北陸本線 全線全駅完乗の旅 6日目(湯尾〜王子保)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)

2018年8月10日、宿を出ると折りたたみの傘を開き、しとしと降る小雨の中を敦賀駅に向けて歩きはじめた。雨の朝とあって真夏にしては涼しいと思ったが、それでも歩けば汗がにじみ、湿度の高さと相まって服がまとわりつき、快適とは言い難かった。

せわしなく学生や会社員の行き交う駅舎を通り抜け、向かったホームで福井行きの普通列車に乗り込んだ。冷房の効いた車内は空いていて居心地が良い。目指すは敦賀のある若狭地方から、北陸トンネルを抜けて越前地方に入り、山間を抜けて福井平野に入ろうかという位置にある南条駅である。

敦賀駅に停車中の福井行き普通列車 235M。
普通 福井行き 235M

発車するとすぐに全長14km近い北陸トンネルに突入する。寒いほど冷房が効いているせいだろうか、間もなく窓ガラスが外側から曇りはじめ、トンネルを抜ける頃にはろくに景色も見えないほどになっていた。雨が降っているのか止んでいるのかさえ分からない。外側では拭き取る訳にもいかずお手上げである。

越前地方に入ると福井に向けて駅ごとに乗客が増えていく。地方の普通列車にしては賑やかな光景だが、乗ってくるのは決まって学生と老人だ。いよいよ南条駅に滑り込むと、ここでもまたホーム上には学生と老人が並んでいた。

南条なんじょう

  • 所在地 福井県南条郡南越前町西大道
  • 開業 1896年(明治29年)7月15日
路線図(南条駅)
白いタイル貼りの南条駅舎。
南条駅舎

南北に日野川が流れる山間の町で、西には日本海へと連なる山塊、東には越前富士と称される日野山がそびえる。駅のある左岸には小さな街が形成され、役場や郵便局に小中学校などが集まり、右岸には水田の広がる中にいくつかの集落が点在する。開業時の駅名は近くの宿場と同じ鯖波だったが、1973年(昭和48年)に当時の町名と同じ南条に改称された。

ホームに降り立つと敦賀と変わらず小雨が降っていた。おばさんと老夫婦が一緒に降り、おばさんは足早に去っていったが、老夫婦は地下道の階段を前にベンチで休んでいる。やがて立ち上がると手すりを頼りにゆっくり下りていった。安全のための跨線橋や地下道も高齢化社会にあっては鉄道利用の弊害になりつつある。

明治開業という歴史ある駅だけにホームは長く、どっしりした待合室を載せている。中を覗くと木造のベンチが作り付けてあった。引戸を閉めれば密閉できる構造で、除雪機まで用意してあることが冬の厳しさを物語る。列車接近を知らせるエリーゼのためにのメロディーが流れはじめると、間もなく猛烈な速度で特急列車が通過していった。

かつて2面3線だった構内は、中央にあった2番線の線路が剥がされ、現在は2面2線となっていた。
2番線が剥がされ2面2線となった構内

薄暗い地下道を通り抜けて大柄な駅舎に入ると、外観から想像よりこじんまりした待合室があり、それを囲むように窓口やトイレが並んでいた。ガラスブロックを積んだ明るい壁、曲線を描く瀟洒なベンチ、なんだか個人医院の待合室のようである。静まり返っているが委託らしき駅員の姿があり、券売機まで置いてあるのを見ると、それなりに利用者はあるらしい。

それにしてもこの大きな駅舎はなんだろうかと思えば、その大部分は南越前町の商工会が利用していた。どちらかといえば駅舎というより商工会の建物であり、その片隅を駅が間借りしているといった恰好である。

不動ヶ滝

雨が収まってきたところで出発。シャッターと空き地の目立つ駅前通りを抜け、ゆったり流れる日野川を渡り、田んぼの中を山すそまで進み、鋳物師という集落までやってきた。職人町を想起させる名前、絡み合う狭い道路、不規則に配された家並み、それらが歴史の深さを暗示する。目指す不動ヶ滝はここから少し山間に入った辺りにある。

周辺には越前富士の日野山、山頂に池がある野見ヶ岳、気になる名をしたホノケ山、国史跡の城址がある杣山など、面白そうな山がいくつも並んでいる。それなのになぜ登らないかといえば、真夏の雨という状況に登ろうという気力を削がれてしまったからで、妥協案としてふもと近くで自然を満喫できる滝に向かおうという訳だ。

