目次
プロローグ
2017年9月4日、福井市内のホテルで目覚めると5時半を回っていて飛び起きた。乗車予定の列車まで1時間を切っている。これを逃すと2時間以上も列車がないのだ。急いで支度を済ませると宿を出た。
約1ヶ月ぶりとなる越美北線の旅、前回は夏の盛りでとにかく蒸し暑かったが、今回は涼しさすら感じる陽気である。
足早に福井駅までやってきて越前大宮までの乗車券を購入、ホームに向かうと越前大野行きが発車を待っていた。いつもはこの列車が入線してくる姿を見てから乗車しており、否が応でも寝坊を実感させられる。とはいえ発車まではまだ20分もあるので、車内は運転士の他に誰もいなかった。
今回訪れるのは福井市と大野市の市境付近という山深そうな所なので、飲み物すらないことを予想して念のためホームの自販機で麦茶を購入しておく。
車内に入ると少し暑くてあまり居心地が良いとは言えない。外が涼しいから冷房が入っていないのだろう。いつもは何となく進行左側ばかりに座っていたので今回は右側に陣取る。少しずつ乗客も集まってきて最終的には5,6人を乗せて発車した。目的の越前大宮までは40分以上もかかり、慌ただしく乗り降りしていた越美北線の旅でようやく、ゆっくり列車に揺られることができる。
列車が動き出してまず気になるのが出発直後に渡る足羽川の様子だ。過去3日間の旅は台風に祟られたこともあり水という水は常に濁っていた。今回はそんな事はないから普段通りの澄んだ姿が見えるだろう。そう期待して川面に目を向けると、どういう訳か想像に反して今までとそれほどの変化を感じなかった。
約1ヶ月ぶりに眺める沿線風景の印象といえば、とにかく田んぼが黄色くなったことに尽きる。福井平野に広がる田んぼは刈り取りを待つばかりといった色をして、重たそうに頭を下げていた。よく見れば歯抜けのようにして刈り終わった田んぼも散見される。
一乗谷駅の裏手に広がる田んぼもすっかり黄金色で、今日あたり刈り取るのだろうか、稲穂に囲まれるようにしてコンバインが鎮座していた。
車内の方は越前花堂で1人乗車してきたものの後は降りる一方で、駅に到着する度にパラパラと減っていきどんどん空いていく。
美山では福井行きの普通列車722Dとすれ違った。平日だからか向こうは3両編成と越美北線らしからぬ長編成だ。しかも混雑している。対するこちらの列車には学生が1人乗った程度と差が激しい。通勤通学は福井方面への需要が圧倒的に多いことを物語るような光景だった。
越前大宮
- 所在地 福井県福井市大宮町
- 開業 昭和35年12月15日
- ホーム 1面1線
美山から続いてきた狭い谷間が若干広くなったところに駅がある。下車したのは私だけだったが入れ替わるように中年男性が乗車していった。ホームに降り立つと朝もやが漂う中をひんやりした風が吹き抜け、列車が去ると線路脇の草むらからは虫の音が聞こえてくる。朝の清々しさと同時に秋の気配を感じさせる。
山々に囲まれているのだが山頂部分はすっかり朝もやに包まれ、実際以上に低い山であるように見える。加えて平地部分はとなりの薬師よりずっと広く、駅裏には田んぼが広がり見通しが良いこともあり随分と開けた土地に感じた。駅前には比較的大きな集落が横たわり、小学校の登校時間にあたったようで黄色い帽子の列から歓声が響いていた。
駅としては1面1線というホームと待合所があるだけの簡素な姿で、同じ大宮駅でも埼玉県の大宮とは比べるべくもない小さな駅である。
その作りは昭和35年開業の他駅と共通で代わり映えしない。ただ待合所の中に貸し出し用の傘が何本も並べてあり、これは越美北線では初めて見る光景だ。そして壁面にはご自由にどうぞのメッセージと共に、越美北線と京福バスのミニ時刻表が何冊か設置してあった。清掃もよくなされていて、人の姿は見えないけど人の気配がする駅である。
駅前に出ると雑草が生い茂る広々とした空き地が目につく。当初は駅舎を建てるつもりでしたと言わんばかりだが実際はどうなのだろう。そんな一角に新しいコミュニティセンターの建物があり、ホーム出入口の脇には車2〜3台分程度の小さな空き地がある。越美北線の駅では何度か目にしたよくある駅前風景である。
