目次
プロローグ
2016年7月23日、5時30分、高松駅前のホテルを出発した。高徳線に残された未乗区間は全て徳島県内にあるため高松からは遠い。どうしても始発で出発する必要があり、前回に引き続き早朝の高松駅にやってきた。県庁所在地の代表駅といえど、この時間の利用者はわずかなもので、広い構内に点々と人影がある程度である。
高徳線の始発は徳島行きの普通列車で、普通列車とはいえ後続の特急列車より早く徳島県入りできる使える奴だ。前回も利用した列車だが、あの時は確か回送扱いの1両を後ろに連結した2両編成だったのだが、今回は単行になっていた。
乗車すると程なくして出発する。下車予定の阿波大宮までは、およそ1時間半の長丁場とあって、車窓を楽しみながら乗り鉄旅の気分を味わう。駅の完乗旅というのは頻繁に乗降を繰り返すから、こうしてゆっくり乗車できる機会は貴重なのだ。
先日訪れてすっかり気に入った引田では、後ろに2両増結するために10分以上の長時間停車がある。作業の様子を見学しようとホームに降りると、構内には夜間滞泊していた沢山の列車が並び、そのエンジン音と相まって賑やかだ。
現状は1両でも空席がある程度なのに2両も増結するという事は、この先の徳島県で通勤・通学時間帯にぶち当たり、相当に混雑する列車なのだろうと想像される。
3両編成と列車らしい姿になったところで引田を出発。香川県と徳島県を隔てる讃岐山脈が迫ってくる。列車は古来より難所として知られる大坂峠に差し掛かる。すると高松を出てからというもの続いてきた住宅や田んぼの点在するのどかな景色は姿を消し、樹林に囲まれた急勾配とトンネルが連続しはじめる。
ぐんぐんと標高を上げていき、左手はるか下には海がちらりと見える。短いトンネルを次々通り抜け、最後にひときわ長いトンネルで県境を越えて徳島県に入った。車窓にはのどかな山村風景が広がり、最初の下車駅である阿波大宮に到着した。
阿波大宮
- 所在地 徳島県板野郡板野町大坂
- 開業 昭和10年3月20日
今まで讃岐だった駅名が阿波へと変わり、徳島県に入った事を実感する。駅に降り立つとまだ朝のひんやりとした空気が残っており、緑の山々に囲まれた景色とあいまって実に爽やかだ。
列車のエンジン音が遠ざかっていくと、あとはセミと鳥の鳴き声だけが聞こえる世界になる。久しぶりに味わう山間の小駅といった雰囲気に、この駅がすっかり気に入った。
跨線橋を渡り駅舎へと向かうと「大坂峠ハイキング下車駅」と大きく掲げられており、観光的な面も持っている駅のようだ。駅舎内にはベンチがあるだけの無人駅だが、木造駅舎が残っているという事が隣の讃岐相生と同じで嬉しい所。
外観こそ手が加えられているものの、昭和の木造駅舎という雰囲気を保った駅舎を眺めつつ駅前を散策していると、草に覆われた
大宮神社
まずは駅の裏手にある大宮神社に向かう事にして、駅周辺の民家の前を通り踏切を渡る。そこから少し歩けばもう木立に囲まれた鳥居が現れ、駅から僅か数分の距離である。
小さいながら年季の入った鳥居はなかなかと風格がある。元治元年の六月と彫られているが、ちょうど池田屋事件の時ではないか。
石段を上がって境内に入ると、思いの外広々とした明るい空間が広がる。本殿の近くにはソテツの木がある所が何だか南国らしい。
神社の隣には板野東小学校の分校があり、幼稚園の分園も併設されているようだ。もう夏休みに入っているからか、朝が早いからか分からないが、周辺はひっそりと静まり返っていた。
大阪口御番所跡
大宮神社が思いの外近くにあり、次の列車までの時間があるので大阪口御番所跡にも行ってみる事にする。大阪口の名の通り、大坂峠の入り口に設置されていた関所の跡だ。
