湯の山温泉駅から御在所岳へ(駅から山の旅 2回目)

旅の地図。

近鉄線

三重県の山といえば御在所岳が思い浮かぶ。温泉やロープウェイにスキー場などを従えた風光明媚な観光地であると同時に、登山やクライミングの対象としても有名で、それらを紹介する番組や書籍の多さから、訪れたことがないのに知識だけは頭に刷り込まれている。そうして目にするたびに行ってみたいとは思うものの足を向けるには至らず、何年もの時が流れてしまったが、諸々の条件が整いようやくそれを成就させるときがきた。

2022年6月17日、午前5時をまわったばかりのJR名古屋駅にやってきた。すっきりしない灰色の空が広がっているけど、日中は日差しもあるという話なので、それに期待しながら往来まばらな静けさのなかを隣接する近鉄名古屋駅に向かう。御在所岳の登山口はふもとの湯の山温泉にあり、湯の山温泉までは近鉄線で行くことができるのだ。

JR名古屋駅のツインタワービル。
JR名古屋駅

地下に置かれた近鉄名古屋駅まで下りてきたら、券売機に向かい湯の山温泉までの切符を購入する。運賃は870円で東京から高尾山に行く程度のものだった。御在所岳と高尾山は大都市から気軽に行けて、老若男女が様々に楽しめる山という点でよく似ている。

自動改札機を抜けてホームに立つ。大都市とはいえ早朝とあって利用者はちらほら佇む程度でしかない。そのなかにリュックを背負った登山格好のおばさんを見つけ、同じ目的地かもしれないなと思う。

ほどなく入線してきた5時30分発の鳥羽行き急行列車に乗り込む。普段JRばかり利用しているので、急行というと急行料金が必要な気がするけど、近鉄では不要なのでなんだか得した気分になる。もっとも車内設備は単なる通勤電車のそれで優等列車らしさはない。JRでいうところの快速に相当するものらしい。

近鉄名古屋駅の改札口に掲げられた発車標。
近鉄名古屋駅ホームに停車中の、鳥羽行き急行列車。
急行 鳥羽行き

動きだした列車はすぐに地下から地上に出て、眠そうな乗客を揺らしながら、いくつもの街や田園を貫くように濃尾平野を走り抜けていく。そうして14〜15分もすると木曽川を越えて早くも三重県に入った。

6時2分、県下最大都市である四日市市の中心的な駅、近鉄四日市で下車。慌ただしく階段を下りて上がって、6時6分発の湯の山温泉行きに乗り継ぐ。そろそろ混雑が気になりはじめる時間帯だけど、通勤通学の流れとは逆の都会から田舎に向かう列車だからだろう、ぱらぱら埋まる程度と空いていた。

近鉄四日市駅に停車中の、湯の山温泉行き普通列車。
普通 湯の山温泉行き

近鉄四日市を出た列車は内陸に進路を取り、滋賀県との県境に連なる鈴鹿山脈に向けて、じりじりと高度を上げながら伊勢平野をゆく。沿線は四日市のベッドタウンといった様子で、車窓には自然より住宅が目立ち、各駅では四日市方面に向かう人たちを多く目にする。こちらにも何人かは乗ってくるけど混雑するほどではない。

およそ20分ほどで四日市市から御在所岳のある菰野こもの町に入った。この辺りから乗客は減る一方となり、終点の湯の山温泉を前にして車内は貸し切り状態となってしまった。

湯の山温泉を前に閑散とした車内。
終点間近の車内

名古屋を発ってから約1時間となる6時33分、線路の果てる湯の山温泉駅に到着した。朝から存分に楽しもうという観光客や登山者がいるかと思ったけど、降り立ったのは私と地元住民らしき若い女性のふたりだけで、名古屋で目にした登山格好のおばさんは見当たらない。折り返しとなる四日市行きに乗る人もいないようだった。

平日の朝早くから温泉地を訪れる人がないだけか、そもそも鉄道利用者が少ないだけなのか分からないが、著名観光地の玄関口とは思えないほど閑散とした駅である。無人駅を思わせる静けさであったが、改札口には駅員の姿があったので切符を手渡した。

湯の山温泉駅舎。
湯の山温泉駅

湯の山温泉

御在所岳のふもとに位置する湯の山温泉は、奈良時代の718年に発見されて以来、幾度もの繁栄と衰退を繰り返しながらも存続してきた歴史ある温泉地である。特に近代以降では都市部からのアクセスの容易さや御在所岳を代表とする見どころの多さから、東海や近畿地方の奥座敷として飛躍的な発展を遂げたところだ。