大宮集落
比較的大きな集落ではあるけれど観光とは無縁らしく、案内板は影も形もないし地図に頼っても見どころらしき所は見当たらない。こんな時は気の向くままに散策するのが一番で、何もなさそうな所でも、歩いてみると何かしら面白いものに当たるものだ。
まずは駅を出たすぐ正面の山すそにある寺に行ってみようと、駅から伸びる道路を進むとすぐに国道に出た。この辺りはバイパスがない上に通勤時間帯とあって交通量が多い。
国道を横断したそのまた向こうには狭い道路が横切り、狭いだけでなく左右に波打つように曲がり、沿道には家々が建ち並ぶ。この様子からすると古くからの大野街道かもしれない。あるのは住宅ばかりで商店といったものはまるでなく、せいぜい薬店だったらしき古い廃屋があるくらいで、今も昔もそれほど賑わっていたという感じはしない。
目的の寺は願浄寺という真宗大谷派の寺だった。小高い場所にあるため道路から二十段ばかりの階段を上がったところに山門がある。その山門の二階部分は展望室さながらにガラス張りになっていて、あれはどういう部屋だろうか不思議な形をしていた。
境内は土地が狭いだけに小じんまりしていたが本堂は立派なものだ。よく分からないが銅像が何体も佇んでいた。そうして帰り際に山門を後ろから見て、上部にあるのが単なる部屋などではなく鐘楼だと気がついた。ガラスで囲われていて気が付かなかったが鐘楼門だったのだ。これもまた狭い土地を有効に利用するためなのかなとも思う。
そのまま歴史ありそうな道を福井方へと向けて歩いて行く。通り沿いにはどこにでもありそうな住宅や自家用の畑に混ざり、白壁に黒々とした柱が格子状に並ぶ重厚な住宅、それに蔵も見られる。柵に囲まれた一角では馬が歩き回っていた。
どこか懐かしさを感じさせる通りでどんどん進んでいくが、突然ぱたっと住宅が途切れて道路は国道に合流してしまった。地図によるとこの先は縫原町という別な町のようで、大きな広場などがあるようだが特に興味も引かれなかったので引き返した。
駅前のバス停まで戻ってくると、話し好きそうなおばさんがバスを待っており、この辺り本当に見どころがないのか尋ねてみる。すると来月の第2土曜と日曜には祭りがあり、神輿などが盛大に練り歩くという。さらに運動会やどんど焼き、それに駅前のコミュニティセンターでの催しなど、たっぷり1年分の行事を教えてくれた。この集落は他より大きいから色々と賑やかなのだという。
思いがけず色々な情報を得ることはできたけど、何れも今日この日とはあまり関係がなく収穫が有ったような無かったような話である。ただ盛大な祭りと大宮という地名からどんな神社があるのか気になる。神社の場所を尋ねると大野方面に少し行った左側にあるそうで、近いようなので訪ねてみることにした。
言われたとおりに歩いていくと、国道しか道らしい道がないので仕方がないが、街中だというのに歩道がなくて交通量が多いので落ちつかない。しばらくすると解体中の床屋があり、先ほどのおばさんが随分思い入れがあるらしく、しきりとこの床屋が取り壊される話をしていたことを思い出す。
小さな個人商店を眺めたり、風情ある細い路地を散策したり、寄り道しながら先に進んでいくが神社は見当たらない。おばさんの話ではすぐそこのはずだがおかしい。引き返して床屋の解体工事をしているおじさんに聞いてみると、地元の人間ではないから分からないという。
なおも国道を進んでいくと農協と公衆電話が現れた。この組み合わせには覚えがある。駅の待合所に公衆電話はここにありますと案内図が掲示してあったのだ。離れた所にあるとは思ったが、ここまで離れているとは思わなかった。これでは電話が必要になった人も全然見つからなくて途中で引き返してしまいそうだ。
