目次
プロローグ
2016年8月6日、電車の音で目を覚ました。松阪駅近くのホテルだったので近鉄の始発だろうか、そんな事を考えながら時計を見て飛び起きた。もう5時半で参宮線の始発列車に接続する列車が出た後だったのだ。
今日は路線のほぼ中間に位置する伊勢市から、終点の鳥羽までの全駅を巡る予定で、そのためにはどうしても始発に乗る必要があったのだ。今年は4日間しか営業しない臨時駅「池の浦シーサイド」の数少ない営業日なので、また今度という訳にもいかない。しかもこの駅は停車する列車が1日2往復と限られているため、その列車に合わせて全駅に降り立とうとすると、どうしても始発列車で旅を始める必要があったのだ。
近鉄線
頭を抱えていても始まらないので、急いで支度をすると小走りに松阪駅に向かう。まずは時刻表を確認すると次は6時48分までなくてがっかりするが、松阪と伊勢市の間には近鉄線もあることを思い出し、そちらも調べてみると6時9分発があった。これを利用すれば伊勢市から先で、このままJRで向かうより1本早い参宮線の列車に乗り継げることも判明。逃した始発よりは遅くなるけどなんとかなるかもしれない。
どうなるか分からないが残された手としてはこれが最速なので、急いで近鉄の券売機で伊勢市までの切符を購入してホームに向かう。平野部らしく朝から気温が高い上にこの慌ただしさで早々と汗をかいてしまった。
近鉄ホームには所狭しとベンチが並び、列車に積み込むのか山盛りの荷物を手押し車で運んでいたり、同じ駅なのにJRより随分と活気がある。自販機もあったので麦茶を飲んでひと息ついていると、朝日に照らされて賢島行きの普通列車が入線してきた。
車内は空いていたけど駅ごとに徐々に混みはじめ、ほとんどの座席が埋まった状態で伊勢市に到着した。初めて利用する路線なので景色を楽しんでいこうと思ったけど、窓に背を向けるロングシートと利用者の多さに、車窓はまったく記憶に残らなかった。
参宮線のホームに向かうと7時2分発の鳥羽行きが待っていた。乗り込むと冷房がよく効いていて心地いい。4両も連ねているけど貸切状態に空いている。柔らかく座り心地のいい座席に大きな窓も備え、終点まで乗り通したくなる快適さであった。
動き出した列車はわずか4分で五十鈴ケ丘に到着。じっくり乗っていたい気分だっただけに名残惜しい気持ちで席を立つ。当初の計画より54分遅れでの到着である。
五十鈴ケ丘
- 所在地 三重県伊勢市黒瀬町
- 開業 1963年(昭和38年)4月1日
- ホーム 1面1線
志摩半島の海辺から伸びてきた平野と、内陸から伸びてきた山地のぶつかるところで、線路は山すそに沿うように敷かれている。辺りには住宅と田園を中心とした風景が広がり、特別なにがあるという訳ではない。それを表すように線路は明治時代に敷かれていながら、駅が開設されたのは昭和も半ばになってからのことだった。
4両編成の1両目に乗っていた私が降りると、4両目に乗っていた若い車掌が走ってきて切符を回収、それを手に忙しく引き返していき、時間厳守とばかりにすぐにドアを閉めると、慌ただしく列車は去っていった。車掌のきびきびした素早い仕事ぶりに目が釘付けで、乗降客がいたのかどうかさえ記憶にない。
新しい駅だけあって待合所を載せたホームがひとつあるだけで、駅舎はおろかトイレすら見当たらない。そのような簡素な姿でありながら待合所は大きな屋根と長いベンチを備え、傍らには電話ボックスまで備えているのが不思議に映る。地図によると近くの高台に高校があるので平日の朝夕は賑わうのかもしれない。
元々は田園の広がるなかを線路が通っていただけの場所だったのだろう、駅前には狭い道路が横切っているだけで駅前らしさはまるで感じられない。ホームへの出入口付近に雨ざらしの自転車置き場がある程度だった。
二つ池
地図を開いても特別ここに行こうというところは見当たらないし、名所案内板のような行き先を示唆するようなものもないので迷う。朝から慌ただしい時間が続いたから、自然豊かで落ちついたところに向かうことにして、近くに迫る緑豊かな丘陵地に向けて足を進める。
数分ほどで山すそまでやってくると山上に向けて伸びる階段があり、雰囲気としては悪くないのだが、上がった先にあるのがどうやら高校なのが面白くない。カメラ片手に徘徊していたら不審者そのものではないか。そこで近くにある2つの大きな池に目的地を変更した。
