山陰本線 全線全駅完乗の旅 5日目(吉富〜日吉)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2017年3月30日、早朝の京都駅は晴れとも曇りともつかない、何ともすっきりしない空模様だった。京都はいつ訪れても混雑していて、あまり降りたくない駅だけど、幸いまだ改札で待たされるほどの混みようではなく楽に歩き回ることができた。あと1時間ほど遅ければ足の踏み場もないような状態に巻き込まれるところだ。

山陰本線ホームに向かうと次に出る列車は亀岡行きだった。目的地はそれより先の園部なのでこれでは都合が悪い。これは待ちぼうけかと思いきや、うまい具合に園部行きの列車は早くも入線していて、車内でまったりと発車の時を待った。

普通列車の園部行き 227M。
普通 園部行き 227M

大半の人は先発する亀岡行きに向かうので車内はがら空きだったが、それが出てしまうと今度はこちらに続々と人が集まりはじめ、概ね満席となった所で出発となった。改札から一番遠い先頭車両でこれだから車両によっては立ち客も出ているかもしれない。そんな混雑は亀岡まで続いたが、それ以降はひと駅ごとにまとまった下車があり、園部に到着する頃には空席も目立つ程度になっていた。

園部そのべ

  • 所在地 京都府南丹市園部町小山東町
  • 開業 1899年(明治32年)8月15日
  • ホーム 2面4線
路線図(園部)。
園部駅西口。
園部駅西口

京都から乗ってきた列車はここで終点となるが、降りがけに車内に目をやると何人も眠ったまま残されていた。これもまた終点らしい光景か。列車を降りると2面4線のホームに橋上駅舎という近代的な姿をしていて、いかにも利用者が多そうに見えたが、一緒に降り立った群衆が去ってしまえば、後は人気の少ない静かな駅となった。

園部は京都から続いてきた複線区間の末端であり、これより先は山間を縫うように走る単線区間に変わる。嵯峨野線の愛称が付けられているのもここまでだ。利用者数も大きく減少するらしく、普通列車は本数が半減するだけでなく、車両も2両編成と短いものが主流となる。近郊区間とローカル区間の境界のような駅だ。

城下町や特急停車駅という響きから大きな街を想像するが、周辺は建物より山並みの方が目立つ。人気の少なさと霧のかかったように白じゃけた空模様が相まって、どこかどんよりとした活気の感じられない所であった。その理由は地図を見れば一目瞭然で、駅と市街地は天神山という小高い山によって隔てられていて、お互いを目視することができないのである。

園部駅ホーム。
園部駅ホーム

構内を眺めると多くの普通列車が終点とする駅だけに多数の留置線が並んでいる。夜ともなればずらりと列車が並ぶのだろうが、通勤通学の時間帯とあって車両は出払い、銀色に輝く数えきれないほどのレールだけが一面に広がっていた。

階段を上がり橋上駅舎に入ると、みどりの窓口や売店といった必要最小限の設備が、小じんまりとまとまっていた。外見からは大きな駅舎に見えたけど、大部分は東西を結ぶ自由通路であり、その脇に駅設備をちょこんと付け加えたような形だった。たまに列車が到着すると改札前が渋滞するほど賑わうが、それ以外の時間はぽつぽつと人々が往来する感じだった。

街歩きに先立ち観光パンフレットでもないかと探すが、観光地ではないのか地元の物はほとんど見当たらない。代わりに四国ディスティネーションキャンペーンの最中とあって、やたらと四国関連のパンフレットが並べられていた。

園部駅の橋上駅舎内。
園部駅の橋上駅舎内

まずは駅前に出てみようと、多数の留置線を一跨ぎにする長い通路を通り抜ける。そして階段を下りて地上に出ると、新しく広々とした駅前広場が待っていた。会社員や学生がまばらに行き交い、客待ちをするタクシーが数台並び、たまに路線バスがやってくる。十分な広さがあるせいもあり朝にしては閑散として見えた。

駅正面の一等地には小さな神社があるくらいで、駅前らしい佇まいは感じられない。それというのも出てきた西口は、橋上駅舎ができて両側から出入りできるようになる以前は駅裏だったからのようだ。これから発展していくかといえば、すぐ正面には件の天神山が迫り土地がないから、それもまた難しそうである。

