越美北線 全線全駅完乗の旅 5日目(牛ヶ原〜越前大野)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2017年9月5日、まもなく6時を迎えようとする福井駅。快晴とまではいかないが青空が顔を出し、気温は暑からず寒からずと、旅をするには程よい陽気だ。

恐竜の佇む福井駅前。
恐竜の佇む福井駅前

改札を抜けたら構内にある売店に直行する。北大野まで1時間近くもかかるので、朝食を取りながら向かおうという訳だ。ところが売店から立ち食いそばまで開店前で、列車に乗らないうちから予定が狂いはじめた。

仕方がないので手ぶらで越前大野行きの単行列車に乗りこむ。乗客の姿はなく座席はよりどりみどり。それだけに食べるものがないのが悔やまれる。運転士が出発準備をする物音に耳を傾けつつ発車のときを待つ。

少しずつ乗客が増えはじめ、片手では無理でも両手でなら数えられそうな人数になったところで、列車は動きはじめた。

普通列車の越前大野行き 723D。
普通 越前大野行き 723D

朝露にしっとり濡れた草木が、赤みを帯びた朝日にきらきら輝く。目の覚めるような清々しさに、朝食にあぶれたことも忘れて車窓を見つめる。

ところが福井盆地から山間に進み、美山で混み合う福井行きとすれちがった辺りから、霧が車窓を覆いはじめた。ゆるゆると狭い谷をさかのぼるにつれ、こころなしか霧も深くなっていくような気がする。

やがて福井市と大野市の市境、花山峠の短いトンネルを抜けて、広々とした大野盆地に飛び出した。するとどうだろう、霧はすっかり晴れ渡り、空には眩しいような青空が広がった。列車も息を吹き返したように軽やかに進む。北大野は目前だ。

北大野きたおおの

  • 所在地 福井県大野市中野
  • 開業 1968年(昭和43年)3月25日
  • ホーム 1面1線
路線図(北大野)。
北大野駅ホーム。
北大野駅ホーム

前側のドアから降り立つと、後側のドアから数人乗り込むのが見えた。次は終点なのに利用者があるとは意外だ。待合所には福井行きを待つらしき、旅の装いをした爺さんや若い女性などが集う。街が近いだけに利用者が多いが、福井行きが去ると糖分列車はないため、訪れる人のない静かな駅に変わった。聞こえるのは虫の音くらいのものである。

ホームは単式がひとつあるだけで、いつもの越美北線なのだが、幅だけはやけに広くて他駅の1.5倍くらいある。それでいて相変わらずの短さなので、全体にずんぐりして見える。

ホーム上では色とりどりのベゴニアが花を咲かせて鮮やか。花壇はないがホーム幅の広さを活かしてプランターが並べてある。駅に花があるというのは管理をしている方がいるという事でもあり、華やぐだけでなく暖かみも感じさせる。実際にも水をあげて間がないらしく、プランター周りはしっとり濡れていた。

広い待合所。
広い待合所

待合所はとても大きく出入口が両端の2箇所にあるほど。前後左右に窓がある明るい室内には4〜5人くらい横になれそうな長いベンチがあった。ホームも待合所も他駅とまるで異なる構造で驚かされる。ただ備品だけは他駅とまるで同じで、見なれた清掃道具やゴミ箱が並び、覚えのある芳香剤の香りが漂っていた。

越美北線の各駅は開業年が同じであれば金太郎飴の如くそっくりで、当駅だけ造作が異なるということは当然開業年も当駅だけ異なる。開業は1968年(昭和43年)のことで、末端の勝原から九頭竜湖までの区間が開業するまでは、路線内で最も新しい駅であった。

待合所の下にある駐輪場。
待合所の下にある駐輪場

ホーム中ほどにある幅広の階段を下りると、駅舎はないが電話ボックスのある駅前広場に出る。待合所の下には駐輪場があり、近くには数十台は止められそうな広い駐車場も用意されていた。車を置いて鉄道を利用するための駅という感じだ。もっとも広いだけで肝心の車は片手で数えられるくらいしか止まっていない。

駅前からは大野市街に向けて2車線の道路が伸び、歩道に桜並木まで備えている。新しい駅だけに開業に合わせて周辺も整備されたのかなと思う。沿道には住宅が整然と並んでいて、なんだか新興住宅地のような所である。

