山陰本線 全線全駅完乗の旅 9日目(高津〜福知山)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2018年4月4日、水曜日、綾部駅前に立ったのは午前8時のことだった。

青空から眩しい光がそそぎ、ひんやりした風が吹き抜け、相殺されて暑からず寒からずちょうどいい陽気であった。しかしこの風がくせもので花粉が酷くてたまらない。マスクはうっとうしくて外していたけど耐えかねて取り出した。

通勤通学客に混じり8時26分発の福知山行きに乗り込む。目的地は京都から82.8km、鈍行で約2時間のところにある石原いさである。今回綾部から旅をはじめることにしたのは、京都はもちろんその近郊からでも遠くなりすぎたことによる。綾部からは6.6kmで10分とかからない。

普通列車の福知山行き 225M。
普通 福知山行き 225M

車内は混んではいないけど空いてもいなかった。座席は埋まっていたので運転席の後ろに立っていく。すぐに降りるのでそれ自体はどうということはないが、私だけが席にあぶれて立っているような形で若干面白くない。

この辺りの線路は平坦かつ直線的なので列車は快走する。車窓を流れるのは田んぼと住宅ばかりで変化には乏しいけど、高津駅の周辺ではサクラが満開で美しかった。

石原いさ

  • 所在地 京都府福知山市石原
  • 開業 1904年(明治37年)11月3日
  • ホーム 1面2線
路線図(石原)。
石原駅舎。
石原駅舎

福知山から綾部にかけて東西に伸びる福知山盆地の中ほどに位置している。北側には田園地帯が広がり由良川が流れる。南側には盆地の縁をなす丘陵が迫るが、その上には住宅や工場団地が造成されるなど開発が進んでいる。地元住民でもなければ「いさ」と読む人などまずいないであろう難読駅である。

高校が近いらしく学生ばかり10人ほどと降り立つ。ほどなく上り列車も到着してそちらからも学生が降りてくる。そんな学生とざわめきが去ったところで再び下り列車が到着。さらに立て続けに上下の特急列車が通過。次々やってくる列車と学生で賑々しい。

石原駅ホームと、通過する特急きのさき8号。
石原駅ホーム

狭く古めかしい跨線橋をわたると、下りたところに券売機があり、その前を横切るとそのまま駅前広場に出てしまった。小さな駅舎があるけど改札口はないし券売機も外にあるため、わざわざ寄り道しない限り、足を踏み入れることのない構造になっている。

そのような訳でほとんどの利用者が素通りするだろう駅舎であるが、淡緑色に塗られて時計を掲げ、縦長の窓が設けられているなど洋風の小洒落た姿をしている。内部はガラス張りの明るい待合室になっていてトイレも併設されていた。なかなかいい駅舎であるが、待合室にあるのは3人がけのベンチがひとつだけで、あまり休ませる気はなさそうだった。

奥の壁面にはドアがあり小部屋の存在が分かる。昔はここに切符売場でもあったのかもしれない。そう考えるとベンチひとつを置くためにしては金のかかった、この駅舎の存在にも納得できるものがある。

石原駅の跨線橋。
石原駅跨線橋

駅前には次から次から車の行き交う県道が横切り、その向こうには新しそうな住宅がゆったりと配されている。開業から軽く百年以上が経過した駅なのだが、都市近郊とあって新陳代謝が活発なのか、それを匂わせない駅前風景であった。

観音寺かんのんじ

東に行けば「あじさい寺」の観音寺があり、南に行けば「ぼたん寺」の洞玄寺がある。どちらにしても花期には早いので、奈良時代の創建で七堂伽藍を備えて栄えたという観音寺か、城跡にあるため土塁や空掘を備えるという洞玄寺かということになる。どちらも興味深いものがあるけど、より歴史の深い前者を訪ねてみることにした。

