目次
プロローグ
三角線は宇土半島を縦断する全長25.6km、駅数にして9駅という小さな路線だ。宇土半島は熊本県の中ほどで有明海と八代海を分断するように突き出た半島で、天草諸島への玄関口ともなっている。それを表すように三角線は「あまくさみすみ線」の愛称を持つ。
今では地方の赤字ローカル線といった風情だが、開業は明治32年と100年以上の歴史があり、半島先端にある三角港と熊本方面を結ぶ重要路線だった時代もある。
そんな三角線を訪れることにしたのは行き当たりばったり旅の途上、たまたま宿泊した宿の近くにあったからだ。短期間の滞在中でも完乗できそうな短さ、それに風光明媚であることを予感させる立地に魅力を感じたとも言える。
宇土
- 所在地 熊本県宇土市三拾町
- 開業 1895年(明治28年)1月28日
- ホーム 1面2線
2017年1月3日の朝8時、三角線の起点である宇土にやってきた。宇土市は熊本市の隣にあり古くから城下町として栄えた歴史ある街。そして宇土駅はその名の通り市の中心駅で、鹿児島本線と三角線の分岐駅という要衝でもある。
そんな立ち位置から大きな駅を想像したが、短い島式ホームが1面あるだけと小じんまりしていて少し拍子抜け。ホームの真上には完成して間がなさそうな新しい橋上駅舎が横たわり、駅裏には九州新幹線のこれまた新しい高架橋が通る。近代的な構造物に囲まれてどこか新しい駅のようだが、明治28年の開業と長い歴史を持つ。
構内を眺めると線路の向こう側にホームの跡が残っており、かつて地上駅とそれに接するホームがあった名残だろう。今立っている島式ホームも途中でぷっつり途切れて短いが、途切れた先にもホームの痕跡が延び、昔はもっと大きな構内だった事が想像される。
特に何があるわけでもないホームだが、くまモンを使った案内板があるのが熊本らしい。そして冷凍食品の自販機という変わったものも。加温まで3分かかるので発車間際の購入はご遠慮くださいの張り紙。はたして発車時間になっても出てこなかったら私ならどうするか…。
狭い階段で橋上駅舎に上がり小さな改札口を抜ける。周囲にはみどりの窓口や近距離用の券売機が並び、必要最小限のものだけコンパクトに配置した感じ。新しい駅舎なので小洒落た内装を想像してきたが、むき出しの鉄骨や蛍光灯が並ぶ簡素な造り。どこかの仮駅舎で見たような姿をしていた。
橋上駅舎からは駅の表側にあたる西口と、裏側にあたる東口の2方向に通路が伸びる。まずは朝日を浴びて清々しそうな東口に出てみる。周辺には大型のショッピングセンターや空き地が広がり、いかにも最近になり開発が進んできましたという様子。
これはつまらないと早々に引き返して、地上駅時代の駅舎があった西口に向かう。こちらは対照的に小さな商店が散見される。ただどこか寂れて歴史を感じる街でもない。それというのも駅が街外れに作られたからのようで、元々の市街地はもっと南の方に広がっているようだ。
そんな西口で何より目を引くのが真っ黒な姿で前にせり出すように弧を描く駅舎。青空の下にある黒というのは思いのほか映えて美しい。正面から見ると重厚感ある地上駅のようだが、実際は橋上駅舎に上がる階段やエレベーターの外壁のようなもので、近づくと薄くハリボテのようで「あれっ」となる。
宇土城跡と西岡神宮
駅前におあつらえ向きの宇土市全域をカバーする観光案内板があり、これを利用してどこへ向かうか考える。付近の見どころをいくつか周ることを考えると、船場橋という石橋のある古くからの街を通り抜け、市街地の奥にある宇土城跡と西岡神宮を目指すのが面白そう。あとは気の向くままにといったところか。
そうと決まれば早速出発だ。周辺は古くからの道なのだろう、交通量が多いのに歩道がなくて歩きにくい。道すがらには崩れかけたりブルーシートで覆われた建物が目につき、熊本地震の影響をまざまざと感じる。空は雲ひとつない快晴で暖かそうだが、気温は冬らしく下がり風を切る手が冷たかった。
