飯田線 全線全駅完乗の旅 3日目(豊川〜長山)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2023年3月8日、午前7時をまわったばかりの豊橋駅は、黒っぽい服装に白っぽいマスクの集団でごった返していた。いわゆる通勤通学のラッシュタイムである。これを避けるために1時間ほど遅くから行動したかったけど、今日は三河富士こと本宮山に登る予定なので、あまり遅くから出発するのはまずいと早めにやってきた。

人波に逆らいながら飯田線ホームに向かうと、ちょうど当駅止まりの列車が到着したところで、よくこれだけ詰めこんだものだと思うほど人が降りてくる。乗車するのはこれの折り返しとなる7時32分発の本長篠行きだ。

さっそく乗車しようとしたところで、山に登るというのに飲み物を用意していないことに気がついた。道中に自販機くらいありそうだけど、ないと大惨事なので慌てて売店で麦茶をまとめ買いしてから乗りこむと、早くも座席が埋まっていたのでドア脇に立つ。手に提げた麦茶を詰めこんだリュックが指に食いこんで痛い。

普通列車の本長篠行き507M。
普通 本長篠行き 507M

動きだした列車は下地、船町、小坂井と丹念に停車していくが乗降はほとんどない。豊川でまとめて降りてしまうにちがいないと想像するが、豊川では降りるよりも乗ってくるほうが多くてさらに混雑が酷くなった。皆どこまで行くのだろうかと思う。

座ることもできないまま目的地である三河一宮に到着すると、乗客の大半を占めていた高校生の多くが一斉に降りていく。思いがけず目的地は私と同じだったのだ。落ちついてから地図を開いてみると近くに高校があることに気がついた。

三河一宮みかわいちのみや

  • 所在地 愛知県豊川市一宮町
  • 開業 1897年(明治30年)7月22日
  • ホーム 2面2線
路線図(三河一宮)。
三河一宮駅舎。
三河一宮駅舎

台地上に敷かれた線路と国道沿いに住宅や商業施設がひしめき、それを取り巻くように農地がひしめく、都市とも農村とも異なる地方の町らしい景観が広がっている。平成の大合併で豊川市に編入されるまで約100年にわたり一宮村や一宮町を名乗っていたところで、町名や駅名が教えてくれるように三河国一宮の最寄り駅である。

高校生の波に引きずられるように降り立つと、無人駅のようでホーム上では車掌が2人がかりで定期券に目をやっていた。車掌が2人も乗っていたからなんだろうと思っていたけど、この混雑を捌くためだったかとひとり納得する。全員が降り去ったところで車掌が「はいどうぞ」と声をあげ、ホームで待機列を作っていた高校生が乗りこんでいく。乗り降りどちらの高校生も多くて、予期せぬ通学ラッシュに巻きこまれてしまった。

三河一宮駅ホーム。
下りホーム待合所。
 三河一宮駅ホーム

列車と高校生の去った下りホームから、向かいの上りホームに目をやれば、絵に描いたような昔ながらの木造駅舎があるほか、三河国一宮の案内標柱が立ち、豊橋行きを待つ人たちの姿がある。無人駅とは思えないほど利用者を目にする駅である。

跨線橋を渡って駅舎に向かい、三河国一宮の記された名所案内板を横目に、改札口を通り抜けて待合室に入った。建物は古そうだけど一宮の玄関口だけあって、内外装ともに社務所としても使えそうな姿に美しく改装してあり、室内が広いこともあって居心地はいい。委託駅員くらいいても不思議ではないけど、窓口は味気のない合板で完膚なきまでにに塞いであり、無人化されてかなりの歳月が流れているようであった。

改札口と窓口。
待合室に掲げられた絵手紙。
改札口と窓口

駅舎を出ると正面に廃業したらしき食堂と喫茶店がある。辺りにはまだ営業している店舗もあるけど、人通りの乏しさやタクシー営業所の廃墟など、そこはかとなく寂れた空気が漂っている。ホームでは随分と活気のあるところだと思ったけど、駅舎から駅前へと足を進めるにつれ、ローカル線ではおなじみの活気なき印象に変わっていった。

