牟岐線 全線全駅完乗の旅 10日目(日和佐〜辺川)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2020年6月30日、明け方の徳島市内は激しい雨のなかにあった。

宿の部屋から薄暗い街路に叩きつける雨を見つめる。風にあおられた雨粒が窓に降りかかり、軒下に吹きこんでいる。傘が役に立つとは思えない降り方だ。それどころか下手したら列車が止まりかねない。

これには布団に戻りたい気分になったが、日程に余裕がないので意を決して宿を発つ。案の定に傘くらいでは足下から濡れはじめた。どうなることかと思っていると、幸いにも駅が近づくほどに雨の勢いは弱まり、列車に乗りこむ頃には小降りになっていた。

徳島駅ホームで発車を待つ、普通列車の海部行き 4523D。
普通 海部行き 4523D

列車は定刻通り5時43分に徳島駅を抜け出した。雨に煙る車窓には、しぶきを上げる車、肌寒そうに傘を手にした学生、鮮やかなアジサイ、梅雨らしい情景が流れていく。

7時9分、日和佐に到着。ここで20分以上も停車して対向列車を待つ。その間に雨脚は強まりはじめ、木々を揺さぶる強風に乗って勢いよく落ちてくる。ホームの水たまりは煮立つようにざわめき、列車の窓や天井から雨音が伝わってくる。登校中の学生からは「帰れるのかな」と不安そうに話し合う声が聞こえはじめた。次の駅で降りる私も他人事ではない。

日和佐駅で徳島行きの特急、むろと2号とすれちがう。
日和佐で特急むろと2号と交換

日和佐を発車すると山間に入りこんでいく。進むほどに人家も農地も希薄になり、左右から山が迫ってきてトンネルに入る。そして抜けた先もまた山のなか。こんな山中で降りて列車運休になったらどうしようかと思っていると、いよいよ到着のアナウンスが流れた。

山河内やまがわち

  • 所在地 徳島県海部郡美波町山河内
  • 開業 1942年(昭和17年)7月1日
  • ホーム 1面1線
路線図(山河内)。
山河内駅ホーム。
山河内駅ホーム

四方を緑あふれる山々に囲まれた、狭い谷間の細流沿い、わずかな平地に軒を連ねる小集落である。家屋は数えるほどしかないが寺社と駅があり、小学校の置かれた時代があるなど、前後に5km以上も駅がない山深い地域にあっては、中心的な所といえそうだ。

席を立ち車内を歩いていると、気のせいか運転士から乗客まで「こんな所で降りるの?」とでも言いたげな視線を投げかけてくる。乗降客はもちろん私だけ。傘を開いて肌寒いなか列車を見送ると、雨音だけの世界になり、なんともいえない取り残された気分になった。

朝だというのに景色は暗くなるばかりで、ホームには照明まで灯りはじめた。暗くなるにつれ強さを増していく雨風に、たまらず待合所に避難する。ところが雨はそれをあざ笑うかのように開口部という開口部から吹きこんできて、ベンチから靴まで湿らせていく。それを防ぐ手だてはなく、どうしたらいいのかと途方に暮れてしまう。

ホーム裏手に残された貨物ホームと線路跡。
ホーム裏手の線路跡
貨物ホーム跡。
貨物ホーム跡

時間だけが刻々と過ぎていくばかりで雨も風も収まりそうにない。どうせ止まないのなら早く動いたほうが得策だとばかり、思いきって傘を開くと待合所を出た。じきに靴やズボンの裾が濡れはじめたが仕方ない。上半身だけでも濡れなければ御の字としよう。

築堤上のホームから十数段の階段を下っていくと、駅舎があったと思われる草地に出た。周囲には電話ボックスや、木材とトタンで作られた古びた駐輪場がある。雨のせいなのか普段からなのか駐輪場はがら空きだ。それでも清掃道具や厚紙にマジックで記した手作り時刻表などが設置されていて、しっかり管理はされている様子だった。

構内には駅舎跡だけでなく、草木の茂る線路跡や放置された貨物ホームもある。いまやホームがひとつあるだけの寂しい駅だが、遠い昔には上下列車が交換したり、貨車に荷物を積みこむ光景があったのだろう。駅員の姿もある賑わいのある駅だったことが偲ばれる。

ホーム下の駅舎跡と駐輪場。
ホーム下の駅舎跡と駐輪場

細々した駅前通りに出ると何軒かの住宅が並んでいる。何かしらの商店だったらしき廃屋もある。ありふれたローカル線の駅前を思わせるが、フランス料理店や天体望遠鏡を載せた山河内天文台など、意表を突くような建物もある。もっとも人の気配はなく、聞こえてくるのは雨音だけという閑散ぶりに、やはりローカル線の駅前だなと思う。