まずはその中心地ともいえる温泉街に向かうことにするがこれが結構遠い。駅は湯の山温泉といういかにも隣接しているような名前をしていながら、実際には温泉街の3kmほども手前にあるのだ。本当はもっと先まで線路を伸ばしたかったのだろうけど、この辺りは伊勢平野が尽きて険しい山峡に変わるところなので、坂道に弱い鉄道ではここが限界だったのだろう。

そのためか駅舎にはバスやタクシー乗り場が併設されていて、鉄道とはスムーズに乗り継げるようになっていた。しかしバスはおろか客待ちをするタクシーすらいない。掲げられた時刻表によるとバスは平日の今日は3時間近く先までない。休日だったとしても1時間以上も待たねばならない。タクシーは利用する気すらないので歩くしかないようだ。

湯の山温泉駅前のバスのりば。
駅前のバスのりば

駅を出ると間もなく両側から緑深い山体が迫ってきた。飛沫を上げる青く澄んだ三滝川と絡み合うように渓谷をさかのぼっていく。道路は歩道がなくて見通しもいまいちなので、ある意味で登山道より危険なのだが、幸い車にはまったく出会わない。瑞々しい景観や涼やかな水音がなんとも心地いい。乗り物を利用していたら漠然と通り過ぎていたところで、バスの便がなかったおかげで山の気を味わいながらのいい準備運動になった。

駅から湯の山温泉に通じる県道。
県道から見下ろす三滝川。
三滝川に沿って

山間を歩くこと50分ほどで居酒屋や土産物店の並ぶ通りに出た。辺りには大小の旅館やホテルも点在している。秘湯というほど鄙びてはいないが大型の宿が林立するほどでもなく、緑のなかに建物が点在する様は、ちょっと有名な山間の温泉地という風情である。

気になるのは全体的に寂れた空気が漂っていることで、宿泊客が街をそぞろ歩く時代ではないのだろう、店舗はくたびれたり看板をおろしたものが目立ち、宿にしてもきれいなものはきれいだけど廃墟のようなものもある。これは多くの温泉地で感じることだけど、一部の人気ある宿の建物内にだけ活気があって、それが街にまでは波及していない印象を受けた。

緑あふれる湯の山温泉の温泉街。
湯の山温泉と御在所岳

大きな窓を備えた洋風の佇まいからすると元は喫茶店だろうか、空き店舗を利用したと思われる寅さん記念館が目に留まった。すっかり忘れていたけど湯の山温泉は男はつらいよ第3作のロケ地だったのだ。若々しい寅さんが番頭をする姿や、ごった返すバスのりばなど、明るく活気ある情景がおぼろげに思い出されてくる。館内には当時の写真や資料が展示されているようだが、営業時間は10時からなので見学はできなかった。

寅さん記念館。
寅さん記念館

7時50分、温泉街のなかほどに置かれた御在所ロープウエイの山麓駅に到着した。山上駅までの約2.1kmを15分ほどかけて結んでおり、車窓からは奇岩や樹林の織りなす御在所岳の景観から、伊勢湾の向こうにある知多半島までも見晴るかすことができるという。寅さんも利用して山上を訪れていたことを覚えている。

山上駅からは観光リフトに乗り継いで10分ほど揺られれば、ほとんど歩くことすらないまま、御在所岳の山頂に達することも可能だ。

紅葉時期の休日には乗車待ちの行列ができるほど混雑するそうだけど、梅雨時の平日、しかも運行開始は1時間も先のことなので誰もいない。乗り場だけでなく周囲の店舗も扉を閉ざして静まりかえっている。ちょうど見晴らしのいいところにベンチがあったので、リュックと腰を下ろし、登山前のエネルギー補給のためにと持ってきたパンを取り出した。

御在所ロープウエイ山麓駅の看板。
御在所ロープウエイの山麓駅舎。
御在所ロープウエイのりば

蒼滝

湯の山温泉の界隈には幾筋もの険しい渓谷があるため滝にも恵まれている。駅からここまでさかのぼってきた三滝川の名がそれを示唆している。そのなかのひとつが温泉街とは小さな尾根を挟んだ隣の谷にある蒼滝で、ロープウェイの山麓駅近くから遊歩道があったので、寄り道にはなるけどせっかくなので見物していくことにした。