砥鹿神社とがじんじゃ

この駅ではどこに行こうなどと考える必要はない。駅名に一宮の文字が含まれていれば近くには十中八九に一宮があり、そのような格式高い神社があるならば参拝しないという手はないからだ。駅名の時点で行き先は決定しているのである。

駅から東に数分ばかり宅地を歩き、往来はげしい国道を横断して、樹林に囲まれた閑静な社地に入りこんでいく。三河国一宮の砥鹿神社である。

大型バスでも並べられそうな駐車場や、結婚式や七五三の案内板、大柄な参集殿などを横目に参道を進み、明るく開けた拝殿前で足を止めた。人影はなくひっそりしている。掃き清められた空間にひとり佇み、朝日に照らされた端正な拝殿と向かい合っていると、気持ちが引き締まると同時に安らぐものがあった。

砥鹿神社拝殿。
拝殿に掲げられた扁額。
砥鹿神社拝殿

神門・絵馬殿・境内社などをめぐっていると、本宮山奥宮の遥拝所と記された一角があり、小さな鳥居と賽銭箱が置かれていた。本宮山とは北に約6kmのところにそびえる山で、砥鹿神社はふもとに置かれたこの里宮と、山頂に置かれた奥宮からなっているのである。両社は親子のような兄弟のような切っても切れない関係ではあるけど、取り巻く樹林にさえぎられ、境内から奥宮のある本宮山ほとんど目にすることはできなかった。

神門に掲げられた田原凧。
神門に掲げられた田原凧

砥鹿神社は台地上にあるため全体に平坦なのだが、台地の縁に接しているため東端だけは草木の茂る斜面になっていて、そこにしめ縄の巻かれた凛々しいケヤキがある。砥鹿神社の大ケヤキとして県の天然記念物にも指定された巨樹である。

樹齢600年と推定される姿はいいものだけど立地はあまりよくない。ちょうど台地の上下を結ぶ狭い道路脇にあるため、必然的に道ばたから見上げることになり、背中をかすめるように車が走り抜けていくのだ。ガードレールがあるため近づくこともできず、巨樹とは落ちついてじっくり向き合いたいけどそういう環境ではなく、軽く見上げたらさっさと切り上げる。

砥鹿神社のケヤキ。
砥鹿神社のケヤキ

最後に思うところあって境内裏手にまわりこむと、期待通り開けた農地になっていて、なだらかに裾野をひく本宮山を見渡すことができた。仰ぎ見るだけなら駅からでもできるけど、里宮から奥宮を眺めておきたかったのだ。飯田線の旅をはじめるまでは気にもとめなかった山だけど、豊橋の吉田城跡を皮切りに幾度も目にしてきたうえ砥鹿神社によるつながりもでき、いまでは顔なじみのような親しみ深い存在となった。

次に向かう長山駅はふもとから奥宮へと通じる表参道の最寄り駅なので、本宮山の登頂がてら奥宮にも参拝してくるつもりだ。

時刻はすでに9時をまわっていて山に登るにしては遅めなので足早に駅に向かい、待合室に掲げられた時刻表に目をやると、ちょうど9時28分発が出たところで次は10時30分までなくて愕然とした。ここまでの飯田線は待つほどもなく列車がやってきたのですっかり油断していたが豊川を境に本数が半減していたのだ。1時間も待ちぼうけのうえ登山開始が昼近くになるかと思うと、事前に時刻を確認しておかなかったことが悔やまれた。