園部城跡そのべじょうあと生身天満宮いきみてんまんぐう

観光案内板によると近場の見どころとしては、園部城跡と生身天満宮がある。周囲には「近畿自然歩道」「園部の史跡をめぐるみち」「丹波散策の道」など、いくつもの散策用の案内板が立てられているが、この両者はどれを見ても記載されているほどの名所だ。どちらも園部市街にあるので、両者を訪ねがてら街歩きをしてみることに決めた。

まず向かうのは園部城跡で、明治時代に完成したという稀有な城であると同時に、無数に作られてきた日本の城において最後に作られたという城である。

その行きがけに駅正面に鎮座する神社に立ち寄ると、鳥居には春日神社という扁額が掲げられていた。山すその高台に向けて伸びる石段を上がると、近代的な駅とは対照的な、質素で古めかしい社殿や祠が並んでいた。本殿は小さいながらよく見ると檜皮葺の屋根が見える。薄暗いせいもあり厳かな雰囲気が漂っていた。

春日神社の社殿。
春日神社の社殿

春日神社を後にして天神山の山すそを市街地に向けて進んでいると、一段高い位置を通る国道法面に、コンクリート製の小さな階段と共に、赤い鳥居がぽつんと立っている不思議な光景に遭遇した。気になるけど見上げた先には国道しかない。上がっても仕方ないよなあと素通りしようとした瞬間、上から出勤途中といった様子の、スーツ姿の中年男性が下りてくるのが目に留まった。

渡りに船とばかり下りてくるのを待って神社について尋ねてみると、詳しいことは分からないけど階段を上がった先にも鳥居は続いているという。これは自分の目で確かめなければと行ってみると、確かに先ほどの鳥居の延長のようにして、国道を挟んだ向かい側の斜面上に多数の鳥居が並んでいた。この様子からすると元々山の斜面上に鳥居が並んでいた所に、後から国道が横切って分断されたと思われる。

面白くなってきたとばかり意気揚々と鳥居の先を目指して進んでいくと、どういう訳か酷く荒れていて、木製の鳥居など多くが崩壊しはじめていた。よく手入れされた神社というのは山奥であっても清々しさを感じるが、こう荒れていると街の近くでも怖いものがある。

倒れた鳥居や生い茂る木々を避けながら山中に分け入っていくと、思いのほか大きな赤い社がいくつか現れた。ここも何だか荒れ気味ではあるが、たまには手入れをしているようにも見える。どういった由緒なのか詳しいことは分からず謎が謎を呼ぶ神社である。参拝を済ませるとそそくさと元の道に引き返した。

稲荷神社。
稲荷神社

駅から見て天神山を挟んだ反対側まで来ると、昭和を感じさせる家々の並ぶ市街地に出た。歴史のありそうな狭い通りには住宅が建ち並び、その構えからして元々は商店がずらりと並んでいたと思われる。江戸期の建物は全くと言っていいほど残されていないが、街の佇まいが城下町や宿場町であったことを感じさせる。

そんな街並みは先に進むほどに近代的になり交通量も増えていく。静けさを求めて街中を流れる園部川沿いの小道に入ると、狙い通り近くの運動場から聞こえてくる掛け声や、遠くを走る車の音が聞こえるくらいの静けさで、視界にはつぼみを付けた桜並木と青空が広がり、街中にしては随分と穏やかな所だった。

川沿いにはいかにも城山という風情のする小山が現れ、実際この一帯は園部城の敷地だったという。今では大半が学校や市役所など公共施設になっていた。そのひとつである大きな公園に入っていくと、天守閣のような建物が見えてきた。これが園部城かと勘違いしそうだが、よく見ると城を模した近代的な建物で、南丹市国際交流会館とある。付近にはライオンや象などの石像があったりして何だか不思議な空間である。

天守閣風の南丹市国際交流会館。
天守閣風の南丹市国際交流会館

案内板を見ると目の前にある小山は「こむぎ山」と名付けられていた。かつては山頂に天守閣代わりの三重櫓が建てられていたという。街中にある小高い山という、街が一望できそうな立地に惹かれて山に入ると、表面に苔の生えた大きな木々が立ち並び、それでいて密集はしていないので木漏れ日がよく差し込み、歩いていて気持ちの良い所だった。