10分も歩けば見るからに年季の入った石造りのアーチ橋が現れる。街中の運河とでもいった面持ちの小さな川だが、橋だけでなく両岸にも石積みが続き、その上に巨木が並ぶという風情ある眺め。調べるまでもなく江戸時代末期に作られたという船場橋だろう。
眺めるだけではもったいないので渡ってみようと近づくと何だか様子がおかしい。橋の上には欄干などが倒れて石材が散乱しているのだ。これもまた熊本地震の仕業か。出入口はバリケードも設置され渡れるような状態ではなかった。全体が崩れなかったのは大したものだが、修復にはまだまだ時間がかかりそうである。
傍らには轟泉水道井戸という古びた井戸がある。井戸というとその場で汲み上げた地下水かと思ってしまうが、水道というだけのことはあり遠く離れた水源地から引いてきた水だそう。そしてこれが1663年に完成したという日本最古の現役上水道という轟泉水道だった。街中を歩いていると他にも同じような井戸を見かけ街の歴史を感じる。
川沿いに立ち並ぶ巨木は船場川のエノキ群という天然記念物。エノキといえばエノキ茸くらいしか知らないが、同じエノキとは思えない迫力ある大きさである。よく見れば褐色をした小さな実をたくさん実らせた枝も見かける。
他にも明治時代の火力発電所跡なる興味深いものもあり面白い場所だ。それでいて朝早いせいか元々そうなのか知らないが、観光客の姿は全くと言ってよいほど見かけない。地元の方を何人か見かける程度であり、街中でありながらひっそりしているのがまた良かった。どんなに良い場所でも押し合いへし合いごった返せば魅力半減だ。
ひと通り歩いて満足したところで宇土城跡に向かう。駅から城跡までの広い範囲が市街地になっており、商店や住宅がどこか昭和の香りを漂わせる中を進んでいく。船場橋から20分ぐらい歩いただろうか、ようやく緑に囲まれた小高い城跡が見えてきた。
宇土城は隣り合うようにして中世と近世という2つの城跡があり、こちらは小西城とも呼ばれる近世の方。キリシタン大名として知られる小西行長が安土桃山時代に築城したものだそう。ただ江戸初期に破却されて遺構はほとんど残っていないようだ。
入口から階段を30段ほど上がると、本丸跡だろうか大きく開放的な広場があり、青空の下ゲートボールをする中高年の歓声が響く。ここまで宇土を歩いてきた中でどこよりも賑やかな雰囲気。それはともかく片隅に小西行長の銅像こそ建っているが、それ以外に城跡を偲ばせる物は見当たらなかった。
そのまま広場を通り抜け反対側から下っていくと、こちら側には石垣などもチラホラと散見される。かつての姿を復元したのかと思いきや、僅かながら当時の石垣も残っているそうで貴重な遺構だ。
次は近くにあるというもう1つの宇土城、中世宇土城跡に向かうが、その途中で西岡神宮の標識を発見。吸い寄せられるように足を向ける。このあたりまでくると市街地も途切れてきて田畑も顔を出す。まもなく小高い山のふもとに初詣の赤いのぼりや、赤い玉垣が青空に映える神社が見えてくる。
西岡神宮は千三百年の歴史を持ち、宇土地域の総鎮護という古社だ。それだけに参拝者も多いらしく、1月も3日になるが徒歩で車でと訪れる人が散見される。もっとも混雑という程ではない程よい人出で、穏やかな陽気と相まって、正月らしい華やいだ雰囲気がありながらも、日常の落ち着いた雰囲気もある絶妙な空気感だった。
ゆっくり石段を上がり大きな唐破風が印象的な門を抜けると、境内には大勢の巫女さんの姿があり、こちらも正月らしい雰囲気である。
参拝を済ませ御朱印を頂いていると、突然背後から地響きのような轟音が響きはじめ何ごとかと振り返る。見れば和太鼓の演奏で社務所の方が何を言っているのか分からないほどの大音量である。
