牟岐線 全線全駅完乗の旅 11日目(辺川〜浅川)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2020年7月1日、今日からレジ袋が有料になった。徳島駅前のコンビニで朝食用にパンを購入すると、さっそく店員がレジ袋をどうするか尋ねてきた。しっかりエコバッグを用意してきたので自分で詰めていく。じきに慣れるのだろうけど、初日とあって互いに商品や言葉のやりとりがぎこちなく、なんだか厄介だなと思う。

駅に向かい5時43分発の海部行きに乗りこむと、発車まで時間があることや他に乗客がいないこともあり、いまのうちにとパンを頬張った。そこまではよかったがゴミのやり場がないことに気がつく。仕方がないので持っていたビニール袋に詰めていくが、エコバッグの意味とはなんだろうかと複雑な気持ちになった。

徳島駅ホームと、乗車する普通列車の海部行き 4523D。
徳島駅ホーム

徳島を発車した列車は雨上がりのしっとりした景色のなかを南下していく。空には薄ぼんやりとした雲が広がり、晴れるのか曇るのかはっきりせずもどかしい。

この列車に乗るのはこれで3日連続となり、ぽつぽつ乗ってくる乗客の顔ぶれにも見覚えがある。早朝のローカル線をゆく普通列車とあっては、決まりきった通勤通学の利用者が大半なのだろう。それに混じって揺られているとこちらまで通勤中の気分になってくる。向こうも新手の通勤利用者だなとこちらを見ているかもしれない。

各駅ごとに乗客が増えていくが、いつのまにか眠りこけ、気がつくと車窓にはのどかな山間の景色が流れ、車内はすっかり空いていた。ますます眠くなるような雰囲気だが、ローカル色の好きな私はこれでようやく眠気から抜け出した。

日和佐で徳島行きの特急「むろと2号」と交換。
日和佐で特急列車と交換

由岐、木岐、日和佐と海沿いの駅で学生を集めたら山間に分け入り、山河内に辺川と土砂降りのなか歩いた思い出深い駅を過ぎたら、海辺に広がる牟岐市街に向けて下っていく。徳島を出てから約2時間、ようやく最初の目的地に到着である。

牟岐むぎ

  • 所在地 徳島県海部郡牟岐町中村
  • 開業 1942年(昭和17年)7月1日
  • ホーム 1面2線
路線図(牟岐)。
牟岐駅舎。
牟岐駅舎

牟岐町は海と山で四方を固められた人口4千に満たない小さな町である。当駅はその代表駅として中心市街の片隅に置かれている。路線と同名の町と駅だけあって、開業から31年間という長きにわたり牟岐線の終着駅であった。海部まで延伸開業したことで途中駅となったが、特急列車を含むいくつかの列車が起点終点とするほか、夜間滞泊する列車があるなど、牟岐線南部における中心的な駅であり続けている。

列車から降りるとまずは木造上屋が目に留まる。線路の向こうには木造駅舎もある。いかにも駅という佇まいが好ましい。車内は学生がほとんどだったので、高校のないこの街で降りたのは中高年の数人、代わりにまとまった数の学生が乗りこんでいく。

ホームは1面2線で交換可能駅としては最小限の設備でしかないが、それを挟み込むように駅舎側に1本、駅裏側に3本の側線が並んでいる。いまや跡形もないが蒸気機関車の時代には転車台もあったにちがいない。側線のいくつかは日々使用されているらしく光沢があり、夜になれば翌朝に備えてここで眠りにつく列車があるのだろう。

牟岐駅ホーム。
牟岐駅ホーム
駅裏に並ぶ3本の側線。
駅裏に並ぶ側線

続いて開業当時から残るという築80年の木造駅舎に向かう。改札を抜けてベンチの並ぶ待合室に入ると、1階と2階をひとつにしたような高い天井が印象的だ。ゆったりとした空間にかつての終着駅としての貫禄のようなものを感じる。