農協のすぐ先の山すそに鳥居があり、ついに見つけたとばかりに近づくと何かおかしい。鳥居の向こうには急な石段が伸びているのだが、その先には拝殿ではなく石碑のような物が鎮座しているのだ。これはもしかしてと思いつつも一応上がってみるとやはり忠魂碑だった。
どう考えても来すぎているので引き返し、再び床屋の解体現場を通りかかると、先ほど神社の場所を尋ねたおじさんに「ありましたか」と、今度は向こうから尋ねられた。その目と鼻の先にある脇道の先を何気なく見たら鳥居があるではないか。さっきも通ったのになんたる節穴だろうと自分でも呆れてしまう。
足取り軽く神社までやってくると、近所の方らしきおばさんと畑仕事に向かうといった風体のばあさんが立ち話をしていた。カメラを手にした私を見て「なに撮っとられるね」と声をかけられ少し言葉を交わす。この大宮という所はよく人の姿を見かけるところで、福井平野から山間部に入ってからの集落では最もよく目にした。
神社はこの辺りでは白山神社に次いでよく出会う八幡神社だった。緩やかな傾斜地にある広い境内には太い幹をした木々が何本も立っている。拝殿から境内まで簡素な作りで荘厳さや飾り気はないが、昔から殆ど変わっていないと思われる佇まいが美しい。落ち着いた山里の神社といった雰囲気だ。ここが来月には祭りで賑わうのだろう。
駅に戻ってくると次の列車まで20分ほどあった。ホームに佇んでいると大野方面から柴犬を連れたおじさんが線路を歩いてくるのが見えた。そのままホーム端までやってくると、ひょいとホームに上がり、待合所と私の前を通り過ぎてどこかへ去っていった。
続いて福井方面から九頭竜湖行きの普通列車が現れた。2両編成の車内は中高年を中心としてグループ客の姿もあり、どちらの車両も10人程度が乗っていた。夏休みの終わった平日日中にしては利用者が多いと思ったが、午前中たった2本しかない下り列車の利用者が、両方合わせて30人にも満たないのだから多いといえるのかどうなのか。
車内に空席はあちこちあるけど、すぐ次で降りるのだから最前部に立っていく。ここには保線の方も立っていた。前方の景色は山間のわずかな土地に田んぼがどこまでも続き、そのまま変化らしい変化もないままに計石の駅が見えてきた。
計石
- 所在地 福井県福井市計石町
- 開業 昭和35年12月15日
- ホーム 1面1線
山間の小さな集落に接した小さな駅で福井市最東端の駅だ。当然のように乗降客は私だけだったが、線路と並走する国道のバス停におばちゃんが一人佇んでいた。そして列車が去るのと時を同じくして、列車と同じ大野方面に向かうバスがやってきた。この辺りで鉄道利用者は滅多に見かけないがバス利用者はよく見かける。
周辺の草むらからは虫の音が聞こえ線路端にはコスモスが咲き誇る。その一方で遠く山沿いからはセミの鳴き声も賑やかと、夏と秋の境目のような雰囲気の所だ。
待合所に入ると何やら今までの駅とベンチの様子が違う。木製のようなプラスチック製のような不思議な感じで何だろうかと手を触れると、ほんのりクッション性のあるクロスのようなものが木製ベンチの上に貼られていた。これは初めてのパターンでなぜこの駅だけこんなものを貼ったのだろう。そのままではまずい痛みでもあったのだろうか謎である。
室内は芳香剤の香りに掃除道具や大きなゴミ箱と概ねいつも通りだが、壁にミッキーマウスの巾着袋が吊り下げられているのが気になる。何だろうかと中を見たら子供用のエプロンが入っていて忘れ物のようだった。越美北線の各駅はほとんど同じながら微妙に違い、まるで間違い探しの旅をしているようだ。
散策していると青空が顔を出しはじめ日が差し込んできた。今までは曇っているというか空にモヤがかかったような感じだった。途端に暑からず寒からずの旅にはちょうど良いといった陽気だったのが暑くなってきた。
ホームを降りたすぐ目の前には小川が流れており、覗き込むと手のひら大の小魚が無数に泳いでいるのが見えた。これはまだ美山から続く羽生川なのだろうか、この辺りはあちこちの谷から小さな川が流れ込み、もはやどれが本流なのかよく分からない。
白山神社