目前での和太鼓演奏というのはスピーカー越しとは別物で、肌で感じる音や振動には圧倒されると同時に心地よいものがある。すっかり引き込まれて随分と長居をしてしまい、途中の挨拶まで聞いていると保存会や宇土高校の生徒によるものだった。太鼓祭りの宣伝もあり宇土は太鼓でも有名なのだそう。
太鼓演奏はまだ続くようで名残惜しいが改めて中世宇土城跡に向かう。場所的にはどうやら西岡神宮の裏手にあるようだが、目の前にありながら道らしい道が見当たらず右往左往。そうこうしていると公衆トイレのあるそれらしい公園に行き当たった。近いだけに西岡神宮の方から太鼓の音が響いてくる。
中世宇土城は平安時代の築城だそうで、もう何だかよくわからないほど古い。先ほどの近世宇土城より五百年も古く今から千年前というはるか昔の城だ。
城跡は階段状になった丘のような場所で、大半が草地で覆われ木々は少なく広々としている。整備された遊歩道や階段で上へ上へと進むと、さまざまな遺構が復元されつつ残り、ゲートボール場と化していた近世宇土城跡より城跡らしさが漂っている。
山頂まで上がってくれば木々の隙間から宇土の市街地を見渡せる。このあたりは熊本平野の縁だろうか、霞んで見えないほど遥か遠くまで住宅や農地が広がっていた。駅など一体どこにあるのかわからない程で、駅に戻ることを考えると疲れが湧いてくるような景色でさえある。
広い城跡にほとんど人気はなく、ウォーキングをしたり遺構を利用してストレッチをする爺ちゃんと、犬の散歩をするおばちゃんを見かけた程度だ。加えて街外れということもありとても静かで、音といえば遠くを走る車の音くらいしか聞こえない。青空の下すっかり気温は上がり春のような陽気で、昼寝でもしたくなるようなのどかな場所であった。
これで当初の目的地は全て周った訳だが、近くには日本名水百選にも選ばれ、あの轟泉水道井戸の水源という
足早に歩いていると冬とは思えない程にじっとり汗が滲んでくる。今朝の冷え込みは一体何だったのかという感じ。これは今日が特別暖かいのか、それとも1月の熊本はこんなものなのか知らないが、ちょっと夏服に変えたくなるような陽気でさえある。
駅に戻ってきて時刻表を確認すると次の列車は昼近くまでなく、急いで戻ってきたというのに40分も時間が余ってしまった。事前に時刻を確認しろという話だが、あまりガチガチに予定を組むのもつまらないというもの。仕方がないのでホームにある冷凍食品の自販機で唐揚げを購入して昼飯にする。気になる味の方は普通に冷凍食品のそれでまあ当然といえば当然か。
宇土は結構利用者が多くホームにはいつも誰かしら居るような状態。もっとも大半が熊本方面への利用者のようで、私と同じ三角方面へ向かう人は少数派のようだが。そんな三角行きは鹿児島本線の列車を何本か見送ったところでやってきた。
最初に乗車するのは三角行きの普通列車531Dで、2両ワンマン運転のディーゼルカーだ。車両は新しそうに見えて国鉄型というキハ31で、車内は1人がけと2人がけの転換クロスシートが並ぶ。長年の汚れなどにくたびれた感もあるが、海側の1人がけ座席に腰を下ろすと柔らかな座り心地がなかなかと快適だった。
出発すると大きく右にカーブして鹿児島本線から離れ宇土半島へと進路を向ける。先ほど歩いた宇土市街の中を横切り、農地や住宅の点在する平野を国道52号線と並ぶようにして真っ直ぐ進んでいく。ようやく宇土の旅から三角線の旅になったような気がした。
緑川
- 所在地 熊本県宇土市野鶴町
- 開業 1960年(昭和35年)4月1日
- ホーム 1面1線
このあたりは広々とした農地に住宅や小さな集落が点在するのどかな所。そのような場所に駅舎も何もないホームだけがポツンとあり、いかにも後から設置しましたという面持ち。実際平成に入り石打ダム駅が開業するまで三角線で最も新しい駅だった。