当然ながら大坂峠の方に行けばいいのだろうが、場所と距離がよくわからない。タイミングよく近くで農作業をする、ばあちゃんが居たので聞いてみると10分も歩けば着くという事だったので余裕だ。
教えられた道を歩いていると案内板があり、この先は御番所跡や大坂峠の展望台、あせび公園と続くハイキングコースになっているようで、駅にハイキング下車駅と掲げられていたのも納得だ。
しかしふと考えると、10分で着いたとしても帰りにもう10分、さらに駅まで10分で30分もかかる。見学時間まで考えていると思ったほどに時間に余裕が無い事に気がつく。列車本数の少ないこの区間では1本逃すのが命取りになるので、いずれ大坂峠の展望台まで含めて再訪する事にして引き返す。
早歩きに急いで駅に戻ってきたら、今度はどこかに行くほどではないが何もしないで居るには長いという、微妙な時間が余ってしまい、駅を散策したり跨線橋から景色を眺めて時間を潰す事になってしまった。
やってきた徳島行きの311Dは、前回の旅で丹生から三本松まで乗車した列車だ。あの時は2両編成だったのだが、今回は土曜だからか切り離したのか1両でやってきた。乗車したのはやはりというか自分だけで、車内にはお遍路さんの姿もあった。
阿波大宮を出発するとすぐに周囲が開けてきて、沢山の住宅が現れ始めたと思ったらもう板野に到着だ。
板野
- 所在地 徳島県板野郡板野町大寺平田
- 開業 大正12年2月15日
列車から降りると大きな上屋のあるホームが印象的だ。特急も停車する有人駅で、ホームも3番線まであり、ひっそりとした阿波大宮の隣とは思えない大きさの駅である。久しぶりに有人改札を通ったが、何気に駅員は女性で、乗ってきた列車の運転手と車掌も女性だった事を思い出す。
かつてはここから
駅前に出ると客待ちをするタクシーや喫茶店はあるのだが、全体的に人の気配がなくて何だか寂れた雰囲気が漂っていた。
第3番札所 金泉寺
駅から僅か数百メートルしか離れていない所に、3番札所の
住宅地の中を右に左にと、ゆったりカーブする道路、さらにそこから分岐する狭い路地と、昔のままだろう道路の形を楽しみつつ歩き。金泉寺はそろそろかなと思っていると朱色の仁王門が見えてきた、駅から僅か数分にして到着だ。
街の中は殆ど人気はなかったが、さすがにここは何処からともなく人が現れ、お遍路さんの姿もチラホラ目にする。境内を一通り回り、参拝を済ませると再び駅へと戻った。
喫茶店で休憩
駅に戻ってきて時刻表をチェックすると、次の列車まではまだ20分程あり、この暑さから避難すべく駅前にある喫茶店に入る。店内は冷房が効いている上に貸切状態という快適さで、アイスコーヒーを飲んで列車の時間まで時間を潰した。
次の列車は当駅始発の徳島行き4317Dで、ホームに上屋もなく何だか冷遇された3番線からの出発になる。
阿波川端
- 所在地 徳島県板野郡板野町川端中坪
- 開業 昭和2年7月15日
田園地帯にホームが一面あるだけの小さな駅で、列車の交換設備がない駅は2日目の旅で下車した神前以来となる。しかし小さいとはいえ駅舎はあり、内部には券売機やトイレも設置されていた。
駅前には交通量の多い2車線の道路が走り、周辺には住宅地が広がっている。対照的に駅裏の方は田園地帯が広がり、さらにその向こうには旧吉野川が流れるという自然豊かな所だ。
次の列車までは2時間近くあり、周辺をゆっくりと見て回る事にする。タイミングが良いのか悪いのか、徳島行きの列車は1時間に1本程度の間隔で走っている区間でありながら、この時間帯だけ2時間も空いていた。
第2番札所 極楽寺
まずは1キロ少々離れた所にある、2番札所の