室内を見まわすと牟岐線では久しく目にしなかった有人窓口のほか、券売機や記念スタンプを備えている。切符を求める人たちで賑わっていた時代の名残りか、窓口の隣りにもうひとつ閉ざされた窓口がある。これで売店のひとつでもあれば、古き良き地方の主要駅という佇まいになるのだが、さすがにそれはなかった。

近年ではスタンプを押すことはないのだが、押印用の紙が用意してあったので、ならばと記念にひとつ押してみる。子どものころはスタンプ帳のほか、設置してあるものは乾いていることが多いので自前のスタンプ台まで携えて、スタンプ収集の駅めぐりをしていたので、押印する感覚がなんだか懐かしい。

天井の高い駅舎内。
天井の高い駅舎
駅スタンプと入場券。
駅スタンプと入場券

表に出るとフェニックスの並ぶ広い通りが伸びていた。これには南国に来たとの思いを強くして気分まで明るくなる。しかしすぐに沿道に並ぶ空き地や空き店舗に気がついた。道は広いのに往来もまるでない。すっかり寂れてしまいましたという様子。地方の駅前は主要駅といえどこんな所ばかりである。

駅舎と向かい合うようにして、見上げるような高さのある歌碑が立っている。そこには「阿波の牟岐町 南に向いて 春を待たずに 豆が咲く」と刻まれていた。鉄道開通の数年前に牟岐町を訪れた野口雨情が作詞した「牟岐みなと節」の一節だという。旅好きとしては歌より当時どのような交通手段で、この地までやってきたかに興味が湧く。

小張崎こばりざき

牟岐町の沖合3〜4kmほどの所に70人ほどが暮らすという小島が浮かんでいる。江戸末期から昭和初期にかけての家屋が並び、どこか懐かしい漁村風景をいまに残すという出羽島てばじまだ。その集落は国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。県の片隅にある町の、そのまた片隅にある島という、果ての果てという立地もまたいい。行ってみたいと思う。

そこで渡船時刻を調べると1日6往復もある。所要時間は15分。これなら行けると思ったのも束の間、高齢者ばかりの医療体制が不十分な島ということで、コロナ禍にあって県外在住者の渡航自粛が呼びかけられていた。

仕方がないので市街地の傍らから太平洋に向けて突き出た、小張崎という小さな岬まで歩いてみることにした。駅から近くて自然豊かで眺めが良さそうという手頃な岬だ。出羽島を正面に捉えることができそうなので、姿だけでも目に焼きつけてくるとしよう。

駅から漁港に向かう牟岐川沿いの道。沿道には民宿がある。
駅から牟岐川沿いに漁港へ

駅近くを流れる大きな川沿いに数分ばかり歩くと、河口を目前にした所に出羽島行きの連絡船のりばがあった。ここにもまた野口雨情の歌碑がある。のりばといっても小さな待合室らしき建物があるだけで、あとは岩壁に横付けした小船にひょいと乗りこむ簡単な施設だ。ちょうど出港したところだったので、航跡を残して去っていく姿を見送る。

さらに数分も歩くと広い境内を擁する八幡神社の前に出た。高台にある大柄な拝殿ではひとりの老人が手を合わせている。時期が来れば祭りで賑わいそうな佇まいである。

境内では大きなクスノキが枝葉を広げていて思わず立ちよる。石垣の積まれた斜面上で窮屈そうにしているが、その石材を持ち上げながら成長する姿は力強い。傍らには町指定天然記念物の説明板が立てられていて、それによると樹齢は約500mで幹周りは6.2mとのこと。戦国時代から町の歴史を見てきた巨樹だ。大祭では樹下に夜店が並び、夏には涼しい木陰を作り、八幡さんのクスノキとして町民に親しまれているそうである。

八幡神社の境内にある、八幡さんのクスノキ。
八幡さんのクスノキ

いつしか右も左も家屋のぎっしり並ぶ地区に入りこんでいた。現代風の建物もあるが背の低い板張り瓦屋根という古びた建物もある。ガラス戸やシャッターに商店の面影を残す建物も散見される。古くは住宅と商店が入り混じる地区だったことは想像に難くない。駅周辺は鉄道開通により発展したらしく、海が近づくほど歴史ある港町という趣が濃くなっていく。

