滋賀県米原市にある米原駅ほぼ正面には、標高300メートルにも満たない
米原駅に降り立ったのは2016年10月19日の15時近く。天候は雲が多いものの晴れ間もありまずまず。ただ季節外れともいえる25度の気温が厳しそうだ。
ここには新幹線側の西口と在来線側の東口という2つの出入口があり、目的の太尾山は東口のすぐ正面にそびえているので、考えるまでもなく東口から駅を出た。ちなみに西口側を進むと琵琶湖に行き当たる。
まずは登山道の入口にもなっている山すその湯谷神社に向かう。東口周辺は再開発のため空き地が目立つが、少し進んで国道8号線を横断した先には昭和感が残る米原集落が広がる。駅名は「まいばら」だが地名は「まいはら」と濁らないのが紛らわしい。
このあたりは風情ある町並みの中を狭い路地が延び、歩くだけでもなかなかと楽しい。特に旧米原小学校の木造校舎などは一見の価値がある。そして山すそまでやってくると湯谷神社が現れる。およそ半年ぶりにやってきたが相変わらず自然と静寂に包まれた落ち着く神社。まずは参拝をしてから境内にある登山口に向かった。
ここには太尾山城の歴史や遊歩道について記された案内板も立っている。ただ夕暮れが迫っているのでゆっくりしていられず、チラと目をやった程度でさっさと先へ進む。
いよいよ足を踏み入れた登山道は、杉に囲まれた谷底といった様子。薄暗いがよく整備されて歩きやすい。ただこの厳しい残暑のせいで登りはじめると途端に汗が噴き出してきた。
やがて斜面がきつくなってくると山の様子も雑木林といった風に変わってくる。登山道の方も崩れた法面の補修箇所が目につく。そんな中をつづら折りに標高を稼いでいき、木々の隙間からは米原駅だけでなくその向こうにある琵琶湖までが見えるようになってきた。
足を踏み外したら転げ落ちそうな箇所もあるが、そういった危なそうな場所にはしっかり手すりまで整備されている。かなり手が入っていてハイキングコースといった感じか。
ここで分岐が現れ一本道だと思っていたので予想外。太尾山城だけで「北城跡」と「南城跡」の2方向があり、さらに「千石谷を経て番場へ」などという聞いたこともない地名も。特に下調べもなくやってきたから、どちらへ行けばいいのか悩ましい。
とりあえず太尾山城跡に来たのだから城跡に行くことにして、北と南のどちらにするかは完全に勘で北城跡にした。すると今までの斜面は姿を消して尾根伝いのなだらかな道に変わる。これは一見すると歩きやすそうなのだが、とにかくクモの巣が酷くてとても普通に歩けたものではない。適当な木の枝を持ってきてクモの巣を払いながら進んでいく。
道沿いには土塁など城の遺構が残り、そういった箇所には案内板も設置されている。やがてまた分岐点が現れ「北城跡」と「盗人岩・青岸寺へ」とある。まさか再び分岐があるとは思わなかった。青岸寺といえば登山ルートの目的地で、どうやらここが帰り道らしい。
やってきた北城跡は小高い場所にあるちょっとした平地で、大きな説明板に朽ちかけたベンチがいくつか点在するだけの場所だった。随分と道が整備されているからどんな良い場所が待っているのかと思ったが大したことはない。
山頂にあるだけに眺めが良さそうだが、木々の隙間から辛うじて琵琶湖が見える程度。ただベンチが山すその方に配置しているあたり、かつてはもっとサッパリして眺望が良かったのかもしれないとも思う。
あとは青岸寺の方へ下っていくだけだが、ここまで来たなら南城跡も見てみたい。北城跡が微妙だっただけに南城跡が良い場所だと悔しいというのもある。仕方がないので10分ほどかけて最初の分岐点まで戻り、改めて南城跡へと向かった。
こちらは分岐点から割りと近くて、最初に南城跡に来てから北城跡を周り、青岸寺へと下っていくのが正解だったようだ。ただ遺構としては土塁跡があるものの、それ以外は北城跡と大して変わらない場所で、同じように眺望もパッとしない。
そしてまた北城跡の近くにあった青岸寺方面への分岐点まで戻る。何だかこの辺を行ったり来たりしている…。周囲もどこか薄暗くなってきて、何か山に取り残されたような寂しさを感じる雰囲気になってきた。
ここから先は下り坂に変わり、山の反対側にやってきたのだろうか、見覚えのない景色が視界に広がる。斜面に作られた道は崩れかかった所もあり歩きにくく、前にもましてクモの巣が増え、大きなクモが至る所に潜んでいる。このまともには歩けない程のクモの巣の多さには呆れてしまう。
しだいに斜面がなだらかになってくると、登山道に沿うように延々とビニール紐が張り巡らされている。何か歩く人のためかと思いきや「松茸山で入山禁止」の看板で納得。しかしこんな事をしたら、ここに松茸がありますよとアピールしているような気も…。
古い紐など劣化してボロボロになったまま放置され、そこに何度も張りなおされたビニール紐という見苦しい道を下っていく。そこに
足元の米原駅から遠く琵琶湖までを一望でき、頻繁に走る貨物列車や新幹線の音が聞こえてくる。ちょうど夕暮れ時とあって一段と美しい。だがのんびり眺めていると周囲はどんどん暗くなってきて、これはちょっとマズイかもしれないと盗人岩を後にする。
ここから先はクモの巣に加えて足元を草が覆いはじめ、周囲の暗さと相まって何だか不気味さを増してくる。気温が下がってきたのか下り坂で楽なせいか、汗が冷えて肌寒さも感じるようになってきた。
青岸寺まで一本道だと思ったのだが、これがまた分岐に次ぐ分岐で、八田山とか初めて見る地名への標識も立つ。この山は全体がハイキングコースのようになっているのか、整備された道があちこちに延びている。じっくり周れば面白そうだが、今は完全に暗くなる前に下山しなければと忙しくそれどころではない。
夕方に加えてどんどん谷底に降りていくから一段と薄暗い。そこへ目的の青岸寺とは別に「学校山展望台を経て湯谷公園」なる標識が立つ分岐が現れ、湯谷公園といえば登山口のあった神社のすぐ前ではないか、しかも展望台まであるとはこれはいい。近くにもう一つ標識があり山越えと書いてあるのが気になるが、目的地を青岸寺から湯谷公園に変更する。
ところがこれが大失敗の酷い道で、ほとんど利用者もいないらしく歩きにくいのなんの。おまけに道は完全に草に覆われどこが道なのかすらわからないほど。最初は草をかき分けて進んでいたが、どんどん周囲は暗くなっていくしこれはダメだと引き返して青岸寺に向かった。
無駄に回り道をしているものだからますます周囲は暗くなり、青岸寺の墓地の脇を通るのがなんとも…。相変わらず八田山へとかいう分岐点があるが、もうひたすら青岸寺の方を選んで下ってきた。
暗くひっそりとした山中を歩いてきたので、やっとで集落に降りてきて人家の明かりが見えた時はホッとした。最後に旧米原小学校の木造校舎を見ていこうと思ったら、改修工事中で姿は見えず。米原駅に戻った頃には残照が少し残る程度であった。
(2016/10/19)
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