鞍ケ淵くらがふち

向かうのは北条時治が自害した地という鞍ケ淵で、駅裏に広がる田んぼの向こう、大野盆地の縁をなす山すそ辺りにあるという。それを知ったのは案内板などがあったからではなく、隣りの牛ケ原駅で入手したパンフレットに載っていたのだ。他には大野城の城門が移築された光明寺の山門という所もあるようだ。

駅前は住宅地だったけど、数分も歩くと青空の下に黄金色の田んぼが広がった。穂を揺らすようにして涼しい風が吹き抜けていき心地よい。立ち止まって眺めていたくなるような景色であると同時に、どこまでも歩いて行きたくなるような気候であった。

駅裏に広がる田んぼ。
駅裏に広がる田んぼ

遠くには黒々とした杉木立に囲まれた神社らしき一角があり気になる。だがとりあえずは眺めるだけに留めて先を急いだ。実のところ鞍ケ淵の正確な位置は分かっていないので、時間に余裕を持って行動したいのだ。気分はすっかり秋だったがこうして足早に歩いていると、少しずつ暑くなってきた。何もしなければ涼しくて心地よいけど動き回ると汗が滲んでくる。

駅から鞍ケ淵までは大体2〜3キロの距離で、道路の大半は交通量が少ないか歩道付きなので歩きやすい。ただ脇をいかにも仕事中ですといった顔をした車が走り抜けていくので、平日の朝っぱらからこんな所をウロウロしている事にばつの悪さを感じてしまう。

やがて見えてきたのは西市という10軒あるかないかといった小さな集落で、古くからの集落であることを主張するかのように、真っ直ぐだった道路がここだけ微妙に曲がっていた。年季の入った住宅や蔵に混じって自家用の小さな畑もあり、麦わら帽子を被って農作業をする爺ちゃんの姿を見かけた。

田んぼの中にある西市集落。
西市集落

鳥居と拝殿があるだけの小じんまりした白山神社を横目に、まるで池かと思うほど流れを感じさせない赤根川を渡る。幅にすると20〜30メートルほどしかないが、上流では大野城の脇を流れていて、天然の堀としての側面も持っていたらしい。まるで鏡のように静かな水面なのは下流に堰があるからだろう、その証拠に遠くから轟々と水の流れ落ちる音が響いてくる。

川沿いの土手上には砂利道があり、鞍ケ淵と書かれた標識がその先を指し示していた。それに従い赤根川と稲刈りを終えた田んぼの間を進んでいく。日を遮るものは何もなく額に汗が浮かぶ。風が冷たさを保っているのが救いだ。人の気配はなく足元から虫の声、遠くの山からセミの声が聞こえてきて、ただひたすらにのどかな場所である。

どんより流れる赤根川。
どんより流れる赤根川

道端に小さな案内板が所在なげに立っていて鞍ケ淵の由来が記されていた。どうやら到着したようだが何の変哲もない場所で、案内板がなければ通り過ぎてしまうこと間違いなしだ。もっともここは景勝地という訳ではないので当然といえば当然の姿か。

鞍ケ淵は鎌倉時代にここ牛原荘の地頭を務めていた武将、北条時治が平泉寺の衆徒に攻め込まれ、最後は家族ともども自害したという地である。時治の乗っていた馬の鞍がこの淵に沈んで主となり、鞍の形をしたものが浮かんで見えるという伝説が残るそう。悲劇的な場所ではあるがそんな重々しさや暗さは微塵もなく、昼寝でもしたら気持ちよさそうな所であった。

案内板には下庄をよくする会と書かれていて、牛ケ原で見かけたのは乾側をよくする会だったのを思い出す。この辺りは地区ごとにこういう会があるのだろうか。よく分からないけどおかげで本来であれば知る由もない見どころを訪れることができて助かっている。

鞍ケ淵。
鞍ケ淵

もう少し川伝いに進んでみようかとも思ったが、この先通行止めと言わんばかりに電柵が道路を横切るのを目にして、そんな意欲は一瞬にして削がれてしまった。この辺りは電柵だらけで少し道を外れると痺れそうなところだ。

越前本線

まだ時間があるので先ほど気になった鎮守の森、ではなく光明寺の山門、でもなく北大野駅の近くに残るという、廃止された京福電鉄の越前本線との交差部分を見学に向かう。いつ知ったのかは覚えていないがここに遺構があるのは知っていた。