潮風の吹き抜ける街角には、所在なさげに佇む猫や、井戸端会議に興じるおばさんの姿。玄関前に座りこんで涼む爺さんもいる。道の先には手押し車を押す老人の背中がある。主要道から外れていることもあり車の往来は少なく、のんびりした時が流れている。

街角に止められたカブ。
牟岐の街角

ぶらぶら歩くこと約30分、駅前から続いてきた家並みが途絶えると、小さな漁船の並ぶ一角に出た。地図によると牟岐漁港の片隅になるようだ。時間的なものか船だけは数えきれないほどあるが、対照的なまでに人の姿はなく静まりかえっていた。

ここからはいよいよ小張崎に足を踏みいれていく。想像以上に緑に包まれた岬で、どこをどう歩いたのか記憶にないが、民家の庭先のような所を右往左往しているうちに、気がつけば木々が茂る薄暗い小路を歩いていた。足下には落ち葉が積もり往来はほとんどなさそうだ。じきに行き止まりになりそうな道だが地図によると岬まで通じている。それに四国のみち(四国自然歩道)の標柱が立っているので通り抜けられることは間違いない。

小型漁船のずらりと並ぶ牟岐漁港。
牟岐漁港

ほどなく自然歩道から別れて高台に伸びる階段があり、鳥居があることから上に神社があることは想像がつく。蒸し暑くなってきたので階段は避けて歩きたいが、どのような神社か気になるし、眺めがいいかもしれないので迷いながらも鳥居をくぐった。

汗を浮かべながら細々とした階段を上がっていくと、ちょっとした平坦地があり、石祠がふたつと由緒の記された石碑がひとつ据えられていた。誰もいないが手のひら大の大柄なカニが歩いている。期待した眺望は樹林に囲まれていてまるでなく、わずかに波の打ちよせる砂浜らしきものが見える程度だった。

これといった収穫もないまま自然歩道まで戻ってきて先に進む。打ちよせる波音や磯の香りに海の気配はするが、木や竹が伸び放題でまるで見えない。それもまた悪くはないのだが問題は風が遮られ湿気が多いことで、蚊の巣窟になっていて何箇所も刺されてしまった。

小張崎に向かう竹林に包まれた四国のみち。
四国のみち

ようやく密林のような所から抜け出すと歩道は道路に変わり、そこにまたまた野口雨情の歌碑が置かれていた。野口雨情で町おこしでもしているのかいくつも目にする。それぞれ姿形こそ異なるが、いずれにも牟岐みなと節の一節が刻まれている。そんな歌碑の傍らには「漁業用無線局、眺望良し、徒歩3分」と記された手書きの標識が立てられていた。

眺望良しとあっては行かない手はない。そこは岬の高台という見晴らしのいい場所で、大きなアンテナを従えたいかにも無線局という施設があり、局舎の庭先のような所に立つと太平洋の海原が広がった。海だけでなく出羽島もくっきり見える。連絡船で15分という距離だけあって集落まで見える。わざわざ標識を作り喧伝するだけあって確かに眺望は良かった。ベンチまで用意されていたので10分ほど過ごしてしまった。

無線局から眺める太平洋と出羽島。
無線局から眺める出羽島

無線局から狭い道路を下っていくと美しい砂浜に出た。延長300mほどの緩やかに弧を描いた砂浜である。目にも耳にも気持ちのいい波が寄せている。街が近いとは思えないほど青と緑のなかにあり、建物といえば一軒の民宿があるくらいのものだった。

肌がじりじり焼かれるような日差しの強さだが、帽子が飛ばされるほどの強風が吹きつけてくるため、暑さと寒さが相殺されて過ごしやすい。

穏やかな砂浜の左右は波の砕ける岩場になっていて、いくつもの岩礁が頭を出したり沈んだりしている。岩から岩へと伝いながら行けるところまで行ってみる。大小の潮だまりを覗きこむと、海藻に隠れるようにして小魚が泳いでいた。