意気揚々と歩き出したは良いものの、まだ10時前だというのにとにかく暑い。さらに日差しを遮るものがなく、交通量が多く騒がしい道路とくれば、必然的にテンションはだだ下がりである。
しばらく歩くと板野町から鳴門市に入り、さらに10分ばかり歩いた所で極楽寺に到着した。ここも先ほどの
人もまばらな静かな境内は、木陰のおかげか暑さも和らぎ一息つく感じだ。
薬師堂のすぐ側には長命杉という樹齢1000年の大杉があり、長い歳月を感じさせる荒々しい木肌に惹かれて、しばし眺める。
長命杉を過ぎると4,50段位はありそうな石段があり、上り終えると目の前が本堂だった。すぐ隣にある薬師堂の前では、子供連れの夫婦が老夫婦に写真を撮ってもらっていて、その賑やかな様子が何とも微笑ましい。
ドイツ村公園
時計を見ると意外と時間は経過しておらず、次の列車まではまだ1時間以上もある。これなら更に遠くまで足を伸ばしても大丈夫そうなので、ドイツ村公園に向かってみる。
なぜここでドイツなのかという感じだが、第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜、約1000名が収容されたという、あの有名な板東俘虜収容所の跡地に作られた公園なのである。周りの人に言っても、板東俘虜収容所というと「あぁ」となるが、ドイツ村公園というと「はぁ?」になる。
今度は騒々しい道路は避け、裏道を牛舎の脇やリューネの森なる名前の団地を抜けて行く。その団地の隅っこに目指すドイツ村公園があり、入り口には板東俘虜収容所跡と、第九日本初演の地の看板が掲げられていた。
一見すると緑に囲まれた静かな公園なのだが、歩いてみると兵舎や製パン所の跡、給水施設といった遺構が点在しており、何だか明暗の雰囲気が同居する不思議な所だ。
奥に進むと蓮に埋め尽くされた大きな池があり、その傍らには収容所で亡くなった兵士を弔うために、ドイツ兵自身が建立したという慰霊碑があった。
ゆっくり歩きたい所だが、次の列車まで残り1時間を切っている事に気が付き、途中から駆け足で園内を巡る事になってしまった。何せこの場所は隣の板東駅の方が近い場所であり、阿波川端の駅に戻るのに結構時間がかかりそうなのだ。
ここから更に奥にある
駅に到着する頃には、猛暑の中を急いだものだから汗だくになった。まあその甲斐もあって30分も時間が余ったので、駅前の自販機で飲み物を購入して、駅裏の田園からいい風の吹き込んでくる待合室で体力を回復させる。
諏訪神社と愛宕山古墳
駅のすぐ近くには神社があるのを見ていたので、時間もできた事だし行ってみる事にする。住宅地の中の小高い山に作られたよくある神社で、ちょっと立ち寄るには大きすぎず小さすぎずの丁度良い規模である。
さて鳥居をくぐり石段を上がり始めたまでは良いのだが、突然立入禁止の看板が現れ面食らう。神社で立入禁止とか初めて見たが、それ以上の情報が何も書かれていないので、石段が立入禁止なのか境内が立入禁止なのかよくわからない。結局は触らぬ神にたたりなしで引き返した。
駅前に戻ってくると「愛宕山古墳」という標識が出ているのを発見! しかも僅か700m先とあるではないか。これは都合が良いと向かってみたものの、何処にあるのか全くわからない。尋ねられそうな人も見当たらず結局周囲をウロウロしただけで終わってしまった。
無駄に動き回っているだけで何も収穫がないままに時間切れ。
次の列車は高松から2時間近くかけてやってきた徳島行きの4323Dで、日中の小駅とあって乗車するのは自分だけかと思いきや、列車の時間が近くなると、どこからともなく続々と集まってきて結構利用者が居た。
板東
