北陸本線 全線全駅完乗の旅 3日目(河毛〜近江塩津)

旅の地図。

目次

プロローグ

完乗状況の路線図

2016年8月3日、北陸本線の起点である米原にやってきたのは、午前9時を少し回ったところであった。天気は雲が多いながら日が差し込みまずまずといったところ。北陸本線の旅の1日目に訪れた時には使用停止になっていた改札脇のコインロッカーが、何だったのか今回は使用可能になっていたので不要な荷物を投入してホームに向かった。

米原駅東口 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
米原駅東口

まず向かうのは前回到達駅である河毛の隣り高月という駅だ。乗車するのは敦賀行きの普通列車で、この区間で乗る列車はいつも4両編成の223系か225系だったので、今回もそのつもりでホームに向かうと、意外にも待っていたのは2両編成の521系であった。

敦賀行き139M
敦賀行き139M

米原から長浜へと向かう列車は利用者が多く、この区間を2両編成とあっては当然のように混雑しており座れない。とはいえ大学のある田村や観光地の長浜では、かなりの下車がある事を経験済みなので、その辺で座れるだろうと考えていると予想通りの展開であった。

高月たかつき

  • 所在地 滋賀県長浜市高月町落川
  • 開業 1882年(明治15年)3月10日
  • ホーム 2面2線
完乗状況の路線図
高月駅舎
高月駅舎

高月は同じ関西地方にある高槻とよく似た地名という程度の知識しかなかったので、一体どんな駅かと下車してみると、新しくキレイな橋上駅舎に、みどりの窓口まである想像していたより大きな駅だった。

橋上駅舎内の連絡通路
橋上駅舎内の連絡通路

駅舎には高月総合案内所が併設されており、観光案内から土産物の販売に、レンタサイクルの貸出しまで行っている。なかなかと観光に力が入っているが、平日とあってか観光客の姿は自分だけであった。

まずはどこへ向かおうか駅前の案内板や、案内所のパンフレットを見て考える。高月は観音の里と呼ばれる程に観音像が有名で、集落の数より観音像の方が多いという位に沢山の観音像があるそうだ。さらに野神のがみさんと呼ばれる老木も沢山あるようで、街歩きが楽しそうな所という印象。

今回は初訪問という事で、パンフレットのおすすめコースに従って観音像を巡りつつの街歩きに決めた。

大円寺だいえんじ

まずは駅から徒歩数分という近場にある大円寺にやってくる。境内には高月観音堂があり、ここには室町時代に制作されたと言われる、木造十一面千手観音立像が安置されている。

大円寺入り口
大円寺入り口

境内に入ると「おしどり杉」という樹齢800年の大きな杉が、参道に覆いかぶさるように斜めに立っており、一際目を引く存在となっている。斜めだからか支柱で支えられており、何だか杖をついているようにも見えた。

この杉の脇には大きな切り株があり、おしどり杉という名前からして、かつてはもう1本の杉があっただろう事が想像できる。切り株の真ん中には新たな杉が植えられていて、今ではおしどり杉というより親子杉という感じになっていた。

おしどり杉 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
おしどり杉

おしどり杉のすぐ奥には高月観音堂があるのだが、残念ながら拝観には予約が必要ということで今日はここまで。そもそも今は修復のため拝観自体が出来ないような話でもある。

高月観音堂
高月観音堂

ここ大円寺には隣接して神高槻かみたかつき神社があり、名前が「高月」ではなく「高槻」なのは、かつての地名が高槻だった名残りだそう。高槻に地名が似た場所と思っていたが、似ているどころか元々は全く同じ地名だったのである。

神高槻神社
神高槻神社

高槻が高月となった由来は案内所でもらってきたパンフレットに記載されており、元々はつきの大木が沢山あることから「高槻」と名付けられたが、大江匡房おおえのまさふさが月見の名所として和歌を詠んだことにちなみ「槻」を「月」に改めたという事だ。ちなみに槻とはケヤキの別名である。

渡岸寺観音堂どうがんじかんのんどう

次は国宝の「十一面観世音菩薩」が安置されている、渡岸寺観音堂を目指して交通量の少なそうな裏道を選び、のんびりと歩いて行く。最近はどこへ行ってもセミの賑やかな声が聞こえるのだが、この街では不思議とそれがまったく聞こえずとても静かで、代わりに道路沿いを流れる水路の音がよく聞こえるのが印象的だった。