そんな駅で降りたのはやはり私だけでホームにも人影はない。目の前には線路と並行して国道が走り、交通量が激しく列車が去ると車の走行音だけが絶え間なく聞こえてくる。
ホーム上には開業時からありそうなレールを骨組みにした屋根と、長い椅子のある待合所があるくらいで駅というより停留所といった感じだ。その隣には「がんばれ直通」の横断幕が掲げられる。何かと思ったらサッカー日本代表でもプレーする植田直通選手の地元だそう。
周辺には緑川郵便局や緑川小学校もあり駅も含め緑川だらけ。なのに地名に緑川の文字がないのが不思議な感じ。ここは昭和29年まで緑川村だったそうなのでその名残だろうか。
粟嶋神社
ここでは宇土駅前の観光案内板にあった粟嶋神社に行ってみる。日本一のミニ鳥居があるという一風変わった面白そうな神社で、緑川の駅名板にも小さな鳥居をくぐる人のイラストが載っている。駅からは1キロもないほどの近距離でまさに最寄り駅だが、列車で訪れるような物好きは私だけしか見かけなかった。
駅を発つと国道を越えて農地の中を真っ直ぐ進んでいく。やがて家々が密集する小さな集落に入ると、途端に曲がりくねった狭い路地が入り組みまるで迷路のよう。古びた建物なども散見され長い歴史を持っていそうな集落だ。やはりサッカーが盛んなのか、そんな狭い場所でサッカーに興じる子供の姿もあった。
今朝のヒンヤリした空気が嘘のように気温が上昇し暑い。きっとただ座っている分には心地よい陽気なのだろうが、日の照りつける中を歩いていると額に汗が浮かんでくる。もう春でも来たかのように錯覚しそうだがまだ正月である。
浜戸川という川幅の広い大きな川の堤防に出る。広いわりに水量が少ないので大半の場所に葦が生い茂り、いかにも平地の河口付近といった様子。まるで枯れ草色の絨毯を敷き詰めたかのよう。そんな堤防に接するように粟嶋神社の大きな鳥居が立っていた。
粟嶋神社は立地としては集落の小さな神社という感じだが、広い駐車場にはたくさんの車が並び、砂埃を上げて次から次へと出入りしている。周囲に緑が少なく静けさもないからか、先ほどの西岡神宮で感じた穏やかさと違い慌ただしさを感じる。
喉の渇きを覚えつつ境内に進むと、何を販売しているのか出店もありごった返す。参拝者だけでなく宮司さんも社務所に拝殿にと忙しそうに走り回り、駅や集落の閑散ぶりとは大違い。
日本一小さいミニ鳥居は拝殿の前に立っていて、もう見るからに面白い光景だ。小さいといってもそんなに小さくはないだろうと思いきや本当に小さい。はたして通り抜けられるのかと不安を感じるような幅だ。それだけに周囲は必至にくぐる人で盛り上がっていた。
そしてそんな様子を袴を着た犬がつまらなそうに眺めているのが印象的であった。
参拝をして御朱印を頂いたら後は駅に戻る。再び路地の入り組んだ集落の中に入っていき、往路は難なく通り抜けた場所なので右へ左へと勘で突き進む。ところがあろうことか方向感覚を失い見当違いの場所に出た。こんなことで列車を逃してなるものかと、今度はしっかり方向を見定めつつ小走りに駅へと向かう。さすがに走ると汗ばむを通り越して汗が流れる。
息を切らしながら戻ってきた甲斐もあり10分と待たずして列車がやってきた。今度はタイミングが良い。乗車したのは三角行きの普通列車533Dで乗降客は私だけ。車内の方も空席が目立ち、この分だと日中の三角線はかなり空いてそうだ。
次の住吉までは農地の中を国道と並んで真っすぐ進んでいくだけ。それだけに車窓も単調なもので特に印象に残るようなものはなかった。
住吉
- 所在地 熊本県宇土市住吉町
- 開業 1899年(明治32年)12月25日
- ホーム 2面2線