越前本線は九頭竜川沿いに福井までを結んでいた路線で、その開業は大正時代にまでさかのぼる。越美北線の着工時には既に存在していたため、北大野を出た列車は築堤を駆け上がり越前本線の上を横断する形になっていた。残念ながら2つの路線を維持するほどの需要はなかったらしく、越美北線開業後の昭和49年に廃止されてしまった。

向かう道すがらには織物や製糸といった文字のみられる工場や倉庫が目につく。この辺りは繊維業が盛んなのだろうか。周囲には大型トラックが止まっていたり、フォークリフトが動き回り活気を感じる。その一方で人気が感じられず廃墟のような建物も見受けられた。

そんな建物に囲まれて1本の大きな木があり、鞍ケ淵にあったのと同じ作りの案内板が立っていた。引き寄せられるように近づくと「一本木(尼廟)」と書いてあった。説明によると江戸時代に尼僧がこの地で亡くなり、そこに村人たちが小廟を建て傍らに木を植えたという。そしてその木を一本木と呼び今日まで守ってきたということだ。周辺の開発が進む中でここだけが昔のままに残っているようである。

建物に囲まれた一本木。
建物に囲まれた一本木

傍らを走る越美北線は築堤で徐々に高度を上げているのが見える。なるべく線路に付かず離れずの道を選び、狭い路地のような通りを抜けるとコンクリートの橋梁が現れた。下には道路が通っていて一見すると道路との立体交差なのだが、大部分がコンクリート製の中で一箇所だけ短い鉄橋になっている部分があり、その下にある草地がどうみても廃線跡だった。

廃止から40年以上が経過しているがきれいに路盤が残っていて、越美北線の下をくぐりぬける電車の姿が目に浮かぶ。ここは越美北線があるが故に開発を免れているようで、前後の区間は住宅や道路に吸収されるように消えていた。詳しく見ていけば痕跡を見つけることもできそうだけど、今回は廃線跡歩きに訪れた訳ではないのでこれで十分満足して引き返した。

越前本線の廃止によって本来の用途は失った立体交差だが、線路跡のとなりを通る道路には車が次々と走り抜けていき、今の時代これはこれで大いに役立っているようだ。

越前本線跡から見上げる越美北線。
越前本線跡から見上げる越美北線

駅に戻ってくると次の列車まで30分と微妙な待ち時間だった。駅裏には鞍ケ淵に向かう時から気になっている鎮守の森らしき木立が気になるが、この駅は表側へのアクセスは良いが裏側には簡単には出ることができないのが問題だ。行こうか行くまいか、走れば間に合うだろうかと迷ったけど、次の列車を逃すと4時間近くも列車がない事を考え諦めた。

牛ケ原の方にヘッドライトの明かりが見えてから全然近づいてこない。この辺りの線路は見事なまでに一直線で、しかも途中に駅まであるので見えてからが長いのだ。徐々に近づいてきた列車は2両編成だった。乗車した先頭車は初乗車となる大野城のラッピング車で、乗車するのは私だけだが5〜6人がぞろぞろと降りていった。

普通列車の九頭竜湖行き 725D。
普通 九頭竜湖行き 725D

発車するとエンジンを唸らせながら先ほどの築堤を上がっていく。今度は車内から廃線跡を見てやろうと車窓にかじりついていると、観察する間もなく一瞬にして通り過ぎてしまい、気がつけば築堤を下っていた。身構えていても気がつかないほどの痕跡だ。この辺りから車窓には住宅が連なるようになり大野市街に入ったことを感じさせる。

まもなく越前大野駅の広い構内にゆっくりと進入していく。広いといってもホームはたかだか1面あるだけだし、側線が少々あるだけと大した規模ではない。ただ越美北線に限定して考えれば圧倒的に大きな駅なのだ。近づくホーム上には何人もが列車を待っていた。