南の沖合に目をやれば出羽島がある。そこから西に視線を移すと小張崎からはじまり、いくつもの岬や山稜が重なり合うようにして海にせり出している。遠くの方は空に溶けこんで消えていく。はるか室戸岬へと伸びる長い長い海岸線である。

小張崎近くの岩礁。
小張崎近くの岩礁

駅に戻ると待つほどもなく11時24分発の海部行きがやってきた。次は2時間後までないのだから絶妙なタイミングといえよう。

乗降客は中高年の数人で手押し車を押した婆さんの姿もある。思えば牟岐線の駅には跨線橋というものがまるでなく、利用者の希薄な駅にまでスロープが用意されているなど、手押し車を押しながらでも利用しやすくできている。

発車まで数分あるがやることもないので車内で待つ。冷房が効いていて快適だ。どこに向かうのか老人を中心に7〜8人が乗っている。この時間帯のローカル線にしては悪くない利用者数だと思うけど、マイクロバスでも運べる程度と考えると少々寂しい。コロナ禍とあってか言葉を発する人はなく、エンジンのささやきだけが聞こえてくる。

牟岐駅に入線する、普通列車の海部行き 4533D。
普通 海部行き 4533D

いよいよエンジンが唸りを上げると、ぐんぐん加速しながらトンネルに突入、すぐに抜け出すと海が見えた。この辺りは牟岐線では珍しい海沿いに線路が敷かれた区間だ。しかし楽しむ間もなくまたトンネルに入る。それを抜けたと思ったらまたトンネル。それが何度も繰り返されて海どころではない。いくつ目かのトンネル内で牟岐町から海陽町に入り、いくつ目かのトンネルを抜けると鯖瀬の駅であった。

牟岐から海部までの区間は戦後遅くに開業したので、赤字ローカル線の末端とは思えないほど高規格に作られている。山があればトンネル、川があればひと跨ぎ、道路があれば立体交差、なにが立ちはだかろうと行きたいように突き抜けていく。徳島近郊ですら木製が目立つ枕木もコンクリート製が並んでいた。

鯖瀬さばせ

  • 所在地 徳島県海部郡海陽町浅川
  • 開業 1973年(昭和48年)10月1日
  • ホーム 1面1線
路線図(鯖瀬)。
鯖瀬駅ホーム。
鯖瀬駅ホーム

いくつもの坂と浜が繰り返される地形から、古来より交通の難所として知られた、八坂八浜のなかほどに位置している。四方を海と山に囲まれているため、人家どころか田畑すら希薄であるが、弘法大師と鯖にまつわる故事で有名な、鯖大師こと八坂寺がある。平地には恵まれない代わりに、歴史と景観に恵まれた土地である。

列車から降りたのは私だけだった。ホームにも誰もいないが、飛び交う赤とんぼと、声を張り上げるセミとで、閑散としているのに賑わしい。そんなホームを歩いているとトンネルに挟まれた谷間でありながら、築堤上という高い位置であるため海が見えることに気がつく。微かに波音まで聞こえてくるほど海が近い。

駅舎はなくホームのほかには待合所くらいしかない。昭和48年の開業という駅らしく、鉄骨の柱、ブロック積みの壁、木製ベンチ、飾り気はなく丈夫で安価という姿をしている。そこには意外なことに駅ノートが置かれていた。牟岐線では初めて見た気がする。数ある駅のなかでなぜここなのかと思うが、需要はあるらしくぎっしり書きこまれていた。

ベンチ上に置かれていた駅ノート。
駅ノート
国道沿いから駅に伸びるスロープ。
駅出入口

アジサイに彩られた坂道を下っていくと国道に出た。ほかに道らしい道はないため次々と車が走り抜けていく。それを目当てにした飲食店でもないかと思うが、辺りには公衆トイレや電話ボックスの置かれた広場と、さばせ大福の看板を掲げた和菓子店くらいしかない。