駅を出てすぐの道端で80歳も過ぎたくらいの婆さんが、干した豆鞘から豆を取りだす作業をしていた。この辺りの見どころを尋ねると「この辺はなんにもないですわ」と、半ば予想通りの答えが返ってきた。ただ住むには落ち着いた良いところだとも付け加えられた。
すぐ目の前から伸びる谷には何軒かの住宅が上の方に続いており、こっちに何かないか伺うと上の方にバイパスがあるだけとのこと。ならば神社はどこにあるのか尋ねると谷を挟んだ向こう側の山すそにあるそう。高い場所にあるので年を取ってからはもう何年も行ってないとのことだ。そんなきつい場所にあるとは俄然興味が湧いてきて目的地が決まった。
教えられた通り駅とは反対側にある山すそまでやってくると、かつての街道と思われる道路沿いに集落が形成されていた。見るからに歴史のありそうな蔵や大きな古民家もある。家に接する自家用の小さな畑には農作業をする老人の姿を見かけ、軽トラに乗ったおじさんは車を止めて怪訝そうにこちらを見ていた。
やってきた神社は鳥居があるからそれと分かるものの、そうでなければ気づかないような場所と姿をしていた。家の脇にある路地のような狭い通路が参道になっており、その路地の突き当りにある山すそから石段が伸びている。これがまたひとり分の幅しかない急な石段で、婆さんが何年も行っていないというのも頷ける。
セミの声が降り注ぐ石段を上がっていくと、鳥居のすぐ脇に笠と蓮華のある立派な墓が整然と五基も並んでいた。全てに宮下氏と刻まれており、昭和や明治だけでなく文化の年号も見られ先祖代々の墓のようだ。この名字にしてこの立地とは神社と関係がありそうである。
さらに上がっていくと大きな石灯籠の立つ平場があり、そこから20段ほど石段を上がった所に拝殿があった。この神社にしては随分と立派な狛犬が睨みを効かせている。ただその背後にある拝殿は鈴も賽銭箱も注連縄もなにもない、板張りトタン屋根の簡素な作りで、狛犬がなければ作業小屋と勘違いしそうなものだった。これだけ何もないと、どこで手を合わせたらいいのか迷うような佇まいである。
滅多に訪れる人はないのだろう足元は草や苔に覆われていた。それでも厳かな空気が漂うところはやはり神社だ。名の知れた大きな神社よりこういう所の方が好きだったりする。
時間はたっぷりあるので周辺の散策に繰り出す。かつての大野街道と思われる狭い道を大野方面に向けて歩いていくと、山すそから静々と水の湧き出ている所があった。一体どんな由来の水なのかは全く分からないけど、小さな石仏が祀られ花も供えられていた。石仏の上部が欠けているのが気になるけど何も分からない。手を触れるととても冷たい。かつて往来した人たちはここでひと休みしたのかもしれない。
集落の外れまでやってくると国道に合流してしまった。こうして歩いてみると民家と蔵はそこらかしこにあるが、店らしい店というのは駅前で見かけた商店だけのようだ。国道はバイパスがある上に通勤時間も過ぎたからだろう、たまに思い出したように車が走り抜けていく程度と静かなもの。婆さんの言うように住むには落ち着いたいい所なのかもしれない。
この先には家らしい家も見られず、狭い谷間に国道と線路が並ぶように分け入っていく。もう少しで福井市と大野市を隔てる花山峠だ。せっかくだから峠まで行こうと思うが、歩道のない国道は避けて、その脇にある細々した田んぼ道を進む。谷間には川が流れているが、わずかな水が流れるくらいで、まもなく消滅しそうな様子である。
農作業をしているのか軽トラが視界に入ってきた。道を塞ぐように止めているあたり行き止まりの予感しかしない。国道から行くべきだったかと考えつつも軽トラの脇を通り抜ける。すると道はまだありそうなのだが、周辺の田んぼに張り巡らされていた電柵が、行く手を遮るように道路上まで横切っていて通せんぼ。突破できなくもなさそうだが無理せず撤退。
昼飯を探して