泰仙寺たいせんじ

北に3kmほどの所に標高540mの玉厨子たまずし山がそびえている。地図によると山頂にアンテナ施設があるので、地域全体を見下ろすような山なのだろう。目指すはその中腹にあるという泰仙寺で、四国八十八箇所の23番札所、薬王寺の奥の院である。

そして出発したまでは良かった。すぐに傘がひっくり返るほどの猛烈な暴風雨に襲われ、慌てて引き返してきて駐輪場に転がりこんだ。しかし戸がないので台風の直撃を受けたような横殴りの雨には用をなさない。枝葉が宙を舞い路面を転がる。裏手の桜が折れたのか頭上のトタンが雷のような音を上げる。大変なことになってきたが逃げ場がない。待合所も同じような状況だろうし、駅舎さえあればと思わずにはいられない。あたふたしていると電話ボックスが目に留まり、あれしかないとばかりに走った。

駅近くにある狭い脇道と廃商店。
駅近くの小路

それは通り雨ならぬ通り嵐だったのか、数分もすると小降りになったので改めて出発。すると待ち構えていたように雨が強まりはじめた。餌につられて誘い出された格好だ。再び嵐のようになってきたので、目の前にあった打越寺の軒下に駆けこんだ。

待てど暮らせど雨は収まらない。境内には靴が沈むほどの水たまりができ、それを大粒の雨が叩いてしぶきを上げている。これ以上悪化するようなら帰るしかないが、列車が運行しているかどうかすら怪しい。

進むことも戻ることもできないまま30分が経過したころ、ようやく空に明るさが戻りはじめ、雨音も落ちついたものになってきた。

豪雨の打越寺。
豪雨の打越寺

駅に降り立ってから1時間以上もかけ、ようやく集落を抜け出すと、茶色い濁流に沿って山間に入りこんでいく。歩行者はもちろん車にすら出会わない。樹林に囲まれているせいか風は収まってきたが、雨はたまに激しく落ちてくる。雨宿りができそうな場所はなく、駅も遠くなるばかりで、多少の不安を抱えながら足を進めていく。

心細くなるような道のりにあって、点在する田んぼや人気のある住宅、そして郵便配達員の姿に、なんともいえない安堵感を覚える。

やがて玉厨子山と思しき山容が見えはじめた。山頂にアンテナ施設があれば間違いないのだが雨に煙りぼんやりとしか見えない。揺れるレースカーテンを通して見るようなもので、いくら目を凝らしてもそれを確認することはできなかった。

泰仙寺への道のり。
泰仙寺への道のり
沿道を彩るアジサイ。
沿道を彩るアジサイ

歩き続けること約50分、玉厨子山のふもとにある参道入口に立った。道路脇から山中に向かう狭い階段があるだけで周囲には建物も人影もない。階段上を雨水が小川のように流れ落ちていて、標識がなければそれと気付かないような入口である。

靴を洗われながら上っていくと、すぐに平坦な山道になったが、そこには茶色い雨水が盛んに流れていて、水路と見紛うような状態になっていた。これには唖然としてしまったが、とっくに靴の中までずぶ濡れになっていたので、まあいいかとざぶざぶ進んでいく。

そんな水路のような道はすぐに終わり中腹を目指した坂道に変わった。とても参道とは思えないような細々した山道で、そこを雨水が勢いよく下ってくるからたまらない。うっかり足でも滑らせたら上半身まで濡らしかねない。流れのなかにある石に慎重に足をかけながら登っていく。なんだか沢登りでもしているような気分だった。

本当にこの道でいいのか疑わしいものがある。そんな考えを先読みするように標識や丁石が置いてあり、改めて確信を持って進む具合だ。幸いなのが足を運ぶごとに水量が減っていくことで、10分もするとほとんど流れは消えてしまった。

水の流れる参道。
水の流れる参道

落ち葉の積もる山道を登っていく。雨は小降りになり枝葉からしたたる水滴が静かに音を立てている。人や獣の気配はまるでないが、あちらこちらにサワガニが佇んでいて、近くを歩くと慌ただしく散っていく。しっとりとした静けさに気持ちが安らぎ、ようやく景色を楽しむ余裕が出てきた。序盤と同じ道とは思えないほど落ちついた雰囲気である。

踏み跡は薄くまるで登山道のようだが、埋もれかけた石積みや石段、点在する古びた丁石などが、歴史ある参道だと教えてくれる。昔はもっと歩きやすく整備された道で、往来する人も多かったのかもしれない。