池に向けての道のりには、駅から受けるなにもなさそうな印象を覆すように、いくつもの飲食店にまた別な高校もある。いまのところ誰にも出会わないけど時間帯によっては学生で賑わいそうである。件の池はそんな近くにあり、うっそうとした木々に囲まれるようにして鏡のような水面が置かれていた。
二つ池と呼ばれるこの池は西池と東池に分かれていて、それぞれもっとも広いところで250mほどの幅がある。田園地帯に隣接する高台の池なので灌漑用のため池なのだろう。
手近なところにあった西池の畔までいき覗き込む。暗い緑色に濁っていてどれだけの深さがあるのか見当もつかない。巨大な主でも潜んでいそうな雰囲気を漂わせている。眺める分にはそう悪くないのだが、長居をしていると蚊の総攻撃を受けそうで早々と引き返した。
東池にも行ってみたいところであるが、時計に目をやると間もなく次の列車があり、これは今朝の遅れを取り戻すチャンスとばかり急ぎ足に駅に向かう。しかし距離と残り時間を勘案すると雲行きが怪しく、目前で乗り遅れるのだけは回避したいと、途中から全力疾走で田んぼのなかを駆け抜けていく。
汗だくで息を切らしつつホームに駆け上がると、予想外に沢山の利用者がいて驚くと同時に、妙な注目を集めてしまった。
息を整えていると7時29分発の鳥羽行きがやってきた。今朝近鉄を利用していなければ、この列車でここに降り立っていたという列車だ。車内は冷蔵庫のように冷えていて嬉しいが、汗がひく間もなく二見浦に到着する。
二見浦
- 所在地 三重県伊勢市二見町三津
- 開業 1911年(明治44年)7月21日
- ホーム 1面2線
国の名勝に指定された二見浦の最寄り駅である。江戸の昔より景勝地や神宮参拝の禊場として知られたところで、日本初の公設海水浴場といわれる二見浦海水浴場があるほか、二見興玉神社の夫婦岩はあまりにも有名だ。明治時代には賓客の休憩宿泊施設として賓日館が建てられ、昭和初期には二見浦を一望できるロープウェイが築かれるなど、古くより庶民から皇族までが訪れてきた観光名所である。
列車から降りると大きなホームと沢山のベンチが目を引く。掛けられた屋根も1両分などというけち臭いものではなく、列車のどこから降りても濡れることのないような長さがある。利用者の多さを物語るような造りだが、誰もいないのが鉄道の凋落を示すようで物寂しい。
ホームから駅舎に向けて地下道を下っていくと、どこからやってきたのか階段上を小さなカニが歩いていた。隅には細かな白砂も溜まっていて海の近さを感じさせる。
夫婦岩をイメージしたのか左右に分割されたようなデザインの駅舎に入ると、ガラス張りの明るく広い待合室があり、片隅には物産品の並べられた展示スペースがある。駅前にはタクシーも止まっていて観光地の玄関口らしさを漂わせている。しかし無人化されて久しいらしく窓口にはシャッターが下ろされ、休む人もおらず静まりかえっていた。
広々とした駅前に出ると駅舎と向かい合うように白い鳥居が立っている。いかにも二見興玉神社の入口という感じではあるが、単なる観光用なのか二見浦観光協会と書いてある。駅舎の脇には小さな夫婦岩のオブジェを取り囲むように、種々雑多な花の咲くプランターや鉢植えが並べてあり鮮やかだ。
駅は内外ともに観光地という感じで整備してあるが、駅員はいないし観光客どころか地元民すらまるで見かけない。諦めたのかタクシーもいつの間にか姿を消していた。
夫婦岩
本物の夫婦岩まで行ってみる事にして、まずは二見興玉神社へと向かう。駅前にある鳥居をくぐり、観光地らしく整備された道路を、海に向けて真っ直ぐ進んでいく。周囲には観光地らしい店も並んでいるが、8時前とあってか営業しているのは喫茶店くらいのものだった。歩いているのも自分以外には1人位しか見当たらない。
海の近くまで来ると大きなホテルや旅館が建ち並ぶようになり、その隙間を通り抜けるようにして松の並ぶ海岸線に出た。日本の渚百選に選ばれた二見浦海岸だ。松林や海岸などを行ったり来たりしながら10分も歩けば二見興玉神社に到着した。
駅からここまでほとんど人には出会わなかったが、神社の前まで来ると観光客なのか参拝者なのか分からないがごった返していた。鳥居のすぐ前が駐車場という事もあり、出入りする車やバイクの音が騒々しい。いままでの静寂はどこへやらだ。
鳥居をくぐると海沿いに参道がつづき眺めは抜群。真っ赤な鳥居が印象的な天の岩屋を過ぎると拝殿があった。ただ拝殿の横に位置する社務所が、建て替え工事の真っ最中という事もあり、どうもバタバタして落ち着かない雰囲気である。