途中目についた小さな神社やお寺に寄り道をしていたら、大円寺から渡岸寺観音堂の仁王門まで30分もかかってしまった。ここ渡岸寺観音堂はてっきり渡岸寺というお寺なのだと思ったが、渡岸寺というのは集落の名前であり、観音堂が属しているのは向源寺こうげんじというお寺だった。集落名に寺の文字が付くと何だかややこしくなる。

渡岸寺観音堂
渡岸寺観音堂

仁王門の前には参道を塞ぐように木が生えており、一体どうしてこういう事になったのか…。

門を抜けると静かな境内が広がり、本堂の手前まで進むと観音像の拝観や御朱印の受付がある。9時〜16時の間であれば予約なしで拝観できるので、ぶらり旅にはありがたい。拝観料の500円を支払うと、他の拝観者はいなかったようで担当者が観音堂の鍵を開けに向かった。

境内の様子
境内の様子

観音像の拝観者は靴を脱いで一旦大きな本堂に上がり、そこから左方向へと伸びる通路を通って観音堂へと向かう事になる。通路の壁面には訪れた著名人の写真等が飾られていた。

さすが国宝だけあり観音堂はセキュリティや空調が完備されていた。内部には十一面観音像と大日如来像が並んで安置されており、それらを説明する音声が流れていた。拝観者は自分だけとあって、全国に7体ある国宝観音像で最も美しとも言われる姿を、手の届くような距離からじっくり時間をかけて堪能する事ができた。

歴史民俗資料館

すっかり満足して渡岸寺観音堂を後にすると、次はすぐ隣に建っている「高月観音の里 歴史民俗資料館」へと向かう。ここには先程の渡岸寺観音堂で拝観料を支払った際に頂いたパンフレットを提示する事で、入館料300円が240円に割引となる。

この施設は特に期待もせず、「まあせっかく来た事だし入ってみるか」程度であった。しかし入館してみると内部には様々な観音像がズラリと並び、その由来がまた興味深くて1体1体じっくり見てしまい、すっかり長居をしてしまった。何だか観音像の魅力に取り付かれつつある。

高月観音の里 歴史民俗資料館

そろそろ次の木ノ本に向かわないと、北陸本線の旅が高月の旅になりかねないので駅に向かう。行くときは寄り道が多かったせいだろうか、駅から渡岸寺どうがんじ観音堂までは随分と距離があるように思っていたが、まっすぐ向かうと意外と近くて僅か数分の距離であった。

駅に戻ってきて時刻表を確認すると、次の列車までは30分近くある。そこで駅に併設された総合案内所の一角にある、無料休憩所へと向かった。ここにはテーブルとイスが設置されており、冷房の効いた涼しい中で休む事ができるのだ。

ここではコーヒーやココアが100円で提供されており、カップラーメン程度なら食事をする事も可能であった。そんなに安いなら飲んでみようとレジに向かうと、150円でアイスコーヒーもあるそうなので迷わずアイスコーヒーに変更する。セルフと書いてあるのだが、レジのおばちゃんが全部やってくれて、セルフだったのはテーブルまで運んだ事くらいである。

アイスコーヒー

冷房の効いた中でアイスコーヒーを飲むと、一気に汗が引いていくのを感じる。他にお客が居ない事もあり静かで居心地が良いので、テーブルに置いてある満開のサギ草や、豊富に取り揃えられている土産物類を眺めて時間を潰す。

いよいよ列車の時間が迫ってきたので、閑散としたホームに向かい列車を待つ。向かい側の米原・京都方面ホームは賑わっており、敦賀方面との需要の差がよくわかる。まあここから先はどんどん山の中へ入っていくから当然といえば当然か。

乗車するのは近江塩津行きの普通3440Mで、ホームも空いているが車内も空いていた。

近江塩津行き 3440M (X-T1 + XF35mm F1.4R)
近江塩津行き 3440M

木ノ本きのもと

  • 所在地 滋賀県長浜市木之本町木之本
  • 開業 1882年(明治15年)3月10日
  • ホーム 2面3線
完乗状況の路線図
木ノ本駅舎 (X-T1 + XF35mm F1.4R)
木ノ本駅舎