次の列車まで2時間以上もあり暇を持て余す。先ほどの婆さんは気温が上がったからか、それとも昼飯なのか姿を消していて話し相手もいない。気になる所は訪ねてしまったし困ってしまうが、時間が時間なのでなにか食べることにしようと、近くの国道バイパスに足を向ける。
駅を出ると間もなく福井行きの列車が走り去っていった。見覚えのある車両だと思えば、ここまで乗車してきた九頭竜湖行きが折り返してきたものだった。
空には青空が広がり日向を歩いていると汗がにじみ出てくる。風だけはこの時間帯になっても秋らしい冷たさを保っているため、日陰に入ってしまえばそれほど暑くはない。
バイパスに出ると駅前の旧道とは比べ物にならないほど交通量が多い。それでも横断するのに困るような量ではないし、新しい道路だけに広くて歩道もしっかり整備されているので、大型車が騒々しいことお除けば歩くのに不便はなかった。この辺りにも住宅が点在していて十数軒くらいはありそうだ。地図によるともう計石ではなく東川上という地区だった。
駅から20分くらい歩いただろうか、行く手に手打ちそばの看板が見えてきた。ところが照明という照明がまるで灯っておらず薄暗い。看板に書いてある定休日も営業時間も問題なく、不審に感じつつも店の前までやってくると、出入口の貼り紙が目に留まる。嫌な予感がしながらも近づいていくと閉店の文字、しかもわずか5日前の事だった。
他には飲食店らしきものはなく駅に戻ることに。何をしているのか分からないが多少の時間は潰すことができた。ついでなので婆さんが、こっちに行ってもバイパスがあるだけだと言っていた、駅の南側にある集落に向かう。
そこは確かにそんな感じの所だったが他では見当たらなかった寺があった。地獄に仏とばかりに立ち寄ると浄土真宗本願寺派の浄蓮寺という寺だった。ここまでは良かったが随分と寂れた様子であまり手入れもされていない様子。人気のない神社は落ち着くけど、寺は逆に落ち着かなくなるから不思議なものである。
腹が減るので駅前にある何でも屋とでもいった様子の商店を覗いてみる。こういう所は近所のお年寄り用に弁当があったりするものだ。しかし残念ながら食べ物といえば菓子類が少々あるくらいだった。他には調味料に酒タバコそれに洗剤や日用品などが並ぶ。公衆電話や切手まで扱っていてまさに何でも屋である。
もう食事は諦めて待合所のベンチに寝っ転がり列車を待つ。窓とドアを開け放つと心地よい風が通り抜けていく。空を見上げれば秋らしい細かな雲が流れ、駅前に目をやればシニアカーに乗った婆さんが商店に訪れている。しだいに眠くなってきた。
30分ほどしてやってきた列車は1両と短い上に満員満席の大混雑だった。どうせすぐ降りるのだから座れないのはどうということはない。今度もまた最前部に立って景色を眺めていくことにした。
発車すると歩いてたどり着けなかった花山峠を目指して勾配を上っていく。ツツジや木瓜の花が多く見られたことが名の由来だそうだが、杉ばかりでそんな華やかさは感じられない地味なところだ。
山は低くこのまま尾根を越えてしまうのではないかという所で峠のトンネルが現れた。標高は200メートル少々と大した高さはないので、峠越えの響きから連想される険しさは微塵も感じられない。福井平野からだらだら少しずつ山を上り続け、気がつけば山頂だったとでもいった呆気なさである。
トンネル自体も数百メートルほどの短いものだが、ここは福井市と大野市の市境という少しだけ特別な意味を持つ。越美北線の旅も4日目にしてようやく福井市を抜け出したのだ。
峠を越えると景色は一変して見渡す限りに平野の広がる大野盆地に飛び出した。一乗谷の辺りから延々と山間を進んできて、その最後に峠というほどでもない山を越えた途端に別世界になるのだから面白い。そんな大野盆地に入ってすぐの田んぼの中に牛ヶ原の駅があった。
牛ケ原
- 所在地 福井県大野市牛ケ原
- 開業 昭和35年12月15日
- ホーム 1面1線
小高い築堤上にホームが1面ぽつんとあるだけの駅だった。山間を抜けて多少は街らしくなるかと思いきや、黄金色の田んぼが広がるばかりと随分のどかな場所である。建物自体はたくさんあるのだが何れも駅とは距離を置いて点在していて、開けてはいるけど利用者は少なそうという印象だ。それを裏付けるように混み合う列車から降りたのは私だけだった。