三角線の開業時からある数少ない駅のひとつで、有明海まであと一歩の場所にある。歴史ある駅だが駅前は住宅が点在する程度で、駅裏に至っては農地が広がり緑川と大差ない。どうやら古くからの集落は海沿いや山沿いに広がっているらしく、駅はそんな場所とは離れた田畑の広がる中に開設されたからのよう。
列車が停車すると素早く下車するが一向に発車する気配がない。反対方面の熊本行きを待ち合わせということだった。降りたのは私だけで乗る人も居ないようだが、向かいのホームに目をやると何人も列車を待っており、熊本方面には結構需要があるらしい。
そんな利用者の動向からか、向かいの熊本方面ホームには券売機や時刻表が完備されているというのに、こちらの三角方面ホームには券売機はおろか時刻表すらない。辛うじて簡素な待合所だけはあるが、座る気にもならない汚れ具合であった。
上下線の列車が去り静かになったところで、時刻表を確認がてら向かいのホームにも行ってみる。跨線橋はなくホーム端にある構内踏切で線路を横断、枕木を踏み板に並べたどこか懐かしい作り。こちらも簡素な待合所だが座れるベンチがあるだけマシだ。その脇からは駅裏を走る国道への出入口があり、しっかり駐輪場まであった。
その国道沿いのファミレスからだろうか肉を焼くいい匂いが漂ってくる。ちょうど昼時ということもあり無性に腹が減るが、あまり旅先でチェーン店には入りたくない。
表側に戻ると最近まであったという古い木造駅舎の土台があり、駅前広場へと降りるどっしりした石積みの階段だけが残る。駅舎がないだけに何だか妙な空き地と化しているが、足元を見れば遺跡のように待合室や駅務室の形がくっきり残る。
一見するとホームだけの簡素な駅だが、よくよく見れば長い石積みのホームに、駅舎や貨物用ホームの跡など往時を偲ばせるものも残る。宇土の石橋といい石造りのものは寿命が長い。木造で古そうなのは駅前に建つ民家くらいのもので、小さな旅館だったのか凝った意匠のみられる古い家だ。ただあちこち破損していて、これもそう遠くない日に消えてしまいそう。
住吉自然公園
ここでは宇土駅前の観光案内板にあった住吉自然公園に向かう。有明海や雲仙普賢岳が一望できるそうで、今は季節外れで関係ないが時期になれば二千株の紫陽花が咲くそう。世の中にはまるで役に立たない案内板もある中で、朝から大活躍の優秀な案内板である。
海に向けて集落や田畑の中を進んでいく。家はあれど人の気配はなく車も国道が賑わう他はほとんど通らず静かなもの。快適に歩けそうだが気温の高さがそれを許さない。もはや春を通り越して初夏の気分だ。やたら喉が渇き冷たい清流が頭に浮かぶ。道沿いの水路に目が行くが海が近いせいか流れもなくどんより。そこへ赤く泡立つ謎の液体がドボドボ注ぎ込まれ、下流で汚れも集まりやすいのか何とも汚かった。
やがて小さな船がずらりと並ぶ船溜まりに出て、この景色を見てようやく海まできたという実感が湧く。船の大小に関わらず青空の下に浮かぶ白い船というのはいいものだ。
すぐ目の前には海にせり出す小高い山がある。この辺りが住吉自然公園かと近くまで行くと公園ではなく住吉神社があった。まだ新しそうな白い鳥居は高さの割に柱が太くずんぐりして見える。奥には古そうな鳥居も見えて新しいような古いような感じだが、細川肥後藩主の守護神という由緒ある神社だった。
せっかくなので立ち寄り石段を上がっていくと、そこに拝殿はなく山中へと舗装された小道が続いていた。丸太風に加工したコンクリートで作った階段があったり、木々の隙間からは有明海を望めたりと、何だかどこかの遊歩道を歩いている気分にさせる。
木々に囲まれた日陰の下で緑がかるという何だか滑って転びそうな石段を上がり、その先にある古びた門をくぐると拝殿が静かに佇んでいた。人の気配はまったくなく木々の揺れる音だけの世界と、賑やかな西岡神宮や粟嶋神社とはまた違った良さがある。
ただ境内を歩くと随所で石垣や灯籠が倒れたり壊れたままになっているのが気になる。これもまた熊本地震か…。