国道脇にバス停があったので時刻表を確認してみると、牟岐線より多い毎時1往復ほど走っていた。最終も牟岐線より遅い21時台まである。駅のない集落にも停まるし、役場や病院に高校なども経由するのだから、ちょっとした移動にはバスの方が便利そうに思える。列車が空いているのは需要がないからではなく、利用者がバスに流れているからかもしれない。

八坂八浜やさかやはま

駅があるのは八坂八浜のほぼ中央部である。八坂八浜というのは読んで字のごとく、八つの坂と八つの浜が交互に現れる地形からきている。約10kmに渡り平地らしい平地もないまま険しい坂道と波洗う浜道が繰り返されることから、近代的な車道が整備されるまでは難所として知られていた。難所というのは得てして景観に優れているもので、当地もまた砂浜や岩礁の連なる景勝地としても知られている。しかし鉄道も国道もトンネルで突き抜けていくので、それを楽しむなら歩くのが一番だ。

問題はすでに八坂八浜の中ほどにいることで、時間的に南西か北東のどちらか一方向しか訪ねることはできない。どちらでも楽しめそうだけど海岸があまり開発されてなさそうな、北東の牟岐方面に向かうことにした。

出発するとまずは和菓子店の前を横切る。さばせ大福の看板が気になるので、食べ歩こうかと足を止めたけど、戻ってからゆっくり楽しむ方がいいと思い直して足を進める。

室戸阿南海岸国定公園「八坂八浜」と記された看板。
八坂八浜をゆく

国道はトンネルを交えながら直線的に伸びているが、地図を睨んでいるとそれに絡みつくように、地形なりに海岸や山上をぐねぐね伸びる旧道が見えてくる。景色がいいだけでなく静かで歩きやすそうなので、なるべくそちらを選んでいく。

まもなく海陽町から牟岐町に入ると大きな石碑があった。気になり立ち寄ると野口雨情の歌碑であった。今日はこれで5つ目である。刻まれているのは牟岐みなと節の一節で「八坂八濱の 難所でさへも 親の後生なら いとやせぬ」。添えられた説明書きによると、野口雨情は1936年(昭和11年)2月18日に、八坂八浜をドライブしたそうである。

さらに進んでいると脇道があったので下りていくと浜に出た。柔らかな風が吹きぬけ、穏やかな波が寄せている。見まわしても観光色どころか人の気配すらない。両側には緑に包まれた岬が伸びていて、沖合には岩礁や出羽島が浮かんでいる。難所といわれた時代の人たちは、こんな景色のなかを黙々と歩いていたのだろうか。

美しい砂浜と岬が交互に連なる八坂八浜。
八坂八浜の静かな浜

浜の次には坂が来る。国道の行く手にはまたトンネルが口を開けているが、ここにはその上を越えていく旧道があるので、樹林のなかを右へ左へ曲がりながら上っていく。沿道にはぎっしりアジサイが植えてあり、ガードレールを飲みこむほど成長したうえ、ちょうど花盛りとあって実に鮮やかだった。

そんな坂道を上りきると峠ではなく風格あるトンネルが現れた。がっちりした石積みの坑門、扁額に彫られた道通天地の文字、只者ではないことは明らかだ。

設置された説明板によると名前は松阪隧道という。竣工は1921年(大正10年)7月とあるので野口雨情も通ったことだろう。またトンネルとしては日本最古のコンクリート製という貴重なもので、近代土木遺産にも指定されていた。約百年もの昔に四国の僻地に作られたとは思えないほど、先進的かつ大きなトンネルで、八坂八浜の難所をつらぬく道路建設がいかに重要な事業であったかが伺い知れる。

松坂隧道。
松坂隧道

足を踏みいれると空気が変わりひんやり涼しい。明かりは出入口からの光が頼りだ。遠目には寸分の狂いもない整然とした姿をしていたが、こうして近くで見ると表面にはいびつな型枠の痕が残されていて、差しこむ光によって陰影として浮かび上がっている。これはこれで慣れない手仕事の趣があって味わい深い。