整備された道を山頂までやってくると、周囲をぐるりと木々に囲まれているため、期待に反してまるで眺望は得られなかった。一応自然植物園というものがあるが、フェンスに囲まれていて近づくことはできない。せっかく登ってきても来た道を戻るくらいしかやることがなく、街中にありながら人を見かけないのも納得である。

こむぎ山を下りて10分ほど歩くと園部城の櫓門が見えてきた。門の周囲には白壁や石垣が巡らされ、傍らには二重櫓が建ち、この一角だけが往時の姿を留めていた。美しく手入れされていて最近建てられたようにすら見える。門の向こうは中学や高校の敷地となっていて、近くのグラウンドからは部活の賑やかな声が聞こえてくる。

園部城跡に残る櫓門。
園部城跡に残る櫓門

続いてやってきた生身天満宮は、全国に12000社もあるという天満宮の中で唯一、菅原道真公が存命のうちに創建されたという日本最古の天満宮だ。元々は先ほど登ったこむぎ山の中腹にあったが、園部城を築城する際にこの地に移されたという。鳥居自体はそれほど大きなものではないが、その正面に立つ見上げるような大きな石灯籠が印象に残る。

そこから両脇に狛犬や石灯籠の並ぶ参道に進むと、高台にある社殿に向けて石畳と石段が交互に続いていた。山は奥に行くほど傾斜を増しているため、進めば進むほど石段の割合が増えていく。傍らにはたくさんの梅の木があり、花はほとんど残っていないけど、歩いていると甘い香りが漂ってきた。

江戸時代に建てられたという拝殿までやってくると、時間的なものか平日だからか参拝者は私だけだったが、宮司さんがあっちの建物からこっちの建物と忙しく走り回っていた。随分と気さくな方で軽く雑談を交わしたり、駅では見かけなかった園部のパンフレットやチラシ類をたくさんもってきてくれたりした。

生身天満宮。
生身天満宮

駅の印象からはあまり見どころは期待できないが、実際歩くと想像以上に楽しめる街で、気がつけば11時を回っていた。とりあえず目的の園部城跡と生身天満宮は訪問できたので、この辺りにして次の駅に向かうことにした。園部駅との間には天神山が立ちはだかっているので、山すそを回り込むようにして進んでいく、大体こっちだろうと適当な小道を歩いていたら道に迷い、20分ほどかけて駅に戻ってきた。

乗車した福知山行きの普通列車は2両編成と短く、京都からここまで4両や8両編成が大半だったことを思うと激減である。当駅始発かつ早めに乗車したこともあり楽に座れたが、発車間際に京都からの列車が到着すると、乗り継いできた人たちで一気に満席となった。

普通列車の福知山行き 1131M。
普通 福知山行き 1131M

園部を出ると山々に囲まれた田んぼの中を進んでいく。線路も単線となりローカル線の雰囲気になってきた。まだそれほど山深さは感じられないが地図で確認すると、この先は日本海にほど近い綾部まで大きな平野はない。やがて明治時代の開業時に竣工したと思われるレンガ積みのトンネルが現れ、抜けた所が船岡駅だった。

船岡ふなおか

  • 所在地 京都府南丹市園部町船岡
  • 開業 1953年(昭和28年)10月10日
  • ホーム 1面2線
路線図(船岡)。
築堤上にある船岡駅。
築堤上にある船岡駅

低い山並みに挟まれた平地を横断する築堤上にある駅で、山から山へと突き進む線路はどちら方向を見てもレンガ積みのトンネルが口を開けている。周囲の平地には住宅や田んぼが混ざり合うように広がり、一段高い所にあるホームからはそれがよく見えた。乗降客は私のほかには見当たらず、利用者の少ない区間であることを早くも実感させられる。

構内は1面2線で島式ホームがあるだけの簡単な構造だが、待合所には作り付けの木製ベンチがあったり、端の方は舗装すらされていないホームなど、それなりに長い歴史があることを感じさせる。中央部には植え込み用のスペースもあるが、かつて植えられていたらしき木の切り株や雑草が目立ち荒れていた。

築堤上にある駅だけに出入口は地下道になっていて、狭い階段を下りていく途中には時刻表やゴミ箱が設置されていた。こんな所にあることに駅舎がないことを想像させ、そのまま線路の下をくぐり抜けて駅前に出ると、やはり駅舎はなく細い道路が伸びているだけだった。入口に駅名板が掲げられていなければ駅だと気が付かないような姿である。