参拝を済ませたら拝殿脇を通り抜けて夫婦岩に向かう。この時期だと早朝にやってくれば、岩の間から朝日が昇るところが拝めるらしい。周囲にはなぜだか犬連れが多くて、やたらと犬が目に留まり、夫婦岩よりそちらの方が印象に残る。
列車まで時間はあるが暑さに体力を削られ、朝食を取る暇もなかったので腹は減り、次の駅に向けての体力回復がてら早めに駅に向かう。往路で閑散としていた旅館街ではあちこちで送迎車に乗り込む姿がある。駅前では宿の名前が記された車やバスが次々とやってきて、鉄道利用での宿泊者が思いのほか多いことに驚く。ホームに向かうと降り立ったときは無用の長物かに思われた沢山のベンチも埋まっている。物寂しさが目立っていた駅だけに嬉しい光景である。
隅のほうに見つけた空席に腰を下ろし、列車を待ちがてら、駅近くのコンビニで買ってきたおにぎりをほおばる。そこにやってきたのが名古屋行きの快速列車で、大半の人々はこれに乗って去っていった。
残された数人とさらに20分ほど待ち、やってきた9時37分発の鳥羽行きに乗り込む。この列車は土曜・休日のみの運転で、平日ならさらに1時間も待たされるところであった。
エンジンを唸らせながら動き出した列車はすぐにトンネルに入った。参宮線で目にする初めてのトンネルだ。この辺りは海岸まで山が迫るのみならず、海岸には夫婦岩のある二見興玉神社が鎮座しているので、好むと好まざるとトンネルを掘るしかなかったのかもしれない。
あっという間に暗闇を抜けると、海辺でも街中でもなく、のどかな山間とでもいった景色が広がった。駅はありそうにない景色だけど列車は速度を落としはじめた。
松下
- 所在地 三重県伊勢市二見町松下
- 開業 1963年(昭和38年)4月1日
- ホーム 1面1線
海が近いことを忘れさせるような、四方から山に見下された小さな平地で、山の木々と休耕田の雑草からなる緑に包まれたようなところである。この辺りの山々は海まで迫っているため、トンネルでも掘らないかぎり二見浦から鳥羽に向かうにはここを通るしかなく、線路の近くを並走するように国道が通っている。
涼しい列車から降りると熱気にくらりとする。利用者は少なそうだという景色から受けた印象通り、降りたのは私だけだったが、意外なことに入れ替わるように1人が乗車した。
戦後に開設された小駅とあって、線路脇にホームを置いただけという姿で、小さな待合所にはベンチがひとつあるのみだった。面白いのがホーム上に電話ボックスがあることで、参宮線では外城田や五十鈴ケ丘でも目にしたが、なぜか駅前ではなくホーム上に設置してある。このような小さな駅のしかもホーム上とか利用者はあるのだろうかと思う。
ホーム端にある階段を下りて、線路より一段低いところを通る、田んぼ道のような狭い道路に出た。単管を組んで作られた簡易な自転車置き場があるだけで、駅前広場も商店もなく、数軒の民家があるのみである。
しょうぶ園
駅前には観光案内板のような気の利いたものはなにもない。1.5kmほど歩いて海辺まで行けば水族館があるのだが、絶対に逃すことのできない次の列車まで1時間ほどしかないので無理だ。その列車というのは1日2本しかない池の浦シーサイドに停車する列車の1本目で、これに乗らないと2本目で次の鳥羽に向かうことができなくなるのだ。
近くを走る国道42号線沿いに「民話の駅 蘇民」なる施設があるので、詳しいことはよく分からないけど、名前からして道の駅のようなものだろうと想像。徒歩数分という近さも魅力でとりあえず向かってみることにした。
歩きはじめると強い日差しと草いきれで汗がしたたる。国道に出ると路面からの照り返しもさることながら、行き交う車が浴びせてくる熱風と騒音がたまらない。
見えてきた民話の駅は続々とやってくる車でごった返していた。なにがあるのかと建物に入ると地元産の野菜や魚などを販売していた。新鮮だろうと安かろうと野菜を持ち歩く気にはならず、どうしたものかと店内をひとまわりしていると、きなこ餅があったので小昼用に購入しておく。暑くてしょうがないので飲み物も買おうかと思ったけど、変なところで節約心が湧いてきて思いとどまった。
民話の駅の裏手にはしょうぶ園があるというので、季節外れではあるがなにか面白いものでもないかと足を向ける。列車までは時間があるうえ暑いので、涼しい休憩場所でもあれば、先ほどのきなこ餅を食べながら涼もうという魂胆もあった。
そして建物を出て裏手にまわって驚いた。ショウブではなくハスの花がいくつも咲き誇っているのだ。思いがけず出会った美しい光景に来てよかったと思う。
