久里浜駅から鋸山への旅

横須賀線よこすかせん

千葉県は房総半島の南西部、富津市と鋸南町を分ける山が東京湾から立ち上がっている。標高は東京タワーにすら満たないが、のこぎりの歯を思わせる特異な山容、江戸時代から良質な石材の産出地として栄えた歴史、伊豆大島や富士山までも望める眺望など、豊富な魅力から多くの登山者を集めている。日本百名山ならぬ日本百低山のひとつに数えられる鋸山である。

見上げたことはあれど足を踏み入れたことはなく、いつか訪ねてみようと機会をうかがっていた。そうして2022年の12月20日、時間と天候に恵まれたことから、いまこそ鋸山だと未明の東京駅にやってきた。

鋸山は公共交通機関の充実したところで、ふもとまで鉄道とフェリーが通じ、山上に向けてはロープウェイもある。せっかくだからこの全てを利用したいと思う。

そこで考えたのが東京から横須賀線で三浦半島の久里浜に向かい、フェリーで東京湾を横断して房総半島に上陸、歩いて鋸山に登りロープウェイで下山、最後は内房線と総武本線で東京に帰ってくるという一筆書きのコースだ。

往来まばらな早朝の東京駅にあって、ここだけ人の集まる駅弁屋を経由して、地下深くにある横須賀線ホームに下りていく。長い長いエスカレーターで運ばれているのは私ひとりしかいない。下るほどに地下鉄を想起させる独特な空気に変わっていく。

地下ホームの静けさを打ち消すように6時1分発の久里浜行きが走りこんできた。この列車だと久里浜で余裕をもって8時20分発のフェリーに乗り継ぐことができる。これより早い4時55分発の始発に乗れば、1本早い7時20分発のフェリーが利用できるが、車窓の多くが暗いままだし駅弁も手に入らない。かといってこれより遅い列車では後々の行程が厳しくなる。これしかないという絶妙な列車だ。

久里浜まで約1時間半の長丁場となるのでグリーン車を利用する。時間が早いことや通勤の流れと逆ということもあって、乗りこんだ2階の室内は貸し切りであった。

列車が動くか動かないかのうちに駅弁の包みを開いた。車窓が明るくなってからのほうがいいけど、時節柄グリーン車といえど飲食には気を使うので、貸し切りのうちに食べておこうというわけだ。ここにきて飲み物を買い忘れていたことに気がついたが、ホームの自販機を探しにいく余裕はなく後の祭りであった。

せわしなく駅弁を平らげたら座席を倒して薄明の車窓に目を向ける。通過するホームやすれちがう列車は夜のように煌々と光を放ち、ほのかに赤い東の空にはビルや工場排煙が影絵のように浮かんでいる。夜から朝に移り変わる美しい時間帯である。

駅に停車するごとに待ち受ける利用者が目立つようになってきた。ホームの様子からすると普通車はそれなりに混んでそうだけど、グリーン車に乗り込んでくる人は数えるほどしかいない。駅弁は急いで食べることもなかったなと思う。

横須賀で数少ないグリーン車の客を降ろし、再び貸し切りになったところで、眩しい朝日に照らされた久里浜に到着。降り立ったホームは東京方面に向かう人たちで賑わっていた。いかにも通勤通学という装いの人ばかりで、登山用のリュックを背負ってカメラを手にしていることに居心地の悪さを感じながら駅を出た。

東京湾フェリーとうきょうわんふぇりー

久里浜からはフェリーで東京湾を横切り房総半島に渡る。駅から港までは約2kmの道のりで、路線バスがあるはずだけど乗り場も時間も知らないので、このくらいなら調べるより歩いたほうが早いと足を進める。

駅から商店の集まる狭い通りを抜け、宅地のなかの広い道路で港を目指す。賑やかに登校する小学生が歩道を占めていて、渋滞に巻き込まれた車のようにのろのろ進む。空気はひんやり冷たいけど暖かな日差しがあるので歩くにはちょうどいい。