- 所在地 徳島県鳴門市大麻町板東辻見堂
- 開業 大正12年2月15日
白壁に板張りという特徴的なデザインの駅舎で、有人駅か観光施設でも併設しているのかと思うが単なる無人駅である。利用者数の割には随分と凝っているのは周辺に見所が多いからだろうか。
2面あるホームそれぞれには、
駅前に出るとタクシーの営業所と食堂があるのだが、これまでの駅と同じく何だか閑散とした雰囲気が漂っている。やはり歩行者が殆ど居ないし、人の声もしないからかなあ。
第1番札所 霊山寺
今日はここまで3番札所の
霊山寺へと向かう道路は街中を曲がりくねり、板野と同じでいい雰囲気を出している。周囲には観光客はおろか地元民の姿もなく、霊山寺の参道も貸し切り状態である。
これだけ人が居なければ、霊山寺も静かで落ち着いた雰囲気が楽しめそうだと思いきや、こちらは観光バスでやってくる団体客で賑わっていた。結局殆どの人がマイカーやバスで直接乗り付けるから、街中には誰もいないという訳か。
風格のある仁王門を抜けて境内に入ると、沢山の錦鯉が泳ぐ大きな
本堂に向かうと、本堂のすぐ脇からも豊富な水が流れ出ており、暑い最中だけに涼し気な雰囲気がそれだけでありがたい。
本堂の中には沢山の灯籠が吊り下げられており、その橙色の明かりに照らしだされた中を線香の煙が立ち込め、実に美しい光景だった。
十三佛堂や多宝塔を見学してから霊山寺を後にし、再び人気のない静かな街を歩いていると、珍しくシニアカーに乗った婆ちゃんが現れ「暑いねえ」と声をかけあう。とにかく歩いていると洒落にならない暑さで、いくら時間があっても動きまわろうという気力自体が削がれていくのを感じる。
おいでなし亭
駅前には何やら味のある食堂があり、表に貼りだされたメニューを見ると「うどん280円」や「お好み焼き300円」等と、稼ぐ気あるのだろうか思える値段の料理が並んでいる。しかも昼の稼ぎどきだというのに客も居ないとか、入ってみるしかないだろうと店の戸を開けた。
店内に入ると予想はしていたがクーラーは入っておらず、貸切りの静かな店内からは扇風機の回る音だけが聞こえてくる。まもなく奥からおばちゃんが出てきて「特等席へどうぞと」案内され、特等席とは一体と思ったら扇風機の前だった(笑)
そこかしこに漂う昭和の雰囲気に、暑い中を扇風機に煽られていると何だか懐かしさを感じる。
さて何を注文しようか迷っていると、おばちゃんが「ちょうど今ちらし寿司が出来た所やよ」と言うので、ちらし寿司を注文してみた。すると今度は皿にするかパックにするか聞かれ、店でパックとかどういう事かと思ったら、食べきれず持って帰る人が多いんだそう。朝から何も食べていないんだから当然皿だ、空腹感を見透かされたか、大盛りにしておいたからと持ってきた。
ちらし寿司の上に何やら金時豆が乗っていて、徳島のちらし寿司はこの金時豆が入っているのが特徴だと説明を聞きつつ食べる。金時豆の入ったちらし寿司とか食べるのはおろか、見るのも始めてた。
で、実際食べてみると意外とマッチしていて美味いから不思議。
暇になったおばちゃんは近くの席にどっかと座り、雑談しながら列車の時間ギリギリまでここで過ごした。これでたったの300円と格安で、これだからこの手の食堂に入るのはやめられない。
暑さと空腹でゲンナリしていたが、すっかり復活して列車に乗り込む。
池谷
- 所在地 徳島県鳴門市大麻町池谷字柳の本
- 開業 大正5年7月1日
鳴門線の分岐駅であり、高徳線と鳴門線の間に挟まれるように駅舎があるという面白い構造になっている。特急停車駅でもあり有人っぽいが無人駅で、それどころかホーム1面の小さな駅にすらあった券売機さえ設置されていなかった。
