが、辺りは高原のように広々としていて、記念撮影をしたら方々に散ってしまうため人影はまばらだった。
傍らには日本武尊の石像が安置されている。古事記や日本書紀には日本武尊が伊吹山の神と戦い敗れ、そして亡くなったことが記されている。ここは神話にも彩られた山なのだ。
山上散策
伊吹山は台形をした山容だけに山上部はなだらかに開けている。足もとには多様な山野草が根を張り、伊吹山頂植物群落として国の天然記念物に指定されている。視線を上げれば御嶽山や白山に伊勢湾と四方をはるかに見渡すことができる。本来であれば登山者のみが味わえる景観であるが、約600台収容という駐車場のほか、遊歩道や山小屋が整備され、誰もが手軽に楽しめるところになっている。
山頂に立ったのは12時40分のことだった。天気が崩れはじめているので早めに山上をめぐりたいが、まずは腹を満たすために山小屋に向かう。当初からそのつもりで行動食しか持ってきておらず腹が減った。山小屋はいくつかあるが瀟洒なものは落ちつかないので、木造トタン葺きに手書き看板を備えた、海の家を思わせるひなびた建物に入った。
薄暗い店内に先客はなくラジオがひとりしゃべっている。吹き抜ける風と風鈴の音色が心地いい。土産物店も兼ねているためマグネットや鍋敷きなど、誰が買うのだろうという雑多な品々がところ狭しと並んでいる。昭和の観光地を思い起こさせる懐かしい情景だ。厨房にはそんな時代から立ってきたのだろう婆さんの姿があった。
この地方は日本そば発祥の地なので迷うことなく伊吹そばを注文した。婆さんは耳が遠いようで大声でやり取りする。ふもとから登ってきたと知ると冷凍大福をおまけに付けてくれた。丸椅子に腰を下ろしてそばをすすれば、腹も気分も満たされていく。
「おおきに」の声に見送られながら店を出た。遊歩道は東西どちらにも延びているが、西側からきたのでまだ見ぬ東側に向かう。眺めのいい広場で昼を楽しむ登山者や、そこかしこに群生するコバノミミナグサの白い花を楽しむ観光客を横目に、弥勒菩薩の祀られた弥勒堂や三角点などをめぐっていく。日差しはなくなり山上を撫でる風もあって過ごしやすい。
どんどん東に進んでいくと殉難之碑と刻まれた石碑があり、そこからはこれまでほとんど見えなかった濃尾平野が視界いっぱいに広がった。眼下にあるのは大垣の市街地だろうか。伊勢湾やアルプスの山並みまで見通せそうだけど、遠くは空と地上の境目が分からないほど霞んでいて判然としない。空気の澄んだ日に再訪したくなる眺めだった。
下山
眺望や花々を楽しみながら山上部をめぐり、気がつけば解凍されていた大福を口にしたら下山を開始する。時刻はもう14時半になっている。帰りは別な道を利用してみようかとも思っていたけど、想定より遅くなったので、冒険はせず来た道を駆け下りていく。
景色を巻き戻すように下りに下り、登山口にはちょうど2時間後の16時半に到着した。活気のあった朝とはがらりと変わり、人の気配はなく寂しげな空気が漂っている。風呂屋でさっぱりしたい気分だけどないので、引かれていた冷たい谷水で顔を洗った。
40分後だったバスを待ちきれず1時間ほどかけて駅まで歩いてくると、今朝は送ってきた車でごった返していた駅前が、迎えにきた車でごった返していた。券売機で切符を購入してホームに上がると、タイミングよく17時40分発の大垣行きが滑り込んできた。
疲労感と充足感のなかで暮れゆく車窓を見つめる。大垣で乗り継いで名古屋駅に帰り着いたのは19時近くのことだった。
(2022年6月13日)
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