越前大野えちぜんおおの

  • 所在地 福井県大野市弥生町
  • 開業 1960年(昭和35年)12月15日
  • ホーム 1面2線
路線図(越前大野)。
越前大野駅舎。
越前大野駅舎

到着したホームには乗客だけでなくJR作業員も待ち構えており、ドアが開くと慌ただしく通票の受け渡しが行われる。ここにはまだこんな光景が残されているのだ。

列車は2両編成であったが九頭竜湖には1両で向かうらしく、列車の切り離し作業も始まっている。そして片割れは福井行きに仕立て直されていく。途中で半分だけ引き返していくとはなかなか面白い運用をしている。ホームの人混みを見て九頭竜湖方面にこんなに需要があるのかと驚いたが、大部分はこうして姿を現した福井行きに収まるのであった。

沿線最大の駅だけに列車の乗客は大半が降りてしまい、ホーム上は降りる人と乗る人、そして切り離し作業とでごった返す。とはいってもそれは一瞬の賑わいであり、すぐに駅舎と列車に吸い込まれてしまい静けさを取り戻した。

九頭竜湖行きと福井行きに分割。
九頭竜湖行きと福井行きに分割

構内に目をやると1面2線の島式ホームと側線がいくつか並ぶ。ホームは太い骨組みのどっしりした上屋で覆われていたが、駅舎とは跨線橋や地下道ではなく構内踏切で結ばれ、そこに屋根がないのだから雨の日は結局濡れることになるだろう。ホーム上に並ぶベンチはそれぞれが左右と背面をプラ製の波板で囲まれているのが雪国らしかった。

駅舎とホームの間には2本の線路が横切り、駅舎側はホームのない単なる側線で赤い除雪車が油を売っている。構内の外れには2本の線路が収まる大きな車庫の姿が見えたが、扉が閉じられていて中を伺い知ることはできない。

すっかり人気のなくなったホームを後にして駅舎に向かう。構内踏切のホーム側には流れ出る湧水と安全の鐘という鐘楼が目を引く。駅舎側にもまた水が流れ落ちる仕掛けがあり、芋を洗うための芋車が軽快に回っていた。水の街の玄関口らしい演出である。

越前大野駅ホーム。
越前大野駅ホーム

有人改札を抜けて久しぶりに出会った駅舎らしい駅舎に足を踏み入れると、種々雑多な小物や掲示物が並んでいて目移りがする。みどりの窓口があるのが特に新鮮で、越美北線で見たのは初めてだ。そして越前花堂で見かけて以来となる券売機もあった。

待合室には大きな木製テーブルが鎮座し、さして広くもない待合室を一段と狭くしていた。駅のテーブルは稀に見かけるけど待合室に必要なのだろうかと思ってしまう。空いている時は無いよりは有ったほうがいいという感じだけど、混雑してくるとテーブルよりベンチがたくさん並んでいる方がはるかにありがたいのだ。

壁際には大量のパンフレットやポスター並び、ショーケースには地元の特産品が並ぶ。それらを収める棚などは木材を活かした作りになっていて、美山駅にあった観光ターミナルを彷彿とさせる。足元のコンクリートには売店があったらしき痕跡を見て取ることができた。

みどりの窓口がある待合室。
みどりの窓口がある待合室

駅前に出ると広いロータリーになっていて美しく整備されていたが、タクシーが1台暇そうに客待ちしているのと、2人連れの観光客が佇んでいるだけと活気がない。周辺もホテルや商店街ではなく空き地や住宅が目立つ。寂れたというより町外れで開業が昭和35年と新しいから、発展する前にモータリゼーションが到来してしまったという感じだ。

静かな中で方々から水のジャバジャバ流れる音や、小さな水車のカタカタ周る音だけが途切れることなく響いていた。構内だけでなく駅舎の脇にも滔々と水の流れ出る清水広場があり、右を見ても左を見ても水また水の駅である。

振り返って駅舎を見ると瓦屋根の木造平屋建てという暖かみのある作りをしていた。でもよくよく見ると駅舎の前にそのような屋根を設置してあるだけで、駅舎自体は古びたコンクリート造りだった。建て替えるほどの予算がなかったのかハリボテのようなものだが、駅舎にも街にもよく馴染んでいてうまく作ってある。

越前大野城

この街は見どころ豊富で案内板やパンフレットが充実していて、何もない街と同じくらい、どこに行こうか迷ってしまう。じっくり回っていたら1日かけても見終わりそうになく取捨選択が重要になる。大野市といえば四百年以上の歴史があるという七間朝市が有名だが、既にそんな時間ではないので、まずは雲海に浮かぶ姿から天空の城として有名な、大野城から攻めてみることにした。