元々は構内踏切でホームからすぐ駅舎だったのだろうが、今はホームから長めの跨線橋を渡って駅舎へと向かう。この跨線橋からは駅舎を挟んで左方向に向かう高徳線と、右方向に向かう鳴門線の様子がよくわかる。
そして両線の合流する徳島方向を見ると、れんこん畑の広がるのどかな景色が広がっていて、風当たりもよく心地よい場所だった。
宝幢寺古墳
まずは駅を出て徳島方にある、れんこん畑の方へ歩いてみるが、特に何も収穫がないままに駅に戻ってきてしまった。
ならばと住宅が点在する高松方へ行ってみると、
と、その前にここまで来たのだから宝幢寺にも立ち寄り、板東のおいでなし亭で買った100円のお茶で休憩を取る。
さて改めて古墳への山道を上がっていくと、途中に萩原移築古墳という別な古墳が現れたが何だかよくわからない。その先には墓地が続き、木々に覆われて暗い事もあり楽しい状況ではなく、おまけに顔に蜘蛛の巣がくっついてきてたまらん。
そんな中をしばらく進むと古墳の標識と説明板が現れた。
周囲は草ぼうぼうで何だかよくわからないが、古墳の頂上部には3基の石塔(古墳とは関係ないが)があるという事なので行ってみる。草をかき分けつつ進むが、そこかしこに踏跡があり多少は訪れる人も居るようだ。
しかしこうして来てみると特に古墳に興味がある訳でもない事に気がつき、そそくさと駅まで戻ってきた。
構内散策
次の列車まではまだ時間があったので駅構内を見て歩くと、高徳線と鳴門線に挟まれた草むした所に「鉄道100年記念徳島の史跡ベスト7入選地」なる石碑が立っているのに気が付く。何とかへの下車駅と書いてあるようだが、読み取れず史跡が一体何なのか気になる…。
さらに草木に囲まれた中に続く踏み跡があり、中になにかあるのかと覗いて見ると、無人駅定番の干上がった池があった。池の傍らには段四郎大明神なる小さな祠があり、説明板まで立っている。
構内には色々な物があるが、無人駅になると荒れてしまうのが残念だ。
構内をぶらぶらして時間を潰し、ようやくやってきた徳島行きの4333Dに乗車する。
勝瑞
- 所在地 徳島県板野郡藍住町勝瑞字東勝地
- 開業 大正5年7月1日
板野以来となる久しぶりの有人駅で、広い待合室もあり利用者は多そう。駅舎の方は平屋建ての何てことのないデザインで、周囲も徳島平野の住宅に囲まれた中とあってあまりそそられる所がない。やはり自然を近くに感じられる駅の方が好みだ。
構内にはホームが2面あるが、駅舎側のホームは後から作られた物で、元々は駅舎とは線路を挟んだ反対側にある1面だけだったようだ。島式ホームならともかく、片面だけのホームが駅舎とは反対側にあったとは何だか面白い。手前側には貨物用の側線があったようだからその関係なのだろうか。
駅前に出ると駅舎より規模の大きそうな2階建ての駐輪場が目を引く。
勝瑞城跡
ここでは近くに勝瑞城跡という平城の跡に向かう。田畑や住宅の点在する今の状況からは想像できないが、かつては阿波国の政治、経済、文化の中心地として繁栄していたそうである。
城跡は
鉄筋コンクリート造りなのか、何だかやたら近代的な見性寺の本堂の脇を通り、奥へと進むと休憩所があった。ここには説明がなければ素通りしそうな位ではあるが、当時からの土塁が残っている。
周辺には大きな建物や真新しいトイレが整備されていて、駐車場まであるのだが、寺を含めてまったく人気がなく、広々とした敷地には自分一人という状況であった。
駅に戻り自販機だらけの待合室で列車を待つ、暑い事は暑いが結構風が通り抜けるので心地よい。
次の列車は徳島行きの4339Dで、徳島に近づいてきたからか夕方になってきたからか知らないが、いよいよ列車の混雑が激しくなってきた。