神社裏手から望む本宮山。
神社裏手から望む本宮山

嘆いたところで状況は変わらないので、この1時間を有効に使おうと気持ちを切り替え、東に1.5kmほどのところにある「大和の大いちょう」を訪ねてみることにした。駅前の観光案内板にも描かれた巨樹である。気にはなりつつも登山になるべく多くの時間をまわすため諦めていたのだが、旅とはなにが起きるかわからないものである。

距離と残り時間を勘案すると1分とて無駄にはできず、焦る気持ちにせっつかれながら砥鹿神社の前を横切り、さっきもここまできたのにと大ケヤキをちらりと見上げて先を急ぐ。田畑のなかに家屋の散らばる落ちついた景色に変わってきたけど、時計と地図が気になり気分はまるで落ちつかない。

沿道のキャベツ畑。
沿道に立つ通学路の標識。
沿道のくたびれた家屋。
大和の大いちょうへの道のり

早歩きに20分ほどで到着した大和の大いちょうは、もともと小学校の校庭だったという遊具の置かれた広場を見守るように、大きく枝を広げて立っていた。新緑や紅葉ともなれば鮮やかで見応えありそうだけど、肝心の葉がない季節なので少々寂しい。

隣接する保育園では庭で遊戯をしていて賑々しい。黄色い葉がないのを埋め合わせるように黄色い声で満たされている。そのおかげで目には枝ばかりで寒々しいものがありながら、気持ちのほうは暖かくなるものがあった。

大和の大いちょう。
大和の大いちょう

砥鹿神社の大ケヤキとはちがい、じっくり向き合える環境だけど、こんどは時間が押していてそれどころではない。数分ばかり見上げたら小走りに引き返す。

汗を浮かべながら駅舎を通り抜け、息を弾ませながら跨線橋を上がり下り、ホームに立つとまもなく列車がやってきた。本宮山に登るまえから疲れてきて先が思いやられる。

車内はほどよく席が埋まっていて、楽々座れるけど空気輸送でもない、ちょうどいい乗車率であった。本宮山を眺められる進行左側に座りひと息つく。ホーム上では車掌のところに降りた数人が並んでいてなかなか発車しない。精算に手間取っているようだ。跨線橋を駆け上がるほどでもなかったなと思う。

普通列車の新城行き517M。
普通 新城行き 517M

駅を抜け出した列車は、子どもたちで賑やかな小学校の校庭をかすめ、宅地や農地のなかを走り抜けていく。流れる屋根越しには本宮山がどっしり構えている。山というのは距離的にはさほどでなくても、ふもとから見上げるとはるか遠くに映るもので、じきに昼になるというのにあんなところまで登れるだろうかと見つめる。

長山ながやま

  • 所在地 愛知県豊川市上長山町
  • 開業 1899年(明治32年)10月19日
  • ホーム 2面2線
路線図(長山)。
長山駅舎。
長山駅舎

豊橋からつづいてきた町並みと田園からなる広大な平野が、畑や果樹園のなかに家屋が散らばる裾野の景色へと変わりゆくところである。町のような賑わいはないが、山間部のような森閑さもない、眠くなるような穏やかな景色が広がっている。

日中の利用者などなさそうな静かな駅だけど、意外にも若い女性の2人連れと、おじさんが1人降りた。駅舎があるのは線路の向こう側なのだが、跨線橋も地下道も見当たらないため、女性たちは車掌に出口がどこなのか尋ねている。どうやら地元の人ではないようで、いったいどんな目的でこんなところにきたのかと思う。同時に私もそのような目で地元の人たちから見られているのだろうなとも思った。

長山駅ホーム。
ホーム駅名板。
長山駅ホーム

列車と降車客が去って誰もいなくなった下りホームから、ホーム端に設けられた小さな踏切を経由して、駅舎のある上りホームに移動する。ローカル線の旅では当たり前の光景として気にも止めていなかったけど、都市部ではまず目にすることのない移動方法だけに、はじめて目にしたら戸惑うのかもしれない。

