北陸本線 全線全駅完乗の旅 5日目(敦賀〜湯尾)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2017年9月6日、宿を出ると前夜の天気予報通りに雨が降っていた。

傘が手放せない1日になりそうだと思ったが、1時間ほどかけて到着した敦賀駅では小康状態になっていた。朝だけあって構内には通勤通学客や用務客が行き交い、そば屋から駅弁屋までが営業していて喧騒に満ちていた。

まずは隣りの南今庄を目指して7時22分発の芦原温泉行きに乗り込んだ。列車は4両編成とこの辺りの普通列車にしては長めで、余裕で座れるだろうと思いきや、すでに大半のシートが埋まっていた。私だけが立たされる面白くない展開である。どうしたものかと先頭車両まで歩いていくと、辛うじて空席を見つけることができた。

敦賀駅ホームに停車中の、芦原温泉行き 231M。
普通 芦原温泉行き 231M

するすると滑るように動き出した列車は、敦賀駅を抜け出すと程なく、全長13kmを超える北陸トンネルに突入した。1962年(昭和37年)の完成当時は日本一の長さを誇り、北陸本線における屈指の難所であった山中峠越えを解消した、鉄道史に残るトンネルである。これにより所要時間は大幅に短縮され、輸送力は大幅にアップしたのだが、代償として高みから日本海を一望できたという風光明媚な車窓が永遠に失われた。

北陸トンネル突入時の車窓。
北陸トンネル突入

地下鉄のごとく騒々しく反響する走行音に包まれながら、暗闇と自分の顔しか見えない車窓を見つめる。1分また1分と時間は過ぎていくが状況は変わらない。退屈ではあるが巨大な山塊を抜けていることを否が応でも実感させ、かつて機内から隔絶された土地であった北陸に来たのだという感慨を抱く。

ふっと車窓が明るくなると同時に車内に静けさが戻り、目には山間の緑あふれる景色が映る。見るからに駅などなさそうな景色だけど、するすると速度を落としはじめ、南今庄到着がアナウンスされた。

南今庄みなみいまじょう

  • 所在地 福井県南条郡南越前町南今庄
  • 開業 1962年(昭和37年)6月10日
  • ホーム 2面2線
路線図(南今庄)。
南今庄駅ホーム。
南今庄駅ホーム

雨に煙る静かな山々に囲まれた駅で、川沿いのわずかな平地に田んぼが散見されるが、人家はほとんど見当たらない。当然のように降りるのは私だけだったが、どこから来たのかホーム上には数人の人影が見えた。

列車を降りると再び雨がこぼれ始めていたけど、傘がなくても過ごせる程度なのでそのまま歩いていく。雨に冷やされた澄んだ空気が山間の朝らしい清々しさを感じさせた。森林浴にでも訪れた気分で、近くを流れる川の音も心地よいものがある。

だがそんな気分に浸っていられるのも束の間で、静寂を打ち破るように列車接近を知らせるメロディーが大音量で流れ、次から次へと列車がやってくる。ホームが狭いだけに目前を猛スピードで通過していく特急列車は怖いものがある。さらに列車が隣りの駅を出たという案内放送や、構内踏切の警報音まで加わり実に賑わしい。

待合所前から敦賀方の眺め

駅舎はなく山に沿うように緩やかにカーブするホームが2面あるだけという、米原からの各駅ではどこよりも簡素な作りをしていた。ホーム同士も構内踏切で結ばれていて跨線橋すら見当たらない。あっても良さそうな物がない代わりに、クマ注意という駅にはまずないだろう看板があったりする。

各ホームの中ほどには引戸でしっかり密閉できる待合所があり、レールを利用した骨組みにコンクリートブロックの壁、そして木造のベンチという昭和中頃らしい作りをしていた。中に入ると手が届くほどに低い天井に若干の圧迫感を感じる。長いベンチの片隅にはゴミ箱や大きな除雪道具入れがあり、除雪用なのか忘れ物なのか長靴が置いてあった。

下りホーム待合所 (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
下りホーム待合所

ホーム端の階段から線路に並行する県道に降りると、すぐ先にまだ新しそうな木造平屋建ての建物が見える。何だろうかと近寄ると「南今庄休憩所」という看板が掲げられていた。中は待合室とトイレになっていてバス停も兼ねているようだ。隣接して駅利用者のための駐車場まで用意されていて、先ほどの乗客のものだろうか数台の軽自動車が並んでいた。