船岡駅の出入口。
船岡駅の出入口

駅前には住宅が何軒か固まるように建っていて、何だか路地に入り込んできたような気分にさせる。駅の出入口には隣り合う住宅の花壇と一体化するようにして、たくさんの鉢植えが並んでいた。

一見すると何もなさそうな所だが、狭い駅前通りを少し進むと車を何台か止められるスペースがあり、船岡駅公園なる看板まで設置されていた。公園といっても僅かばかりの緑地がある程度のものだ。それより意外な存在が大きな案内板で、商工会の文字があるように基本的には事業所の位置を記した地図だが、見どころも事細かに記載されていてこれは使えそうだ。

朝倉神社あさくらじんじゃ大杉おおすぎ

案内板によると周辺には城跡や古墳、さらには多数の寺社が点在していて、じっくりと周れば余裕で1日くらい楽しめそうな所だった。ここではその中から特に気になる、朝倉神社の大杉というのを見に行くことにした。

場所は駅から園部方向に約1kmほどで距離的には大したことはなかったが、間に先ほど通り抜けてきた小山があるため上り坂が続く。さらに気温が上昇していていることもあり汗が滲んできた。沿道には梅や菜の花が咲き誇り春を感じさせる。近くの線路沿いには列車と菜の花をからめて撮影しようとする人の姿がちらほらと見られた。

朝倉神社近くの民家。
朝倉神社近くの民家

「朝倉神社の大杉」という看板に従い脇道を進んでいくと苔むした参道が現れ、奥には木造の小さな鳥居と社殿が鎮座しているのが見えた。小さな神社だが全体が緑に包まれた境内に、木漏れ日が差し込み神秘的ですらある。苔の絨毯が敷き詰められていて足を踏み入れるのがためらわれるが、ここまできて引き返す訳にもいかないので静々と進んでいく。

社殿の背後には思わず見上げてしまう存在感のある大きな杉がそびえており、周囲には無粋な柵もないため、そのまま引き寄せられるようにして手を触れる。根本に視線を落とすと一掴みの赤飯が、木の大きさとは対称的なまでに小さな木の葉に乗せてお供えされていた。地域の方に大事にされているようでほっこりする。

この大杉は京都府の天然記念物に指定されていて幹周りは9mとある。昭和58年ともあるので今はもっと太くなっているのだろう。その太い幹はいびつな形をしていて、複数の杉が一体化したようにも見える。これが落雷で割れたり焼けたりした結果だというから驚きで、木の生命力を感じさせる姿だった。

朝倉神社の大杉。
朝倉神社の大杉

もう昼になるが駅からここまで食事のできそうな所は見当たらなかったので、近くにある道の駅に向かう。線路脇を通りかかると相変わらず菜の花と鉄道をからめて撮影する人たちが右往左往していた。近くにはスナック菓子で知られる湖池屋の工場があり、そこから何かの菓子で覚えのある、いい匂いが漂ってきて空腹を誘う。

道の駅は「京都新光悦村」という、どう読むのだろうという名前をしていた。さほど規模は大きくなくて、物産品などの販売とちょっとした食事処がある程度だった。それでも次の駅で何も食べられないと悲惨なのでここで昼食にする。地元の名物でもあればそれにするのだが、特別珍しいものは見当たらないので、朝から何度も稲荷神社に遭遇していることもあって、何となくきつねうどんを食べてみた。

昼食のきつねうどん。
昼食のきつねうどん

駅に向かうのに同じ道ではつまらないと、途中で見かけた杉木立の中を伸びる怪しげな小道に入っていく。すると駅に隣接するトンネル脇に出てきて、また稲荷神社だろうか近くに赤い鳥居があるのが気になる。近寄ると扁額には「大杉大神」とあった。鳥居の他には神社を思わせるものは何もなく、山上に向けて参道というよりは、獣道という方がしっくりくるような細い道が伸びていた。その不思議な佇まいに導かれるようにして上がっていくと、山上には小さな平場があり赤い社殿が建っていた。