駅舎はいかにも平成生まれという新しいコンクリート造りの小さなものだった。長方形の片側だけが三角に尖り、中央付近には斜めに屋根上にまで立ち上がる壁がある。どういう意味があるのか風変わりなデザインだけど、近くを流れる豊川が舟運で賑わったという歴史から想像するに、帆掛け船をイメージしたものかもしれない。

上下ホームを結ぶ構内踏切。
上下ホームを結ぶ構内踏切

上り列車を待つ親子連れで賑やかな駅舎内は素通りして駅前に出る。そこは豊川に向けて落ちていく緩やかな傾斜地で、商店だったらしき自販機の並ぶ建物とコミュニティバスの停留所があるほかは閑静な住宅地となっていた。

この景色からは信じられないが飯田線がまだ国有化される以前の昭和初期には、この辺りに小さな遊園地があったという。経営の厳しい地方私鉄であった豊川鉄道が乗客誘致のために建設したという話だ。太平洋戦争がはじまると遊んでる場合ではなくなり、食糧増産だということで開墾され、戦後は宅地化されていまに至っている。

本宮山ほんぐうさん

東三河地域から広く望むことのできる本宮山は、標高は789mで格別のものではないが、三河富士と称され親しまれてきた山である。三河国一宮である砥鹿神社の奥宮が鎮座する信仰の山でもある。私にとっては飯田線の旅をするなかで幾度も仰ぎ見てきた馴染みの山だ。

信仰の山として、眺望の山として、古くから多くの人々に登られてきた山だけに何本もの登山道がある。本宮山スカイラインを利用して車で山頂部まで達することも可能だ。長山駅はそれらのなかで、奥宮を経由して山頂に達することができる、表参道とよばれるコースの最寄り駅なので、登ってみるつもりで食料や飲料をリュックに詰めてきた。砥鹿神社は里宮に参拝したので奥宮にも参拝したかったので都合がいい。

果樹園や家屋の散らばる緩やかな傾斜地を上っていく。駅近くで立ち話をするおばさんを目にしたほかは誰にも出会わない。車すらも通らないので歩きやすい。独特の甘い香りを漂わせるミツマタが春を演出しているが、高い気温と強い日差しに汗がしたたり夏のようだと思う。

ミツマタの花。
沿道のカーブミラー。
沿道に広がる果樹園。
登山口への道のり

騒々しい国道を横断すると、ウォーキングセンターなる本宮山登山の拠点のような施設があり、涼しい休憩室があったので持ってきたパンを頬張る。併設された駐車場には20台くらいの車が並び、下山してきた人たちがくつろいでいるなど、平日らしからぬ賑わいに人気の山であることが察せられる。それを裏付けるようにたくさんの忘れ物が集め置かれていた。

ベンチや杖の用意された登山口までくると、砥鹿神社奥宮の鳥居があり、くぐり抜けると参道を兼ねた登山道がはじまった。時刻はまもなく12時になろうとしていた。

登山口に用意された枝を利用した杖。
登山口に掲げられた火の用心の看板。
本宮山登山口に立つ砥鹿神社奥宮の鳥居。
本宮山登山口

登山道は広くなだらかで歩きやすい。手入れは行き届き、長い歳月と無数の人々によって踏み固められ、まるで街道の峠道のようだと思う。

スギやヒノキといった植林地と、冬でも落葉しない照葉樹林が目立ち、芽吹きの季節には早いけど緑は豊かで木陰はたっぷりある。尾根筋なので風が勢いよく吹き抜けていく。夏のように暑かったふもとよりはるかに涼しく快適だ。

朝に登りはじめた人たちが下山してくる時間のようで、数えきれないほどの登山者とすれちがう。平日とあって子どもはいなかったけど若者から老人まで年代は幅広い。単独もいれば夫婦やグループもいる。ほとんどの人は登山装備で身を固めていたけど、なかにはペットボトルを手にしただけの、近所を散歩するような出で立ちの人もいた。