市内の移動には循環バスやレンタサイクルが便利そうだけど、私の場合は移動するだけでなく街をじっくり見たいので迷うことなく歩く。

駅を出て数分もすると緑に囲まれた小高いところにある社殿が目が留まった。大きな神社らしく思わず立ち寄ると日吉神社と彫られた石柱が立っていた。由緒に目をやると創建は鎌倉時代の初期という歴史ある神社で、かつてこの地に存在した亥山いぬやま城の守護神だったそう。

日吉神社(右側に堀)。
日吉神社(右側に堀)

亥山城といえば朝倉景鏡が拠点としていた城だが、後に金森長近が大野城を築くと廃城となっている。跡地には日吉神社の社殿が造営され遺構はほとんど残っていないようだが、鳥居のすぐ脇にある満々と水をたたえた堀が往時を偲ばせる。覗き込むと濃い緑色をした水面に深さが分からない怖さを感じる。そんな水面には水に浮かぶようにして小さな祠が佇んでいた。

駅からほど近い大きな神社であるが境内に人気はなくひっそりしていた。太い注連縄が印象的な拝殿で参拝をして、帰り際に手水舎の前を通りかかると、真っ白な猫がおいしそうに水を飲んでいた。猫からしたら神社も城跡も水飲み場の完備された遊び場でしかない。

手水舎で水を飲む白猫。
手水舎は猫の水飲み場

気がつけば神社に20分も滞在していて足早に城に向かう。かつての城下町の辺りまでやってくると、駅前とは違い商店が多く賑わいを感じる。気になる町並みや建物も見受けられ足が向かいそうになるが、寄り道していると今日が終わってしまいそうなので後回しだ。

大野城は城下町に接するようにそびえる小高い山にあり、麓から山頂の天守閣に向けてはいくつかの遊歩道が整備されていた。中でも百間坂と名付けられた道は江戸時代、本丸へと向かう唯一の道だったという。となればどこから登るかは決まったも同然だ。名前からして坂道が連続しそうな予感がするが、実際その通りであっという間に汗が吹き出してきた。当時の方々はこんな所を登り降りして大変だと思いきや、藩主がここを通ったのは新年など限られた日だけだったそう。

百間坂を上がりきると緩やかな傾斜地になり、何かしら建物があったらしき平場や石垣がそこかしこに残る。観光客の姿はほとんどないがセミが多くて賑やかだ。息を整えつつ進んでいくと、野面積みという自然石を積み上げた荒々しい石垣の上に天守閣が現れた。それほど大きな建物ではないので石垣の上にちょこんと座っているようにも見えた。

越前大野城。
越前大野城

歩けさえすれば文句はないだろうと言わんばかりの荒々しい石段を上り、天守閣の出入口までやってくると受付があり、おじさんがひとり詰めていた。入館料は200円と安いもので、これだけ閑散としていてこの値段では人件費にもならないだろう。

入館してみるとコンクリート造りの4階建てで、1〜3階までが展示室、4階が展望室になっていた。順番に見学することにしてまずは1階だ。ここは城と武具についての展示で火縄銃などがずらりと並んでいる。小さいなりに充実した展示で、年表や解説にじっくり目を通していると時間がいくらあっても足りないほどで、途中から目が疲れてくるし他の観光ができなくなりそうなので、いつか再訪することにして2階と3階は流れるようにめぐった。

盆地のなかにある山だけに最上階からは360度の眺望が楽しめ、市街地から周辺に広がる田園地帯までを一望できる。高さはそれほどでもないが遮るものがないので眺めは抜群だ。ひとり静かに楽しんでいると中高年の団体がどやどやと上がってきて、小学生の遠足を思わせる騒々しさに逃げるように城を後にした。

展望室からの眺望。
展望室からの眺望

城を出ると小走りに山を下っていく。いよいよ気温が上がってきたらしく残暑という奴だろうか、汗がねっとりとまとわりついてくる嫌な感じだ。降りきったところには民俗資料館があり少し気にはなるけど、それ以上にかつての城下町を歩いてみたかったので、屋外に並んだ展示物を少し眺めた程度で済ませた。

