
目次
プロローグ
2017年4月4日、大阪から奈良へと向かう関西本線の列車に揺られていた。
目的地は奈良から大和盆地の外縁をなぞるように南下し、桜井で西に進路を変え、高田に至る桜井線である。関西の旅をするため大阪市内に長期滞在していたが、それも残り5日となったなか、あまり近代化されておらず、この日数で完乗できそうな路線を探したところ白羽の矢が立った。全長29.4kmで駅数14と小規模でちょうどいい。
加えて沿線には日本最古の道と云われる山の辺の道が通り、神社仏閣に遺跡や古墳など、名所旧跡が数えきれないほど連なっていて、それらをめぐる魅力もこの路線を選んだ理由のひとつだ。万葉集に縁のあるところも多いため、桜井線には万葉まほろば線という愛称まで付けられている。
路線自体にも深い歴史があり、1893年(明治26年)に大阪鉄道により高田〜桜井が開業したことにはじまる。そこから奈良鉄道が奈良〜桜井を開業、関西鉄道への路線譲渡、関西鉄道の国有化などを経て、明治時代末期に桜井線となり現在に至っている。
奈良
- 所在地 奈良県奈良市三条本町
- 開業 1890年(明治23年)12月27日
- ホーム 3面5線


奈良県の代表駅であり近鉄奈良駅と共に奈良市の玄関口をなす駅である。関西本線・奈良線・桜井線・片町線などの列車が乗り入れてくる要衝で、大阪や京都方面を中心に多数が発着、県下でも指折りの利用者数を誇っている。
大きな駅でありながら東西の主要移動ルートから外れているため、訪れるのは四半世紀ぶりのこと、列車から降りるとあまりの変わりように戸惑いと驚きを覚えた。記憶にある姿は歴史の染み込んだ古めかしい地上駅なのだが、目の前にあるのは明るく垢抜けた高架駅なのだ。当時は暗い空から雪が降っていたが、今日は雲ひとつない快晴で、それもまた両者のちがいを際立たせている。

3階部分にあるホームを下りて、2階部分にある改札を抜けると、観光都市にふさわしく天井や柱などが木材で美しく装飾された自由通路に出た。同じ観光都市でも京都駅と比較するとこじんまりしていて、往来する利用者も明らかに少ないが、故に雑踏に揉まれることもなく暖かな内装も相まって居心地のいい空間だった。

内装から外観もまた木材を活用した暖かみのある姿を期待するが、駅前に出て振り返ったところにあったのは、それとは逆の無機質な高架駅であった。
隣りには相輪を備えた寺院風の旧駅舎があり、荘厳な佇まいでこちらのほうが古都の玄関口としてふさわしく映る。四半世紀前に訪れたときはこの旧駅舎が現役で、眺めていると当時の記憶が蘇ってくる。高架駅になったことで本来の役目は終えたようだが、保存ついでに観光案内所として活用されているようだった。

東大寺
奈良には名所旧跡が数多あるけど訪ねるのは東大寺と決めていた。四半世紀前に訪れた目的もそうだったのだが、当時は春だというのに激しい雪に見舞われ、寒さもあってどうでもよくなり、駅前できびすを返して暖かな列車に逃げ込んでしまったのだ。今回はその目的を果たそうという訳である。
東大寺までは緩やかな上り坂で、距離は2〜3kmといったところ。路線バスを使えば楽だし本数も多数あることは想像がつくけど、時刻や経路を調べるのが手間だし、沿道の景色も楽しみたいので迷わず歩く。
飲食店や土産物店の並ぶ三条通りを上り、30分ほどで猿沢池のほとりに出た。水面の向こうにそそり立つ興福寺の五重塔を眺めながら小休止。有名なところだけど朝早いせいか、ベンチで弁当を食べたりウォーキングをする人が散見される程度で、観光客の姿はほとんどなく静かな時間が流れていた。

鹿のたむろする公園を抜け、満開のしだれ桜が境内を彩る氷室神社に参拝、駅から2時間近くかけて東大寺の南大門までやってきた。辺りはどこから湧いてきたのかと思うほど大勢の観光客がいて、それが目当てか鹿も群れをなしてかっぽしている。
南大門は近づくにつれ大きさに圧倒されていく。高さは約25mというからビルに換算すると7〜8階建てくらいになるだろうか。国内最大級の山門と称されるだけのことはある。
両側で睨みをきかせる金剛力士像も当然のように巨大なものだ。運慶や快慶らによって彫られたというそれは高さ約8.4mとのこと。眼光鋭くかけてくる迫力と圧力には、南大門とはまたちがう意味で圧倒されるものがあった。