参拝を済ませたら次は問題の住吉自然公園だ。未だにどこにあるのかよくわからないが、とりあえず拝殿まで上がってくる途中で別な道があったので行ってみる。するとちょっとした東屋もある公園のような場所に出て、有明海を見下ろすようにドゥルー女史の顕彰碑が立っていた。海苔の人工養殖技術の確立に大きく貢献した方である。
近くには住吉灯台が白い姿を見せていて、かつては1724年と日本最古の灯台とも言われる高燈籠があったそう。ただ残念ながら熊本地震で倒壊の恐れありで立ち入り禁止、バリケードが設置され近づくことすらできない。何だかどこへ行っても地震の影響が目につく。
海の方を見れば沖合に「たはれ島」と呼ばれる小島が浮かぶ。何でも昔から航路の目印になっていて、千年も前から都までその名を知られていた有名な島だそう。このあたりは面白いものがたくさんあるが、訪れる人もなく犬を散歩するおっちゃんを見かけただけであった。
公園から急な階段を下っていくと海沿いの道路に出た。どうやら山の反対側に降りてきたようだが、こちら側にも木造の小さなものながら住吉神社の鳥居が立つ。この小高い山全体が住吉神社の境内だったらしい。
住吉神社の山と有明海の間には滅多に車も通らない道路が続き、左手にはびっしりと紫陽花が植えられている。もちろん花の季節ではないので一面に特徴的な枝や葉が広がるだけだが。そして右手を見れば有明海に浮かぶ「たはれ島」がよく見える。海の向こうには雲仙普賢岳がそびえるそうだが、すっかりモヤっていてそれらしい山は全然見えない。
道路には所々に車が止まり、おおかた昼飯でも食べているか昼寝でもしているのだろう。海を眺めながら歩いていると住吉自然公園の看板が立っており、描かれた地図を見ると神社から灯台に紫陽花と全体が公園で、とうの昔に到着していたのであった。
気がつけば公園を一巡しており後は駅に戻るだけとなっていた。一番手っ取り早そうな三角線に並行する国道に出ると、交通量が激しいというのに歩道すらなく困る。歩道があっても国道とか歩きたくないのにこれはない。幸いにして国道と反対側の線路沿いに細々とした道路があったので、これ幸いとこちらから駅に戻ってきた。
すっかり喉はカラカラで自販機はどこかなと思って気がついた。この駅周辺には自販機がまったく見当たらないのである。自販機を探して今までとは反対側を一歩きしてくるが、結局収穫はなく諦めて列車を待つ。
次に乗車するのは三角行きの普通列車537Dで、見なれたいつもの車両がやってきた。車内もいつも通り1人がけ座席が空いていて助かる。
出発すると程なくして農地の広がる平野は終わりを告げ、右手からは有明海が左手からは山が迫ってくる。逃げ場のない海岸伝いに国道と並んで進んでいく。車窓にはどこまでも有明海と干潟が広がる眺めの良い区間だ。途中CMでも知られる海の中を伸びる道、長部田海床路が車窓を横切った。
肥後長浜
- 所在地 熊本県宇土市長浜町
- 開業 1931年(昭和6年)7月17日
- ホーム 1面1線
海と山に挟まれた小さな集落の外れにホームが1面あるだけの小さな駅で、降り立ったのは緑川や住吉と同じく私だけだった。駅前は国道を挟んだすぐ前に海が広がる。一方で駅裏は山裾との間にあるわずかな平地に住宅や畑が所狭しと密集していて、その背後にある斜面には農地が点在していた。変化に富んだ自然が楽しめそうで魅力的な立地だ。
立地は魅力的だが駅自体はこれといって何がある訳ではない。ホームに接して随分とくたびれた待合所があるくらいのものだ。中をのぞくと大柄な建物に不釣り合いな、小さな木製ベンチがあるだけだった。この待合所には裏側に座ったら壊れそうな古いベンチもあったのが印象に残っている。