天気はいいし歩道もあるので足取り軽く出発。そこまではよかったが傍らを大小の車がひっきりなしに行き交い、沿道ではトラクターがうなりを上げ、そこを列車が走り抜けなんとも騒々しい。さらに乾燥した空気に花粉やほこりが舞う。おまけに気温の上昇と日当りのよさで暑くなってきた。足取りは重くなり約1.5kmという距離以上に遠く感じる。

ようやく見えてきた観音寺の仁王門は、伽藍の置かれた丘陵を背に、アジサイに囲まれるようにして構えていた。全体で1万株もあるというアジサイは芽吹いたばかりで花はないけど、柔らかな緑が陽光に輝いていてこれもまたいいなと思う。

観音寺の山門。
観音寺山門

左右の仁王像を見やりながら門をくぐり、谷底をさかのぼるように伸びる、アジサイが両脇を固めた静謐な参道を上がっていく。右側の高台に庫裏があり、左側の高台に本堂があり、奥には樹林のなかに観音像の点在する七観音霊場が広がっていた。

まずは七観音をめぐっていると、途中に「なげきの展望台」という標識があり、眺望もさることながら名前も気になり、細々した階段で丘陵の斜面を登っていく。そして登り詰めたところにあったのは、観光地にあるそれとはひと味ちがう、なげきたくなるような展望台であった。なげき地蔵なるものまで安置されていた。

境内の六地蔵。
境内の六地蔵

ミツバツツジやツバキを目に、沢水の微かな音色や小鳥のささやきを耳に、1番から7番までの観音像をめぐっていくと最終的に本堂の前に出た。辺りは見頃を迎えたシダレザクラで彩られていて、あじさい寺ではなく、さくら寺の様相を呈していた。住職にも参拝者にも出会うことはなかったが、ここには熱心にサクラを撮影するおじさんがいた。

およそ1300年前の奈良時代に開かれたという古刹であるが、当時の伽藍は兵火などで失われたそうで、現在の本堂は江戸時代後期に建立されたものだという。近くまでくると建物そのものよりも、戸口の格子に収められた、無数のだるまが目を引いた。

無数のだるまが収められた本堂の格子戸。
本堂の格子戸

再び花粉とほこりの舞う騒がしい道を歩いて駅に戻る。気温は上がり続けていて、日当たりのいい舗装路を歩いていると、シャツが湿るほどに汗がにじむ。たまらず涼を求めてマスクを外したら今度は花粉で酷い目にあった。

10時58分発の福知山行きに乗車。時間的に空いているだろうと思ったけど、意外なことに座席の半分くらいは埋まっていた。若者から高齢者まで年齢層はさまざまで、皆どこに行くのだろうかと思う。

普通列車の福知山行き 1127M。
普通 福知山行き 1127M

次は終点の福知山である。列車はラストスパートだとばかり軽快に加速していく。線路沿いに並べられた住宅が勢いよく後ろに去っていく。

ほどなく由良川支流の土師川を越えると、近代的な高架橋に上がり、満開の桜が彩る福知山城をかすめ、速度を落としながら市街地に入り込んでいく。左から大阪方面とを結ぶ福知山線が近づいてきたら、並ぶようにして福知山駅に滑り込んだ。

福知山ふくちやま

  • 所在地 京都府福知山市駅前町
  • 開業 1904年(明治37年)11月3日
  • ホーム 3面5線
路線図(福知山)。
福知山駅南口の駅舎。
福知山駅南口

福知山は城下町であると同時に鉄道の町でもある。山陰本線・福知山線・京都丹後鉄道の線路が交わり、舞鶴線の列車も多くが起終点とするなど、大阪・京都と北近畿の諸都市を結びつける要衝として多くの列車が行き交っている。その立地から機関区や客貨車区を擁していた時代もあるなど地域の中心的な駅である。