鹿を避けながら人波に流されていき、大仏殿を囲むように配された廻廊を抜け、木造とは思えないほど巨大な大仏殿の前に立った。世界最大級の木造建造物というだけにとにかく大きく、感嘆とした気持ちで仰ぎ見た。
線香をお供えしてから堂内に足を踏み入れ、薄暗い空間に座する大仏様と対面。坐像としては最大級のものであるが思いのほか小柄に映る。巨大な南大門や大仏殿を目にした直後だから相対的にそう感じるのだろう。写実的で険しい金剛力士像とは対照的な、悠然と穏やかな表情をしていて、向き合っていると気持ちが安らぐものがある。
現在の大仏殿は江戸時代に再建されたものだが、堂内にはかつての姿を再現した模型や解説が用意されていた。創建当時は大仏殿も大仏もさらに巨大なもので、天を突くような七重塔まであったというのだから、壮大な景色は想像しただけでも驚きである。

大仏殿をあとに国宝だという巨大な鐘楼に、法華堂や二月堂を眺め歩いていると、気がつけば境内を抜け出ていた。規模の大きさと拝観者の多さに圧倒されたほかは、あまり印象に残っていないけど、ともかく四半世紀前の目的は達した。
鹿の住処のような若草山のふもとを横切り、修学旅行生で賑やかな春日大社に参拝したのち、再び歩いて駅に向かう。ちょうど昼なので食事でもと思うけど、気になる店は待たないといけないほど混雑していて、結局なにも食べないままに駅に着いてしまった。
立ち食いそば屋でもないかと桜井線ホームに上がると、桜井行きが停車していたのでそのまま乗車。桜井線は日中でも利用者が多い路線なのか座席は概ね埋まっていた。

走りはじめた列車は奈良駅を出たところで、進路をぐいと左に向けて大阪に向かう関西本線と別れ、高架から地上に下りていく。人生でも初乗車となる桜井線だが、感慨にふける暇もなく京終駅に到着。慌ただしく席を立った。
京終
- 所在地 奈良県奈良市南京終町
- 開業 1898年(明治31年)5月11日
- ホーム 2面2線


難読な駅名は奈良時代に当地が都であった平城京の外れ、すなわち京の果てに位置していたことが由来とされる。奈良の中心部から広がってきた街並みは、当駅を過ぎるとまもなく農地が目立つようになり、現代においても都市の外れのようなところである。
列車を降りると目の前には古めかしい木造駅舎が佇んでいた。県の代表駅かつ近代的な奈良駅の隣りに、国鉄時代から時が止まったかのような景色があるのが不思議に映る。
列車が去り誰もいなくなったホームを見まわす。緩やかにカーブした上下線ホームと、両者を結ぶ狭い地下道がある程度で、特に変わったものは見当たらない。駅周りの広い空間や錆びついた数本の側線が貨物輸送で賑わった時代を偲ばせる。

気になる木造駅舎に入ると、無人化されて久しいようで窓口はすき間なく塞がれ、広い待合室に利用者の姿はなく、僻地のローカル線を思わせる静けさだった。華やかな時代もあったようで高い天井を見上げると小洒落た照明器具が並んでいる。柱に取り付けられていた財産標に目をやると、昭和どころか明治31年という開業当時の年号が記されていて、築百年以上というとんでもなく古い駅舎であった。

駅前に出ると狭い道路沿いに住宅やアパートが連なっていた。明治時代からの駅前通りであり、近くには古代官道にまでさかのぼれる上街道や中街道も通っているけど、そういった深い歴史を想起させる景観は見当たらない。平凡な住宅地の雰囲気であった。
志賀直哉旧居
周辺にはいくつもの寺院や史跡が散らばっていて、それらをめぐるのもいいけど、目的地には小説の神様と称された作家、志賀直哉の旧居を選んだ。旧居は尾道にもあって2度も前を歩いていながら立ち寄っておらず、今にして見学しておけばとの思いが募っていたので、同じ轍を踏まないよう訪ねておくことにした。
場所は北東に約1.5kmのところで、真っ直ぐ向かう道はないので、駅前の観光案内図で道順を頭に刻んで出発。まずは北に向かうが、行き過ぎた気がして東に向かい、どうもちがうと再び北に向かいと右往左往。徐々にどこにいるのか分からなくなっていく。