なんどか林道のような未舗装の車道に飛びだす。歩いて登ってきた先に車道があると興ざめなのだが、参道に絡みつくように作られているので避けては通れない。走り抜けていく車に出会わなかっただけでも良しとしよう。もっとも路面には落ち葉が積もっていて、あまり利用されているふうではなかった。

森閑とした参道。
森閑とした参道

そうして参道を登ること約40分、薄暗い樹林のなかに、うらぶれた平屋が見えてきた。谷間で湿り気があるうえ往来も少ないらしく、足元には苔が敷きつめられ、建物の壁面はどことなく緑がかっている。閉めきられた雨戸と生活感のなさが廃屋を思わせるが、表札に泰仙寺方丈と記されていた。そうだろうと思っていたけど無住である。

方丈の先には3〜4人で一杯になりそうな小さな本堂があった。本尊は如意輪観音。同じような佇まいをした大師堂もある。それらの堂宇が新しいのか古いのかは分からないが、周辺にある手水舎の水盤や石灯籠には、文化や文政といった江戸時代後期の年号が刻まれていた。

本堂脇では渓流が涼やかな音を立てている。上流部には折からの豪雨によるものだろう見応えのある滝まである。再び激しさを増してきた雨音や、木々からの雨だれの音も加わり、種々の水音がなんとも耳に心地いい。そんななかに苔むした石垣や、木の根に持ち上げられた石段などがある様は、深山幽谷に潜む古寺の趣である。

泰仙寺の本堂。
泰仙寺 本堂

ここは薬王寺の奥の院であるが、ここにもまた奥の院があるというので、方丈裏手から伸びる山道で谷を詰めていく。奥の院の奥の院とは何が祀られているのだろうか。詳しいことは知る由もないが、薄かった踏み跡がさらに薄くなったことで、訪れる人がほとんどないことだけはよく分かる。道もそこかしこで崩れかけていて心細い。

数分もすると岩石の散乱する谷底に石垣らしきものが見えてきた。その辺りの石を並べたような簡単なものだが階段状に丹念に積み上げてある。こうした石に埋もれて水が流れているらしく、目にする流れは乏しいのに、どこからともなく豊かな水音が湧き上がってくる。あれほどいたサワガニの姿はないが、主のように大きなガマガエルが佇んでいた。

そんな石積みの先には巨岩がどっしり座っている。これの根本が崩れないための石垣なのだろうか。岩の下には寝転がれる程度の空間があり、小さな石祠がひとつと、暗すぎて表情すらよく分からないが何体もの石仏が安置されていた。これより上に道らしきものはなく、どうやらここが奥の院のようである。

泰仙寺奥の院。
泰仙寺 奥の院

それから1時間以上かけて戻ってきた駅は別人のように様変わりしていた。日没を迎えたようだった暗い空は明るくなり、押し倒さんとする暴風はおさまり、叩きつけていた雨はしとしと落ちている。路面に散乱する枝葉や、待合所の剥がれ落ちたポスターがなければ、あの暴風雨は幻だったのではないかと思えるほどの静けさであった。

しかしあれだけ降ったのだから列車が止まっていてもおかしくない。待合所に運行情報を表示する装置があるので、その小さな液晶画面に流れる文字を追っていると、複数線区で運転見合わせと出て少し焦る。しかし具体的な線区として表示されるなかに牟岐線はなく、平常運転ということが分かり胸をなでおろした。

ところが発車時刻の13時9分を過ぎても列車がこない。不穏な気持ちを抱きながら改めて運行情報を確認するが変化はない。どうしたのか不安をつのらせていると、定刻を10分ほど過ぎたところで現れた。その瞬間の安堵感といったらない。

山河内駅に入線する普通列車の海部行き 4541D。
普通 海部行き 4541D

乗りこむと先客は2人だけで閑散としていた。日中の牟岐線でこれだけ空いていたのは初めてだ。路線の末端近くともなるとこんなに少ないのかと思うが、悪天候のなかを出かける人がいないだけかもしれない。理由は分からないが空いていることは確かで、冷房まで効いているのだから文句なしに快適だ。

列車は谷間をさかのぼっていく。細流沿いに住宅や田畑が点在するほかは、なだらかな山々が広がっている。標高は100mほどで大したことはないが牟岐線の最高所だ。もう上れないという所まで谷を詰めたら短いトンネルで峠をくぐり抜け、美波町から牟岐町に入った。