そうして鋳物師の集落までやってきたが滝への入口が分からない。人通りもなく尋ねることすらできない。困ってしまうが水路に滔々と涼やかな水が流れているのを目にして、これをたどれば行き着くかもと、他にあてもないので行ってみると本当に滝の案内板に行き当たった。

しっとり静かな鋳物師の集落。
しっとり静かな鋳物師の集落

手入れされた杉林の中を、鳥の声やせせらぎに耳を傾けつつ、汗をにじませながら林道を上っていく。砂利道ながら下草はきれいに刈り払われていて歩きやすい。間もなく車が数台止められる程度の広場に出ると、想像より有名な滝なのか立派な案内板が立っていた。行く手には歩道が伸びていて、好むと好まざるとにかかわらず車はここまでだ。

徐々に細くなっていく沢の流れに沿うように谷をさかのぼっていく。何度か丸太で冷たく澄んだ流れを横切る。雨上がりとあって足を運ぶごとに右へ左へ小さなカエルが飛び跳ねる。俄に傾斜はきつくなり、路面は荒れはじめ、登山道の趣になっていく。汗もにじむというより流れるようになってきた。

進むほどに荒れてゆく道

やがて苔むした断崖が行く手に立ちふさがった。滝行でもするのにちょうど良さそうな水の束が数本、じゃばじゃばと涼しげな音を立てている。傍らには不動明王が収められているらしき祠があり不動ヶ滝で間違いない。沢の流れから想像はしていたが水量は少なく、流れ落ちるというより滴り落ちるといった感じだ。到着を待っていたかのように太陽が顔を出すと、揺れ動く木漏れ日で苔や飛沫が鮮やかに輝きはじめた。迫力ある瀑布も良いが、気持ちの安らぐようなこんな滝も悪くないなと思う。

他に訪れる人の姿はなく、知る人ぞ知る深山の滝を思わせるが、案内板によると毎年7月には滝祭りがあり多くの人で賑わうという。

不動ヶ滝。
不動ヶ滝

滝の周りは涼やかなだけでなく、蚊やブヨのような厄介な虫もいなくて過ごしやすいが、座れる所がないのが玉に瑕。手頃な石を探してみるが雨や飛沫で湿っているか苔むしているかのどちらか。立ちん坊で見上げているのは長続きせず、本当にここが多くの人で賑わうのだろうかと思いながら、石のごろつく荒れた道を下っていった。

麻氣神社

不動ヶ滝から鋳物師の集落まで下りてくると、駅とは反対方向にある牧谷という集落に足を向けた。車はほとんど通らず歩きやすいが、田んぼの中を伸びる緩やかな上り坂は、日当たりの良さもあって暑くてたまらない。自販機の世話になりながら黙々と歩いていく。

何気なく立つ標識に目をやると「福井県の重心点登山道入口」と記されていた。山深くにある重心点へと続く登山道なのだろうか。気になるが登山は遠慮したい陽気なので、足を止めることなく見て見ぬふりで素通りした。

この辺りは福井県の重心点で「へそのむら」と記された看板も立つ。
この辺りは福井県の重心点(へそ)

そうして牧谷集落を歩いていると探していた麻氣神社を見つけた。ここには隣りの湯尾駅で訪れた日吉神社の旧社殿が移築されているという。日吉神社に立てられていた由緒書きには北陸本線の建設などで移転した際、それまでの社殿を南条町牧谷の麻氣神社に移築したことが記されていた。それを目にしてから機会があれば訪ねてみたいと考えていたのだ。

セミの声に包まれた人気のない境内に入ると、大きな杉の木が何本もあり、長い時の流れを感じさせる。それを裏付けるように灯籠には明治の文字、鳥居には江戸時代初期の寛永の文字が刻まれていた。そして肝心の社殿はといえば、日吉神社から移築されたものかはよく分からなかった。由緒書きにその辺りの事情が記されていることを期待したが、由緒書きそのものが見当たらないのである。

杉木立の中に佇む麻氣神社の拝殿。
杉木立の中に佇む麻氣神社の拝殿

近隣の家で尋ねてみようかと思ったが、タイミングの悪いことにちょうど昼になり、この時間に家を訪ねるのは気が引ける。そうこうしていると空には厚い雲が広がりはじめ、ついには雨までこぼれはじめたものだから、まあいいかと駅に向かって歩きはじめた。