列車を降りたところにあるのは、まるで新幹線ホームのような、きれいで近代的な高架ホームで、冷暖房完備の待合室にエスカレーターまで備えていた。いっぽうで古色を帯びたものはなにもなく、蒸気機関車がたむろしていた歴史ある駅とは思えないが、これは近年になり地上駅から高架駅へと全面的に生まれ変わったためだ。

福知山駅ホーム。
福知山駅ホーム

並べられた長いホームを散策しながら、まもなく昼になるので主要駅に付きものの駅弁を並べた売店か、立ち食いそば屋でもないかと思うが、そういったものは近代化の波に飲まれたらしく見当たらない。列車がやってくると乗降客でざわつくけど、列車が去ると私だけが取り残されたような状態になってしまうのを見ると、仕方のないところかとは思う。

隣接する京都丹後鉄道のホームも覗いてみようと向かうが、同じ福知山駅で構内もつながっていながら、中間改札口があって切符がないと入れなかった。入場券を買うほどのことでもないので改札と券売機を眺めて引き返す。

高架ホームから地上まで下りて改札口を抜けると、駅の南北を貫く明るく広々とした自由通路に出た。通路東側には改札口・みどりの窓口・券売機などが並び、西側には待合室や商業施設などが収められている。朝夕は通勤通学客であふれるのだろうけど、日中とあって往来はまばらで、駅員もどこか手持ち無沙汰な様子であった。

閑散とした改札口。
閑散とした改札口

南北に出入口があるので、まずは古くからの駅前である北口に向かうと、サッカーでもできそうなほど広い空間に、バスやタクシー乗り場、広場などが現代的に整備されていた。目障りな電線がないこともあって開放感がある。周辺に目を向ければ往来の激しい道路と、閑散とした駅前商店街があり、この辺りの風情もまた現代的である。

地上駅時代にはたくさんの線路が並べられていた、駅裏にあたる南口に出てみると、真新しい街並みが広がっていて、油や煙にまみれた車両基地や機関区があったとは想像すらできないほどに再開発が進んでいた。駅内外とも新しくきれいなものばかりというなかにあって、南口の駅前広場に展示された転車台だけが、福知山機関区に所属していたという蒸気機関車を載せ、微かながら往時の香りを漂わせていた。

駅前に展示された転車台と蒸気機関車。
駅前の転車台と蒸気

福知山城ふくちやまじょう

どこをどうめぐるべきか決めあぐねていたので、観光案内所で尋ねてみると、ここはとにかく福知山城が市内観光のメインだという。加えて市内に点在する明智光秀に関連したあれこれをめぐるのが定番コースになっているとのこと。

この町は歴史をさかのぼると、織田信長の命により丹波を平定した明智光秀が、城と城下町を整備して福智山と名付けたことに行きつく。ほどなく本能寺の変を起こしたこともあり光秀の居城期間は短いが、当地ではよくある逆賊や裏切り者ではなく、発展の礎を築き善政を敷いた良君として慕われてきたという。

勧められた定番コースでいくことにして、パンフレット片手に歩くこと約15分、石垣と天守を載せた小高い丘のふもとまでやってきた。取り巻く桜並木は散りはじめていて、風が吹くたび花びらが舞い、足もとはピンク色に染まりつつあった。

福知山城天守。
福知山城天守

気温は25度にまで達していて、汗をにじませながら石垣上へと上がっていき、そこの自販機で喉をうるおしてから3層4階の天守に入場。黒ずんだ板壁をまとい古めかしさを漂わせているけど、昭和から平成に移ろうかという時代に建てられた鉄筋コンクリートの復元天守だ。

内部は光秀や城のみならず、福知山の歴史までを幅広く扱った郷土資料館になっていて、展示物を眺めては階段を上がっていく。館内もなかなかの暑さで、開け放たれた窓から吹き込んでくる風が心地いい。眼下には城下町が一望でき、列車から城がよく見えただけに、こちらからも走る列車がよく見えた。