鹿蒜かひる地区案内図」なる興味深いものもあり、観光名所は見当たらないけど、大桐おおぎり駅跡や山中集落跡という文字が目を引く。大桐駅は北陸トンネル開業により廃止された旧線上に存在した駅で、この辺りから山中峠に向けて谷間をさかのぼる途中にあった。そして線路が峠を登りきった辺りが山中集落だ。

大桐駅跡

ここでは旧北陸本線を偲びつつ案内図にある大桐駅跡を訪ねてみることにした。今庄と敦賀の間にあった線路は大部分が県道に転用されているため、藪をかき分けたり道に迷うような心配はない。道路を2〜3km歩くだけと手軽なのも魅力だ。

駅を出るころにはすっかり雨は止み、待ってましたとばかりに草むらは虫の音で賑やかになってきた。歩道はないけど交通量が少ないので歩きやすく、気持ちの良い冷たい風にも助けられ足取りは軽い。沿道の田んぼは刈り取り間近といった様子で、雨に濡れた稲が頭を垂れてとても重そうにしていた。

数分も歩くと「北陸トンネル出口 300m」という標識が立っていて、舗装された小道が線路に向けて伸びていた。間近で見てみたい衝動に駆られたけど立入禁止のロープが邪魔をする。隣接して白壁に瓦屋根の、巨大な蔵を思わせる形をした建物があり、何かの観光施設のようにも見えたけど近寄ると単なる下水処理施設だった。

駅周辺の田んぼ (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
駅周辺の田んぼ

遠目に北陸トンネルに出入りする列車を眺めながら進んでいると、下新道しもしんどうという集落が見えてきた。県道から分岐するかつての街道らしき狭い道路沿いに、北陸らしい黒瓦の住宅が十数軒ほど並んでいた。思いのほか多くの人が暮らしている。道路に面した主屋の背後には蔵も見え隠れし、その歴史ありげな佇まいに迷うことなく線路跡を離れて集落内に足を向けた。

家はあれど人も車もほとんど見かけない静かな所で、すぐ脇を流れる鹿蒜川かひるがわのせせらぎがよく聞こえた。山間の静かで落ち着いた集落という感じだ。今でこそ人々の往来とは無縁そうに見えるけど、鹿蒜川流域というのは万葉集にも出てくる歴史ある土地で、千年以上の昔から長きにわたり、機内や北陸に向かう人々が行き交った所だ。

下新道を流れる鹿蒜川 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
下新道を流れる鹿蒜川

思い出したように降りはじめた小雨の中、集落の中ほどまでやってくると、田んぼの中に建つ大きな鳥居と石灯籠が見えてきた。傍らにある石碑には鹿蒜田口かひるたぐち神社と刻まれている。川も神社も鹿蒜を名乗るこの一帯はかつての鹿蒜村だ。

鳥居から山すそにある拝殿に向けて真っ直ぐに伸びる参道に足を進める。長さにして100m余りはありそうだ。途中を線路跡の県道が横切っていて、昭和37年まで行き交ったであろう蒸気機関車の姿が目に浮かぶ。

やってきた境内は杉に囲まれて薄暗く、冷たく湿り気を帯びた空気が流れていた。しとしと降り注ぐ雨と虫の音だけが耳につく。拝殿は鳥居から想像したよりずっと簡素で、それがまたこの空気にはよく馴染んでいた。振り返れば白く靄がかかった山並みがあり、立っているだけで気持ちが安らぐような所だった。

鹿蒜田口神社 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
鹿蒜田口神社

集落の外れまでやってくると真福寺しんぷくじという寺があった。門前には「明治天皇新道御小休所」と刻まれた石柱が立つ。何でも明治11年に北陸巡幸に訪れた明治天皇が、今庄から敦賀に向かう途中で休憩した所だという。当時どのように移動したのか詳しくは知らないけど、この地に北陸本線が開通するのは明治29年で、まだ自動車もない時代だ、人馬に頼ってこの先の峠を越えていったのだろう。