ホームに戻ってくると適当な所に立って列車を待つ。間もなくやってきた福井行きに乗り込みながら、ふと後ろに視線をやると5〜6人の学生が並んでいて驚いた。並んでいるつもりはなかったが、いつの間にか列の先頭扱いになっていたらしい。

結果的に先頭で乗り込んだが混み合っていて座る余裕はなかった。ワンマン列車なので素早く降りられるように運転手のすぐ後ろに立っていくことにした。

南条駅に入線する福井行き1243M。
普通 福井行き 1243M

動き出した列車は滑るように加速していく。南条までの線路は山すそに沿うようカーブが連続していたが、南条から先は直線的となり、景色も山林から水田に変わっていく。豊かな穀倉地帯である北陸にやってきたことを視覚的に感じる。

王子保おうしお

  • 所在地 福井県越前市四郎丸町
  • 開業 1927年(昭和2年)12月20日
路線図(王子保駅)
開業当時から残ると思われる木造駅舎が残されていた。
王子保駅舎

琵琶湖と別れてから続いてきた長く険しい山地を抜けきり、広大な福井平野に飛び出した所に位置する駅。周辺は田園地帯の中にある変哲もない小さな町であるが、参勤交代の大名行列も通った北陸道が横切り、今宿という宿場町だった歴史を持つ。難読ともいえる駅名は開業当時に存在した王子保村に由来する。

列車を降りると明るく開放的な印象を受けた。青空の下に田畑や住宅が広がり、山は追いやられるように後退し、線路は直線的に敷かれ、それらに加え山を仰ぎ見るような駅が続いてきた後ということがそう感じさせるのだろう。

歴史ある小さな駅にはよくある光景だが、ホームは10両編成でも収まりそうなほど長く伸びていながら、大部分は雑草が繁茂するなど歩ける状態ではなくなっていた。それどころか途中にフェンスが設置されて立ち入ることすらできない。利用できるのは4両分程度で、普通列車の長さが半減したことを如実に物語っている。

構内は2面2線の相対式ホームで、両者は跨線橋で結ばれている。
王子保駅ホーム

懐かしき木造駅舎に入ると、無人駅ながら手作りを思わせる装飾や掲示物が並び、小さな鉄道会社の有人駅を思わせる暖かみがあった。窓口や小荷物扱い所は残されたままで、利用者の多かった時代もあるのか窓口はふたつも並ぶ。駅務室に人の気配はないが机や事務用品などが残され、今にも委託駅員が現れそうな雰囲気が漂う。

そんな待合室は観光情報が充実しており、地域の歴史にまつわる見どころを中心に、南条駅の近くにあるホノケ山の登山マップまである。覚えきれないほどの情報量だが、そこはしっかり散策用のパンフレットまで用意されていた。

待合室の中央には小動物でも飼育できそうな、金網で作られた正方形の籠が置いてあった。今も現役なのか知らないがストーブを入れるに違いない。
待合室に置かれたストーブ用らしき籠

さらに駅前に出ると大きな観光案内図まで立っていた。よりどりみどりの観光地があることを匂わせるが、近づいてみると描かれているのは大雑把な地形と道路ばかり、肝心の観光地については申し訳程度にしか記されていない。これだけのっぺらぼうな案内図も珍しいが、それだけに省略されることなく記された日野山・大塩八幡宮・盛景寺などは、地域を代表する見どころと考えて間違いないだろう。

観光とは縁のなさそうな駅だと思っていたが、実際には豊富な観光情報を持ち、隅々までめぐれば朝から晩まで楽しめそうな駅であった。

大塩八幡宮

駅前通りを歩きはじめると数分で北陸道と交差する。北陸自動車道のようで紛らわしいが、はるか昔より人馬が行き交い、参勤交代にも利用された北陸道のことである。そこからこの街道に足を向けると、千年以上も前の平安時代から鎮座するという大塩八幡宮を目指した。

バス停にちらりと目をやると今宿と記されていた。宿というだけあって江戸時代に宿場が置かれていた所だ。往時の家並みは残されていないが、意味もなく右左に波打つ道筋が、歴史ある道であることを教えてくれる。明治時代に北陸本線が開業するまでは大動脈として賑わっていたのだろうが、今は閑静な住宅街といった様子で、歩いているのは私くらいのものであった。