蒼滝まで0.2kmという標識を横目に、尾根上に向けて緑に包まれた小路を登っていく。手すりや石段などよく整備されているけど、あまり往来はないらしく、足もとには半年前の落ち葉がたっぷり積もっている。

数分で尾根上まで登りきると蒼滝不動尊というお堂があった。案内板には眼下に温泉街、遠く伊勢平野、さらに尾張金鯱城まで望める絶景の地とあるが、樹林に囲まれて温泉街すらまるで見えない。隣接して荒れ果てた蒼滝茶屋という建物があり、壁に残る「貸テント・モーフ・むしろ」などと書かれた看板に時代を感じる。景色を楽しみながら一服する昭和の行楽客が目に浮かぶようなところだった。

温泉街から蒼滝不動尊への遊歩道。
蒼滝不動尊。
蒼滝不動尊に隣接する茶屋跡。
蒼滝不動尊

尾根上からは滝のある谷底に向けて急峻な斜面をじぐざぐと下っていく。どこまでも手すりと石段で整備してあり歩きやすいけど、木深い谷は湿気に満ちていて、じっとり湿り気を帯びた石が滑りやすくて気を使う。

数分で薄暗い谷底まで下りきると蒼滝の傍らに出た。高さ40〜50mはありそうな黒々とした荒削りな岩壁を、清い水が洗うように滑り落ち、辺りは涼やかな気に満ちていた。水量はそれほど多くないけど落差が大きいので迫力は十分だ。

対岸には茶屋らしきものまであるが、ここもまた廃墟と化しているばかりか足もとの土地は流れに削り取られ、いまにも基礎ごと崩れ落ちそうなことになっている。道すがら目にした案内図では、対岸に向けて「たきみ橋」という橋があり、渓流沿いには下流に向けて遊歩道もあるはずなのだが、よほどの水害に見舞われたらしく影も形もなかった。

蒼滝へと下る遊歩道。
蒼滝。
滝の傍らに咲くアジサイ。
蒼滝

蒼滝不動尊から登山口のある温泉街上部に向けては、東海自然歩道が延びていたので、滝から尾根上まで登り返したら街には下らずそちらに進む。案内図によると多少なりとも近道そうだし、水平なので歩くにも楽だろうと予想してのことだ。

ところが急斜面の中腹を横切る山道は、流れてくる土砂や枝葉が山積するばかりか、手すりをひん曲げるほどの落石が散乱するなど、思ったほど楽な道ではなかった。浴衣姿の爺さん婆さんが散歩がてらこようものなら面食らうこと間違いなしである。

近道になったのかどうなのか分からないけど、荒れた自然歩道を抜け出すと、温泉街の最上部に位置する大石公園に出た。名前通り巨岩ともいうべき大きな石がある公園で、湯の山温泉における名所のひとつになっている。ここからは狭い道路で谷をさかのぼり、温泉街から山間の景色に変わると間もなく登山口が見えてくる。

温泉街から登山口への道路。
温泉街から登山口へ

登山道

御在所岳にはあみだくじのように何本もの登山道がめぐらされている。谷を詰めるもの、尾根をたどるもの、周辺の山々とを結ぶ縦走路とよりどりみどりだ。ロープウェイまであるのだから力量や嗜好に合わせて様々な人が楽しめる山となっている。

それらのなかから私が選んだのは、眺望や岩場など御在所岳の魅力が詰まった定番コースという、湯の山温泉の上流部から尾根筋をゆく中道コースだ。ありきたりだとは思うけどもっとも魅力的なのだから仕方がない。下山は時間に余裕があれば谷をゆく裏道コース、余裕がなければロープウェイを利用することにした。

登山口に立ったのは9時30分のことで、湯の山温泉駅に到着してからちょうど3時間が経過していた。道中出会ったのはひとりだけという閑散ぶりであったが、ここはマイカーでやってきた登山者で賑わっていた。いまはそういう時代なのである。

中道コースの登山口。
登山口

足を踏み入れた登山道は山肌が深く削り取られるほどに踏みならされていた。草の1本すら生えないとはまさにこのことで、周囲はうっそうとした草木に覆われているというのに、登山道だけは滑り台のようになめらかだ。いったいどれほどの人が歩いたらこうなるのかと思わせる独特な景観がつづく。

続々とやってくる登山者に追い立てられるように、歩きやすいような歩きにくいような滑り台をさかのぼっていると、20分ほどで3合目の標識に出会った。後ろに人がいるとつい気が急いてしまいペースが乱れるうえ、景色を味わうこともままならないので、ここで後続の気配がなくなるまで休憩をとる。乗るのも歩くのも鈍行が一番楽しい。