この駅も新しい橋上駅舎になっており、いかにも観光地の玄関口といった佇まいをしている。ホームから階段を上がると、2階部分に改札やみどりの窓口といった駅機能が入っていた。

思いの外大きな駅舎の1階部分には、観光案内所やふれあいステーションが同居していて、農産物や土産物の販売、それにレンタサイクルの貸出しも行われている。農産物などは地元客の利用も多いのか1階部分は賑わっている。

木ノ本の駅舎内

新しい駅舎周辺のホームは、同時に整備したと思われる新しい上屋や、冷房の完備された待合室が設置されていて近代的になっている。しかしホームを歩いていると途中から、昔ながらの古レールや木材を組み合わせた上屋に変わって、何だか対照的だ。でもこちらの方がなんだか落ち着く。

木ノ本駅のホーム上屋

この新しい駅舎は旧駅舎の北寄りに作られており、旧木ノ本駅舎はそのまま「きのもと まちの駅」として活用されていた。周辺はタクシーの営業所や小さな商店が立ち並び、昔ながらの駅前感が漂っている。この駅舎にあのホームとか10年程前までは昭和感がたっぷりの駅だったんだろうなあ。

旧木ノ本駅舎 きのもと まちの駅

どこへ行こうか駅でパンフレットを見ると、さすが観光地だけあって沢山用意されており、細かい所まで入れると本当に沢山の見所があって迷う。

とりあえず近場の有名所としては「北国街道ほっこくかいどう 木之本宿」と「木之本地蔵院」辺りになるようだ。他にも賤ヶ岳しずがたけがリフトを使って気軽に頂上まで登れ、琵琶湖と余呉湖が眺められるとあって行ってみたい気がする。

北国街道 木之本宿

まずは駅からすぐ近くにある北国街道を目指し、古びた商店や民家に囲まれた路地を歩く。暑くてじきに汗が滲み始め、騒々しいセミの声が暑さを助長させる。静かな高月とは随分対照的な騒がしさだ。

10分も歩くと、うだつの上がる建物が並ぶ通りに出て、道端の石柱からここが北国街道である事がわかる。かつては道路中央に川が流れ、並木が続いていたそうだが、今は代わりに電柱が立ち並び、電線が空を覆っている。

木ノ本宿

通りを歩いていると歴史を感じさせる古い建物がある一方で、普通に生活している民家があったりと、単なる観光用の場ではない事がわかる。それだけに交通量の多さや人の出入りから、ゆっくり見て回るには落ち着かない所でもある。

旧本陣跡という本陣薬局の前にくると、古い薬の看板がいくつも下げられていて、やはりこういう古いものの前では足が止まってしまう。ちなみにこちらの薬局の第22代竹内五左衛門という方が薬剤師第一号なんだそう。

薬の看板

すぐ目の前には七本鎗しちほんやりの冨田酒造があり、軒先に吊るされた杉玉を間近に見る事ができる。杉玉というと高い位置にある物ばかり見てきたので、こういう低い位置にあるのは何だか新鮮に感じる。

軒下の杉玉

木之本地蔵院きのもとじぞういん

ぶらぶらと木之本宿を歩いてから、同じ街道沿いにある木之本地蔵院に入ってみる。正式な名前は浄信寺じょうしんじというお寺だが、木之本地蔵院の方が一般的なようだ。

街道から緩い階段を上がるとすぐ目の前が本堂(地蔵堂)で、境内には高さ6メートルで日本一の大きさという地蔵菩薩の銅像が立っている。

木之本地蔵院本堂

まずは手水舎に立ち寄ると、水の出る水口が蛙になっていて何ともユニークだ。ここはお地蔵様の他に「身代わり蛙」として蛙も有名で、あちこちで蛙を見かけた。

手水舎のカエル

まずは本堂に立ち寄り参拝を済ませてから、境内の奥にある阿弥陀堂などを見て歩く。

意冨布良神社おほふらじんじゃ

近くには意冨布良神社という比較的大きな神社があるので向かってみる。暑さに参りつつ歩いていると、自転車に乗った中学生位の子供が挨拶をして通り過ぎていった、ダラダラ歩いているこちらと対照的にしっかりしている。