山すその開けた土地に伸びる細い道路にしょうぶ園の標識が立っている。見たところ田んぼが広がっていたところをしょうぶ園にしたような感じだ。遠目にもそれらしきところは緑色ばかりだし、まったく人の気配もないので、見るべきものがないことは想像がつくが、矢印に従いどんどん進んでいく。
現れた案内板によるとここは「二見しょうぶロマンの森」というのが正式名称らしい。散策路の整備された広い園内には、様々なショウブが植えてあり、開花時期ともなれば見ごたえがありそうだ。真夏のいまは稲刈り後の田んぼのように株ばかりが並んでる。
来てはみたものの暑かっただけで収穫はなかった。奥のほうに東屋のようなものもあるが、涼しそうではないし、座って休むだけなら駅のベンチでもいいので引き返す。
うだるような暑さのなか駅に戻ってくるともう汗だくだった。雲ひとつない快晴で空の青さと草木の緑は鮮やかで美しいが、干からびてしまいそうな熱気には参ってしまう。
待合所に掲げられた時刻表を確認すると、まもなく鳥羽行きの快速みえがあってタイミングがいい。こんな小さな駅に快速が止まるとは思わなかった。しかし喜んだのも束の間、この列車は次に向かう池の浦シーサイドに停車しないから使えないのだ。まさにぬか喜びであった。
池の浦シーサイドに停車する列車までは30分ほどあるので、ベンチに腰かけて先ほど購入したきなこ餅を口にする。程よい甘さで美味かったが、暑いなか粉っぽい甘いものを食べたことで猛烈に喉が渇きはじめた。自販機でもないかと周囲を見まわすが、そんなものは影も形もなく、民話の駅で飲み物を買わなかったことを今頃悔やむことになった。
民話の駅まで戻る気にはならないが暑さと喉の乾きは耐えがたく、どうしたものかと思案していると、突然駅に取り付けられたスピーカーが喋りはじめた。この状況での運転見合わせという最悪の状況が頭をよぎったが、池の浦シーサイドへや普通列車を利用するようにという案内放送であった。
松下集落
近くにあるどん詰まりの狭い谷間には、駅名の由来となったと思われる集落があり、地図を見るとぎっしり家屋が詰まっていることが確認できる。なぜこんな平地もわずかな狭小なところに人が集まったのだろうかと思う。どのようなところなのか時間もあることだし自販機を探しがてら行ってみることにした。
ホームを下りて線路沿いの小路を百メートルほどいくと、国道から線路下をくぐり抜けて集落に入り込んでいく、集落のメインストリートともいえる道路に出る。快速列車の走り去る音を背中で聞きながら足を進めていく。
徐々に狭まってきた谷間には、川が流れるように左右にうねりながら道路が伸び、両側のわずかな土地にぎっしりと家屋が並んでいる。奥まったところには車すら通れないような細道と共に家屋が並ぶ。建物は新しいものから古いもの、板蔵や崩れかけた空き家など、種々雑多な姿をしている。山間の鉱山町を思わせるいいところだ。
街角には立ち話に夢中なおばさんたちや、ゆっくり歩く老人の姿があり、想像していたよりずっと人の気配に満ちている。駅の周囲を見たときには、どうしてここに駅を開設したのだろうかとすら思えたが、そんな印象は少しばかり変わってきた。
そしてようやく念願の自販機を発見した。まだ家並みには先があり集落の最深部は気になるけど列車時刻が近づいてきたので引き返す。次の10時55分発の鳥羽行きは、1日2本だけ池の浦シーサイドに停車する下り列車の1本目なので、乗り遅れると大変なことになるのだ。もう1本あるなら慌てなくても良さそうだけど、2本しかないということは最初の列車で下車しないと先に進めなくなるのである。
喉をうるおして駅に向かうが、乗り遅れては大変とばかり早歩きになり、駅に着くころにはまた喉が渇いてしまった。
待つほどもなくやってきた列車に乗車したのは私だけだったが、車内は混雑していて満席状態だった。すぐ降りるのとワンマン列車であることから、降りやすいようにできるだけ前よりに移動して立っていく。ワンマン列車のはずだが乗務員は2名乗っていた。
池の浦シーサイド
- 所在地 三重県伊勢市二見町松下
- 開業 1989年(平成元年)7月16日
- ホーム 1面1線
海水浴場へのアクセス駅として夏季限定で営業する、JR東海管内では現存する唯一の臨時駅である。開設されたのは平成元年で参宮線の駅としてはもっとも新しい。当初こそ夏休み期間を通じて営業していたが、利用者の減少に合わせて営業日は減り続け、いまでは年間4日間のみ営業して上下16本の列車しか止まらないという、もはや何のために存在しているのかよく分からないような駅と化している。