静かな北陸道をゆく。
静かな北陸道をゆく

町外れで北陸道から別れると、新たにたどりはじめた道に「幻の北陸道 塩の道」と記された新しい石造りの標柱が立てられていた。さらに「ホノケ山へ五キロ」とも記されている。駅から持ってきたパンフレットを開くと、これはホノケ山を通り敦賀に至る古道で、敦賀で作られた塩を武生方面に運ぶのに利用されていたという。

そしてこの塩の道こそが王子保や大塩といった、この辺りに残る「しお」を発する地名の由来といわれているそうだ。王子保駅や大塩八幡宮がその名前であるのも、元をたどればこの塩の道に行き着くという訳である。

ホノケ山にはその一風変わった山名から注目してきたが、こういった歴史を知るとさらに興味が湧いてきた。沿道ではホノケ山登山口や塩の道と記された道標も見かけ、いずれ登ってみなければと思う。

のどかな田んぼの中をゆく。
のどかな田んぼの中をゆく

広々とした田園地帯を歩いていると、大塩八幡宮と刻まれた大きな石柱があり、そこから道路をしばらく進むと朱色の大鳥居が見えてきた。氣比神宮の大鳥居を彷彿とさせる姿をした存在感のあるもので、このような鳥居があるとは知らなかっただけに驚かされた。

平地が尽きる山すそまでやってくると、山腹にある社殿に向けて、大きな杉木立と苔に包まれた石段が伸びていた。それはいつまでも眺めていたくなるような艶やかな情景で、これだけでも訪れて良かったと納得させるものがある。足早に通り抜けてはもったいないと、楽しみながらゆっくり上がっていく。

大塩八幡宮の参道。
大塩八幡宮

石段の先には室町時代に建立されたといわれる荘厳な拝殿が鎮座していた。拝殿という響きから想像するより遥かに大柄な建物で、ずらりと並んだ太い柱が、これまた大きな杮葺きの屋根を支えている。壁も目立った装飾もない地味ともいえる装いながら、それがかえって見るものを圧するような重々しさを生み出していた。

社伝によると源平合戦も中頃のこと、倶利伽羅峠の戦いで平家の軍勢を打ち破り、都へと進攻する木曽義仲が当地で軍議を開いた折り、失火により拝殿を焼失させてしまったという。申し訳ないことをしたと南東5kmほどの所にあった杣山日枝山王社の拝殿を引き取り、三日三晩かけて移築したものだという。

近くには大阪夏の陣戦勝記念に奉納されたという梵鐘があり、本殿からさらに奥に進めば苔むした中にいくつもの境内社の祠が点在、そこには木曽義仲の本陣跡という場所もあり、堀切がくっきりと残されていた。歩けば歴史に当たる歴史の宝庫のような神社である。

大塩八幡宮拝殿。
大塩八幡宮拝殿

散策していると展望台の標識が目に留まり、面白そうだと行ってみると、丸太で作られた急な階段に汗が浮かびはじめた。よく整備されていて歩きやすいが階段は階段であり、蒸し暑さも手伝い、あっという間に汗だくになってしまった。

やがて視界が開けると展望台を名乗るだけあって眺めは抜群であった。王子保の駅や家並みなど覚えのある所から、遠くに広がる武生や鯖江の市街地までを一望できる。風当たりも良くて吹き抜ける風に汗が引いていく。風に乗って聞こえてくる走行音に視線を向ければ、模型のように小さな列車が走り抜けていくのが見える。居心地の良さにすっかり根が生えてしまい、次々やってくる列車を飽きるまで眺めて過ごした。

大塩八幡宮の裏山にある展望台からの眺望。
展望台からの眺望

エピローグ

路線図(エピローグ)

駅に戻ると通過する特急列車を熱心に撮影する少年の姿があった。ぽつぽつと利用者も集まりはじめたが決まって福井方面のホームに行ってしまい、敦賀方面のホームに立つのは私だけであった。

やってきた列車は4両も連ねていて、ホームの閑散ぶりから楽に座れると思ったが、いざ乗り込んでみると空席を見つけることすらできないのであった。仕方がないのでドア脇に立っていくことにした。

王子保駅に入線する敦賀行き244M。
普通 敦賀行き 244M

王子保駅は無人で券売機もないので、すぐに車掌が来るだろうと考えたが、待てど暮らせど来ない。南条、湯尾、今庄、どこまで進んでも来ない。このまま敦賀に到着したら駅で精算することになるが、どうやって王子保から乗車したことを証明すればよいのか。不安と不満を募らせていると、敦賀を目前にした北陸トンネルの通過中に車掌がやって来た。

(2018年8月10日)

コメント