立ち寄ると本堂から庫裏そして塀に至るまで、黒々とした瓦や柱に、眩しいような白壁という出で立ちで統一されていてコントラストが美しい。それを木々や足元に広がる苔の緑が包み込み、白・黒・緑がくっきりと分かれた目にも鮮やかな光景だった。

真福寺の六地蔵 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
真福寺の六地蔵

下新道の集落を抜け、降ったり止んだりを繰り返す雨の中を数分も歩くと、次の上新道かみしんどうという集落が見えてきた。ここもまた黒瓦の大きな住宅が建ち並び、その軒数も同じくらいと似たような所だったけど、空き家や雑草に埋め尽くされた庭が目立つせいか、下新道に比べてどこか寂しげな雰囲気を漂わせていた。

そんな中に場違いにすら思える体育館のような建物があった。門柱には小さく集会所と書いてあるけど、隣接して広いグラウンドや二宮金次郎像があるあたり、元々は小学校だったと思われる。ただそれを確認できるような人は見当たらないので想像の域は出ない。

駅から点々と続くバス停はここでも見かけたが、時刻表どころかバス停の名前すら掲示されていなかったりする。中にはコピー用紙にプリントしたようなバス停マークを、家のガラス戸に貼り付けただけの所まであった。勝手知ったる地元民の通学や通院のためにあるバスという感じで、よそ者が利用するには敷居が高い。

上新道 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
上新道

上新道の家並みが途切れると道路沿いには田んぼが続く。坂道のせいか気温が上がってきたからか徐々に汗が滲みはじめた。いよいよ駅とは縁のなさそうな自然豊かな景色になってきたところで大桐駅跡が見えてきた。このような立地に駅があるのは、列車が行き違いをする信号所として開設されたという経緯にあるようだ。どうせ止まるのなら乗せてくれと言ったかどうかは知らないけれど、地元の要望によって駅に昇格したという。

跡地は大部分が県道になっていたけどホームが1面だけ残されていた。明治時代の開業なのでレンガや石材を期待するけど、意外にもコンクリートが顔を出している。大桐駅跡という大きな看板が立ち、ここが線路跡だと知っているからだけど、そうでなければホームだと気が付かないくらいに地味な存在だ。

ホーム上には最近植えたらしき小さな桜並木と共に、説明板や蒸気機関車の動輪などがずらりと並び、ちょっとした鉄道公園のようでもある。それを見物しながらホーム周辺の濡れた草地を歩き回っていたら、すっかり靴が湿って靴下まで冷たくなってきた。

県道脇にホームが残る大桐駅跡 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
県道脇にホームが残る大桐駅跡

この先を進めば石やレンガを積み上げたトンネル、それにスイッチバックといった鉄道遺構が数多く残されているというが、そこまで進むともはや「駅の旅」ではなく「廃線の旅」になってしまう。何より道程が20kmほどあり長過ぎるという訳で、今回はこれにて南今庄の駅に引き返すことにした。

帰りは下り坂で寄り道もしないので軽快に進んでいく。雨はすっかり上がり早くも路面は乾き始めていた。

駅が見えてくると駐車場に何台か車が増えているのに気がつく。中にはJR西日本の文字がある乗用車まで止まっている。ホームに上がるとその主らしい2人連れのJR職員の姿があった。写真を撮りながら歩き回っていて何をしているのか眺めていると、その答えを得る前に福井行きの普通列車がやってきた。

福井行き 1239M (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
福井行き 1239M

平日の山間部、それも日中とくれば空いてるだろうと想像したが、車内に入ると大半のシートが埋まっていた。どういう需要があるのか分からないけど意外と利用者が多い。すぐ降りるしワンマン運転だったので、降りやい先頭付近に向かい適当な席に座った。

今庄いまじょう

  • 所在地 福井県南条郡南越前町今庄
  • 開業 1896年(明治29年)7月15日
  • ホーム 2面3線
完乗状況の路線図
今庄駅舎 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
今庄駅舎

北陸トンネルの開業以前は急峻な峠越えに備え、列車を後ろから押し上げる機関車、いわゆる補機を連結するため全ての列車が止まり、その停車時間を利用して立ち食いそばをすする人で賑わったという。今では降り立ったホームに人気はなく、一緒に降りたのも1人だけの静かな山間の駅だった。