社務所のような物置のような引戸があるだけの小さな建物には、昔話の絵本を連想させる鮮やかな絵の描かれた「諏訪の森物語」というものが掲げられていた。それによると山陰本線と深い関係のある神社で、鉄道建設時に人夫が白狐を殺してしまい、それからというもの狐火が飛んだりトンネル工事で犠牲者が出たりと大変な騒ぎとなった。そこで工事人と村の代表者が伏見稲荷に参拝し、大杉大神を勧請して祀ったのがこの神社とのこと。

境内にある杉の根元には小さな空洞があり、そこにこれまた小さな鳥居が奉納されているのが目を引く。貼られていた手書きの説明を読むと、根本の穴にはこの山のヌシという、白蛇が描かれた竹灯篭が収め祀られているという。

大杉稲荷神社。
大杉稲荷神社

神社を降りて駅に向かっているとホーム上にJRの作業員が2人、何か作業をしているのが見えた。何をしているのか不思議に思いつつ、駅まであと少しという所までやってきたとき、福知山行きの列車がやってきた。走れば乗れるかもしれないという思いが頭をよぎったが、もう少し周辺を見て回れということだと思いきびすを返した。

かなごいわ

次の列車まで約1時間あるので何かないかと駅前の案内板に尋ねると、福知山方向に口を開けているトンネルの向こうには桂川を渡る鉄橋があり、その辺りに「かなご岩」という岩があるという。場所と名前の他には情報がないから、どんな岩なのか謎だけど、近場では一番面白そうなので行ってみることにした。

桂川に向けて進んでいくと、住宅や小さな商店が建ち並んでいて思ったより人口が多い。道路は入り組んでいて右へ左へと狭い脇道が伸びる。火の見櫓や小さなお地蔵様が数えきれないほど収められた祠も見かけた。この様子からして古くからある集落なのだろう。同じ住宅地でも整然とした新興住宅地とは違い歩いていて楽しいものがある。

山陰本線の鉄橋までやってきたところで「かなご岩」を探すが、岩が点在していてどれがそうなのかまるで分からない。探しがてら桂川沿いの道路を歩こうと思ったが、都合の悪いことに途中が工事中で片側交互通行をしている。とてもゆっくり歩ける状況ではなく、仕方がないので岩は諦め河原に下りると、園部行きの普通列車が轟音を上げて通過していった。

かなご岩付近の山陰本線。
かなご岩付近の山陰本線

園部行きが通過したということは次は福知山行きだなと、多少の気の焦りも出てきて、駅に向かいがてら桂川と集落を隔てる、緩やかにカーブした堤防上を歩いていく。特に何がある訳ではないが、堤防脇には大きな木々に囲まれた神社があり、周辺からは鳥のさえずりと川のせせらぎが聞こえてくる落ち着く所だった。

駅に戻ってくると先ほどのJR作業員が相変わらず何かしている。一体何をしているのだろうかと近寄ると、ホーム中央にある荒れた植え込みの雑草を取り除いていた。何か植えるつもりなのかそれとも舗装でもして埋めてしまうのだろうか。そんな事を考えていると福知山行きの快速列車がやってきた。2両編成で立ち客も出るほどの混雑だったので、降りやすいように最前列に立っていく。

普通列車の福知山行き 1137M。
普通 福知山行き 1137M

発車するとすぐにトンネルに入り、出たと思えばすぐに鉄橋を渡る。この辺りが先ほどの「かなご岩」なので目を凝らすが、やはりどれが件の岩なのかは判然としない。線路はトンネルと鉄橋が連続しはじめ、大きく蛇行する桂川を縫うように進んでいく。川沿いからは平地が消えて、いよいよ山間部にやってきたという気がした。

日吉ひよし

  • 所在地 京都府南丹市日吉町保野田
  • 開業 1910年(明治43年)8月25日
  • ホーム 1面2線
路線図(日吉)。
日吉駅舎。
日吉駅舎

嵐山から長らく付き合ってきた桂川と別れ、その支流の胡麻川が作り出した狭い谷間に入った所にある駅だった。ほとんど平地がないため、右岸は線路と道路でほぼ占有され、残された左岸に建物が並ぶ。そして両者を隔てる胡麻川には、建物と道路を結ぶ小さな橋がいくつも架けられていた。あまり街らしさはないけど旧日吉町の中心駅かつ特急停車駅であり、私のほかに何人もが列車を降りていた。