はたしてどれだけの利用者があるのか興味津々で、あらかじめ車内前よりに移動しておいた私はすぐに下車して様子をうかがう。すると乗客のほとんどが降りてしまうのではないかと思うほど続々と降りてくる。狭いホームは写真撮影に興じる人たち、歓談する人たち、景色を楽しむ人たちなどが入り混じり、祭りのような賑わしさとなった。
変わった駅ではあるが楽しめるものも休むところもなく、強い日差しには追い立てられ、ひとりふたりと駅を去っていく。どこに行くのだろうかと会話に耳を傾けると、近くにあるバス停に行くという声が聞こえてくる。やがてほとんどの人は去ってしまい、あとには間もなくやってくる上り列車を待つ人と、海辺を散策する人がわずかに残る程度となった。降り立つことが目的というアトラクションのような駅だなと思う。
すっかり静かになったホームを散策して歩く。シーサイドという駅名通り目前どころか足もとまで海が迫っていて眺めは抜群にいい。日本一海が近い駅といわれる信越本線の青海川や、鶴見線の海芝浦ともいい勝負ができそうな立地である。
ホーム端の階段から駅前に出てみると砂利と雑草からなる小さな広場になっていた。見まわしても運賃表が立てられているだけで、駅前を匂わせるようなものは何もない。観光用の駅として開設した名残りだろうか、古びたコンクリート製のベンチが、あちこちに放置状態で残されている。なんだか海辺にある寂れた公園のような風情であった。
海水浴場
次の下り列車まで約3時間ある。私はかなづちなので海水浴場にはあまり興味はないのだが、海水浴場へのアクセスのために開設された駅なので、利用者の目的地と想定されていた池の浦シーサイドパークという海水浴場まで行ってみることにする。
地図によると道のりは約1kmでそう遠くないが、海岸に道がないため軽い山越えをしなければならない。鉄道を利用したうえに山道を歩いての海水浴とは、昭和の時代ならまだしも現代では選択肢のひとつにすらならないだろう。まさに廃れるべくして廃れた駅だなと思う。
ぐねぐねと歩道のない道路で山を上っていく。途端に強い日差しと照り返しで汗が噴き出す。鉄道利用で訪れた海水浴客もこんな具合に歩いて向かったのか、それとも連絡バスのひとつでもあったのか、当時の様子に思いをめぐらす。
やがて海の蝶という大きな旅館が見えてくると、道路はそのまま旅館の駐車場でついえていた。車のまったく通らない道路だと思ったが道理である。それにしても海水浴場はどうなったのかと戸惑っていると、駐車場の反対側から新たな道路が伸びているのに気がついた。しかもそこには関所のように海水浴場の料金所が設けられていた。
シャワーなどの施設を利用しなければ無料だと思っていたので、慌てて財布を取り出し、関所のおじさんに500円を手渡した。察するにこの旅館のプライベートビーチを利用させてもらうという感じだろうか。泳ぐわけではないので微妙な気分になる出費だが、支払わないと肝心の海水浴場を目にすることすらできないのでは仕方がない。
料金所を通過するとこれまでとは一転して下り坂となり、程なく海辺の開けたところに飛び出した。リゾート感のある平屋建ての白い建物があり、近づくと飲食店やシャワー施設などが収められていた。その建物を通り抜けたところが件の海水浴場で、目の前には広々とした砂浜と穏やかな海が広がった。時間的には駅を発ってから15分程度しか経過していないが、猛烈な暑さと坂道のせいで随分遠いところまで来た気がする。
緩やかに弧を描く砂浜は500mほどの長さがある。背後には樹林に包まれた山々が迫り、正面には小さな島々の浮かぶ伊勢湾が広がっている。外の世界から隔絶された無人島にでも来たかのような気分だ。こんなにいいところは賑わいそうなものだけど、夏休み中の週末にも関わらず、わずかに10人程度しか見当たらない。
波打ち際まで行ってみると海はどこまでも澄んでいる。足もとの砂はざくざくとした砂利っぽいもので、波が寄せるたびにざわざわといい音を立てる。歩いたり座ったりしても、さらさらの砂のようにまとわりついてこないので具合がいい。日差しは強いが海からいい風が吹きつけてくるので、快適で居心地がよかった。
ちょうど昼になったので先ほど目にした飲食店でラーメンとハイボールを注文。私のほかには家族連れがひと組だけという静けさで、冷房はないが開け放たれた窓から吹き込んでくる風が心地いい。なんともゆったりした時間の流れる海水浴場だ。