そんな往時の名残りか2面あるホームはどちらもとても長い。駅のある直線区間だけでは足りなかったらしく、先端の方では線路に沿ってカーブしているのが見える。いつもなら端の方まで歩いて、往々にして開業当時の姿を残すホームの末端を観察したり、構内全体を見渡したりするのだが、この長さを目にしてはそんな気は起きずただ眺めるだけである。

駅裏には補機の蒸気機関車がたむろした機関区の跡地が広がる。かつて存在したという転車台や機関庫は撤去されて空き地が目立つが、辛うじて給水塔や給炭台の遺構は残されていた。わずかながら残る錆びついた側線には、赤い除雪車が1両退屈そうに佇んでいた。

今庄駅構内 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
今庄駅構内

年季の入った狭い跨線橋を渡り駅舎に入ると、肝心の駅員の姿が見当たらないけど有人駅らしく、窓口や券売機が設置されていた。建物自体は古そうだけど改装して間がないようで、内外ともに新築と見紛うほどにきれいだ。ベンチもたくさん置いてあり、居心地の良い待合室になっていた。

駅務室があったらしき窓口脇のスペースは、観光案内所や土産物の販売所になっていて、こんなに名産品があるのかと思うほど色々な商品が並んでいるのが見える。さらに今庄まちなみ情報館なる施設が併設されていて、立ち寄ると今庄における宿場や鉄道の歴史に、その役割までが分かりやすく解説され、昭和30年頃の駅を再現したジオラマまで設置されていた。無料にしては充実した内容で、ここだけでも訪れる価値がある。

随分と観光に力が入っているけど、肝心の観光客の姿を見かけることは最後までなく、売店には車でやってきた地元の方を何人か見かけただけだった。

待合室と観光案内所 (Canon PowerShot G9X)
待合室と観光案内所

駅を出るとどこか雑然とした昔ながらの駅前という景色があった。人通りはなくホーム同様に寂れた雰囲気が漂っている。住宅やタクシーの営業所がある程度で、歴史ある駅前に定番の古びた商店や食堂のようなものは、建物ごと消滅したのか元々なかったのか見当たらない。全体的にくたびれた感じはするけど、所々に真新しい観光案内板が立ち、観光に活路を見出そうとしているように見えた。

今庄そば

時計を見ると昼になるところで何はともあれ昼飯だ。今庄といえばそばが有名で、ホームに立ち食いそばがあったくらいなのだ、当然のようにそばを食べることにした。駅で見つけた散策マップによると、そば屋は駅周辺だけで3軒もある。最も近い駅前の店は定休日だったので2番目に近い店に狙いを定めた。

地図によると駅から線路伝いに2〜3分ほど歩いた所にあるという。早速向かうとそば屋よりもその隣りにある、板張りと赤レンガ造りの大きな酒蔵に目を奪われた。広い壁面を一杯に活用した「白駒」という巨大な文字もまた趣がある。

そば屋は平日でこの閑散とした町の雰囲気から、もしや営業してないのではないかという懸念もあったけど、幸いにしてチカチカと電光掲示板が光を放っていて一安心。

白駒酒造の酒蔵 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
白駒酒造の酒蔵

店内は数組も入れば満員になりそうな小さな店だったが、昼時だというのに他に客の姿はなく楽に座ることができた。そばがなくなり次第終了と書いてあるけど、これでは1日がんばってもなくならないのではと心配になるほどだ。

見回すと壁には宇野重吉の写真が飾られていたが、それより大量のミニ提灯が並んでいるのに目が行く。以前はよく飾ってあるのも売ってあるのも見かけたし、集めていた時代まであったのだが、最近はめっきり見かけなくなった。この雰囲気にして歌謡曲まで流れているから居酒屋にでも訪れた気分にさせるが、アルコールは扱っていませんと張り紙がしてあった。

夏のそばといえば「ざるそば」が定番だけど、越前名物の「おろしそば」を注文した。これは冷たいそばに大根おろしとつゆをぶっかけて食べるもので、美味くて安いのみならず、冷たくさっぱりしているから夏には最高の一品なのだ。

大根をおろす音を聞きながら待つことしばし、出てきたそばは薄く細めながら、一口食べるとこの姿にして驚くほどコシがある。辛味の効いたさっぱりした大根おろしに食が進む。ただこれはそばや出汁の風味を損なう両刃の剣でもあり、そば湯で風味を補うと同時に、冷えた胃に染みる感じを楽しみつつ食べていく。