構内は島式ホームの1面2線で、土地の狭さを表すように全体が緩やかにカーブし、裏手には山が迫る。それだけなら珍しくも何ともないが、ホーム両側の線路はそれぞれ高さが微妙に違うらしく、ホーム中央部に少し段差があるのが変わっている。駅裏には貨物輸送をしていた時代の名残りか、いくつかの側線が枕木だけの形になって残されていた。

日吉駅ホーム。
日吉駅ホーム

山陰本線の旅では初となる構内踏切を渡り駅舎に入る。建て替えられてそう年数の経っていない新しい駅舎で、天井が高くて明るく開放感がある。特急も停まるだけに委託ながら有人駅で窓口があり、さらには観光協会も同居していて特産品を販売する売店や、交流センターなる広々とした休憩室まで併設されていた。

観光地の玄関口とでもいった風に力を入れて整備された駅舎だけど、列車が去ってしまえば利用者の姿は1人もなくなり、窓口も売店も手持ち無沙汰にしていた。

駅前に出ると川沿いに建物は並んでいるけど、明治時代に開業した当地の中心駅という響きから想像される、古くからの商店街のようなものは見当たらない。行き交うのも車ばかりで人の姿はない。利用者はどこから来るのかと思うが、船運で栄えた土地というだけに、地図を見ると下流にある桂川との合流点辺りに建物が多いようだ。駅舎の隣りに大きな駐車場や駐輪場が併設されていることも、離れた所に人が住んでいることを感じさせた。

日吉駅舎内。
日吉駅舎内

窓口には切符の販売だけでなくレンタサイクルの文字があるのに気がつく。ここでは日吉ダムに向かう予定だったが、片道3kmほどあり、朝から歩きづめで疲れたのみならずマメまでできて歩くのに不安もあったので、急遽これを利用することにした。駅員に尋ねると貸出は18時までだそうで3時間ほどあるから大丈夫そうだ。料金も320円と安いものだった。

手続きを済ませると駅舎に併設された倉庫のような一室に案内された。ここに何台もの自転車が保管されていて、不要自転車でも集めたのか車種に統一感がない。どれでも好きなのを選んでというので乗り慣れたママチャリにした。

日吉ひよしダム

あまり時間がないので自転車にまたがると同時に日吉ダムに直行する。桂川に作られた平成9年竣工の比較的新しいダムで、ダムといえば黒部ダムのような一部の巨大ダムを除けば、観光とはあまり縁のない地味な存在だが、ここは地域に開かれたダムとして周辺に様々な観光施設が作られ、日吉町の観光ガイドを開くと最も大きく扱われているほどのダムだ。

駅前から桂川に向けては緩やかな下り坂になっていて、面白いように加速していき気持ちが良い。しかし変速機すらない簡素な自転車なので、速度がでると足の方がついていかなくなるのには参った。せめて変速機のある自転車にすれば良かったかと今更ながら思う。

短いトンネルを抜けると桂川沿いに出て、そこからはダムに向けてさかのぼっていく。ここまで快調そのものだったが、谷間に巨大な日吉ダムの堤体が見えてきた頃だろうか、徐々に道路が坂道に変わり、進めば進むほどにその傾斜は増していく。日頃の運動不足もたたり途中3回ばかり押して上がるはめになった。

日吉ダムに向けて続く坂道。
日吉ダムに向けて続く坂道

息を弾ませながら到着した日吉ダムは上から下までよく整備されていて、大きな駐車場がいくつもあり、大きな広場や様々な観光施設も点在していた。ちょっとしたレジャースポットのようなもので、近くには道の駅や温泉施設まである。

堤体上は通路になっていて歩いて対岸まで渡ることができるので、まずは近くにあった自販機で喉をうるおし、盗まれるとは思えない代物だけど、念のため自転車に鍵をかけて見学に向かう。堤体上からは満々と水をたたえた天若湖と名付けられたダム湖が一望できる。湖底には複数の集落や縄文遺跡などが沈んでいるという。真下を覗きこむとぞくぞくして自然と及び腰の姿勢になる。

日吉ダムによって作られた天若湖。
日吉ダムによって作られた天若湖

途中にはエレベーターがあり管理用のものかと思いきや、堤体内部が見学できるという。しかし営業時間は15時までとあり、僅かに過ぎていてがっかりしたが、別な看板には16時と書いてある。どういうことだとよく見たら15時というのは別な場所にあるダム資料館の話で、これ幸いと早速エレベーターに乗り込んだ。表示上は3階から1階に降りるだけだが、高さがあるだけにすぐには到着しないのが不思議な感覚だ。