まずはよく冷えたハイボールが運ばれてきて、空きっ腹に飲んだものだから一気に酔いがまわってきた。やや遅れてラーメンが出てきたが、こちらは丼が使い捨て容器なのを見てどうなのかと思ったけど、食べてみれば濃厚な味で汗をかいた体には染み入るように美味かった。
すっかり汗は引いてアルコールはまわり、このまま昼寝でもしたい気分になってきたが、そろそろ駅に戻らなければならない。この暑さのなかであの山越えをすれば汗だくになるのは目に見えているが、いつまでもこうしている訳にもいかず重い腰を上げた。
とぼとぼ坂道を上がっていると、意外なことに下ってくる大勢の家族連れとすれちがった。どこかの子供会かと思うような団体だった。少し遅れて大きく重そうなクーラーボックスを提げた男性2人連れともすれちがう。どこから歩いてきたのだろうか。
案の定に汗だくになりながら駅まで戻ってくると、ホームまで迫っていた水面がすっかり引いて、走り回れそうなほど広い干潟が出現していた。降り立ってからまだ2時間ほどしか経っていないというのに、別な場所かと思うほどに景色が変わっている。暑いなか歩いたことと驚きとですっかり酔いはさめてしまった。
次の列車までまだ1時間近くある。下り列車としては最終列車になるので乗り遅れては大変だと急ぎすぎてしまった。休憩しようにも待合室はないし、駅前のベンチは日当たり抜群なうえに加熱されて座れたものではなく、列車を待つには過酷な環境だ。
ホームに立っていると焼け焦げてしまいそうなので、歩いて暑さを紛らわせようと近くを走る国道まで出てみると、池の浦というバス停があった。時刻表を確認すると意外と本数は多く、伊勢神宮や鳥羽水族館などに向けて毎時4本も出ている。辺りには多少の民家に美術館もあるので、池の浦シーサイドを常設駅にすれば多少なりとも利用が見込めるんじゃないかと思ったけど、どうやら鉄道の出番はなさそうである。
すっかり潮の引いた駅前干潟に下りてみる。豊かな海なのだろう組合員以外の採貝を禁止する札や看板が立っている。靴なので踏みこむ気にはならないが、まだ海水に覆われた沖合も浅そうで、ビーチサンダルでもあれば相当なところまで歩いていけそうだ。
先ほどまで波が寄せていた線路沿いも、海底から大量の石が顔を出すようになっていたので、その上を歩いて駅の先まで行ってみる。石には滑りやすいものや動くものが混じっているので、転ばないように慎重に足を運んでいく。
ホームの先端を過ぎてさらに百メートルほどいくと参宮線の小さな橋梁があった。川が流れているのかなと思ったけど、海を埋め立てて線路を通したことで山側にできた、小さな入り江の入口になっているようだ。橋脚は古めかしいレンガ造りで開業当時からあるとすれば百年以上の歴史を持っていることになる。こちらも参宮線で使われていたものだろうか、辺りには放棄されたレンガの塊がいくつも転がっていた。
橋梁から先にも行ってみると広々とした砂地の干潟が広がっていた。どこまでも歩いて行きたくなるような魅力的な景色だったが、いよいよ列車時刻が迫ってきたため、残念だけどここで引き返すことにした。
下り最終列車となる13時58分発の鳥羽行きがやってきた。乗車したのは私を含めて3人だけ、降りたのも数人だけと先ほどの混雑からすると寂しいものだった。いっぽうで車内は立ち客が出るほど混雑していたので運転席の後ろに立っていく。もっともここから先には海沿いをゆく参宮線屈指の景勝区間があり、座席は車窓を眺めにくいロングシートだったので、空いていたとしても立っていたかもしれない。
動き出した列車は両側が海という、海上を走っているかと錯覚させるようなところを走り抜け、複線電化の重厚な近鉄線が寄り添ってくると、終点の鳥羽駅が見えてきた。
列車は速度を落としながら鳥羽駅構内に入り込んでいく。右手の歴史を感じさせるJRホームと、左手の近代的な近鉄ホームの間をゆっくりと進み、もっとも奥まったところにある、あとから取って付けたような小さな0番線ホームに停車した。
鳥羽
- 所在地 三重県鳥羽市鳥羽一丁目
- 開業 1911年(明治44年)7月21日
- ホーム 3面7線
伊勢神宮を擁する伊勢市や、英虞湾を抱える志摩市と並び、志摩半島における観光拠点のひとつとなっている鳥羽市の代表駅である。大阪名古屋に賢島へと向かう近鉄線や、伊良湖水道を挟んで対岸の渥美半島とを結ぶフェリー、それに多数のバス路線が接続する交通の要衝にもなっている。