今ではホームが1面あるだけの駅だがホームに接して小さな空き地があり、かつてはここに駅舎があったと思しきコンクリートの基礎が残る。待合所はその基礎を利用するような形で建っているのだ。
片隅にはコンクリートで蓋をされ、さらに柵で囲まれた井戸のようなものもあった。どう見ても井戸だとは思うが駅で利用していたのだろうか。何か札がかけられているが色あせてしまい何が書いてあるのか読み取れない。何だかよくわからない遺物である。
駅というか線路自体が集落より一段高い場所にあるため、駅舎の跡からは10段ほどの階段があり、民家に挟まれた路地のような所を抜けて駅前の国道に出る。海はすぐ目の前に広がり駅から出ずとも階段の上に立つだけで青々とした海が視界に入る。
長部田海床路
各駅でお世話になっている宇土駅前の観光案内板によると、このあたりの見どころは潮干狩り場だそう。とりあえず海に行くかと国道に出ると交通量が尋常ではない。これで信号がなかったら「うわぁ」となるが、幸いにして押しボタン式の信号機があり、押すとすぐ歩行者信号が青に変わり便利だ。
駅前が海とは海水浴に便利そうな場所だが、海岸に降りてみると干潟が広がり泳ぐどころではない。ここが潮干狩り場らしく大量の貝殻が落ちていて海岸に白い模様を作っている。それにしても日本一駅から近い潮干狩り場とでもいうべき近さである。
ちょうど引き潮らしく見る見る内に潮が引いていき、そこかしこに沖へと向かう小さな水の流れが現れる。何だか沖合まで歩いていけそうに見えるが、少し立ち入るといくら潮が引いているとはいえ靴に水が染み込んできて慌てて戻る。
とりあえず駅周辺にはこれ以上何もなさそうなので、ここはやはり車窓から目にした長部田海床路へ行こうではないか。ちょうど引き潮らしいのもタイミングが良い。列車でもあそこからかなり距離があった気がするので今日はこの駅までにして、長部田海床路で夕焼けを眺めて宿に帰ることに決めた。
国道を歩くのは好きではないが残念ながら海沿いには国道と線路しかない。周辺には釣具屋や民宿らしき古く大きな建物がちらほらと目にとまる。さすがにこの季節だからか、それとも営業していないのか、どこもカーテンがキッチリ閉まっていて人の気配は感じられない。
漁港に立ち寄ったりしつつ先へ進むが、すぐに長浜の集落は終わってしまう。ここからは国道を歩くしかないが歩道があったので助かる。ただ海側ではなく山側なのは残念。仕方ないので山側へ移動しようと思うのだが、これがまあひっきりなしに車が来て途切れることがない。信号がない場所で渡ろうとすると酷いことになる。
こんな所を歩くのは私くらいのものだろうと思いきや、海沿いを走るランナーや地元のおっちゃんとすれ違ったりもした。緑川に住吉と喉が渇いたままだが、いつまでたっても自販機は見当たらず我慢しつつ先へ先へと進んでいく。
駅から40分くらい歩いただろうか、ようやく目的の長部田海床路が見えてきた。それとは逆に信号の方は見当たらずはたして海側に横断できるのかという問題が頭をよぎる。この交通量の多さで信号がないのは考えただけで頭が痛い。ところが運の良いことに絶妙なタイミングで車が途切れてすんなり到着した。
周辺は住吉海岸公園として整備されており、公衆トイレだけでなく海床路を眺められるちょっとした休憩所もある。そして何よりありがたいのは自販機がよりどりみどりにズラリと並ぶこと。ここにきてようやく水分補給をすることができた。
一息ついたところでいよいよ海床路に向かう。すぐ脇を走る国道の交通量は多いが、ここに立ち寄る車は少なく、カップルや家族連れが数組程度と静かなものだ。
海床路の入口に立つと何もない沖合へと向け、道路と電柱が延々続くという不思議な景色が広がる。なぜこんな場所に道路があるのかという感じだが、見ての通り潮が引くと船は使えないのでこの海床路を使って車で沖合まで行き、海苔や貝を収穫するそうだ。
