山陰本線 全線全駅完乗の旅 8日目(山家〜高津)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2017年9月8日、旅のはじまりは京都から30kmほど日本海側に進んだ園部駅。山陰本線の旅はいつも京都から始めていたが、8日目ともなると目的地が遠くなり、ついに旅の起点をここまで前進させることになった。

時刻は6時前と早いため景色は全体的に薄暗く青々している。これだけ早く出発するのは京都から向かうより近くなったとはいえ、最初に向かう綾部まで1時間近くかかるのと、通勤通学の混雑を避ける狙いがある。

それならもっと綾部に近い駅から旅を始めれば良いのだが、わざわざ園部から始めるのには訳がある。山陰本線の旅で当駅を訪れた時のこと、駅裏ともいえる西口だけを利用し、開業当時からの駅前である東口に足を運ぶのを忘れていたのだ。そこで東口を訪ねるという小さな目的達成も兼ね、園部から旅を始めることになったのである。

園部駅東口。
園部駅東口

明治時代からの駅前なので風情ある街並みを期待して訪れた東口。そこは驚くほど特筆すべきものがない駅前風景であった。人通りもなければ車も通らず駐車場ばかりが目立つ。駅弁の文字がある建物は気になるが時間が時間だけに営業していない。肌寒い上に閑散としていて見るべきものもないので早々とホームに向かった。

乗車するのは福知山行きの普通列車で、綾部まで行く列車としては始発となる。発車まで20分もあるが既に入線していたので車内で過ごさせてもらう。もちろんこんな早々と乗車しているのは私だけである。

発車時刻が迫っても乗客はわずかで快適なもの。早朝に京都と反対方向に向かう列車ではこんなものなのだろう。ところが間もなく発車するという段になり、京都からやってきた列車が同じホームの反対側に到着。するとイス取りゲームさながらに小走りに大勢の乗客が乗り継いできて、またたく間に満席となった。

園部駅で発車を待つ、普通列車の福知山行き 1121M。
普通 福知山行き 1121M

慌ただしい乗り継ぎが終わると同時にドアが閉まる。それと同時に稜線上から太陽が顔を出した。朝日が差し込んできて眩しい。あちこちからカチャカチャとブラインドを下げる音が聞こえるが、それをすると景色が見えなくなるから悩ましい。座る側を間違えたかと若干後悔したが、幸か不幸かすぐに雲が広がりはじめ、山間を走ることもあって道中ほとんど日が差し込むことはなかった。

ひと駅目の船岡でホームの花壇に花が植えられているのに気がつく。以前この駅を訪れた時にJRの作業員が、ここにあった切り株や雑草をツルハシで引き起こしていて、花壇を潰して舗装でもするのかと残念に思ったのだが、見事花壇として再生されていて嬉しくなる。

今朝は4時前から起きていたこともあり船岡を過ぎると睡魔に襲われ、沿線の景色はほとんど記憶に残っていない。覚えているのは途中駅からもどんどん乗客が乗ってきたことで、始発とは思えないほど混雑した状態で、綾部駅のホームに滑り込んだ。

綾部あやべ

  • 所在地 京都府綾部市幸通
  • 開業 1904年(明治37年)11月3日
  • ホーム 2面3線
路線図(綾部)。
綾部駅舎。
綾部駅舎

江戸時代には綾部藩の城下町として、明治以降はグンゼの城下町として栄えた綾部市の代表駅である。鉄道としては開業から百年以上の歴史があり、重要港湾を要する舞鶴に至る舞鶴線が分岐し、全ての特急列車が停車するなど、山陰本線における主要駅のひとつだ。

降り立ったホームは通勤通学客でごった返していた。福地山行きや舞鶴行きの列車が到着すると、大勢が下車してくると同時に大勢が乗車していく。列車が去った直後だけホームから人気がなくなり静かになるが、また少しずつ増えてきて列車の到着を迎える。喧騒と静寂が延々と繰り返されているようだった。

歴史ある駅であるが見たところそうは思えない。2面3線の無駄のない配線に、新しいホームと新しい橋上駅舎、なんだか最近開業した駅を見ているようである。じっくり観察すると一部のホーム断面に古びた石積みが残ることに気がつくが、それくらいしか歴史を感じさせるものが見当たらない。かつて多数の貨物側線が並んでいたという駅裏手には新しい街が作られつつあり、駅を含めて全体的に再開発が進んでいる様子。