福井名物おろしそば (Canon PowerShot G9X)
福井名物おろしそば

店を出ると腹ごなしがてら駅裏に展示保存してあるという蒸気機関車、デゴイチことD51を見に行く。これは目立つ位置に置いてあるので探すまでもなく見つかった。

保存車両というのは雨ざらしで錆と破損の目立つボロボロの姿で、保存というより放置だろうという代物もあるが、これはしっかりした鉄骨の屋根に守られ、すぐにでも走り出しそうなきれいな姿を見せていた。磨かれて黒光りする車体は、煤にまみれていた現役当時よりきれいそうですらある。

説明板に目を通すと意外にもこの機関車は、今庄どころか北陸とすら縁のない車両で、その生涯を山陽から山陰と中国地方で過ごしていた。ここに置いてあるくらいだから、この地で補機として活躍し、この地で眠りについたのだと思ったのだが、まるで無関係な車両だというのが少し意外に思えた。

駅裏に保存される蒸気機関車 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
駅裏に保存される蒸気機関車

今庄宿

次はいよいよ最大の見どころ今庄宿の散策に乗り出す。北陸と京・江戸方面を往来するには立ちはだかる山塊を越える必要があるが、すべての道は今庄に通ずとばかりに、山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠と、何れの道を選んでも今庄を経由することになる。当然のように旅人や商人で賑わい、江戸時代は越前で最も繁栄した宿場だったという。

駅はそんな宿場の中ほどにあるため、そのまま歩きはじめると中央から宿場の出入口に向けて歩くことになってしまう。ここはやはり順序立てて足を踏み入れたいと、街道を避けつつ線路沿いを敦賀方面に進み、宿場の外れにある追分の道標までやってきた。

江戸後期の文政13年に建てられたことから「文政の道しるべ」と呼ばれるこの道標は、江戸と北陸を結ぶ最短経路として参勤交代にも利用された北国街道と、平安の昔から機内と北陸を結ぶ街道として利用されてきた北陸道の分岐点を示している。大きな青緑色の笏谷石しゃくだにいしに深く文字の刻まれた姿には風格を漂わせている。

文政の道しるべ (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
文政の道しるべ

近くには赤い鳥居が、宿場に迫る山の斜面上に並んでいるが、木々に囲まれて先の様子をうかがうことはできない。妙に気になり立ち寄ると予想外に長い参道で、行けども行けどもきりがない。足元は濡れた雑草が生い茂るものだから雫で靴が冷たくなってきた。湿気を物語るように顔や手には蚊が執拗に群がり、逃げるように先を急ぐと汗が流れはじめた。心地よい町歩きの予定が妙な展開になってきた。

道中にある祠や赤錆びた砲弾を横目に最上部までやってくると、薄暗く森閑とした中に飾り気のない小さな社殿があった。閉ざされた扉の前には石造りの狐がこちらを見つめていて、どこか落ち着かないものがある。相変わらず足元は冷たく蚊は飛び回り、長居は無用とばかりに慌ただしく山を降りた。

今庄宿の入口にある稲荷神社 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
今庄宿の入口にある稲荷神社

気を取り直して今庄宿に分け入っていく。最初に現れるのが道の大きく曲がった矩折かねおりで、これは防御などのために全体を見通せないようわざと曲げてあるのだ。その先では緩やかに右へ左へと波打つ狭い道路に沿うようにして、軒先の低い黒瓦の屋根に大きな袖壁を擁し、白壁や格子戸などで覆われた古めかしくも重厚な建物が並んでいた。

矩折ほどではないにしろ見通しが効かないため、歩けば歩いた分だけ奥の方から趣のある建物が姿を表してくる。所々が歯抜けになっていたり、電柱や小洒落た建物が混ざっていたりはするけど、普通に生活している町でこれだけ宿場の風情が残されているのも珍しい。

昔はここを引きも切らさず人馬が行き交ったのだろうけど、今は歩いている人をまるで見かけず、忘れた頃に車が走り抜けていく程度と至って静かなものである。

今庄宿の家並み (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
今庄宿の家並み

家並みの背後にある山すそには新羅神社という氏神様らしき神社があり、高台にある社殿に向けて石段が伸びていた。新羅とは古代の朝鮮半島と関係ある土地なのだろうか気になる。ふらりと立ち寄ると稲荷神社とは違いよく手入れがなされていて、手水舎には滔々と清らかな水が注ぎ込まれ、傍らには生活感のある社務所も建っていた。