ここから線路は下り坂になり列車は軽やかに進んでいく。まるで景色を逆再生するように谷が開けていき、田んぼや住宅が点在しはじめたら駅は近い。

辺川へがわ

  • 所在地 徳島県海部郡牟岐町橘
  • 開業 1942年(昭和17年)7月1日
  • ホーム 1面1線
路線図(辺川)。
辺川駅ホーム。
辺川駅ホーム

海辺にある牟岐町の中心市街から内陸に3〜4km、開けた山間の土地に、田畑や家屋に木立などが混ざり合うように広がっている。谷底ではいくつもの渓流がせせらぎを奏で、背後には豊かな山林に包まれた五剣山がそびえている。どこが中心地ということもないような、穏やかな山村風景のなかに置かれた駅である。

列車を降りると細かな雨粒が降りかかってきた。海の方角から吹きつける風が運んできているようだ。もっとも小雨なので慌てるほどではない。とりあえずホームなかほどにある待合所に収まり様子を見る。暑からず寒からずで、雨も風も防いでくれて、山河内とは異なりベンチも濡れていないので快適なものだ。

乗降客は私だけなので列車はすぐに去っていく。田んぼの見回りくらいしか訪れる人のないような立地なので、しとしと降る雨音のほかには、用水路の水音に、遠くの木々のざわめきくらいしか聞こえてこない。しっとり落ちつく駅である。

辺川駅の待合所。
辺川駅の待合所

ホームを下りるといかにも駅舎がありましたという空き地があり、取り巻くように駐輪場や電話ボックス、それにトイレなどが並んでいた。とはいってもトイレには出入口に板が打ちつけられ、閉鎖した旨の貼り紙がしてある。そして駐輪場は支柱の鉄骨が錆びつき、屋根のトタンに穴が空き、苔や草がはびこる廃墟状態、当然ながら自転車は止められていない。現役なのは電話ボックスくらいのものだった。

田んぼの目立つ駅前にあって、気になるのがシャッターを下ろした建物で、いかにも昔は商店だったという構えをしている。なんの店があったのか気になるが看板はない。古い炭酸飲料のステッカーだけがちらりと見えた。駅舎どころか商店まであったとは、生活利用者がたくさんいた時代もあるのだろうかと考えると、隔世の感がある。

とどろの滝

駅からは五剣山がよく見える。山頂部には五つの小さな峰が並んでいて、これを剣に見立てた名であることは想像がつく。峰々の高さは同じくらいでどれが山頂かはよく分からない。細かな凸凹が並んでいる様はノコギリのようでもある。標高でみると638mで牟岐線に接する山としてはもっとも高い。せっかくだから登りたいけど、こんな時間から雨に煙る高みを目指すのは現実的ではなく、その山麓にある「とどろの滝」を目指すことにした。

まずは国道や線路の敷かれた大きな谷をさかのぼっていく。いましがた列車で下ってきた谷である。車窓から目にしたとおり農地のなか住宅が点在しているが誰にも出会わない。それどころか国道から脇道に逸れたら車にすら出会わなくなった。

国道脇に佇む古めかしい遍路道標。最御崎寺を指している。
国道脇に佇む遍路道標

この旅では出発前に履きなれた靴がだめになってしまい、新しい靴を履いてきたため、靴ずれになり思うように歩けないのがもどかしい。上りではかかとが痛み、下りではつま先が痛むため、患部を刺激しないよう慎重に足を運ぶ。

傘を手にとぼとぼ30分ほど歩いたところで線路と別れ、五剣山の山懐に向かう、どん詰まりの小さな谷に入りこむ。そこからは上るにつれて両岸から山肌が迫りはじめた。樹林の間に間に見下ろす渓流は、普段はせせらぎの気持ちいい清流なのだろうけど、いまは雨水を集めて濁流となり、ごうごうと岸辺の草木に襲いかかっていて怖いものがある。

もはや行く手には山しかないような雰囲気になってきたが、唐突に場違いなほど広い駐車場を擁した大きな施設が現れた。何年も前に廃業した日帰り温泉施設とのこと。営業していれば湯と食事を楽しめただけに残念に思う。

牟岐線の下をくぐり抜けて、山間に伸びる道路。
線路下をくぐり抜けて山間へ

とどろの滝の標識を頼りに進む道はいよいよ細くなり、舗装こそされているが枝葉が散乱していて、ほとんど車の往来はないことが分かる。頭上まで木々が茂るため薄暗い。人の気配はまるでないが、そこはかとなく獣の気配がしはじめた。