城下町散策

城山を下山したその足で城下町の散策に繰り出す。この町は大野城と共に金森長近により形造られていて、東西方向の六筋と南北方向の六筋が交差するという、碁盤目状に整備された通りが特徴的な姿をしている。さらにそんな城下町を取り囲むようにして多数の寺が建ち並び、同じ金森長近によって整備された飛騨高山の町並みと共通するものを感じる。

そんな数ある通りの中からまずやってきたのは、朝市が開かれる事でも有名な七間通り。かつてはたくさんの商店が建ち並ぶと同時に、城へと続く大手道として栄えたそう。今はいかにも観光通りといった装いに整備され、町歩きをする観光客の姿もちらほら見かけた。

七間通り。
七間通り

ここならば食事処もあるだろうと右に左にと探しながら歩いていると、直角に交差する五番通りにそば屋を発見。迷わず入店すると昼を過ぎたところとあってか貸し切りだった。越美北線の旅では3回目となるそば屋だが、越前名物のおろしそばは食べたことがなかったので、ここで一丁試してみることにした。

出てきたそばはネギと鰹節の載った盛りそばといった面持ち。たっぷりと大根おろしの入っただし汁が付いている。盛りそばとの大きな違いはだし汁にそばを入れて食べるのではなく、だし汁の方をそばの上にぶっかけて頂くということだ。出雲そばのような食べ方である。

味の方はといえばこれが絶品ですっかりはまってしまった。冷たくコシのあるそばに、おろしが加わる事であっさりとした、だし汁の組み合わせが絶妙で、ネギと鰹節の風味がまたよく合う。夏といえばざるそばを定番にしていたけど、これからはおろしそばと悩むことになりそうだ。これでたったの540円というのがまた素晴らしい。

おろしそば。
おろしそば

腹がふくれた所で向かったのは名前に惹かれた石灯籠通り。名に違わず人の背丈ほどある大きな石灯籠が点々と並んでいて、その傍らには形の良い松があるという風情ある通りだった。通り沿いには古びた建物こそあれど特に何があるという訳ではなく、この雰囲気を楽しみつつのんびりと歩いていく。

しばらくすると石灯籠が広い道路の中央でも端でもない、中途半端な位置にあるのに少し違和感を感じる。パンフレットによると火防線として明治時代に道路が拡幅されたとあり、もしかして江戸時代には現在の石灯籠の位置こそが道路の中央か端だったのだろうか。

終点までやってくると少し変わった石灯籠があり、造りとしては同じようだが内部にお地蔵様が安置されているのだ。説明を読むとここは碁盤目状の城下町を作る際に測量の基点とされた場所で、測量用具が埋められ、石灯籠地蔵尊と呼ばれるこのお地蔵様が安置されたそう。城下のシンボルにもなっていたということだ。

石灯籠通り。
石灯籠通り

続いてやってきたのは石灯籠通りとは直角方向に接する寺町通りで、こちらもその名が示すように通りに面して寺が建ち並ぶ。それも点在するのではなく切れ間なく並んでいて、どこまでも寺が続く様は壮観である。この通りだけで9つの宗派にして16もの寺があるそう。地図を見ると他にもいくつもの寺が点在していて、かつての城下町を取り囲んでいるようにも見える。

それぞれの寺に立ち寄っていたら何時間もかかりそうだが、幸か不幸か寺自体は近代的な姿を見せていたりしてそれほど興味を惹かれず、門を眺めるような形でどんどん進んでいく。歩いて眺めるには良い所だけど、これほどたくさんの寺を維持していくのは大変だろうなあと、余計なお世話ともいえる心配をしてしまう。

寺町通り。
寺町通り

大野市は地下水が豊富なところで市内には多数の湧水が存在しており、通り歩きはこの辺にして次は湧水を尋ねてみることにした。数ある中から向かったのは案内板やパンフレットで大きく扱われ、名水百選にも選ばれ、大野を代表する湧水という御清水おしょうずだ。

とまあ目的地だけは順調に決定できてもこの街は興味を引かれるものが多く、途中で別なものに引き寄せられてしまい思うように先に進まない。今回引き寄せられたのは両岸の石積みに歴史を感じさせる小さな水路で芹川用水という。簡単に飛び越えられる幅しかないが、武家屋敷と町人屋敷を隔てるという大きな意味を持った水路だったそう。町人は許可なく跨ぐことはできなかったというから、私など当時の世界に生きていたら一生跨げなかったことだろう。