綾部駅構内。
綾部駅構内

せっかく新築したならもっと広くすれば良かったのに。そう思うほど狭い階段を上がり橋上駅舎に上がる。すぐに小さな有人改札があるが自動改札もない簡素な作り。それでも駅の南北を結ぶ自由通路に面して、みどりの窓口・売店・待合室などが並んでいる。必要な設備を最小限のスペースで実現しましたという佇まいだった。

南北どちらにも出入口があるが古くからの駅前である南側に出た。駅前広場は駅同様きれいに整備されているが、それを取り巻くように古びた建物が残り、細かな商店や住宅が押し合うように正面にそびえる四尾山よつおやまの麓まで広がる。駅からはすっかり歴史の香りが消えているが、街にはまだまだ残されていそうである。

綾部大橋と紫水ケ丘公園

観光案内板や置いてあった観光パンフレットを眺めて目的地を考える。かつてグンゼの社屋や工場が建ち並んでいた駅裏には、グンゼ記念館やグンゼ博物苑などあるが営業時間前。時間が時間だけにどの観光施設に行っても同じこと。そこでまずは早朝の時間つぶしとして、市街地を一望できるという紫水ケ丘公園に向かうことにした。

住宅や商店が軒を連ねる昔ながらの街並みをゆく。中には明治の鉄道開業前からあるのではないかと思わせる古格漂う建物も。入り組んだ狭い道路と相まって、城下町から続く歴史ある街だと感じさせる。人通りは少なくどこか取り残されたように静かだが、昔は商店街として活気があったことは想像に難くない。

古びた建物が散見される市街。
古びた建物が散見される市街地

巨大な堀のように街を取り巻く由良川の堤防に上がると、短いトラス橋をいくつも連ねた綾部大橋が現れた。シンプルに鉄骨を組み合わせた飾り気のない造り。それ故に無駄のない美しさがある。袂に設置された国の登録有形文化財のプレートが誇らしげ。

架橋は昭和4年、約30mのトラス橋を7つも連ね、全長は210mに達する。市街地と対岸で京都や舞鶴方面に伸びる国道とを結んでいる。昭和初期にこれだけの橋を架ける辺りに綾部の繁栄ぶりが偲ばれる。

対岸にある紫水ケ丘公園を目指して橋を渡る。幅員は5.2mで今となっては窮屈だが、当時としては相当大きな橋として映ったことだろう。他所の話だがこのような近代的な橋が架けられたところ、弁当持参で遠方からはるばる見学者が訪れたという逸話があり、ここも当時はそんな人達が居たかもしれない。近くに新しい橋があるため車の往来は少ないが、街への近道なのか歩行者や自転車は頻繁に行き交っていた。

綾部大橋。
綾部大橋

緑に包まれた高台へと続く薄暗い坂道を上る。沿道には雑木林と竹林が広がり、建物どころか人の姿すらない。ひんやりした風がざわざわと木々を揺らす。路面は昨日の雨で湿り気を帯びている。しっとりした雰囲気の坂道が続く。人里離れた山中を思わせるが、木々の隙間からは綾部の市街地が垣間見えた。

空を見上げればどんよりした雲が広がりつつある。しばらくすると雨粒がこぼれはじめ、ついには本降りの激しさとなった。予報ではこんなはずではなく傘を用意していない。雨宿りをしながら途方に暮れていると幸いにして収まってきた。

雨脚の隙を突いて足早に到着した紫水ケ丘公園は、100台くらい停められそうな駐車場を擁する大きな公園だった。見回せば遊具や自販機にバス停まである。しかし人の姿はなく停まっている車も数台だけと設備を持て余している。平日の雨降りではこんなものか。車にしても仕事をサボりに来たような人たちが車内で寝ているだけだった。

雨降りの紫水ケ丘公園。
雨降りの紫水ケ丘公園

やみくもに歩くには広すぎるので案内図に伺いを立て、みはらしの丘や展望台なる眺めの良さそうなポイントを巡ることにする。園内にはさくら広場やつつじの森などがあり、多数の遊具や休憩施設もあるなど、休日ともなれば大人から子供まで賑わいそうな所である。

途中再び激しく降り出したため東屋に逃げ込む。遠くを見れば青空が広がっていて頭上が雨雲との分かれ目のようになっている。徐々に青空の領域がこちらに押し広がってくる。雨雲が追い払われると雨は上がり日も差し込みはじめた。途端に足元から蒸し暑さが漂いはじめ、周辺では鳴りを潜めていたセミが騒ぎはじめた。