歩きやすい登山道。
歩きやすい登山道

二丁目と刻まれた標柱があり、ほどなく三町があり、つづいて四丁目が現れた。表記にばらつきがあるけど奥宮までの道標として立てられた町石にちがいない。風化したものから作り替えられているようで、側面に刻まれた文字によると江戸時代らしきものから近年のものまで新旧様々だ。古くからの信仰の道であることが伺える。

町石は約109m間隔なのでどれだけ歩いてきたかが分かる。同時に奥宮までの距離も分かるのでこれはいい目安になると思ったけど、そもそも奥宮まで何町まであるのか知らないから、なんの目安にもならないことにすぐ気がついた。

四丁目の町石。
点在する町石

まったく眺望のない樹林帯がつづくけど、十一町の鶯峠という看板の立てられたところは、わずかながら切れ間があった。どうという眺めではないけど吹き抜ける風が気持よく、あつらえたようにベンチも置いてあったので数分ばかり足を休めていく。

再び自転車でも走れそうなほど滑らかな登山道を進み、小栗鼠坂や野猿坂という看板を過ぎると、二十一町のところで舗装された林道に出た。道ばたにあるベンチでは爺さんが汗をぬぐっている。暑いねえと軽く言葉を交わして先に進むと、登山道の表情はがらりと変わり、急な階段や岩場が目立つようになってきた。

連続する階段。
連続する階段

二十五町を過ぎると馬背岩や梯子岩と名付けられた、表参道ではひときわ険しい岩場があり、慎重に下りてくる人たちと道を譲り合いながら登っていく。

馬背岩の案内板。
馬背岩

根も張れないような露岩だけに明るく開けていて、岩場を登りきった辺りは東屋のある展望地として整備されていた。ふもとから約1時間が経過しており、地図上では大体の中間点でもあるので、リュックを下ろして羊羹をかじりながら小休憩をとる。背中はすっかり汗だくで吹き抜ける風でひんやりする。

展望案内図には豊橋や豊川といった市街地に、豊川稲荷や砥鹿神社といった寺社、彼方に浮かぶ篠島や日間賀島まで描かれている。眺めのいいことは分かったが、霞が酷すぎて図と比較しながら目を凝らしても、なにがなんだか分からなかった。

展望台からの眺望。
展望台からの眺望

リュックを背負うとまた植林地に飲みこまれて眺望はなくなった。猪駆坂・山姥坂・風越峠といった看板に由来を想像しながら黙々と足をあげる。眺望はないけど大小の石がごろごろ積み重なり、木の根が絡み合う、荒々しくも美しい道がつづく。

三十六町までくると自然石を並べた長い石段があり、行く先を見上げれば石造りの鳥居が口を開けている。石段の材料は付近から集められそうだけど、鳥居はこんなところによく作ったものだと思う。鳥居の傍らには「是より砥鹿神社境内」と記した札が立てられていた。

山火事防止の啓発看板。
石の積み重なる登山道。
江戸時代の元号が刻まれた三十六町石。
荒々しい道がつづく

どれがそれなのか分からなかったが、山姥の足跡という案内板の立つ岩場を過ぎると、ほどなくして林道に出た。仕方がないとはいえ労して登ってきたところに舗装道路があるのは興ざめするものがある。

しばらく舗装路をゆくと再び登山道があり、自然石を丹念に並べた石段を登っていくと、お清水という冷たい湧水があった。奥宮の手水舎になっているようだ。下りてきた傘寿も近そうな男性グループが喉をうるおし水筒に詰めている。

辺りには太いスギが何本も立ち並びはじめ神聖な雰囲気になってきた。疲れてきたので足を止めては、そろそろ奥宮かなと見上げるけど、それらしきものは見当たらない。町石の数字はもう四十三にまで積み上がっている。