境内には愛宕山登山道と刻まれた文政の道しるべのように大きな石柱が立ち、側面には源平古戦場や燧ヶ城ひうちがじょう跡の文字も見られる。これは神社の背後にある山で、かつては山頂に社殿があったが千年近くの昔、城を築くにあたり現在地に移されたという。カタクリ群生地という案内板も立ち、登ってみたい誘惑にかられるけど、クマ出没の立札と雨がそれを思いとどまらせた。

神社の隣りには観音堂に続く石段があり、苔むした姿に惹かれて上がっていくと、鬱蒼とした杉林とシダ類に囲まれるようにして鄙びたお堂が佇んでいた。山奥の無住の寺にでも訪れた気分にさせる。どのような経緯で造営されたのか興味深いが、円通寺という表札が掲げられている他には何も情報は見当たらなかった。

街の背後にある観音堂 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
街の背後にある観音堂

改めて街道筋に戻り先に進むと、問屋場といやば跡・高札場こうさつば跡・御札場おふだば跡と旧跡が点在し、当然のように大名や役人の宿泊した本陣跡もあった。明治天皇の北陸巡幸の際はここに宿泊したという。残念ながら本陣の建物は残されていないが、跡地には明治天皇の宿泊した居室を移築した、明治殿なる建物が鎮座していた。

すぐ向かいには昭和会館なる鉄筋コンクリートの優雅な洋風建築があるのだが、残念ながら耐震工事中で大半を足場と幕に包まれ、その姿をうかがうことができなかった。明治殿も昭和会館も同じ人物が私財を投じて作ったというから驚きだ。

京藤甚五郎家きょうとうじんごろうけなる江戸後期の建物は、防火対策で全体を土壁で覆われた上に、豪壮なうだつまで上がる見事な造りを見せる。酒蔵は何軒もあるだけでなく美しく手入れもなされていて一際目を引く存在だ。趣のある板壁や土壁に惹かれて路地裏に入れば寺がいくつもあった。どこまで進んでも飽きることのない良い町である。

ひときわ目を引く京藤甚五郎家 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
ひときわ目を引く京藤甚五郎家

そんな街並みを楽しんでいると福井側の矩折に出た。こちらの方が分かりやすい姿形をしていて、右に大きく曲がったかと思えば、またすぐ左に大きく曲がっている。その先にある今庄宿入口という看板を過ぎたところで引き返した。

駅に戻ってくると歩き回ったこともあり蒸し暑くてたまらない。真夏のように汗が流れるほどではないが、じっとり汗がにじみ出てくる嫌な暑さだ。何とかしようと駅の売店で「酒粕アイスもなか」というのを手に取った。ありふれた商品も置いてあるけど酒蔵の多い町なので、あえてキワモノ感すら漂うこれにした。

ホームのベンチに腰掛けて開封すると、もなかの香りが強く酒粕らしさはまるでない。口にすると思ったより柔らかく口溶けも滑らかと食べやすい。甘さ控えめのバニラにほんのりと酒粕の風味がする上品な味で、半ばネタ的に選んだけどまた買ってもいいかなと思う味だった。

そんなことをしていると次の列車がやってきた。車内は混雑していて、後ろのドアから乗り込み空席を探しながら前方に移動していくと、そのまま最前部まで来てしまった。すぐ降りるしまあいいかとそのまま立っていく。

福井行き 1247M (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
福井行き 1247M

発車するとすぐに湯尾峠の下をくぐり抜けるトンネルに入った。標高差にして100mもないような小さな峠だが、これが福井に向けて立ちはだかる最後の峠であり、いよいよ線路は広大な福井平野に足を踏み入れていくことになる。

湯尾ゆのお

  • 所在地 福井県南条郡南越前町湯尾
  • 開業 1948年(昭和23年)9月1日
  • ホーム 2面2線
完乗状況の路線図
湯尾駅舎 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
湯尾駅舎