田んぼに囲まれた築堤上とくれば風通しは抜群で気温が高いだけに心地よい。でも真冬などはこんな所に立っていたら凍えてしまいそうだ。田んぼの向こうに目をやると盆地の中にポコンと盛り上がる山があり、よく見ればその山頂には天守閣の姿がある。最近は天空の城としても知られる大野城だ。
待合所の作りは細かな差異こそあれ計石や越前大宮と同じ。これによって開業が昭和35年であることがすぐに分かる。越美北線の駅は作りが同じであれば開業年も同じで分かりやすい。
ここで思いがけないものを見つけた。壁面に「乾側へようこそ」というポスターが貼り出され、さらに「乾側のトリセツ」という観光パンフレットまで設置されていたのだ。思えば越美北線の駅でこのようなパンフレットを目にしたのは初めてだ。パラパラめくってみると周辺の見どころが盛りだくさんに載っていて、これは面白いことになってきた。
気になるのがこの一帯を乾側と呼んでいることで、駅名は牛ケ原だし地図を見ても乾側など見当たらない。気になったので後日図書館を訪れたついでに調べると、この辺りはかつて乾側村だったと知り納得。昭和29年に合併して大野市になったそうで、越美北線の着工時は乾側村で開業時は大野市だったのだ。
合併で地名が消滅すると地元では通じても、よそ者にはまるで意味の分からない呼び名となってしまう。
駅を出るとそこには無料のレンタサイクルがあった。田んぼしかなさそうなこの駅にパンフレットが用意されていたのには驚いたが、まさかレンタサイクルまであろうとは予想だにしなかった。さらに案内板も立っていて随分と観光色が濃い。降り立った時の印象はすっかり覆されたと言っても過言ではない。
ただここは駐輪場も兼ねているのに一般の自転車は1台しか止まっていない。住宅は離れた所に点在していて自転車利用が多そうなのに、平日日中からこれではあまり利用者は多くなさそう。そういう意味では第一印象の通りかもしれない。
周辺を歩くと線路や田んぼ沿いの斜面には芝桜がびっしりと植えられていて、これは時期に訪れたら見事なものであろう。とはいえ人混みは嫌いなので、黄金色の田んぼが広がるこの季節か、雪の吹き付けそうな真冬にでも訪れる方が私の好みに合っている。
八幡神社の大杉
どこに向かおうかと見回せばどうしても大野城に目が行くが、あれは越前大野駅から行くのがふさわしいだろう。何といってもそこが城下町なのだから。
これで案内板やパンフレットがなければどの方角に向かうかすら迷う所だが、おかげさまで目的地には困らない。むしろ見どころが多すぎて困るくらいだ。近場には寶光寺の立木観音や花山峠の石地蔵、それに牛ヶ原城跡などがある。中でも八幡神社の大杉というのが気になり行ってみることにた。巨木好きとしては大杉と聞いては見逃せない。
歩きはじめるとすぐに大きな記念碑があり、これは何だろうかと碑文を見ると耕地整備事業の完成記念のようなものだった。そういえば似たようなものを小和清水駅前でも見た。記念碑の背後に広がる田んぼでは稲刈りの真っ最中で、コンバインが縦横無尽に走り回り、こうしている間にもみるみる刈り取られていく。
10分も歩けば大野盆地の端にある牛ケ原の集落にたどり着いた。緩やかな傾斜地が山裾に向けて続いており、そこを流れる小川沿いに住宅や田畑が混ざり合うように密集していた。家並みの方は昔からこんな感じなのだろうが、川はすっかり全体をコンクリートで固められて趣のない眺めである。
緩やかな坂道を進んでいると近くの山裾に鳥居を見つけた。どうやらこれが目的の八幡神社のようだが、そちらに向かう脇道沿いには「お神田」と大きく刻まれた石柱が立っていた。いかにも神社と関係がありそうで何だろうかと近寄ると説明も刻まれており、昔からこの一帯は神様の田地として地名の呼称になっているそう。