吉成
- 所在地 徳島県徳島市応神町吉成字轟
- 開業 大正5年7月1日
無人駅ながら木造駅舎があり、駅前の緑や青空に白い駅舎がよく映えていた。駅舎内は小さなベンチが少々と券売機がある程度で、まあ高徳線ではよく見かける造りだ。駅舎の雰囲気は良いのだが、駅前に自転車が溢れているのが何とも…。
昭和10年に吉野川橋梁が完成して徳島と結ばれるまでは、ここから吉野川沿いへと路線が伸び、吉野川連絡船を使って徳島と結ばれていたそうである。そこで跨線橋から徳島方を眺めてみると、ゆるく左にカーブしていく道路が見えるが、あれが廃線跡だろうか。
吉野川
周囲を調べてみても特段観光地スポット的な物はないようなので、近くを流れる吉野川でも見に行く事にする。近いとはいえ真っ直ぐ吉野川へ至る道路はなく、ジグザグに田畑の中を進む。
景色としては青空のもとに眉山と青々とした田んぼが広がり、何とものどかで良いのだが、とにかく暑くて汗だく…。
吉野川に近づくと手前に片側2車線の大きな道路が走り、これはどうしたものかと思っていると運良く歩道橋があって助かった。これで障害となる道路は超えたと余裕だったが、今度は吉野川の堤防道路が立ち塞がる。これがまた面白いように車が来てまったく渡れない。
何とか隙を見て道路を横断すると、目の前には広々とした河川敷が広がり、高徳線の吉野川橋梁や遠くは眉山まで見渡せる。しかし肝心の吉野川の流れはまだ結構遠くで、近くまで行こうか迷ったけど、徳島着が日没後になりかねないので引き返す。
そしてまた堤防道路を渡れず、道路端に突っ立っているだけで時間だけが過ぎていく。焦りつつも何とか渡り終えた後は、列車の時刻が迫っている事もあり、走ったり歩いたりを繰り返しつつ駅へと向かった。
ここでなぜだか吉成発を16時48分だと思っていて、駅に到着したのが16時43分だったので、走ったおかげで余裕だなあと思いつつ駅に入り時刻表を見て驚愕。なんと列車は16時40分発でもう出ているではないか。ここにきてついに高徳線の旅では初の乗り遅れである。
幸いにしてこの辺りは列車本数が多いので、程なくして鳴門からやってきた徳島行きの973Dに乗車できたので良かったが、これが阿波大宮だったらヤバイよ。
車内は例によって混雑しており車両の隅っこに立っていく。吉成を出発するとまもなく吉野川橋梁に差し掛かり、近くには行かなかったけど、ここで吉野川を間近に見る事ができた。
佐古
- 所在地 徳島県徳島市佐古二番町
- 開業 昭和10年3月20日
徳島線の分岐駅であり、高架駅となっている近代的な駅だ。周辺も発展していて当然ながら有人駅になっている。高架駅である事や周辺の発展具合といい、栗林を思い出させる。
ホームはカーブ上にあり、さほど広くもない所に上屋の支柱や自販機やと色々と構造物が並んでいて、何とも視界が悪い印象だった。
周辺散策
駅前にあった地図を見ると、この辺りは観光というより商業&住宅エリアといった感じで、特段の見所はなさそうである。仕方ないので近くを流れる川まで行ってみる事にする。この辺りには何だか沢山の川が流れている。
橋の上から川を眺めたりしつつ駅の周囲を一周してみる。
ようやく日は傾いてきたものの相変わらずの暑さであり、途中で見つけたスーパーで飲み物を購入する。自販機だと1本分の値段で2本も手に入り、やっぱ買うならスーパーがベストだよなあ。
周辺は人や車の流れが激しく、こういった喧騒は好きではないので早々と退散すべく駅へと戻った。
ホームで列車を待っていると、なぜだか次の徳島行きは1番線にくると思って待っていると、突然2番線に列車が滑り込んできて慌てた。いよいよ頭が働いていないようだ。