徐々に歩道から人の姿が消えていき、いつしかひとりとなって久里浜港までくると既に接岸しているフェリーが見えた。時刻を確認するとまだ余裕があるけど、乗り遅れると2時間待ちになるので気がはやる。

足早にフェリーターミナルに入ると乗客はおろか職員の姿すらない。戸惑いながらも券売機があったので乗船券を購入。待合室や乗船口のある2階への階段を上がっていく。

待合室もまた無人でどこもかしこも夜逃げでもしたかのように閑散としている。乗船口は開いているし出港時刻も迫っているので、そのままブリッジに足を進めると、ようやく職員がいて乗船券にスタンプをもらった。フェリーというより渡し船に乗るような感覚である。

暖房の効いた広い船室には20〜30人くらいが休んでいた。どうやら私が最後の乗船客だったらしい。混んでもいなければ貸し切りというほどでもない、ちょうど居心地のいい埋まり具合である。売店も営業しているし朝食はここでとればよかったかなと思う。

船室は快適だけど座っていても話し相手はいないし景色も見えにくいので甲板に立つ。数人の乗客がぶらぶらしているほか、無線機を手にした作業員が忙しそうに動き回っていた。

慌ただしい出港準備を観察していると、エンジンの唸りが足裏に伝わりはじめ、ゆっくり船体が動きはじめた。ぐるりと向きをかえて舳先を金谷港に向けたら、じわじわ速度が上がりはじめ、久里浜港が遠ざかっていく。

彼方には横浜だろうか数多のビルが蜃気楼のように浮かんでいる。巨大な貨物船が次々と近づいては去っていき、小さな漁船があちこちで波に揺られている。頭上には飛行機も飛び交っている。東京の玄関前を横切るようなものだから賑わしい。

金谷港は鋸山のふもとに位置しているため、行く手には鋸山が立ち上がっていて、徐々に姿がはっきりしてくる。低山ながら海から見上げるとなかなかの高さで、のこぎりのような山容も相まって登りごたえがありそうだ。

甲板は冷たい風が吹き荒れていて寒く、しばらく眺めを楽しんだら船室で体を暖めるつもりだったけど、気がつけば金谷港が目前に迫ってきていた。海と山に挟まれた小さな港で、漁船と家屋がひしめく光景が好ましい。

金谷かなや

金谷港に上陸したのは9時を少しまわったところだった。東京から横須賀線とフェリーを利用してきたけど、総武本線と内房線を乗り継いでくれば、40分ほど早く到着できたうえ運賃も安くあがるのだから、我ながら酔狂なことをしていると思う。

下船したらその足で家並みのなかに入り込んでいく。金谷は鋸山と東京湾に挟まれたところで、わずかな平地に鉄道・国道・港・家屋などが押し合うように詰め込まれている。曲がりくねる細道をゆけば、鋸山から切り出した房州石なのか立派な石垣を従えた民家があり、郵便局や商店に旅館などにも出会う。

集落のなかほどには内房線の浜金谷駅があり、用事はないけど歴史ある佇まいの木造駅舎に惹かれて立ち寄る。昨今このような小さな駅はたいてい無人駅なのだが、ここはみどりの窓口まである有人駅だ。駅前には現役の商店もあってどこか懐かしさの漂う駅である。

登山者向けの駐車場や小さな神社を過ぎ、内房線の下をくぐり抜けると、細流沿いに鋸山の懐に入り込んでいく。辺りには樹林が広がり、案内板や標識にベンチなどが点在していて、いかにも登山口という雰囲気になってきた。

車力道しゃりきみち

金谷港や浜金谷駅から鋸山に登るには、切り出した石材を運び出していた道を利用した車力道コースと、長距離自然歩道として整備された関東ふれあいの道コースがある。どちらでもいいけど今回はより歴史に触れることのできそうな車力道を選択した。