スギの巨樹が立ち並ぶ登山道。
巨樹の並ぶ登山道

果てなくつづくかのような自然石や丸太で組まれた階段を登り、四十八町までくると銅板で巻かれて緑青色をしたこれまでと毛色のちがう鳥居があった。立て札には「是より砥鹿神社第一神域」と記してある。くぐり抜けると天の磐座という岩のほかに、境内社だろう荒羽々気あらはばき神社のこじんまりした社があり、いよいよ参道も煮え詰まってきた感あがる。

荒羽々気神社。
荒羽々気神社

常夜灯や八柱神社を横目にさらに登り、五十町を過ぎると、これまでにない加工された石による立派な石段が現れた。一段また一段と足をあげるごとに大柄な社殿がじわり浮かび上がってくる。掲げられた扁額には砥鹿神社本宮の文字。奥宮の拝殿に到着だ。ここでようやく町石が五十町まであったことが判明した。

砥鹿神社奥宮。
石段の先に佇む奥宮

手を合わせたら山頂目指して拝殿脇から境内深くに進んでいく。富士山の遥拝所なるところがあったけど、相変わらず大気は霞んでいてそれらしき影も形もない。眺望のなさからくる残念な気持ちを払拭してくれたのは、樹齢千年というスギの巨樹で、本宮山天狗の寄木と名付けられた見応えのあるものであった。

本宮山天狗の寄木。
本宮山天狗の寄木

奥宮からさらに登ること約10分、山頂を目前にした最後の登りに取りかかる。日当たりがよくてひときわ暑く、朝からの積み重なった疲労に空腹もあってきつい。あと少しだからと休まず登っていくからさらにきつい。

呼吸を乱しながら一気に登りきって14時14分に登頂。数えきれないほどの登山者に出会ったことが嘘のように誰もいない。足もとは土間のように固く踏みならされ、先人がこつこつ積み上げたらしき小石の山と、観光地じみた山らしからぬ簡素な山名板が置かれていた。

広く見晴かせる頂とあって一等三角点をはじめ色々なものが集まっている。なかには八角形で腰ほどの高さのあるコンクリートの柱があり、なにかの残骸だろうかと小さな銘板を読むと天測点でった。天文測量に使用したそうだが実物をはじめて目にした。ほかには通信用の巨大なアンテナ施設があり、必要なものとはいえ少々目障りなものがある。

小石の積み上げられた本宮山山頂。
本宮山山頂

豊橋平野から三河湾までを一望できるという眺望は、黄砂のせいか全体的にぼんやり霞んでいて、曇りガラスを通して眺めているような状況だった。春霞という言葉があるくらいで春らしい眺望といえなくもないけど、豊橋から訪ねてきた各駅を一望できると期待していたので少し残念な気持ちになった。

板切れのベンチが並ぶ休憩地があったので、木陰のひとつに腰を下ろし、リュックからカップラーメンを取り出して湯をそそぐ。自らの足で登ってきた山頂ですするこれは、どんな料理も敵わないほどうまい。

昼食のカップラーメン。
昼食のカップラーメン

腹が満たされ清涼な風に吹かれていると、ひと眠りしたくなってきたけど、思い切って立ち上がり下山に取りかかる。時間があれば別な登山道を利用することも考えていたけど、もうそんな余裕はないので来た道を引き返す。

薄暗くなり人気のなくなった表参道を、寂しいものから逃れるように駆け抜け、1時間ほどで登山口まで下りてきた。ふもとは煌々と西日に照らされていてなんだか安心する。

近くにある温泉施設で汗を流すつもりが休業日だったので、そのまま駅に向けて緩やかな坂道をのんびり下っていく。初夏のようだった暑さはすっかり和らぎ、車がひしめいていた登山者向けの駐車場は閑散として、夕方の気配が漂いはじめている。

駅までくると折よく16時24分発の豊橋行きがやってきた。

普通列車の豊橋行き546G。
普通 豊橋行き 546G

(2023年3月8日)

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