みはらしの丘や展望台からは綾部市街が一望できた。足元には由良川がゆったりと流れ、先ほど渡ってきた綾部大橋がよく見える。建物の詰め込まれた市街地の背後には四尾山がどっしり構えている。晴れているのみならず雨上がりで空気が澄んでいるため、遠くまでくっきりきれいに見渡すことができた。

綾部大橋から四尾山の眺め。
綾部大橋から四尾山の眺め

せっかく天気も良くなってきたので、奥丿谷池という案内図の中でも大きなスペースを占める池も訪ねてみることにした。地図上には池に沿うようにして散歩道も整備されていて、この蒸し暑い中で歩くには心地よさそうな所である。

そうして期待半分不安半分でやってきた池は、なんの変哲もない大きな池であった。古くから存在した農業用の溜池を公園に組み入れたという感じもする。濃い緑色をしているため深いのか浅いのか分からない。取り巻く山々も濃い緑色をしているため全体的に緑一色である。人の姿はなくひっそりとしていて、畔を歩いていると深山の池を思わせる。

奥ノ谷池。
奥ノ谷池。

いつしか空には青空が広がり眩しいほどの快晴となっていた。時刻はまもなく昼になろうとしている。早朝の時間つぶしで訪れた紫水ケ丘公園だったが、グンゼ関連の施設を巡る余裕はなくなっていた。それらは舞鶴線を旅する時にでも訪ねることにする。

すぐに次の高津駅に向かうことも考えたが、食事にあぶれる心配があるので、綾部の駅前通りで食事処を探す。何軒かあるが食べたいものが思い浮かばないので決めかねる。行ったり来たりしながら店構えを眺め、いかにも駅前食堂らしい佇まいで、寿司から麺類に丼物までを扱う小さな店ののれんをくぐった。

テーブルが4つあるだけの狭い店内に先客はない。壁には懐かしいミニ提灯が多数並んで居酒屋のようでもある。まもなく奥から感じの良い元気なおばちゃんが現れた。750円という格安の天丼を注文すると手際よく作られてきた。見た目は小さな海老天の上に玉ねぎを乗せて出汁をかけた感じ。味は見た目から想像した通り。あっさりとした天丼だ。チェーン店では味わえない昔ながらの味である。

昼食の天丼。
駅前通りの天丼で昼飯

半日ぶりに戻ってきた駅は今朝の賑わいが嘘のように静まり返っていた。通行人は少なく駅員もどこか手持ち無沙汰にしている。改札を抜けてホームに下りると、老人がひとりベンチに佇んでいるだけと、こちらも驚くほど閑散としていた。

やってきた列車は2両編成の福知山行き。ワンマン列車だったけど訓練中なのか運転室にはどやどや大量の乗務員が詰め込まれている。一方で乗客は数えるほどしか乗っていない。ゆったり窓側に座ることができ、すぐ次の駅で降りるのがもったいなく思える。

綾部駅に入線する、普通列車の福知山行き 1129M。
普通 福知山行き 1129M

列車は綾部から福知山にかけて広がる福知山盆地をゆく。直線的に伸びる線路上を静かにぐんぐん加速。車窓には住宅と田んぼが入り交じるように広がる。亀岡盆地を抜けてからというもの山間を縫うように進んできただけに開放感を感じる。

高津たかつ

  • 所在地 京都府綾部市高津町
  • 開業 1958年(昭和33年)2月12日
  • ホーム 2面2線
路線図(高津)。
高津駅ホーム。
高津駅ホーム

福知山市を目前にした綾部市の外れ、由良川沿いに広がる田園地帯の中、路線開業から半世紀以上も経過してから開設された新しい駅である。山陰本線の旅では京都を発ってから、街中や山間の駅ばかり続いてきたので、このような広々とした環境に置かれた駅は新鮮に映る。

降りたのは私だけで入れ替わりに爺さんがひとり乗り込んだ。列車が去り遮るものがなくなると冷たい風が吹き抜けていく。ざわざわ稲穂が揺れる音が心地よい。日なたを歩けば汗ばむほど暖かいのに日陰で立ち止まると肌寒い。秋の気配を肌で感じる。