暑さと空腹をつのらせながら歩いていると、志賀直哉旧居と記された標識に出会い、従うことでどうにか到着。たいした距離ではないのに40分もかかってしまった。
外観は棟門を備えた重厚な土塀に囲まれていて、塀の向こうは庭木の緑があふれ、二階建ての家屋がちらりと見える。料亭を思わせる落ちついた品格のある佇まいは、いかにも昭和の文豪の家という感じがする。
誰もいない静かな門をくぐり、花盛りのアセビが彩るアプローチを通り、玄関に入るとそこが受付になっていた。貼られた案内書きによると昭和3年に志賀直哉自らが設計して建てたもので、昭和4年から13年まで暮らしたという。数寄屋造りに洋風を取り入れた建物で「意外性を楽しんでください」とあった。

最初に玄関脇の狭く急な階段を上がると、畳敷きに床の間を備えた客間があった。開け放たれた窓からいい風が吹き込んできて心地いい。外に目をやると庭から若草山までの緑あふれる景色。自分の部屋のような居心地のよさで寝転がりたい気分にさせる。
引き返して階段を下りたら書斎を見学。庭に面した北側と東側に窓があり、北側の窓に向けて机が置かれている。手もとだけが明るくほかは薄暗い部屋を好んだというだけあって、全体に暗めの落ちついた雰囲気で、窓からの柔らかな光で執筆をするという環境だ。ここで暗夜行路をはじめとする数々の作品を手掛けたのかと思うと感慨深いものがある。

奥に向けて風呂場や洗面所などを横目に廊下を進んでいく。水回りは近年復原されたようで、姿としては古いのに、新築のように真新しいのでなんだか違和感がある。
洋風を取り入れた建物といってもほぼ和風だなと思いつつ、中庭を挟んだ裏手の建物までくると、現れたゆったりした食堂やサンルームに意表を突かれた。大きなテーブルが据えられいくつもの椅子が並ぶ食堂と、外光の注ぐサンルームが並び、外には広々とした裏庭がありプールまであったという。ここに多くの文化人が訪れ語り合ったとあり、昭和初期にこんな生活があったのだから恐れ入る。

表は和風のこじんまりした造りで雰囲気も暗めだったのに、裏は洋風を取り入れたモダンな造りで明るく開放的。ひとつの家がふたつの顔を持っているかのよう。玄関にあった「意外性を楽しんでください」の文言にも納得である。
白毫寺
志賀直哉旧居の近くには奈良盆地の東縁をなす高円山があり、山麓には真言律宗の白毫寺がある。高台にあるため奈良盆地を一望できる景勝の寺で、春にはツバキ、秋にはハギの咲く花の寺でもあるという。時間に余裕があるのでそこまで足を伸ばすことにして、閑静な住宅街のなかを上っていく。
山すそまでくると高台に集まる堂宇に向けて、樹林のなかの石段を上っていき、途中で素朴な山門をくぐり抜けた。沿道には自然石を組み合わせた石段や石積み、剥落した土塀などが連なり、なんともいえない趣があるところだ。

本堂、御影堂、宝蔵とこじんまりした諸堂をめぐっていく。あちらこちらに佇む刻まれた文字すら読めないほど風化した石仏が好ましい。拝観者は片手で数えるほどしかなく、近所の寺にでも散歩にきたような落ちつく空間である。
花の寺というだけあってツバキが目を楽しませてくれる。なかでも惹かれたのが奈良三名椿のひとつという五色椿で、年季を感じる曲がりくねった太い幹から、白色や紅色の花に彩られた枝葉が広がっている。根本には丸っこい石仏が寄り添うように佇んでいて、長い歳月を重ねた老木と古仏が、いたわりあっているような微笑ましい光景であった。

駅に向かう前に境内片隅にある展望地に立つ。軽く石段を上ってきた程度の標高でありながら、立ちはだかるものがないので奈良盆地を一望できる。彼方に連なっているのは生駒山地だろうか。春霞で全体にはっきりしないけど、空気の澄んだ日であれば奈良盆地の端から端まで見晴るかすことができそうなところだ。

京終駅に戻ってきたのは16時半のことだった。次の帯解駅に行けないこともないけど、日差しは赤みを帯びはじめているし、空腹も深刻化してきたので迷わず奈良行きに乗車。2両編成と短いうえ時間帯のこともあって車内は大混雑であった。

走りはじめた列車はすぐに高架上に駆け上がり奈良駅に到着。桜井線の旅と言いながら桜井線に揺られたのは往復でも5〜6分のことで、車窓風景は言うに及ばず混雑していたことくらいしか印象に残っていないが、ともかく桜井線の旅がはじまった。
(2017年4月4日)


コメントする