なめらかな登山道。
なめらかな登山道がつづく。
なめらかな登山道がさらにつづく。
踏みならされた道

密度の濃いうっそうとした樹林帯がつづく。風通しが悪いせいか暑くて暑くて汗がとめどなく流れ出る。気温は30度近いにちがいないと温度計を取り出すと、22度しかなくて拍子抜けしたがとにかく暑い。加えて湿度が高いせいか汗がまったく蒸発せず、上から下までぐっしょりと濡れていく。行き交う登山者とも挨拶代わりに「暑いですねえ」と声をかけあう。

そろそろ景色に変化が欲しくなってきたところで、ピサの斜塔さながら斜めにそそり立つ巨岩が現れた。その背中には同じような巨岩がもたれかかっていて、岩が岩をおぶっているような姿態をしている。それは見た目そのまま「おばれ岩」と名付けられていた。

4合目のおばれ岩。
おばれ岩

おばれ岩を見上げながら数分ばかり休んだのち、再び石のごろつく樹林帯を登っていく。なかなか眺望は開けないけど大小のケルンがあちこちにあるのが楽しい。なかには器用に犬のような動物の形に積んだものまであった。

10時30分、先行する2〜3人が足を休める見晴らしのいい岩場に出た。中間点となる5合目の標識が立ててあり、標高842mで展望所とも記されている。その名に違わず御在所岳からその山上目指して伸びるロープウェイまでが一望できる。

なかでもロープウェイを支える支柱のひとつ、白く彩られた高い鉄塔が目を引く。背後に構える御在所岳の巨体にも負けない存在感を放っている。あとで知ったところによると高さは61mもあり、ロープウェイの支柱としては日本一の高さを誇るという。ビルでいえば20階建てくらいに相当するだろうか。間近から見上げてみたいものである。

御在所ロープウエイの白鉄塔と御在所岳。
御在所ロープウエイのゴンドラ。
5合目付近の眺望

5合目を過ぎると間もなく道沿いに茂る木々の切れ間に、写真や映像で幾度も目にした地蔵岩を捉えた。柱のように突き出たふたつの岩にまたがるように、サイコロ状の四角い岩が、押せば転がり落ちそうな絶妙なバランスで載っている。どうしてこうなったのか想像をめぐらさずにはいられない不思議な造形だ。初対面ではあるけど存在はよく知っていたので、印象としては街角で著名人を目にしたのに通じるものがあった。

地蔵岩。
地蔵岩

山頂までつづくかに思えた石と岩からなる道は、ここにきて太い根が複雑に絡み合う木の根道に変わった。下が岩盤で根を深く張れないから地表を這い回っているのだろう。どこが中心ということもなく広い範囲が歩かれている。最初こそ自然豊かないい道に思えたけど、重く固い登山靴で散々に踏みつけられた樹皮は乾いて痛々しく、それに追い打ちをかけるように踏みつけて歩くのはあまり気分のいいものではない。

木の根道。
木の根道

樹林を抜けて開けた岩場に出ると6合目であった。この先で登山道は大きくえぐれた岩場になっていてキレットと名付けられていた。見下ろせば鎖や岩に手を添えながら、譲り合って往来する人たちの姿がある。

人気の山だけあって平日というのに前から後ろから続々と登山者が現れてくる。多すぎて人数は分からないけど何十人と出会った。夏休みや紅葉時期の週末などは渋滞必至であろう。自分のペースで歩きたい私は、すれちがう人と追い上げてくる人、どちらもいなくなるのを見計らってキレットを通過した。

6合目キレットの標識。
キレットを通過する登山者。
キレットに設置された鎖。
キレット

ひと抱えもあるような巨石が積み重なった天然の石階段が断続的に現れる。踏み場所は明瞭かつ安定しているので危なくはないけど、ロープや吊りはしごが設置されるほど段差の大きい箇所があり、自ずと足を大きく上げるため疲れる。

両側には樹林が迫るため道幅は狭く、足もとよりすれちがいに気を使う。お見合いにならないように、向こうから人の気配がすれば適当なところで足を止めて待ち、後ろから人の気配がすれば引きはなすか道を譲る。体力だけでなく気分的にもこの辺りがもっとも疲れた。