構内は上下線それぞれにホームが置かれているだけで、建物はホーム上の待合所と、券売機が収められた小屋くらいしか見当たらない。跨線橋や地下道すらなくホーム間の移動には隣接する踏切を利用する。そんな駅だが利用者は多いらしく駐輪場には大量の自転車が詰め込まれている。参拝者も利用するのか高津八幡宮の案内板も立てられていた。

ホーム出入口に設置された券売機。
出入口に設置された券売機

ホーム端のスロープから自転車の氾濫する小さな駅前広場に出た。道路があるだけで住宅も商店もない。北側の由良川に向けては田んぼが広がり、奥には大きな堤防がどこまでも連なっている。あれがなければ水害に悩まされそうな低い土地だ。そのせいだろう古くからありそうな集落は、南側の若干高台となった山裾に形成されているのが見える。

高津八幡宮

駅から南にある集落を眺めると背後に緑に覆われた小山がある。木々に遮られて姿は見えないが山上には、ホームにも案内板の立つ高津八幡宮が鎮座している。創建は881年(元慶5年)と伝われる古社。考えるまでもなく向かうことにした。

白壁の蔵や茅葺きトタン屋根の建物が残る静かな集落に入っていく。曲がりくねる道路沿いには祠や石仏が安置されている。由良川へと流れ下る細流からは涼し気な音が聞こえる。覗き込むと3~5cm程度の小魚が無数に泳ぎ回っていた。

警鐘台跡という説明板に足が止まる。読むと昭和4年に作られた火の見櫓の跡だという。奇遇にも綾部大橋と同い年だ。向こうは登録有形文化財として大切にされているが、こちらは残念ながら昨年撤去されたとある。昭和四年と刻まれたコンクリートの基礎だけが残る。隣接して明倫堂跡という幕末に開講した郷学校の跡地もあった。

高津八幡宮に向けて高津町をゆく。
神社に向けて高津町をゆく

家々に囲まれるように小さな神社が佇む。傍らでは大きなケヤキが枝を広げている。古めかしい石灯籠や石段があり、狛犬は風化してすっかり丸みを帯びている。歩けば歩くほど長い歴史を感じさせる集落である。

八幡宮と刻まれた道標や石灯籠を横目に進んだ先には、大きく反った笠木や控え柱のある明神鳥居が待ち受けていた。太い木材を巧みに組み合わせて作られている。石造りや簡素な木造はよくあるが、木造でこれだけのものは数少ない。取り付けられた太いしめ縄がよく似合う。薄暗く感じるほど生い茂る木々に囲まれた姿が美しい。

多くの参拝者がありそうな幅広の立派な石段を上っていく。幅は広いが苔むして落ち葉が積もりあまり人通りはなさそう。この石段は1784年(天明4年)から30余年もかけて村民の寄進により築造されたものだという。長い石段に普通なら汗が滲むところであるが、光も届かぬほどの木陰と吹き抜ける風でとても涼しい。

高津八幡宮鳥居。
高津八幡宮の木造鳥居

石段を上がりきると広々とした平坦地に出た。うるさいほどにセミが鳴いている。石灯籠の並ぶ参道の先にはどっしり存在感ある拝殿が構えている。龍の彫刻が施された大きな向拝が目を引く。さすがに創建当時のものではないが江戸時代に建てられたものだという。

鳥居・参道・拝殿の佇まいや案内板の多さには参拝者の多い神社を思わせるが、広い境内には苔や雑草が目立ち、参拝者の姿も全く見られないのがどこか不思議。そうして手水舎に近寄ると自動で水が出はじめて驚く。拝殿にも貴重な文化財だけあって監視カメラが取り付けられている。誰も居ないのに誰かに見られている気がする神社である。

高津八幡宮拝殿。
高津八幡宮の拝殿

駅に戻ろうと思うが城趾の文字が気になる。駅・国道・境内などに立つ高津八幡宮の案内板には、八幡山城や高津城という文字が記されているのだ。どちらが正式名称という訳でもないらしく、案内板によってどちらか片方だけ記されていたり併記されていたりする。案内図によると神社と城趾は隣接しており、気になるなら行くしかないと、参道途中から分岐する小路に足を踏み入れた。

飛び交う蚊に辟易としながら薄暗い樹林を進んでいると少しだけ開けた所に出た。色あせて何が書いてあるのか分からない見晴らし図と、朽ちるに任せたベンチがある。木々の間からは辛うじて福知山方面の家並み、そして遠く大江山周辺の山並みが望める。昔は眺めが良かったのだろうが、もう何年かすれば何も見えなくなりそうな状況である。