終着駅なので大勢の乗客全員と降り立った。ホームは1面あるのみだったけど、屋根に包まれた幅広で長々とした姿には、百年以上の歴史を刻んだ終着駅としての貫禄が漂う。その佇まいが長大な列車と行き交う利用者で活況を呈していたことを偲ばせるだけに、目の前に置かれた2両編成の列車と、改札口に吸い込まれて誰もいなくなった光景が物寂しい。
すぐ隣りには近鉄線のホームもあるが、向こうは2面のホームがあるうえに、長い特急列車が発着して利用者も多く活気がある。三重県内では松阪や伊勢市などでJRと近鉄の共同使用駅を見てきたけど、どこも同じような両者の関係であった。
終着駅なので参宮線の途絶えるところが気になり、ホームの端までいくと、目の前であっさり途切れて終わっていた。すぐ左側にはさらに先を目指す近鉄線が伸びているせいだろう、鉄路の果てまできたという感慨のようなものは湧かなかった。
改札を抜けて駅舎に入ると広い待合室が用意されていた。空いているし休憩するのに良さそうだと思ったけど、冷房が効いていないうえ、どこからともなく熱風が吹き込んできてとにかく暑い。とても長居をしたいとは思えない環境だった。
駅舎の2階には飲食店や土産物店などが入居している。外から階段が伸びていたので上がってみると、こちらはしっかり冷房が効いていた。
日和山
駅前には存在感たっぷりの白い大きな鳥居が立っている。この先に著名な神社があるにちがいないと判断して、どこに行こうかまったく考えていなかったこともあり、まずはそこを目指してみることにした。
鳥居のすぐ脇にある駅前商店街には、伊勢海老や貝など魚介類を食べさせる店がいくつもあり、店頭を横切るとすかさずおばさんが出てきて声をかけてくる。美味そうだけど海水浴場でラーメンを食べてきたばかりなので、それをかわしながら足早に進んでいく。
程なく左右の分岐があり、左は近鉄線と国道を越えて海に出るだけのようなので、右に広がる市街地の方に向かう。辺りには宿泊や観光施設に飲食店などが集まり観光地の香りが漂う。
ここまで順調に足を進めてきたが、市内にはいくつか神社があり、どこに行けばいいのか分からなくて困った。駅前にあった鳥居の神社に行こうとは思ったけど、扁額を見なかったのでどの神社に行けばいいのか分からないのだ。
どうしたものか適当な道を選びながら右往左往していると、賀多神社という標識が目に留まり、行ってみると参道脇に洗濯物が干してあるような小さな神社が現れた。直感的にこれはちがうと思ったけど、せっかくなので立ち寄ると、境内には駅前で目にしたアジア系外国人の姿があった。もしかしたら有名な観光名所だったりするのだろうかと思う。
境内では鳥羽城主の九鬼嘉隆が植えた杉といわれる、樹齢400余年の巨樹のほか、鳥居から祠まで目にも鮮やかな朱色をした豊栄稲荷神社という境内社が目を引いた。説明板によると鳥羽城跡に鎮座していた通称「ドック稲荷」を移転改称したものだという。造船業で栄えていた時代でもあるのか、なんとも珍しいその名前が強く印象に残った。
鳥羽駅前には標高69mの日和山という低山があり、賀多神社の脇でその山上に向かう遊歩道の入口を見つけた。見晴台に加えて鳥羽駅という標識もあり、涼しい木陰から眺望を楽しみながら駅に向かえるらしい。これには迷わず足を向けた。
遊歩道はいきなりの急階段ではじまった。市街地に接する裏山のようなところなので、最初は民家をかすめるように上り、徐々に樹林のなかに入り込んでいく。どこまでも幅の広いコンクリートで固められた階段で、山というより公園のようなところだ。
これはいいところだと思ったのも束の間、湿気の漂う樹林のなかではヤブ蚊がまとわりついてきて、とても自然を楽しむような状況ではなかった。蚊を振り切ろうと急ぎ足で階段を上がっていくものだから、街を歩くよりも汗だくになってしまった。
あっという間にたどり着いた見晴台は、視界を遮るように木々が伸びているため、海と沖合の答志島がちらりと見える程度で名前ほどには見晴らしがよくなかった。終始誰にも出会うことはなかったが、周囲には朽ちかけた手すりや双眼鏡があったと思われる台座があり、昔は賑わっていたことが偲ばれる。あとで知ったところでは、昭和の時代には鳥羽駅前と山頂とを結ぶエレベーターがあり、鳥羽の主要観光地のひとつになっていたという。残念ながら国鉄鳥羽駅の火災に巻き込まれて消失してしまったそうである。