抜け出した所には祠があり石仏が安置されていた。事故でもあったかと思わせるが、碑文によると山上の松坂峠で長年お遍路や旅人を見守ってきたが、松坂隧道の竣工により往来する人が少なくなったことから、昭和初期に当地に移設したものだという。

右へ左へ曲がりながら下っていくと久しぶりの人家があり、そこからはちらほら目にするようになった。久しぶりの集落である。トンネルの向こうから続いてきたアジサイ並木は、環境がいいのか手入れがいいのか、いっそう見事なものになってきた。すき間もないほどぎっしり咲き誇る株もある。筆舌に出来ないほどの美しさである。

あじさいの道。
あじさいの道

坂を下りきれば浜である。そこは内妻海岸とよばれる所で、大きな波がごうごうと押し寄せていて、多数のサーファーが楽しんでいた。谷が開けているので風が通りやすいのか波がやたら高い。そんな風と波が砂礫を集めてくるのだろう浜辺は広々としている。夏には海水浴場にもなるそうで、周辺には民宿まで用意されていた。

こうして歩いていると坂や浜のそれぞれが持つ表情が見えてきて面白い。列車や車に揺られているだけでは、きれいな海が見えたと思うくらいで終わってしまうところだ。旅をすればするほど、人間は歩く速度でしか物事を感じたり覚えたりすることができない、そんな生き物なのだということに気付かされる。

サーファーで賑わう内妻海岸。
内妻海岸

行く手にはまた坂が待ち受けているのだが、それを越したらもう牟岐市街である。もはや鯖瀬駅とは関係のない領域になるので、これにて引き返すことにした。帰りは最短距離をゆく国道を利用する。排気ガスを浴びながら歩く長いトンネルは楽しいとは言い難いが、平坦で歩きやすいので、あっという間に駅が見えてきた。

まずは楽しみに取っておいた、さばせ大福を手に入れるべく駅前の和菓子店に直行する。ところが様子がおかしい。出入口がカーテンで閉ざされているのんだ。時計を見るとまだ14時と閉めるような時間ではない。戸惑っていると気がついてしまった、本日売切れの札が掲げられていることに。手に入らないとなるとますます欲しくなる。やはり行きがけに買っておくべきだったと悔やんでも悔やみきれない。

本日売切れの札が掲げられた、さばせ大福の販売店。
嗚呼さばせ大福

だがまあないものは仕方がない、次の列車まで1時間半もあるので、気を取りなおして駅近くにある八坂寺に向かう。鯖と空海(弘法大師)にまつわる由緒から、鯖大師や鯖大師本坊などの名で呼ばれ、四国別格二十霊場のひとつでもある。なにやら鯖瀬という地名とも関係がありそうな寺院である。

駅を出てから2〜3分も歩くともう到着。山門もなくいきなり本堂があり、思いのほかこじんまりした寺院に映る。しかし案内板などを見ていると多宝塔や護摩堂のほか宿坊まであり、山腹をくりぬいたという洞窟内には、四国八十八箇所や西国三十三観音のお砂踏み霊場まである。印象よりずっと大きな寺院である。

それでいて誰にも出会わないので気楽なものである。境内を散策してみたり、木陰で涼んでみたり、大師堂で鯖を手にした空海の石像を拝顔してみたり。その大師堂には絵馬に願いごとを書いて奉納してから、鯖を3年間絶つと願いが叶うとの説明書き。魚好きの私には厳しすぎる条件である。もちろん絵馬は奉納しなかった。

鯖大師の本堂。
鯖大師本坊

駅に戻ると列車までまだ40分ほどある。何もしないで過ごすには長いけど、どこかに行くには片道20分は短すぎてやることがない。腹が減ったので駅前食堂でもあれば飛びこむのだが、そんなものは影も形もない。さばせ大福を買わなかったことが返す返すも悔やまれる。仕方がないので自販機で冷たい麦茶を買ってきて、駅ノートを開いて暇をつぶす。