やってきた列車は意外にもキハ47で、ずーっと巡り合わないなあと思っていたのがこのタイミングで来たかという感じ。急な事でまともに撮影できなかったので徳島駅で撮影すると、もう折り返しの鳴門行きになっていた。
徳島
- 所在地 徳島県徳島市寺島本町西一丁目
- 開業 明治32年2月16日
いよいよ高徳線の旅も最後の駅、徳島へとやってきた。日本で唯一電車の走っていない県だけあり、列車から降りると至る所からエンジン音が響き、大きな駅なのに架線のない広々とした頭上が何だか新鮮ですらある。
駅舎は新しく近代的になっているのだが、構内の方は何だか昭和の雰囲気が漂っており懐かしさを感じる。駅の裏側には車両基地が広がり、沢山の車両が屯していた。
改札を出ると人の多さと賑やかさ、ひっきりなしに行き交うバスやタクシーに、高松以上の活気を感じた。もっとも高松は早朝深夜の利用が多いということもある。それにしてもここまでの駅での静けさとは対照的に感じた。
眉山 展望台
時刻は既に18時を回っていて観光施設はほとんど閉まっている。それに徳島は初めて訪れたので細々と見て回るよりも、まずは全体を見ようという訳で、駅のすぐ正面にどっしり構える標高290mの眉山に上がってみることにした。登山をしている余裕はないけど幸いにしてここにはロープウェイがある。
乗り場を目指して市街地を進んでいくと、周囲には大きな建物が建ち並んでいて、閑散とした街を歩いてきた後だけに別世界に迷い込んだかのようだ。どこからともなく大音量の音楽が聞こえてきて、何かイベントでもやってるのかと思ったら、途中を流れる川で「徳島ひょうたん島水都祭2016」というのが開催されていた。
祭りにも多少興味はあるものの日没前の街並みを見たいので先を急ぐ。早歩きに駅からおよそ10分ほどでロープウェイ乗り場のある阿波おどり会館に到着した。この辺りはちょうど山影に入るのですっかり薄暗い。建物に入ると土産物店はあれど乗り場が見当たらず、右往左往していて5階にあることに気がつきエレベーターに乗り込んだ。
5階に到着すると目の前がいきなりチケット売り場だった。すぐ脇にはベンチが並んでいてすでに10人ほどの人たちが搭乗待ちをしていた。それを見て慌ててチケットを購入した。17時半以降は通常1020円のところ、半額近い610円になるという事で何だか得した気分。
ロープウェイは15分間隔で運行していて18時半の便に乗車した。小さなゴンドラが2つ並ぶ面白い姿で、眺めの良さそうな後ろのゴンドラに乗車した。動き始めるとグングンと徳島の街並みが小さくなっていき、吉野川や海まで見えはじめた。
わずか数分で山頂駅に到着すると足早に展望台に向かう。駅から急いだかいもあり何とか日没間際に到着して、夕日に照らされた徳島市街を一望する事ができた。一息ついたところで反対側も見ると、こちらには沈みゆく太陽と吉野川が見え、どちらの眺めも甲乙つけがたい印象的なものだった。
ここにきて一日の疲れがどっと出てきた感じで体調が優れない。山頂で気温が低いのか風当たりが良いからか、それとも風邪でも引きかけているのだろうか、あれほどウンザリするほど暑かったのに寒気すら出てきた。
まだ高徳線の完乗達成には上り線の乗車が残っているので、そろそろ高松へ戻ろうかと思ったところ、周囲から花火大会がどうこういう会話が聞こえはじめた。なんと今夜は花火大会があるそうで、展望台の一角では早くも三脚を立てて陣取っている人の姿もある。
そういう事なら今ならまだ空いている展望台の最前列を確保できる訳で、これはチャンスとばかり予定を変更して最前列に陣取り花火の開始を待った。徐々に周囲が暗くなり夜景が美しくなってくる頃には、続々と人が集まり始め、花火開始の20時近くにはギッチリの人垣ができてしまった。