山頂部には日和山方位石や、無線電話発祥記念碑なるものがあり、それらをひと通り眺めたら鳥羽駅に向けて下っていく。こちら側は狭いながらも車の通れる舗装路になっていて、ヤブ蚊に追い立てられながら足早に下っていくと駅のすぐ前に出た。結局駅前の大鳥居はどこの神社のものだったのかと、掲げられた扁額を確認すると金刀比羅神社となっていた。
鳥羽港
朝からの厳しい暑さと歩き詰めで気力体力はすっかり削られてしまい、そろそろ帰りたい気持ちが湧いてきた。しかし時計を見るとまだ15時と早く、せっかくここまで来たのだからという思いもあり、もう少し歩いてみることにした。ここに行こうという当てはないけど、鳥羽といえば山より海だろうと鳥羽湾の方に向かうことにした。
おばさん達の呼び込みをかわしながら駅前商店街を進み、先ほど神社を目指して右に向かったところを左に曲がる。賢島に向かう近鉄線の下をくぐり抜ければ海は目の前だ。景色はいいけど海沿いに国道が通っているので騒々しくて雰囲気としては落ち着かない。
ちょうど遊覧船乗り場なるものがあったので、時間つぶしにちょうどいいと向かうも1,800円という文字に躊躇する。これを目的に来たのならなんでもない価格だが、特別乗りたい訳でもない時間つぶしとしては高いよなあと素通りしてしまった。
鳥羽湾沿いの国道を進んでいくと養殖真珠発祥の地として知られるミキモト真珠島がある。島を散策するのも悪くないなと思うが1,500円の文字。島内は真珠のテーマパークのようになっているそうだが、真珠にあまり興味を惹かれなかったのでこれも素通り。
気温が高いうえに国道を歩いているとくらくらしてくる。これはもう引き返そうかなと思ったけど、前方から続々と人が歩いてくるのが気になる。この先にいったい何があるのだろうかと行ってみると鳥羽水族館であった。これは興味があるし水族館内なら涼しいので入ろうと思ったけど、ここまでで一番高い2,500円に足が止まる。これには迷ったけど水族館は下関の海響館に行ってきたばかりだったこともあり止めてしまった。
国道を挟んだすぐ目の前には緑あふれる鳥羽城跡があり、これは恐らく無料だと思うが、暑さに耐えかねて引き返すことにした。もっと涼しい時期に再訪することにしよう。
だらだらと駅前まで戻ってくると、商店街の飲食店前では相変わらずおばさん達が元気に声を上げている。どうしてあんなに元気でいられるのだろうかと思う。どこにも寄らなかったことで財布に余力があるので、旅の終わりになにか美味いものでも食べていこうかなと足を止めると、店を選ぶ間もなく近くにいたおばさんに捕まった。これもまたなにかの縁だろうと流れに任せるようにおばさんの店に入店した。
小さな店舗なので混雑を案じたが15時半という時間帯もあって貸し切りで、空いているからと4人がけのテーブル席に案内された。なにを食べようかとメニューに目をやるが、おばさんに勧められるままに焼貝の盛り合わせを注文。サザエ・大アサリ・ハマグリ・ヒオウギ・カキの5点セットだが、いまはカキが高いから代わりにホタテという内容だった。
注文を受けたおばさんは水槽まで行き、ずぼっと手を突っ込んだと思ったら、貝をひっぱり上げてそのまま隣りにある網に載せて焼きはじめた。貝と一緒に水分のたっぷりかかったコンロからは、激しい音と水蒸気が立ち上がる。なんという豪快な焼き方だろうか。
あっという間に焼きあがり皿に載せて運ばれてきた。口に運ぶと焼き加減といい塩加減といい絶妙でなにも言うことはない。貸し切りの涼しい店内で飲んだり食べたり雑談したりで、気力体力ともにすっかり回復して深い満足感と共に店をあとにした。
エピローグ
戻ってきた駅は相変わらず熱風が吹き抜けていて暑かった。幸いにして名古屋行きの快速みえ20号が停車していたのでその足で乗り込む。座席は概ね埋まっていたが辛うじて山側の座席を確保した。こちら側は日当たり良好なので避けたかったが仕方がない。
15時54分、定刻通りに鳥羽駅を出発すると、2日間と約7万歩を要した区間を30分ほどで走り抜け、参宮線の起点である多気駅に滑り込んだ。
参宮線の旅は多気からはじめたので、多気で旅を終えようと考えていたけど、2日間の疲労もあって涼しく快適な列車から降りる気になれなかった。どうしても降りなければならない訳でもないので、車内から多気駅を見送り参宮線の旅を終えた。
(2016年8月16日)
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