石のごろつく登山道。
石が階段のように積み重なった登山道。
石の道

かもしか広場と名付けられた標高990mの7合目、岩峰と名付けられた標高1,111mの8合目と過ぎると、このコースの核心部ともいえる岩場に出会う。ここまで険しいとは思えど、危ないと思うところはなかったが、ここは足を滑らせたら痛いでは済まないだろうと思わせるところだった。しかも湿っていて滑りやすそうなのがいやらしい。ぞわぞわするものを感じながら慎重に通り抜ける。

その先にはテラスのように突き出した巨岩があり、高いところが好きでありながら高いところが苦手な私は、ぞくぞくしながらも切れ落ちた岩の先端へと歩み寄る。バランスを崩したらなどと想像すると手に汗が浮かぶが、どこまでもさえぎるもののない伊勢平野の展望は素晴らしい。眺めがいいだけに大気が白くもやけているのが実にもどかしかった。

岩場から伊勢平野を見下ろす。
伊勢平野

山上部までは数百メートルほどしかないので、ラストスパートだとばかりに一気に登っていくと、唐突に登山道を抜け出して山上にめぐらされた広く平坦な散策路に出た。登山口からここまでの距離は2〜3kmと短いものだったけど、足もとから眺望まで変化があり、面白く飽きることのない良質な登山道であった。

山上公園

御在所岳の山上部は、岩のそそり立つ険しい中腹からは想像もできないほど、広くなだらかな景色が置かれている。そのような地形を利用して御在所山上公園として整備され、スキー場やレストランのほか、山頂に通じる観光リフトやいくつもの展望地も用意されている。かつてはユースホステルや動物園まであったという。

そんな山上公園で最初に出会ったのが富士見岩で、ふもとの街すらぼやけた今日は望むべくもないが、空気が澄んでいれば富士山まで見えるという岩である。眺めそのものは登山道にある開けた岩場と似たようなものだけど、大きく異るのは柵でがっちり囲われていることで、安心安全に景色を楽しむことができる。登山道から観光地に変わったこことを実感させられる岩であった。

山上公園の標識。
山上公園

平坦な散策路をしばらく進むと舗装路に変わり、ロープウェイで上がってきた観光客が目立ちはじめ、眼前には草原のようなスキーゲレンデが広がった。ゲレンデ最上部が山頂になっていて、そこに向けて観光リフトの搬器が上り下りしている。これだけ開発されていると登山者は敬遠しそうなものだけど、魅力ある登山道が取り揃えられているおかげだろう、観光客だけでなく登山者もたくさん目にする。

昼時とあって道沿いのベンチや草地などでは幾人もが食事を楽しんでいる。私も腹が減ってきたけど、レストランを利用するつもりで昼飯は持ってこなかったので、麦茶で我慢して山頂を目指す。この時間は混んでいるだろうしレストランは後回しだ。

山上に広がる御在所スキー場。
御在所スキー場

頭上まで枝葉が茂る小路を歩いていると見上げながら歓声を上げる女性たちがいた。つられて視線を上げると、ピンク色のサラサドウダンや赤色のベニドウダンの小さく鮮やかな花が鈴なりにぎっしり咲いている。昼はなにを食べようかと考えながら、ぼんやりうつむいて歩いていたので全然気づかなかった。注意して観察すれば辺りにはタニウツギも咲いている。彩りのない山だと思っていたけど私の目が節穴なだけだった。

サラサドウダン。
ベニドウダン。
ドウダンツツジ

息を荒げながら長い階段を上がっていくと山頂に出た。時刻は12時46分。駅から6時間と少々の道のりだった。寄り道していたせいもあるけど思ったよりかかった。

なだらかな地形で木々も豊かなため眺望はあまりないけど、広く整備されてベンチもたくさんあるので、歓談したり食事をとったり多くの人が思い思いにくつろいでいる。ロープウェイとリフトで手軽に訪れることもできるため、マスクをした軽装の老人や子どもの姿もあり、里山の公園を思わせるのんびりした空気が漂っていた。

御在所岳の山頂標柱。
御在所岳山頂

山頂からの眺めはいまいちだったけど、西側の滋賀県方面に数分ばかり進むと、望湖台という見晴らしのいい岩場があった。名前と方角からして琵琶湖を望むことは明らかで、東側にあった富士見岩と対をなすようなところである。

両者の眺めは対照的で、東の三重県側は平野と市街地が広がっていたが、西の滋賀県側はいくつもの山が重なり合った緑の世界だ。山並みの向こうには琵琶湖があるはずだと目を凝らすが判然としない。相変わらず白くかすんでいて、富士山の見えなかった富士見岩と同じく、琵琶湖の見えない望湖台であった。