相当に速い速度で潮が引いているらしく、これだけ潮が引いて、しかも晴れているにもかかわらず路面は雨でも降ったかの如く濡れている。
あとは日の入りを眺めようといい場所を探してぶらぶらと歩いて周る。そしてここぞという場所に陣取るとその時を待った。
ところが日の入り時刻を過ぎても太陽は高い位置を保ちまるで沈む気が感じられない。何かおかしいと考えて気がついた。つい数日前まで東京周辺に居たのでその感覚でいたが、ここまで南にくると日の入りが遅いのだ。はからずも日本列島の長さを実感することになった。
そうと分かれば、ぼんやりと沖合に浮かぶ大量の漁船や、周辺を赤々と染めていく夕焼けを眺めて過ごす。この景色に静かに打ち寄せる波の音だけが聞こえ、言葉にできないような贅沢なひと時だった。
そしてここで事件が発生した。少しだけ移動しようと何気なく干潟に足を乗せたところ、不覚にも足を取られてしまったのだ。引き抜こうともがくほどハマっていく底なし沼のよう。もうどうしようもなくなり靴を残して靴下のまま脱出、それから手で靴を引っ張り出して何とか取り返した。だが当然ながら靴は言うに及ばず、靴下からズボンの裾まで泥だらけという酷い有様である。
こうしてひとり大騒ぎをしている間にも太陽は我関せずとさっさと沈んでいき、あっという間に水平線の彼方に消えていった。海の向こうには雲仙普賢岳も薄っすらと姿を見せ美しい景色だが、この状態でどうやってあの遠い駅まで戻るのかと途方に暮れる。感動と絶望が入り混じった、ある意味で一生忘れられない夕焼けとなった。
幸いにして靴の内部は無事だったので泥だらけの靴下を脱ぎ捨て、靴の外観に手にとあちこちの泥を海水で洗い流し、何とか動ける状態にして公園まで戻ってくる。途中干潟で泥まみれになって遊ぶ子供の姿があり、足元くらい大したことないなぁと変な比較をしてしまう。
公衆トイレの近くにはうまい具合に水道があり、しかもおあつらえ向きにスポンジまで用意してあるではないか。もしかして私と同じやらかす人が多いのか。とにかくこれであちこち掃除して何とか見られる姿になる。粘っこい泥で簡単には流れ落ちず大変だった。
そうこうしている間にも周囲はどんどん暗くなり、気温もどんどん下がっているらしく冷たい風に寒さも感じる。これから駅まで歩くことを考えると悲壮感が増してくる。駐車場から去っていく車を目にして、これほどマイカーを羨ましく思うことも滅多にない。
帰宅時間だからか前にも増して国道の交通量は増え、山側の歩道に横断するだけでも一苦労。そして何とか歩道に移り残照の中を進むが、靴下を脱いだら大きめの靴の中で足が動き回り、ふわけた足の指が擦りむけて痛いのなんの。
周囲はどんどん暗くなり取り残されたような寂しさで、ようやく駅にたどり着いた時の安堵感といったらない。ホームに並ぶ僅かな照明がとても頼もしく見えた。
エピローグ
最後の列車は熊本行きの普通列車544Dで、合わせた訳でもないのに10分ほど待っただけでやってきて助かった。逆に言えばもう少し到着が遅ければ、1時間も待ちぼうけと危ないところでもあった。意外なことに他にも1人乗車する人が居て、宇土以外では初めて。
すっかり疲れたので混雑は勘弁だが1人がけ座席もいくつか空いていた。今日乗った列車はどれもこんな感じ。柔らかな座席に腰を下ろし一息つく。ぼんやりと落としきれなかった泥の付着した靴やズボンの裾を眺めていると、あっという間に宇土に到着した。
すっかり夜の雰囲気となった宇土では下車客もそこそこあり、ホームには列車を待つ人の姿も見かける。下車して列車の写真でもと思ったらカメラの電池切れで撮影できずと、最後まで運がいいのか悪いのかよくわからない一日であった。
(2017年1月3日)
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