城趾から福知山方面の眺め。
城趾から福知山方面の眺め

さらに進むと城の由来を記した説明板や縄張図があった。戦国時代の城というから神社の方が先にあったようだ。目の前にある堀切には丸太橋が架けられて良く整備されている。それを渡り曲輪や主郭跡などを巡り歩く。自然に帰ってはいるが不自然に平坦な土地や切れ込みが城趾であることを物語る。人工物といえばビールの空き缶くらいしか見当たらないが、地形から往時の姿を想像するのが楽しい。

ここまで八幡山城と高津城という両方の文字が使われていたが、城趾に立てられていた標柱には、高津八幡山城と記されていた。

私市円山古墳きさいちまるやまこふん

次の駅に向かう時間はないが帰る時間でもない。もう少し当駅を楽しむことにして由良川対岸にある私市円山古墳に向かうことにした。京都府でも最大規模という円墳でありながら発見は昭和63年と新しい。舞鶴若狭自動車道の建設に伴う事前調査で見つかったという。駅から見て由良川対岸にあり約2kmの道程となる。

駅を出発すると田んぼの中を通り抜けて由良川の堤防上に出る。ここなら車も通らず川面を眺めながらのんびり歩けると考えたのだが、日差しを遮るものがなく風も収まったため猛烈に暑く、のんびりという気分ではない。アスファルトの照り返しも加わり秋から夏に引き戻された気分。おまけに河川敷には森のように木々が茂り川面も見えない。対岸へと渡る橋の上まできてようやく流れを目にすることができた。

由良川を渡る。
由良川を渡る

汗を浮かべながら通りかかった川沿いの集落、道ばたで作業していた兄さんに道を尋ねながら到着、そこは樹林に囲まれ古墳らしきものは見えない所だった。緑に包まれたきれいな遊歩道を進んでいくと突如視界が開け、全体に隙間なく石を敷き詰めた大きな墳丘が現れた。これらの石は由良川から運ばれたもので約6万個もあるという。

作られたのは約1500年前で、高さは約10m、直径は約70mもある。丸い墳丘をぐるり取り囲むように円筒埴輪が並べられている。それも上中下と3段に分かれて3重に並ぶ。よくこれだけ残されていたものだと言いたいところだが当然レプリカ。本物の出土品は綾部市資料館に収められ現地で目にすることはできない。とはいえ往時の姿がよく復元された壮観な眺めであることに変わりはない。

墳丘に上がれば由良川沿いの景色が一望できる。広く平坦でベンチまで配され展望台を思わせる。しかし足元には棺の配置などが記されていて古墳であることを実感させる。これほどの規模でありながら埋葬されていたのが誰かは分かっていないという。

円筒埴輪の並ぶ墳丘上からの眺め。
円筒埴輪の並ぶ墳丘上からの眺め

広々と整備された古墳だがバイクでやってきた兄さんに出会った他は誰も居ない。貸し切りの墳丘の上は風が勢いよく吹き抜け心地よい。ベンチに腰掛けると動きたくなくなる。ぼんやりしているとこのまま日が暮れてしまいそうだ。いつしか大きく傾いた太陽と、はるか遠くを走る列車の姿に急かされ重い腰を上げた。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

駅に戻ってくると1時間に1本程度ある園部行きが出たばかりだった。近場はひと通り歩いて行く所はないし、駅前食堂でもあれば夕飯にするところだがそれもない。仕方がないのでひとりホームで待ちぼうけ。

次にやってきたのは園部行きばかりの中で珍しい京都行きだった。乗車率は窓側だけが埋まる程度。空席はあるのに通路側に荷物を置いている人が多すぎて座れない。都会では空いていても荷物を膝に載せるが、地方では混んでいても荷物を座席に置く。全員そうではないとはいえ各地を旅していると目にすることが多い光景。

高津駅に入線する、普通列車の京都行き 1146M。
普通 京都行き 1146M

通勤通学客とすれば大きな街のある綾部でかなりの人数が降りるはず。そう予想したが意外にも殆ど乗降はなかった。わざわざ京都行きを運行するくらいだから長距離利用者が多い時間帯なのだろうか。どこまで乗るのか見届けたくなってしまうが、今宵の宿は舞鶴に確保してあるので、上下線の完乗を達成する山家で降りて綾部に引き返した。

(2017年9月8日)

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