2022年1月1日、午前5時の長崎駅前を歩いていた。県の中心地とはいえ元日早朝とあってか人通りはなく、車もたまに走り抜けていく程度でひっそりしている。見上げる空には星がまたたき、街灯は所在なさげに路面を照らし、まるで深夜のような空気が漂っていた。
気温は2〜3度とよく冷え込んでいる。もっともそれを想定してウールシャツやフリースにダウンジャケットと、冬山に行くような厚着できたので寒くはなかった。
目指しているのは長崎市街を一望でき、日本三大夜景の名所として知られる、稲佐山の山頂展望台である。ここは東側が大きく開け、道路やロープウェイなどが整備されてアクセスが容易であるなど、日の出を迎えるにも格好の場所なのである。
それは同時に混雑必至ということでもあり、気分的には避けたいけど、初日の出はもう何年も海で迎えていたので山にしたかったこと、年末を長崎市内に滞在していたこと、公共交通機関しか利用できないことなどから、半ば自動的に稲佐山に向かうことになった。
そして駅から歩くこと約30分、ほとんど人影を目にすることすらないまま、ロープウェイ乗り場の近くまでやってきた。当初は山頂まで歩くことも検討したけど、勝手知らずの山を深夜に登るのもどうかと思い、無難にロープウェイを利用することにした。
ところが肝心のロープウェイ乗り場が見当たらない。街灯に浮かんでいるのは住宅や道路ばかりだ。尋ねられるような人もいない。乗り場は淵神社という駅名なので、それらしき神社の前にも立ってみるが、鳥居の先には漆黒の闇に消えていく石段が伸びているのみで、とても足を踏みいれる気にはならなかった。
そうして右往左往していると、どこからともなく警備員のような人が現れ、真っ暗な神社境内を指差し、乗り場なら奥にありますよと教えてくれた。
こんなに暗くて人気のないところにあるはずがないという先入観を反省しつつ、境内を進んでいくと、煌々と明かりを灯した乗り場が現れた。ガラス張りの思いのほか瀟洒な建物だ。内部では数名の人影が動いている。足もとすら見えないほどの暗闇にあるそれは、安堵感を与えてくれると同時に、狐につままれたような感もあった。
コロナ禍とあって連絡先を記入したうえでチケットを購入、おしるこの接待を受けながら6時の始発便を待つ。目的を同じくする人たちで混み合うことを想定して早めにきたのだが、日の出まで1時間半もあるせいか、それとも車で向かう人ばかりなのか、乗客は数えるほどしかいなくて拍子抜けするものがあった。
いよいよ改札がはじまると先陣を切るように乗り込み、徐々に遠ざかっていく街明かりを見つめる。寒さによるものか窓ガラスが曇っているため、色とりどりの光が滲むようにきらめき、雨の街を思わせる情景だった。
ふもとでは人に出会うことすら稀であったが、山頂までくるとひとりになることが難しいほどの人出となった。それらの人たちが続々と山頂展望台に吸い込まれていく。早く向かわないと場所がなくなるのではないかと不安になってきた。
らせん階段を足早に上がり展望台の最上部までくると、既に外縁部にはずらりと人が並んでいてどうしようかと思ったが、辛うじて空間を見つけて滑り込んだ。ほどなく最前列はきれいに埋まり、始発便できたのは正解だったなと思う。混み合うなかいい場所を確保できたことで、目的の半分くらいは達成したような気分であった。
眼下には名高き長崎の夜景が広がっている。元日早朝で灯しの数は相当少ないはずだが十分に美しい。平日の夜早いうちならどれほどのものだろうかと思う。
屋根も壁もない展望台を寒風が吹き抜けていく。階段でも上がり下りすればすぐ暖まるのだが場所を空ける訳にもいかず、じっとしていると徐々に指先が冷えはじめ、それはじりじり体の芯にまで広がりはじめた。私などは過剰なほどの厚着をしているから良いほうで、見るからに軽装の人たちからは、もう限界という声も聞こえはじめた。
東の空が言葉にできない複雑な赤色に染まるにつれ、街や星の明かりは薄れ、入れ替わるように雲仙岳をはじめとする山々のシルエットが浮かび上がってきた。そろそろだなと時計に目をやると、日の出時刻はずっと先のことであった。
寒さをこらえて待つしかない状況での時の流れは遅い。10分くらい経過したかなと確認すると5分しか経過していない。時計を見てはがっかりするを何度か繰り返し、ようやく日の出時刻の7時23分を迎えた。
島原半島か天草諸島か分からないが、海の向こうにある山影から光があふれはじめたと思ったら、きれいな橙色をした太陽が上ってきた。沸き上がるようなざわめきのなか、じわじわ輝きを増していく姿には、なんともいえない神々しさがある。日の出なんていつでも同じだろうという人もいるが、この場の雰囲気や感情的なものも含め、この日この瞬間でしか出会うことのできない絶景だと思う。
ほどなく眩しいほどの光になると人垣はばらけはじめた。手すりから真下に目をやると帰っていく人たちがぞろぞろ歩いている。ゆとりのできた展望台は、記念撮影をする人たち、雑談に興じる人たち、それらにマイクを向けるテレビカメラなどで、ぎすぎすしたコロナ禍であることを忘れてしまうような和やかな賑やかさであった。
(2022年1月1日)
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