山々に囲まれた農地の中に住宅が点在するのどかな所で、それだけに到着しても席を立つ人はなく降りるのは私だけだった。ドアの向こうには若い女性が立っていたけど、ワンマン列車だと気がついて後ろの方に走っていく姿が見えた。

開業が戦後と北陸本線にしては新しいだけに、2面2線の相対式ホームがあるだけと、いかにも後から線路脇にホームだけ据えましたという姿をしていた。その長さも今庄に比べると短くて端まで歩く気になれる程度しかない。

駅の表側には住宅が点在しているのが見えるけど、裏側には少々の農地を挟んで北陸自動車道が横切り、その向こうには山が迫っている。町というほどの場所ではなく、このような場所に駅を設置したのは大桐駅と同じく、信号所を駅に昇格したという経緯にあるようだ。

湯尾駅構内 (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
湯尾駅構内

跨線橋を渡り駅舎側にやってくるとホーム上に赤い自販機があるのが目立つ。大きな駅ならともかくこのような無人駅に珍しい。近くには貸傘のコーナーまであった。自由にご使用下さいとはあるけど肝心の傘は1本もなく、この空模様だから全て使用中なのか、それとも返却されてこないのかどちらだろう。

駅舎は木造のログハウス風で緑の豊富なこの景色によく似合う。無人駅ながらしっかりした建物なので、かつては委託駅だったのかとも思ったけど、薄暗い待合室に入ると窓口の痕跡すら見当たらない。単なる待合室にしては随分しっかりしたものを建てたものだ。ベンチの片隅には手の込んだ手編みカバーの座布団が積み上げられ、花壇の花はよく手入れされ、人気はないけど人の温もりを感じさせる。

湯尾駅待合室 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
湯尾駅待合室

駅前に出るとすぐ先を国道が横切り、駅裏の北陸自動車道に張り合うようにして車が行き交うため、前後から車の走行音に攻め立てられ騒々しい。元々が信号所なだけに農地が広がるような場所だったのか、比較的新しい住宅があるだけであまり駅前らしさは感じられない。

隣りには豪雪地らしく太い鉄骨で作られた巨大な駐輪場があり、中を覗くと軽く100台は収まりそうな規模をしていた。これを見る限り自転車で通えるような範囲に、かなりの人が暮らしていることが想像される。

日野川と日吉神社

雨が激しくなってきたので傘を差して駅を出発した。まずは近くを流れる日野川を眺めるのが目的だ。県内でも有数の河川で、下流では福井市内で九頭竜川と合流して日本海に注ぎ、上流では南今庄で見た鹿蒜川にも通じている。川向うにそびえる杣山には城跡も残されているという。興味はあるが日没迫る雨降りに登山するほど愚かではない。

国道を横断して黄金色の田んぼを突き抜け、その先の堤防に上がると川面が姿を現した。見たところ100m以上の川幅がありそうだ。両岸には石ころの1つすら見えないほど草木が生い茂り、緑に包まれるようにして穏やかな流れが顔を出していた。

新しい大きな橋を渡ると鮎が有名なのか、そこかしこに鮎のイラストが配置されていた。橋は立派なれど自然豊かなだけに、人は当然のことながら車にすらめったに出会わない。対岸には山林と畑くらいしかなく早々と引き返す。

日野川 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
日野川

堤防上には桜並木が続いていて雨除けに使えそうだと木の下を歩いていく。傘があるから頭はなんともないけど靴が防水でないので気を使う。狙い通りに雨の勢いは和らぎ、具合がいいと思ったのも束の間、雨の代わりに毛虫が降ってきた。これはたらないと逃げるように堤防を降りた。

時刻は16時を迎えるところで、次の駅に向かうにはもう遅いが、宿に帰るにはまだ早いという半端な時間だ。時間つぶしに面白いものを探しつつ北陸道を少し歩いてみることにした。今では北陸道といえば駅裏を横切る北陸自動車道のことだが、駅前を横切る道路もまた古代より北陸道と呼ばれてきた街道だ。

駅周辺は新興住宅地のような雰囲気だったけど、しばらく今庄方向に歩くと土蔵を備えた住宅が現れはじめた。黒瓦の屋根に地味な色合いをした壁が多く、薄暗い雨と組合わさり白黒写真のような落ち着きを感じる。今庄のような江戸情緒を感じさせる建物は見当たらないけど、曲がりくねる道筋や、豊富な水の流れる水路が往時を偲ばせる。