待ちくたびれたころ現れた15時29分発の海部行きに乗りこむ。乗降客は私だけで、車内には老人ばかり10人ほどと、降りた時と同じような状況であった。

普通列車の海部行き 4549D。
普通 海部行き 4549D

駅を抜け出すと同時にトンネルに入る。そこからは短いトンネルが何本も連続する。車内だけでなく車窓も先ほどの列車とよく似ている。牟岐線では数少ない海沿いを走る区間なのだが、トンネルが多すぎて海の印象はほとんどないまま浅川に到着した。

浅川あさかわ

  • 所在地 徳島県海部郡海陽町浅川
  • 開業 1973年(昭和48年)10月1日
  • ホーム 1面1線
路線図(浅川)。
浅川駅ホーム。
浅川駅ホーム

奥行き約2kmのV字型に切れこんだ浅川湾の奥深く、ちょうどV字の先端部に、漁港と数多くの家屋がひしめいている。昭和の大合併まで浅川村の中心地だった集落である。そこに鉄道が割りこむ余地はなかったらしく、線路は家並みの途切れる山沿いに敷かれている。集落の外れに置かれた駅を囲んでいるのは人家ではなく草木である。

車窓に緑が目立つので、はたして降りる人はあるのだろうかと思ったが、ひとりの婆さんが立ち上がった。乗る人はない。列車と婆さんはすぐに去っていき、あとには鳥のさえずりとセミの声が残され、柔らかな風が木々を揺らしている。なにやら山村の趣があるが、ホーム端までいくと重なり合うように並ぶ屋根と電線、かすかに海まで見えて、海沿いの大きな集落に居ることを実感させられる。

短いホームには待合所がひとつ載っている。その造作には見覚えがある。同時期に建設されただけあって鯖瀬と双子のようにそっくりなのだ。異なるのは駅ノートがないことくらいのものかもしれない。

駅舎以外のものは取り揃えられた駅前広場。
駅前広場

築堤上に置かれたホームから坂道を降りていくと、駐輪場や公衆トイレの置かれたちょっとした広場があり、その先には国道が横切っていた。色あせているが大きな観光案内板や公衆電話もあるなど、駅舎がないことを除けば駅らしいものが取り揃えられた駅である。

海老ヶ池えびがいけ

かねがね地図上で気になっていた池がある。海老ヶ池と記されたそれは小さな岬のなかで丘陵に囲まれるようにして水を湛えている。周囲は3〜4kmほどある。入り江を閉じて池にしたかのように海が近い。成り立ちが気になり調べてみると、池と名付けられてはいるが四国唯一の天然湖だという。そんな希少な湖が近くにあるのだから訪ねないという手はない。

行きかたは駅前に立てられた四国のみち(四国自然歩道)の案内板が教えてくれる。そこには八坂八浜を経由して牟岐駅に至る9.2kmのコースと、海老ヶ池を経由して海部駅に至る12kmのコースが紹介されている。海老ヶ池までなら約3kmだ。四国のみちなら歩きやすく整備されているので、このコースを利用させてもらう。

傾いた日差しに急かされながら足早に駅を発ち、住宅のぎっしり詰まった集落に入りこんでいく。ありふれた住宅地の趣であるが、商店の面影を残すものや、昭和初期を思わせる古い建物も見られる。西日に照らされた手押し車を押す老人、潮風に運ばれてくるトンビの声、気だるくなるような穏やかさの集落である。

浅川集落。
浅川集落

集落を外れると四国のみちの道標に従い、浅川湾の縁をなぞるような遊歩道をゆく。海面すれすれで手すりもなにもなく海に浮かぶような道である。軽い波でも足に被りかねないほどだが、防波堤に守られた湾内だけにとても穏やかで、ちゃぽちゃぽ静かに音を立てている。覗きこむと大小の魚が泳ぎまわっていた。