そして20時になり、さあ開始だと思ったものの一向に花火は打ち上がらない。おかしいなあと周囲もザワザワし始めた20時10分にようやく始まった。
が、しかし…。
なんと花火は山の影に隠れて、音と光しか見えないではないか(笑)
まさかこんなオチがあるとは思わなかったが、今なら20時15分のロープウェイに乗れるんじゃないかとハッとする。これなら20時46分発の普通列車としては最終の高松行きに乗り継げるので、急いで乗り場に向かうとギリギリ間に合った。
何気にこの下りロープウェイの車内からは花火が見えて、まあ見れた訳だしこれはこれで良しとしよう。
外界へ降りてくると後は駅まで歩くだけなのだが、これが祭り&花火のコンボで歩道はすごい人だかり。花火の打ち上がる音を背中で感じつつ、かき分けるように隙間を見つけては早歩きに先へ先へと進み、何とか駅前まで到達。この辺りはビルの隙間からちょうど花火が見えるポイントになっていた。
花火が見えると言っても、高松行きの出発まで残り15分しかなく、急いで改札を抜けて乗り場の3番線へと向かう。
まもなくやってきた高松行き4378Dは、意外にもキハ40の2両編成で、高徳線というか四国でキハ40に乗る事自体が初めてかもしれない。これで高徳線で通常使用されている普通列車用の車種はコンプかな。
昔から馴染みのある車両だが、最近はめっきり乗車機会が減ってきており、これで高松までの2時間以上を揺られるのはちょっと嬉しい所だ。
エピローグ
既に21時近いが結構な数の乗客で、撮影してから向かったのでボックス席は座れないかと思ったが、2両目にうまい具合に空席があった。
祭りの影響なのか何なのか知らないが、浴衣姿の女性や子供の姿も見かけ、発車する頃には立ち客が出るレベルの混雑となった。とはいえ1駅目の佐古からどんどん下車していき、板野を過ぎるとパラパラと乗客が居るレベルにまで減ってしまった。
県境を越えて香川県へと入り、引田から先は再び乗客の出入りが激しくなってくる。県境付近の列車本数が少ないのも納得の人の動きである。
乗客は増えたり減ったりを繰り返していたが、志度から先は徳島発車時のような混雑に逆戻り、対向列車もこんな時間だというのに、軒並み混雑していたのは意外だった。
高松駅ではいつも通りホーム先端の切り欠きに作られた2番線に到着、この列車はそのまま下り最終列車のオレンジタウン行きになるようで、方向幕は既にオレンジタウンになっている。
駅構内は他に列車もなく、乗ってきた列車の乗客が去って行くとガラーンとしてしまう。駅前に出ると0時近いとはいえ、まだまだ沢山の人が出歩いていた。
これで4日間かけた高徳線の旅も終わり、全駅の乗降と全区間での上下線乗車が完了した。沿線は思った以上に見所が沢山あり、時間の都合で行けない所もあったので、いずれまた再訪する事にしよう。
(2016/07/23)
コメント
全線全駅完乗の旅、楽しみに読んでます。
細かい話で恐縮ですが、高徳線のばんどうの漢字は「坂東」ではなく、「板東」です。
ついでながら、うそのようで本当の話ですが、「板東英二」は「板東」出身です。
今後も楽しみにしてます。
よい旅を!
いっちーさん、こんにちは。
ご指摘ありがとうございます、確認したところ見事に間違えてますね。これは全く気が付きませんでした。駅名という肝心な部分が間違えたままになるところで助かります。早速修正しておきました。
それにしても板東英二さんが板東出身だったとは知りませんでした。そういえばあの方も坂東と間違われていることがありますね…。