天守からの眺望。
天守からの眺望

天守を下りたら傍らにある「豊磐の井とよいわのい」と呼ばれる、直径2.5m、深さ50mもある巨大井戸を覗きこむ。井戸という言葉から想像するそれよりはるかに大きく、四角く囲んだ石材はベンチほどもある太く長いもので、観光客が腰かけて休んでいた。

ごつごつした自然石を丹念に積み上げた野面積みの石垣を眺めると、なめらかに加工された石が混じっているのが分かる。異物が混入したような違和感ある存在で目を引く。この城で特に見たいと思っていた転用石だ。これは単純に加工した石材というものではなく、周辺の寺院や墓所を破壊して調達したとも云われる五輪塔や宝篋印塔で、石仏や石臼といったものも含めて約500個が確認されているという。

転用石を使用した理由は良くも悪くも諸説あるが、なんにせよ整然とした石垣のなかにあって美しいとは思えず、足もとに墓所や石仏があるのも気分的によくない気がするのだが、当時の人たちはこれを見上げてどう思っていたのだろうかと思う。

天守台の転用石。
天守台の転用石

城を出たら観光案内所で教えられたとおり由良川の畔までゆき、深い藪に包まれた堤防を眺める。この辺りの由良川は城や城下町にぶつかる形で直角に折れていて、そのぶつかる部分に立ちはだかるように築かれている。福知山は光秀が堤防を築いて由良川の流れを変え、それまで川床だったところに開かれた町で、これは光秀が築いた堤防の名残りとも云われ、明智藪や光秀堤などと呼ばれているとのこと。

帽子の飛ばされるような強風の吹き荒れる河岸を逃れ、家屋のぎっしり詰め込まれた、かつての城下町に入っていく。江戸時代のような家並みはないけど、昭和の時代には大いに栄えたであろう小さな商店の並ぶ通りがいくつもある。通りのひとつひとつを丹念に歩けば、魅力的な景色に出会えそうなところだ。

そんな街中に鎮座する御霊神社に参拝。明智光秀を祭神として祀り、市民からは「ごりょうさん」として親しまれているという。

御霊神社。
御霊神社

最後は光秀にまつわる名所旧跡ではなく治水記念館を訪ねる。福知山の歴史は暴れ川との戦いの歴史でもあり、由良川の流れていた低地に置かれた町だけに、ひとたび堤防が破られると、すべてが水に没してしまう。この施設では繰り返される水害や、それに対する備えなどを紹介しているという。

街中にある治水記念館は福知山駅の開業よりずっと古い、1880年(明治13年)に建てられた、呉服屋だったという町家を再利用したものであった。屋内には吹き抜けになった箇所があり、洪水に襲われた時は滑車を利用して、ここから荷物を2階や屋根裏にまで引き上げるのだという。いかに水害の多い土地であるかを物語るような構造になっていた。

治水記念館。
治水記念館

入館無料でガイド付きという至れり尽くせりな施設で、他に見学者がいないこともあり、説明を耳にじっくりと建物や展示を見学してまわる。過去には市街地が壊滅するほどの水害にも見舞われており、街の水没した写真はなかなか衝撃的なものがある。それらは白黒写真で遠い過去のことにも思えるけど、近年でも浸水被害は発生しており、いまなお暴れ川との戦いは続いているとのことであった。

たまに老人とすれ違うだけの寂れた商店街を通り、駅に戻ってきたのは15時を少しまわったところであった。次の上川口に行けそうだったけど列車は16時10分までない。それを待つという手もあったけど、じきに日が暮れそうだし、空模様も怪しくなってきたので、迷うことなく15時54分発の園部行きで帰途についた。

普通列車の園部行き 1144M。
普通 園部行き 1144M

車内は夕方のラッシュ前とあって空いていた。各座席にひとりいるかどうかという程度でしかない。ゆったり揺られていると窓ガラスを雨粒が流れはじめた。

(2018年4月4日)

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