鳥居までやってくると、そのすぐ脇に目的の大杉がそびえており、簡単な説明の書かれた標柱も立っていた。ここで上ばかり見上げて歩いていると鳥居の前を電柵が横切っていて危なかった。最近は田畑の回りが電柵だらけなのは見慣れた光景だけど、たまに道路の上まで横切っている場合もあり、あれには鹿や猪だけでなく私の方まで途方に暮れてしまう。これは幸いにして大した高さはないので跨いで参道を進む。
境内には件の大杉だけならず何本もの大きな杉の木がそそり立っていた。大杉とそう太さが変わらないのではないかという木も見受けられる。恐らくそんな中でも最大の太さなのだろう八幡神社の大杉は、市の文化財に指定され目通り5.3メートルもあるそうだ。
神社は山裾から中腹にかけて広がっており、杉木立と苔の中を高台にある拝殿に向けて階段が続く。よくある大きな石材を積み上げた石段ではなく、緩やかな斜面を階段状に整地した形で土留に小さな石が並べてある。そして表面には玉砂利が敷き詰められていた。緩やかに弧を描く様子と合わせて、どこかの庭園でも歩いているような気分にいざなう。
なかなかと神秘的な雰囲気で一見すると実に良い所なのだが、困ったことに蚊が猛烈なまでに多くてのんびりとはしていられない。動きを止めると刺されそうで蚊を振り切るように素早く歩いて参拝を済ませる。そして落ち着く間もなく足早に神社を後にした。
パンフレットによるとこの集落の背後にある山、つまり盆地の縁にあたる山には牛ケ原城跡と三社神社があるそう。気になるが見た目に遠そうだし遺構も大して残ってなさそう。それに直近の帰りの列車までは1時間を切っているし空腹という問題もあり、行こうか行くまいか迷いつつ緩やかな坂道を上がっていく。住宅が途切れて山が目前に迫ってきたところで、改めて地図と時計に相談すると、引き返したほうが良いという答えが返ってきた。
その代わり途中で見かけた小さな寺に立ち寄ってみたが、人の気配が感じられないし寺の名前すら見当たらない。越美北線の旅では神社の印象が強く残る一方で寺の印象は薄い。
思えばこの集落自体がほとんど人に出会うことがなかった。ただ郵便配達員にだけは何度も遭遇しており、向こうはバイクだけどあちこちの家に立ち寄るため、一直線に歩く私とほぼ同じ速度で前進しているのだ。そのため度々顔を合わせてどこか気まずさを感じる。
右へ左へと適当な道を選びつつ黄金色に輝く田んぼの中を足取り軽く下っていく。眠気を誘うような穏やかな陽気と景色だ。先ほど稲刈りをしていた田んぼは粗方刈り終わっていてさすがに早い。涼しい風に乗ってコンバインの賑やかな音が響いていた。
エピローグ
時刻は15時を回ったところで次の北大野に行って行けなくもないが、慌てる旅ではないし腹も減るので今日はここまで。
福井行きは1両と短いながら20人ほど乗っていて混雑していた。座って座れないこともないがロングシートでは窮屈で景色も見れないので、乗車するとそのまま最後部に立って、流れ去る景色を眺めていく。これ以上混んでくると立っているのすら窮屈になるが、幸いにして美山や市波で1人ずつ乗ってきた程度であまり変化はない。
福井までこんなものだろうと安心していると、一乗谷で色とりどりのリュックを背負った中高年の団体、ざっと10人ばかりが乗ってきた。さらに次の越前東郷では学生らしき一団が待ち受けていて、超の付く満員になってしまった。いくら乗れるからといって詰め込みすぎだ。混雑する上に運行本数が少ないのでは、他に交通手段がない方はともかく、次からはマイカーにしようという流れになっても仕方がない。
福井駅では列車からあふれる人波が去るのを見送ってから、ホームにある立ち食いそば屋に向かった。計石で食べ損ねたそばをここで食べようという訳だ。時間的なこともあってかお客は私だけで気楽なものである。
夕方になってようやくありつけた食事に満足しつつ宿に向かった。
(2017年9月4日)
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