神社の前にはなかなかと見事な太鼓橋があり目を引く存在となっている。当然ながら渡る事はできないので隣の道路を通るが、道路と太鼓橋がくっつきすぎて景観的には微妙な事になっている。

意冨布良神社

太鼓橋の後ろにある一の鳥居を抜けると木立に囲まれた長い参道が続く、ここは春は桜、秋はもみじの名所になっているそうで、そういう意味では一番微妙な時期に来てしまったのかもしれない。

意冨布良の読みが未だにわからず居たのだが、参道沿いにあった由緒が書かれた石碑に「おほふら」と書かれていて解決した。読みがわからないと道を尋ねるのにさえ困ってしまう。

拝殿に向かう石段の手前に手水舎があり立ち寄ると、ここは水口が亀になっていた。亀である由来はよくわからなかったが、蛙に亀となかなか面白い。

拝殿の周囲にはいくつもの摂社や末社が立ち並んでおり、一通り回っていると珍しく他の参拝者に遭遇した。北国街道沿いとは対照的にここはとても静かで落ち着く。

意冨布良神社の拝殿

つるやパン

気がつけば14時も回り空腹感が出てきたので、木之本地蔵院のすぐ目の前にある「つるやパン」に向かう。ここはテレビ等で取り上げられて有名なサラダパンのお店で、一度食べてみたかったので味見がてら昼飯用として買ってみる。

店内に入ると次から次へとお客さんがやってきてはサラダパンを買っていく。中には数も数えずガバッと両手で抱えて山のように買っていく人も…。そんなに買ってどうするのかとツッコミたくなる量だ。

つるやパン

自分はサラダパンとサンドウィッチを1つずつ購入したが、皆さん大量に買うから1つだけ買うのが何だか気が引ける。

これを賤ヶ岳しずがたけで食べようかと思って歩き始めたのだが、時計を見るともう15時近くで微妙な時間である事に気がつく。何せリフトの営業時間は17時までなので、今から向かっても山頂で忙しく折り返して終わりそうだ。迷ったが賤ヶ岳はまた今度にして駅へ引き返した。

駅の待合室で食べようかと思いきや、駅舎1階にある待合室では、腹を出したおっちゃんがベンチで寝ており微妙…。幸いにしてホームの待合室も冷房が効いていて涼しく、高月と同じく下り線は貸切り状態なのでこれは都合がいい。

まずはサラダパンだ。名称からしたら普通にサラダが入っているかと思ってしまうが、マヨネーズ&たくあんという一瞬「えっ?」と思う組み合わせである。恐る恐る食べてみると単なるマヨネーズパンかという位にマヨネーズの味が強く、たくあんの風味は殆ど感じない。普通にコリコリ感のあるマヨネーズパンという感じであった。

サラダパンとサンドウィッチ

これが結構食べごたえがあったのと列車の時間が迫ってきた事もあり、サンドウィッチは後にして列車に乗り込む。近江塩津行きの普通3464Mで車内は相変わらず空いていて快適だ。

近江塩津行き 3464M (X-T1 + XF16mm F1.4R)
近江塩津行き 3464M

余呉よご

  • 所在地 滋賀県長浜市余呉町下余呉
  • 開業 1957年(昭和32年)10月1日
  • ホーム 1面2線
完乗状況の路線図
余呉駅舎 (X-T1 + XF16mm F1.4R)
余呉駅舎

列車から降りると「えっ?」と思う程に幅の広いホームがあり、さらにホームから駅舎へは跨線橋や地下道ではなく、線路上を横断する構内踏切があるのが面白い。最近はローカル線ですら殆ど見かけないのに、この幹線上に残っているのが何だか不思議でもある。

構内踏切

駅舎に入ると委託ではあるが有人駅で、レンタサイクルの貸出しも行っている。入ってはみなかったが観光案内所も同居しているようで、このあたりの駅は規模の違いこそあれ、観光に必要なものは同じように揃っていて好印象。

意外と沢山の下車があったので駅舎内は賑やかだったが、まもなくどこかの宿の送迎車が現れ、去ってしまえば後は窓口のおっちゃん1人だけとなった。

余呉湖よごこ

まずは駅前の観光案内板を見ると、駅からも見える余呉湖がこの辺りのメイン観光地と言って良さそうだ。湖の周囲を一周する道路があるので、レンタサイクルで走ったら楽しそうな所である。