見えてきた案内板には県指定天然記念物「蛇王ざおうのウバメガシ樹林」とある。古くからの自然の姿をよく残す樹林で、幹周り2m前後のものが数多く生育しているという。それというのも蛇王神社の社叢であったからのようだ。私は生まれも育ちもウバメガシを目にするような所ではないため、どれがそれなのかよく判別できないが、樹林の8割以上がそうだというので、その辺にあるものは大体そうなのだろう。

遊歩道から眺める穏やかな浅川湾。
穏やかな浅川湾

ここで道はウバメガシの樹林に向きを変え、海と湖に挟まれた標高60mほどの小山に上がっていく。擬木の階段や手すりが整備されていて歩きやすいが連続する階段に汗がしたたる。北東斜面で日差しこそないが、細かな枝葉が風をさえぎり、温度計を見れば27度もあった。

階段を上がりきると蛇王神社があった。「じゃおう」と読みたくなるけど、蛇王のウバメガシ樹林は「ざおう」だったので、こちらも「ざおう」なのだろう。新しく立派な石鳥居を従えているけど、小さな祠があるだけのこじんまりした神社だ。海老ヶ池には湖底に生息するという大蛇にまつわる民話があり、それによると大嵐を起こす大蛇を鎮めるため、祠を建てて祀ったそうである。名前からしてこれがその祠にちがいない。

海老ヶ池沿いの山中をゆく四国のみち。
四国のみち

神社を過ぎると山上の遊歩道である。穏やかな起伏のある道が、西日の降りそそぐ明るい樹林のなかを伸びている。駆け出したくなるような気持ちのいい道だ。樹林の切れ間からは青々とした浅川湾や、いくつもの岬が連なる八坂八浜の海岸線がちらりと見える。

そうして10分ほど歩くと海老ヶ池を見下ろす展望地があった。駅前で見たのと同じ案内板や、鉄筋コンクリート造りの東屋を備えた、四国のみちの海老ヶ池休憩所である。そこから眺める湖面は緑色と茶色を混ぜたような渋い色合いをしていて、鮮やかな青色をしていた浅川湾とは対照的である。透明度が低いため湿地のようでもあるし底なしのようでもある。

見えている部分だけでも大きいので概ね全景だと思いきや、地図と比較すると見えているのは全体の半分にも満たなかった。複雑な形をした全体を知るには、池の外周をぐるりと歩いてみるしかないのかもしれない。

海老ヶ池休憩所から見下ろす海老ヶ池。
海老ヶ池

休憩所から階段を下りていくと湖畔に出た。上から眺めたままに緑色とも茶色ともつかない濁り方をしている。わずかに海とつながる汽水湖で、いろいろな魚類が生育しているそうだが、それらしきものはなにも確認できない。魚はいるのかいないのか分からないが、鳥はたくさん潜んでいるようで、あちらこちらから鳴き声が聞こえてくる。

水質は美しいような美しくないような、水深は深いような深くないような、生き物は豊かなような豊かでないような、見れば見るほど形容しがたい湖になっていく。大蛇が潜むというだけあって掴みどころのない湖という感じである。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

ひっそりとしたホームに立つと、線路沿いの草むらから虫の音、山々から鳥のさえずりが聞こえてくる。時刻は18時を過ぎたところ。すっかり日は陰り涼しくなってきた。

乗車するのは18時34分発の徳島行き。空いているかと思いきや学生で混雑していた。お遍路さんの姿まである。朝の学生はしっかりマスクを着けて静かにしていたが、帰りは気が緩むのか半数くらいは着けておらず、大きな声でふざけているグループもある。それらを横目に車内を進んでいき、車両中ほどに見つけた空席に収まった。

普通列車の徳島行き 4580D。
普通 徳島行き 4580D

まだまだ空は明るいので残照の景色を楽しもう。日の長い季節なのでまだ1時間は楽しめるはずだ。列車が動き出した時はそんなことを考えていたのだが、疲れがどっと出てきていつしか眠ってしまい、気がつけば学生は数えるほどになり、お遍路さんは消えていた。そして車窓はまもなく夜を迎えようとしていた。

(2020年7月1日)

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