歩くほどに景色は暗く狭くなっていくなか、ここにきて急に視界が大きく開け、明るく広々とした棚田が現れた。自然石による石垣が何段も並んでいる。休耕田となり久しいらしく雑草に包まれているが、植えたかのように全体をきれいに覆い尽くし、しかも瑞々しく輝いているので荒れた感じはしない。気がつけば雨は上がっていて、ひっそり静まり返り、もやが山々にまとわりつくように漂っている。なんという落ちつく景色だろうかと思う。

山間に眠る棚田跡。
山間に眠る棚田跡

いつしか車道は未舗装となり、棚田の最上部までくるとそれすら途絶え、渓流沿いの遊歩道に変わった。五剣山の山頂近くまで刻みこむ深い谷だけに流れは豊かで、苔むした岩に砕かれながら滔々と下っている。このような谷底は普通であれば歩くのに難儀するのだが、ここは広くなだらかに整備されているので、自然を楽しむ余裕すらある。

棚田近くに立てられた、とどろの滝まで450mの標識。
あと少し

そうして悠々と進んでいたのであるが途中で足が止まった。道がないのである。正確にいえば道が渓流に没しているのである。対岸に道が続いていることから察するに、普段は水量が少なく飛石で渡ることができるのであろう。いまは走り幅跳びの選手でもなければどうにもならない。こんな結末が待っていようとはさすがに言葉を失った。

引き返すしかないと思ったけど、飛石の上など浅いところは10〜15cmほどの水深しかないことに気がつく。そして靴はとうの昔にぐしょ濡れ。これはもうやるしかない。対岸までの道筋を確認したら思いきって足を踏み入れる。ぞくりとするほど冷たいのと、帰りもまたやるのかという気の重さを除けば、そのまま難なく渡ることに成功した。

しかしほっとする間もなく再び道は渓流のなかに消えていた。まさか連続してあるとは思わなかったが同じように渡渉して進む。そしてその先でまた渓流が立ちふさがる。さすがに3回目ともなるといい加減にしてといいたくなる。

水没した遊歩道、渡渉を繰り返す。
渡渉を繰り返す

いくつもの石段を上り、谷は狭まり、段々と険しくなってきた。狭くなるほど流れは深く激しくなるのが道理で、渡渉できないほどの状況にならないかと危惧する。だが幸いにして4回目の渡渉はなかった。ついに滝が現れたのである。

それは恐ろしいほどの勢いで流れ落ちていた。まるでダムの放流のようだ。水流が生み出した風に乗って、午前中の暴風雨を彷彿とさせる水しぶきが吹きつけてくる。あまりの荒れように歩道上であっても近づくのがためらわれるほどだ。とどろの滝という名にたがわず、地響きのような音を谷間にとどろかせていた。

説明板には女性的で美しい滝とある。きっと日常の姿としては岩肌をしっとり流れるような滝なのだろう。しかしいまは荒れ狂う男性的な滝である。

とどろの滝。
とどろの滝

これで行き止まりかと思いきや、滝の傍らにある急峻な山肌に踏み跡が伸びている。案内板によると上流にいくつか滝があるとのこと。遊歩道の延長のようなものらしく「ロープを設置してあります、お楽しみください」と記してある。せっかくだから行ってみたいと思うが、これだけ増水するなかロープで滝めぐりとは危険すぎる。うっかり足を滑らせたら滝にのまれかねない。たとえ無事でも泥だらけは必至だ。とてもお楽しみできる状況ではない。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

16時24分発の徳島行きに乗りこむと、暴風雨の置き土産だろう、車内は出入口付近が水浸しになっていた。そろそろ帰宅する学生で混んでいるかと思ったけど、学生どころか誰もいなくて驚いた。牟岐線で貸切りの列車に遭遇するのは初めてだ。これには回送列車にでも忍びこんだような不思議な気持ちになった。

辺川駅に入線する普通列車の徳島行き 4570D。
普通 徳島行き 4570D

ゆったり腰を下ろしたら車窓を見つめて過ごす。つい半日前には不安を抱かせるほど荒れていた景色なのに、いまやしっとりした静寂に包まれていて、眺めているだけで安らぐような景色に変わっている。あとは2時間近くこうしているだけで徳島まで運んでもらえる、もう雨のなか濡れた靴で足の痛みをこらえながら歩かなくていいかと思うと、安堵すると同時に列車のありがたみを実感する。

とんでもない天候だったけど行きたい所は訪ねることができたし、結果的にめったに見れないような景色に触れることもできて、疲れたけど気分はとても満ち足りていた。雨に祟られたような1日だったけど、牟岐線の旅でもっとも印象深い1日となった。

(2020年6月30日)

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