細かく見て歩けば色々とあるのだが、高月と木ノ本で長居をしたため既に16時も近くなっており、近くにある余呉湖に向かう事にする。

余呉湖と田んぼ

余呉湖の周囲は田園と山に囲まれており、一面に広がる緑が美しい。途中で湖へと向かうあぜ道に入ると、足を進める度にポチャポチャとかえるが田んぼに飛び込む音がして何だか懐かしい。

まもなく湖畔に出て、穏やかな湖面を眺めつつ周囲を歩いて回る。

余呉湖

湖沿いにどこまでも歩けるのかと思ったら、残念ながらそんな都合の良い道はなかった。案内板にあった湖を一周する道路は、もっと内陸側を通る車道の事だったようである。でも湖の奥は山が迫っているから必然的に湖の近くを走れそうではある。

近くの湖畔に建つ余呉湖観光館に向かってみるが、これがすぐ近くに見えているのに、湖沿いに進む道がない上に施設との間には余呉湖に流れ込む水路があったりと、一旦湖岸から離れて大回りして向かう事になった。

暑い中を歩きまわったので、観光館で冷たいものでも食べて休憩するかと思ったのだが、到着とほぼ同時に中からおばちゃんが出てきて、無情にも営業中の札を準備中にひっくり返してしまった。

余呉湖観光館

あまりのタイミングの悪さにガックリしつつも、観光館がある位だからきっと景色の良い場所なのだろうと、気を取り直して周辺散策に切り替える。しかしこの辺りは木々に遮られて視界がイマイチであり、結局何をしに来たのかよくわからないままに駅へと引き返した。

駅に戻り待合室に入ると、駅員のおっちゃんが風鈴を吊り下げる作業をしている。待合室もキレイに清掃されているし、有人駅というのはいいものだ。

いつもと逆のホームに来たから乗りそこねた駅員に言っている人を横目に、再び構内踏切を渡ってホームに向かう。ここ複線な上に上下線は繋がってないから逆のホームに来るとかありえないような…と思いつつホーム上の待合室に入ると、意外にもクーラーが効いていて涼しい。

余呉駅ホームと待合室

この辺りの駅は利用者数に関わらずどこも設備が充実していて快適だ。

次の列車は近江塩津行きの普通3472Mで、車内も程よく空いているので余呉湖側に席を取り、車内からも余呉湖を眺めつつ先へ進む。

余呉駅に入線する3472M

いくつかトンネルを抜け、左手から湖西線が近づいてきたらもう近江塩津だ。

近江塩津おうみしおつ

  • 所在地 滋賀県長浜市西浅井町余
  • 開業 1957年(昭和32年)10月1日
  • ホーム 2面4線
完乗状況の路線図
近江塩津駅舎 (X-T1 + XF16mm F1.4R)
近江塩津駅舎

近江塩津は米原から湖東を北上してきた北陸本線と、京都から湖西を北上してきた湖西線の合流する地点にある。この辺りを普通列車に乗っていると乗り換えで降り立つ事はあれど、駅から出てみるのは今回が初めてだ。

構内は二つの幹線が離合するだけに両線の重厚な線路が並び、特急列車や貨物列車が勢い良く走り抜けていく。立地的に規模だけは大きいが周囲は山に囲まれた緑あふれる場所であり、利用者は見るからに少なそうである。

ホームから駅舎へは狭く年季の入った地下道で結ばれているが、駅舎の方がホームより低い場所にあるので、階段を降りるとそのまま上がる事なく駅舎へと入っていく。

ホームと駅舎を結ぶ地下道 (X-T1 + XF16mm F1.4R)
ホームと駅舎を結ぶ地下道

駅舎は古民家風の新しい駅舎で、小さな待合室やトイレに加えて窓口まであった。もっとも窓口の方は時間が遅すぎたかシャッターが下ろされていて人気はない。ここにもレンタサイクルが用意されていたけど、ここで借りた人は一体どこへ向かうのだろうか。

駅前には少ないながらも民家や田畑が点在していた。のどかな農村風景かといえばそうでもなく、目の前を国道8号線が横切っているため次から次へと大型車が姿を現す。さすがに一桁国道だけあり交通量が多く騒々しいのだ。