視界に入るとつい立ち寄ってしまうが、足を止めるのは私くらいのもので周りの観光客はさっさと通り過ぎていく。

芹川用水。
芹川用水

御清水はまるで大きな水路かのような、水で満たされた細長い窪みの中にあった。水路と違うのは行き止まりにも関わらず透き通るような水が流れていることで、片隅にある丸い臼から水が静かに溢れ出していた。その傍らには名水地蔵尊なるお地蔵様が鎮座する。全体が真新しい石材や木材で美しく整備され、水際には足場やそれを覆う上屋まであるという力の入りようである。近隣住民が生活利用するような湧水を想像してくると意表を突かれる。

飲んだり汲んだりするためだろうか柄杓や漏斗がいくつも並べてあり、それではと口に含むと冷たくておいしい。周りの観光客は柔らかい水だと言っているが、そこまでの違いは私の舌では判別できなかった。細かな理由は分からないが普通においしい水という感想である。

御清水。
御清水

近くにはかつて越前国を支配した朝倉義景の墓所があるというので、拠点としていた一乗谷を訪れたこともあり馴染みのある武将なので立ち寄ってみることにした。とはいえ墓所は一乗谷遺跡でも見かけたような気がして後で調べたらやはりそうだった。ここにあるのは江戸時代に旧家臣の子孫によって建立されたもので、向こうにあるのは義景が亡くなって数年後に村民が建てた祠を始まりとするものだそう。

墓所は住宅街の中にあるちょっとした緑地という感じで、山間かつ広大な一乗谷遺跡とは対照的な姿をしていた。その中ほどで苔に覆われた五輪塔が重々しく佇む。背後には家臣や親族の墓も並ぶが、こちらは明治時代になり、やはり旧家臣の子孫によって建立されたという。

隣接する公園には街を歩けばそこらかしこで見かける湧水に加え水琴窟まであった。近所の子どもたちの遊び場になっていて、水琴窟の音色も吹き飛んでしまう賑やかさだ。ふと見上げれば空はいつの間にか本格的な曇り空に変わっていた。青空が見えないのは残念だけど、おかげで暑さはすっかり和らぎ、歩いていても何となく暑いかなあ程度になった。

住宅街に佇む朝倉義景墓所。
住宅街に佇む朝倉義景墓所

時刻を確認すると14時半を回ったところで、このまま駅に向かえば15時8分発の福井行きに乗れそうだ。ちょうど駅に向かう途中には良縁の樹という、縁結びの木がある春日神社が鎮座しており、立ち寄りがてら帰ることにした。

人通りの少ない通り沿いには昭和を感じさせる商店や住宅が立ち並ぶ。江戸や明治でもなければ平成でもないこの感じが郷愁を誘う。間口いっぱいに木製ガラス戸が入った住宅という、見るからに廃業した商店という建物も多く、栄枯盛衰を感じずにはいられない。往時の賑わいを想像しながら歩くのは楽しいが、実際に賑わっていた当時に訪れてみたかったとも思う。

春日神社はそんな古びた町並みの中に突如として現れた。パンフレットの地図では大きく扱われていたので観光客の姿もあるかと思いきや、草むしりをするおばちゃんが2人居るだけという静かな所だ。それでも顔出しのパネルまで用意してあるあたり、休日ともなればそれなりに人出があるのかもしれない。平日は中高年に人気のない場所は閑散としたものだ。

春日神社。
春日神社

良縁の樹は拝殿のすぐ脇で案内板やのぼりに囲まれるようにして佇んでいた。その姿は一風変わったもので、上の方はスギとケヤキが2本が並んで立っているのだが、根本はくっついて1本の木のようになっている。この姿が故に触れると縁に恵まれるという言い伝えがあるそう。

神社全体が縁結びを売りにしているようで、良縁祈願の絵馬やハート型をしたおみくじ結び所まであった。さらには左右2つに分かれた絵馬を組み合わせて1つの絵馬にする、良縁絵馬なるものまであり、これはなんと大野市で手に入るのは左側だけで、右側はとなりの勝山市に行かないと手に入らないそう。縁を結ぶのもなかなかと大変である。

良縁の樹。
良縁の樹

観たし食べたし気分も胃袋もすっかり満たされたので駅へと急ぐ。ところが道すがらには昭和感あふれる商店や銭湯という魅力的な建物があるものだから、ついつい足を止めてしまい遅々として駅が近づいてこない。当然の結果として目的の列車には乗り遅れてしまった…。