ゆるゆるとした坂道で車道の終点辺りまでくると索道跡という広場に出た。石材をここまで索道で下ろしてきてトラックに積み替えていたところだという。ほとんど自然に還っているけど、滑車があったらしき場所や、トラックを横付けしたらしき段差などに往時が偲ばれる。

索道跡を過ぎると薄暗い谷間につけられた車力道がはじまった。80キロもの石材を荷車に積んで運び下ろしていたという道で女性の仕事だったという。ただ登るだけでも楽ではないこの道を、荷車引いて日に三往復もしていたというから感嘆とさせられる。

足もとは荷車をスムーズに走らせるためか石が敷き詰められ、起伏のあるところは岩盤を削り切り通されている。辺りはうっそうとした樹林で、石畳も人の踏まないところは苔むし、いにしえの街道を思わせる趣である。

車力道を20分ほど登ったところに集石場だったのか、苔に包まれた石材がたくさん転がる小さな平場があった。荷車にはここで積み込んでいたらしく、そこから道は石畳から石段に変わっている。せっかく切り出されてきたのに出荷されることなく放置された石材がなんだか物寂しい。

山上部までもう少しというところで猫丁場という標識の立つ脇道があり、数十メートルばかり進んでみると石切場跡で行き止まりになっていた。無数の船が浮かぶ東京湾を遠望できるほか、石を切り出したあとの岩壁には、毛糸で遊ぶ猫が浮き彫りにされている。生きた猫を閉じ込めたかのような見事な仕上がりだ。見上げながら石切職人が昼休みにでもこつこつ彫ったのだろうかと想像をめぐらせる。

猫丁場を過ぎるとほどなく、ふもとで分かれた関東ふれあいの道と合流、ここからは山上にめぐらされた登山道のような散策路のような道をゆく。

山上さんじょう

鋸山の山上部はいたるところにある石切場跡が作り出す特異な景観に、大仏や地獄のぞきで知られる日本寺もあって、それらをめぐるだけでも楽しめるところだが、今回は観光ではなく登山できたのでまずは山頂を目指す。

車力道ではめったに人に出会うことはなかったけど、ここまでくると外国人グループを皮切りによく人に出会うようになった。車やロープウェイで手軽に登ってこれるだけに、ふもとより山上のほうが人が多い。

石切場跡の岩壁を見上げたり、木々の間から海を見下ろしたりしながら、長い長い階段を登っていく。石を積んだ階段、岩盤を削った階段、木材を並べた階段、とにかく階段が多い。

階段を登りきると展望台になっていて、東京湾や相模灘の海原が視界いっぱいに広がり、彼方には三浦半島・富士山・伊豆大島などが浮かんでいる。眼下には箱庭のような金谷の集落がありフェリーが入港しようとしている。そそり立つ岩壁に見下されながら薄暗い谷間や密生する木々のなかを抜けてきただけに、急に現れたさえぎるもののない開放感ある景色には思わず声が出そうになるほどであった。

時刻は11時で並べられたベンチでは何人かが食事をとっていた。眺めがいいうえ日当たりがよくて暖かく、昼食にするにはちょうどいいところだ。ロープウェイ乗り場の食堂を利用するつもりで、食料をなにも持ってこなかったのが少しだけ悔やまれた。

展望台から山頂までは木々に囲まれた稜線をゆく。上ったり下ったりで標高が上がってるのか下がってるのかよくわからない道だ。ふもとから特異な景色がつづいてきた山だけど、ここにきてありふれた里山風景に変わってきた。

そうしてなんとなく歩いているうちに、なんとなく山頂についてしまった。山頂といっても周囲より特別高いわけでも眺めがいいわけでもなく、稜線上にいくつもある高台のひとつという感じで、山頂標識がなければ通り過ぎてしまうようなところだった。先ほどの展望台のほうがよほど山頂らしいところだったなと思う。

登頂したという達成感はあまりないけど目的は達したので引き返し、石切場跡や日本寺を見学したのちロープウェイで下山、内房線で帰途についた

(2022年12月20日)

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