望湖台。
望湖台

山頂部を下りたら、東西に広がる山上公園の最深部ともいえる、滋賀県に属する西側のエリアに進んでいく。道中には長者池という小さな池があり、虫取り網を手に真剣に水面を見つめるおじさんがいた。近くでは頭上に茂る葉っぱに似たような網を突っ込んでかき混ぜてる人もいる。なにか珍しい虫でもいるのだろうか。

散策路の果てまでくると御嶽神社の大きな社殿があり、御嶽教の信者ではないが手を合わせて引き返す。この辺りは道がなだらかなせいか、気温が下がってきたせいか、随分と暑さが和らいで過ごしやすくなってきた。

御嶽神社。
御嶽神社

ロープウェイの山上駅に向かい併設されたレストランに入店。14時という中途半端な時間なので広い店内には4〜5人しかいない。メニューには定番のうどんそばに定食類が並んでいて迷うが、一番人気に名物という文字につられて御在所カレーうどんを選んだ。

出てきたそれは太く柔らかな伊勢うどんに、スパイスの効いたカレーをたっぷりかけ、とろけるような豚の角煮を載せたものだった。麺はもちもちで汁気もないので、食感や風味はカレーライスを想起させる濃厚でずっしりしたものになっている。家でごろごろしている時なら重く感じるかもしれないけど、疲労と空腹の重なった体には文句なしの一品であった。

御在所カレーうどん。
御在所カレーうどん

下山

時刻は14時30分になろうとしている。湯の山温泉から湯の山温泉駅までは、今朝歩いてきた道路をまた歩く気にはならないので路線バスを利用したいが、最終が17時38分発というのが問題になる。登山道からでも急げば間に合いそうだが、下山後に温泉に浸かりたいと考えると微妙なところ。初めての登山道を小走りでというのも危なっかしいので、ロープウェイで下山することに決めた。

ロープウェイというと何十人も乗れる大型ゴンドラが、十数分ごとに発着するものを思い浮かべるのだが、ここは多数の小型ゴンドラが回転寿司のようにぐるぐると絶えず循環しているため、乗り場に向かうと待つことなく即乗車することができた。観覧車のような狭い空間だけど専有なので快適なものである。

ゴンドラは常に動きつづけているため、腰を落ちつけるころには早くも空中に放り出されていた。前後左右どちらを向いても眺めは素晴らしく、ふもとの温泉街や彼方に広がる伊勢平野のみならず、歩いてきた登山道や行き交う登山者の姿までよく見える。乗車時間は15分ほどあるのだが、眺めるのが忙しくて、あっという間に山麓駅に到着してしまった。

御在所ロープウエイの車窓。
御在所ロープウエイ

ロープウェイを降りたら次は温泉だ。ちょうど目の前にある鉄筋コンクリート造りの大きな宿が日帰り入浴の看板を出している。木造のひなびた小さな宿が好みだけど、どこでも泉質は同じだろうし、なによりバス停が近いのでここに決めた。

湯は柔らかくぬるめで、いつまでも気持ちよく浸かっていられるものだった。出会ったのがひとりだけと空いているのもいい。大浴場と露天風呂が別になっていたので、洗い場のある大浴場を選んだのだが、気に入ったので結局両方とも利用してしまい、宿を出たのは1時間近くも経過してからのことだった。

バス停では登山格好をした中年女性のふたり連れが佇んでいた。温泉街で目にしたはじめての登山者で親近感を覚える。同じバスに乗るのだろうと思っていると、やってきた16時14分発の名古屋行き高速バスで去っていった。目的地は同じ名古屋だけど、乗換なしでリクライニングシートときては、快適さで選ぶなら路線バスや鉄道は眼中にないのだろう。

御在所ロープウエイ前のバス停。
御在所ロープウエイ前で発車を待つ路線バス。
バスのりば

安さと旅情で選ぶ私は16時39分発の路線バスを利用する。夕方なので多少は利用者もあるだろうと思ったけど貸し切りだった。山上にはあんなにたくさんの観光客や登山者がいたというのに、高速バスも路線バスも空気を運んでいるような状態なのは寂しい限りである。

途中のバス停でも乗ってくる人はなく10分ほどで湯の山温泉駅に到着。駅舎に向かい切符を購入すると、タイミングよく16時57分発の近鉄四日市行きがやってきたので乗り込む。これもまた乗客は私だけという閑散ぶりであった。

湯の山温泉駅。
湯の山温泉駅

(2022年6月17日)

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