土蔵の目立つ湯尾 (Canon PowerShot G9X)
土蔵の目立つ湯尾

道端には大きく山王太鼓と書かれた看板が立ち、日吉神社という扁額の掲げられた鳥居に、和太鼓を叩く男たちのイラストが描かれている。有名な神社や祭りなのだろうか。看板に惹かれてふらふらと集落内に入り込んでいくと、北陸本線のすぐ脇で住宅に囲まれるようにして佇む神社を見つけた。

敷地は小さいが社殿は2階建ての鉄筋コンクリート造りと大きく、その姿は新興宗教の神殿のようにも見えた。階下には件の和太鼓でも収められているのか締め切られた部屋があり、屋外の大階段を上がった所が拝殿になっていた。大屋根の上には本殿らしき小屋根が乗り、神社の主要な建物を集約したような外観をしている。

境内で見つけた由緒書きに目を通すと、このような社殿が作られた経緯がおぼろげながら見えてきた。それによるとかつては広大な社地を擁していたが、背後を横切る北陸本線と北陸自動車道の建設のため大部分を削り取られ、この狭い土地に押し込められたようなのだ。かつての社殿は隣りの南条にある神社に移築されたという記述からして、この敷地に全ての施設を収めるため、やむなく2階建ての社殿になったと推測する。

雨は濡れないような小降りになり傘は片付けていたのだが、突如としてバケツをひっくり返したような激しい雨が叩きつけてきた。傘も太刀打ちできないほどで社殿の軒下に逃げ込み、収束するのを待ちながら、かつての社地を行き交う北陸本線の列車を眺めて過ごした。

日吉神社の軒下から眺める北陸本線 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
日吉神社の軒下から眺める北陸本線

神社を出るとすぐに外出帰りらしき一人のばあちゃんに遭遇した。年の頃なら80あちこちで昔の事に詳しそうだと神社についての詳細を尋ねてみるが、残念ながら元々ここに住んでいたのではなそうで詳しくは知らないという。時間があるなら家で休んでいってというので、雨の激しさもあり渡りに船とばかり上がらせてもらった。

この方は長年に渡り今庄で働いていたといい、街に活気のあった時代の話や、通うために真っ暗なトンネルを棒を頼りに歩いた話など、興味深い話をいくつも聞かせてくれた。お礼をするどころか逆にアイスや菓子を手渡されて外に出ると、暗さが増してこそいるけど雨はすっかり上がり静かになっていた。

ばあちゃんに見どころはないし、今庄のような古い建物もないと言われたけど、行く手に見える昭和を感じさせる家並みもまた魅力的で先に進んでいく。地味な景色の中に浮かぶ消防ポンプ小屋の赤い灯や、鐘楼がなければ民家と勘違いしそうな寺など、何ということはない景色ではあるのだが魅力的に映る。

妙法寺 (FUJIFILM X-T1 + XF16mm F1.4R)
妙法寺

17時台の列車に乗れるギリギリの時刻まで歩き回ってから、足早に駅に向かっているとアイスが想像以上の速さで溶けているのに気がついた。これは食べてしまわねばと慌てて力任せに開封したら中身が飛び散りえらいことになった。ベトベトの手を何とかしたいが洗えるような所はないし、こんな時に限って雨も止んでいる。列車の時刻は迫りつつあり何とか水たまりで洗い落として先を急いだ。

エピローグ

完乗状況の路線図

駅に戻ってくると待合室には未だに明かりが灯らず薄暗いを通り越して暗い。慌ただしく通り抜けてホームに向かうと、人影はなくどうやら乗車するのは私だけのようだ。アイスを食べるのに手間取ったこともあり、待たされることなくすぐに敦賀行きがやってきた。これを逃すと1時間の待ちぼうけで危ないところだった。

敦賀行き 244M (FUJIFILM X-T1 + XF35mm F1.4R)
敦賀行き 244M

車内は混雑気味ではあるが空席もちらほらとある。ところが猫も杓子も座席の上に荷物を置いていてまるで座れない。列車の乗り方も知らないのかと思うような有様である。今庄でちょうど降りる人が居たので何とか座り、またあの長い北陸トンネルを抜けて帰途についた。

(2017/09/06)

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