琵琶湖を目指して

まずは恒例の観光案内板チェックをすると周辺には特別に見どころはなかった。行こうと思えば何かしらはあるという程度である。それならば滋賀県で最後の駅なのだから見納めとなる琵琶湖まで行ってみることにした。塩津は琵琶湖北端にいくつかある港の一つで、江戸末期までは北陸から山を越えて運ばれてきた物資の船積み港として賑わった地である。

目の前の国道はいくら歩道があるとはいえ歩きたいような道ではないので、ひとつ奥の通りから歩いて行く。旧街道なのかウネウネと住宅や田畑の中を進む狭い道で、見た目だけでなく静かで歩きやすくこれはいい。

近江塩津の町中を走る道路

このまま琵琶湖まで行けたらいいなと思ったのも束の間、すぐに国道に合流してしまい、他に道路も見当たらないので仕方なく国道から進む。脇を走り抜ける大型車の走行音と風圧に加えて、頭上を走る北陸本線には轟音を上げて列車が行き交い落ち着かない道である。

行けども行けども琵琶湖は見当たらず山の中。いい加減に疲れてきた所でタイミングよく国道沿いを流れる小さな川の畔に休憩所が現れた。テーブルやイスは苔や汚れで座りたい状態ではなかったが、階段があり川辺まで降りられるようになっていたので川辺で休憩した。

川沿いのベンチとテーブル

琵琶湖までどの位の距離が残っているのか地図を確認するが、どうも思っている場所と実際に居る場所が合わなくておかしい。何がどうなっているのか瞬時には判断できず頭が混乱してしまったが、大変なことに気がついてしまった。これはどう考えても逆方向に歩いてきているではないか。

どうりで琵琶湖どころか山が深くなるばかりな訳である。思い返してみるとホームから駅舎へ向かう時に、想像していたのと逆側に駅舎があって、一瞬変だなぁと思った事を思い出す。自分の頭のなかにある地図と、実際に駅舎のある側が逆だったのに、頭のなかの間違った地図をそのまま利用して歩いていたのだ。

ここまで来て引き返す気にはならないし、そもそも日没が近い現状ではそんな時間がない。そこで急遽駅前の案内板で大きく描かれていて、少し興味を持った下塩津神社に行き先を変更する事にした。これは下塩津神社へ行けという導きだと思う事にしよう。

下塩津神社

少し国道を戻ると北陸本線の下を潜る道路が分かれており、入り口にバス停がある事からこの奥に集落がある事が想像できる。地図を見るとやはりここが、目的地である集福寺しゅうふくじ集落へと向かう道路だ。

国道と分かれ緩い上り坂を進むとまもなく家々が見え始め、これが小さな沢沿いに元茅葺きだったと思われる家や土壁の家、土蔵等が立ち並び、沢を流れる水の音と相まって、どこか懐かしさを感じさせる雰囲気の良い集落だった。

集福寺集落

入り口から想像したよりずっと大きな集落で、国道から集落への入口部分にバス停があったのも納得だ。住宅の建ち並ぶ中を奥へ奥へと進んでいき、集落の終点あたりに目的の下塩津神社があった。参道脇には水量の豊富な小さな水路が流れ、その滔々と流れる音がたまらない。

下塩津神社の鳥居

大きな木に囲まれた雰囲気は良いのだが、拝殿はなんだかシャッターに囲まれていて、見た目的には果てしなく微妙な外観となっている。

下塩津神社の拝殿

参拝をした後は境内にある五輪塔を見学してから帰途につくが、列車の時間が迫っているので小走りに駅へ向かう。せっかくのんびり歩いて汗も引いてきていたのに、駅に到着する頃にはまた汗だくになってしまった。

エピローグ

完乗状況の路線図

最後の列車は新快速の播州赤穂行きで、福井県の敦賀から兵庫県の播州赤穂まで4時間もかけて走る列車だ。敦賀からの乗客で最初から混雑気味なのに加え、ここ近江塩津でも結構な乗車があるため、相席にならない程度に殆どの席が埋まってしまった。

播州赤穂行き 3523M (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
播州赤穂行き 3523M

近江塩津ではすっかり日が暮れていたが、木ノ本から先の平野部では真っ赤な夕日を眺める事ができた。そしてその辺りからは1駅進むごとに混雑が激しくなり、満席で立ち客も出るような状態で米原に帰ってきた。

(2016/08/03)

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