ローカル線だけあって次の福井行きまで2時間もあり困った。ここで九頭竜湖行きがあればもう一駅訪問するところだが、そちらはさらに酷くて3時間後である。人気のない待合室でどうしたものかとパンフレットを眺めていると、街中にビュースポットと呼ばれる撮影スポットが点在しているのに気がつく。近場で良さそうな場所はと探すと徳厳寺と最勝寺という2つの寺を隔てる小路が目に留まり、念のため帰りの切符を買ってから再び街に繰り出した。

件の小路は駅から歩いて10分ほどの場所にあり、距離にして100mほどしかない狭い路地のような所だった。しかしながら道の両側には背丈以上もある白壁塀や板塀が続き、絶景とまではいかずとも通りかかったら足を止めたくなる眺めだ。

通りすがら最勝寺の境内に目をやると開け放たれた本堂に目がいく。その姿に引き寄せられるようにして門をくぐると、初めて訪れたのにどこか懐かしさを感じた。境内にある遊具や騒がしいセミの声、そしてこの開放感が子供のころ遊び場にしていた寺と重なって見えたのだ。思いがけず出会ったビュースポットならぬノスタルジックスポットであった。

徳厳寺と最勝寺に挟まれた小路。
徳厳寺と最勝寺に挟まれた小路

時計に目をやるとまだ1時間以上もあり、思いつくままに横丁から駅の裏手まで散策して時間を潰す。表向きは美しく整備された観光都市の面持ちだが、裏通りに足を踏み入れると寂れゆく地方都市といった顔も見せ、どちらも好みとあって右往左往と街歩きが楽しい。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

駅に戻ってきたのは16時を少し回ったところだった。ホームには既に列車が待っているが改札は閉ざされ、窓口にはカーテンが引かれ駅員の姿は見当たらない。指をくわえて車体を眺めるより手はなく、小さな有人駅は好きな時に入場できないのが困り物である。

待合室で立ったり座ったりと油を売っていると、同じ列車に乗るのだろう人たちが少しずつ集まりはじめた。中高年を中心にグループや夫婦での行楽帰りという姿が多い。待合室には申し訳程度しかベンチがなく、立っている人もいるのだから早く乗せてほしいものだ。改札前に立ってやきもきしていると16時半になり窓口が開いた。しかし改札はさらに待たされ、列車に乗ることができたのは発車の30分ほど前のことであった。

普通列車の福井行き 732D。
普通 福井行き 732D

17時10分、定刻通りに越前大野を発車した。夕方の単行列車なので福井に帰宅する人たちで混雑するかと思ったが、立ち客が出るようなこともなく大したことはなかった。

ところが1駅目の北大野で早くも大学生だろうか、10人近い団体が大騒ぎをしつつ乗り込んできた。半裸の格好をしたのもいて一体何の集団だろう。乗車したまま後ろで固まっている彼らのところへ運転士がわざわざ出向き、切符はあるのかと尋ねていた。何か気になることでもあったのだろうか、その行動がこちらは気になる。

車窓は徐々に暗くなっていき窓には車内が映り込みはじめた。それでも方々でコンバインが動き回っていて、点々と歯抜けのように刈り終わった田んぼが目につくようになってきた。

市波付近の車窓。
市波付近の車窓

基本的に乗降客はないが忘れた頃に乗降がある。特に一乗谷では見るからにハイカーという姿をした6〜7人の観光客が乗ってきて、いよいよ立ち客が目立ちはじめた。さらに越前花堂でもどっと乗ってきて、福井に近づくほどに混雑が激しくなっていく。

到着した福井駅の薄暗いホームにもまた結構な人数が列車を待っていた。どうやら越前大野行きを待つ人たちのようで、この列車が折り返すのかと思ったが乗車する気配がない。別な車両と入れ替るのだろうか。この後の車両の動きが気になるも既に18時を回っているのだ、観察している暇はないとばかりに改札に向かった。

福井駅に到着した732D。
福井駅に到着

駅舎を出るともう夜になる一歩手前といった薄暗さ。しかも午前中の青空はなんだったのかというような雨まで降っていて、なるべく濡れないよう足早に宿に向かった。

(2017年9月5日)

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