ドアが開くと受付があり従業員らしき人の姿があった。巨大な施設でありながらあまりに人気がないので不安な気分になりつつあったのはこれで解消した。受付に並べられたパンフレットを頂いてから奥に進んでいく。

堤体内部を歩くというのは滅多に体験できることではなく、一体どんな世界なのか期待が膨らむが、いざ歩いてみるとコンクリートに囲まれた四角い通路が延々と続き、どこかの地下道を歩いているような感覚だった。壁の向こうに膨大な量の水があるとは思えない。壁面にはダムの歴史や役割などを解説するボードが多数並んでいて、それに目を通しながら終点までやってくるとガラス窓のある小部屋があり、放水路やゲートを間近に眺めることができた。

日吉ダムの堤体内部。
日吉ダムの堤体内部

今度はエレベーターで上に戻る必要があるのかと思ったが、堤体側面にも出入口があり、そのまま外にでることができた。出てきた所はダムの足元のような所で、振り向けば巨大なコンクリートの塊がそそり立っていた。

周辺はゴルフでもできそうなほど一面に芝生が広がり、ぶらぶらと放水路のすぐ下にある見学用の橋からダムを見上げたりと散策して歩く。ダムを作ろうという地形だけに両岸には高い山が迫り早々と日が陰ってきた。広大な敷地に私ひとりだけという状況もあり、何だか寂しさの漂う雰囲気である。

日吉ダムの堤体。
日吉ダムの堤体

帰りはエレベーターの営業時間が終わっていたので、山の斜面に広がる遊歩道から自転車まで上がっていく。上がるのは大変だったけど自転車に跨がってしまえば楽なもので急坂を軽快に下っていく。途中にある道の駅や入浴施設は車が並んでいて気になるけど、自転車を返さないといけないので気が焦りそれどころではない。

しかし急ぎすぎたか列車時刻までは随分余裕があったので、駅を目前にして進路を変え、この辺りの中心地と思しき通りに向かう。船運で栄えた頃からの町割りなのだろうか、緩くカーブした道路沿いに小さな家屋が並んでいた。そのなかで見かけた祠には白塗の顔を描かれたお地蔵様がたくさん収められていた。

駅に向かう途中のお地蔵様。
駅に向かう途中のお地蔵様

駅に戻ってきて無事返却、我ながら自転車を借りたのはいい判断だった。もし全て歩いていたらまだダムの辺りをウロウロしていただろうし、堤体内部の見学も無理だったと思う。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

列車までは時間があるので駅舎で手持ち無沙汰にしていたら、駅員のおじさんが休憩室の利用を勧めてきた。コーヒーもあるというので喫茶店でも併設しているのかと行ってみるとカップコーヒーの自販機が置いてあった。せっかくなので1杯飲んで過ごす。

ここの駅員はなかなかと親切で、しばらくして休憩室にやってくると発車時刻の10分ほど前には入線するからと伝えていった。ならばと早めにホームに向かうとじきに園部行きの普通列車が現れた。満席ではないが座席に荷物を置いている人が多くて席は埋まっている。乗車時間は短いので避けてもらって座るほどでもないので迷わず立っていく。春休みということもあってかホームではカメラを手にした子供が前へ後ろへと歩き回っていた。

普通列車の園部行き 1144M。
普通 園部行き 1144M

特急列車が通過すると程なくして発車となる。谷間にある日吉はどこを見ても日陰で青々としていたが、開けた園部までくると眩しいほどに日が照りつけていた。ここで京都行きに乗り継ぎとなるが、今度は8両編成と長いので余裕で座ることができた。

園部を発車すると車窓には夕日に照らされた亀岡盆地が広がり、あかね色に染まる空や緑の微妙な色合いが美しい。ひと駅ごとに帰宅客が続々と乗り込んできて亀岡辺りでほぼ満席となった。さらに嵯峨嵐山では観光客がどっと乗車してきて文字通りの寿司詰め。山陰本線は京都に近づくとおぞましいほど混雑する。

京都に到着して人波を泳ぐようにしてどうにか駅前に出てくると、ちょうど駅前通りの向こうに真っ赤な太陽が沈むところだった。

(2017年3月30日)

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