参宮線 全線全駅完乗の旅 1日目(多気〜伊勢市)

旅の地図。

目次

プロローグ

2016年8月5日、どうしてもこの夏に訪ねたいと思っていた参宮線を目指し、名古屋5時40分発の始発列車に揺られていた。

参宮線は松阪にほど近い多気で紀勢本線から分岐、伊勢神宮をかすめて志摩半島の鳥羽までを結ぶ、全長29.1km、駅数11駅という小さな路線だ。いまでは地方の赤字ローカル線の風情であるが、伊勢神宮の参詣客輸送を目的に明治時代に建設された歴史ある路線で、かつては東京や大阪方面とを結ぶ直通列車が運転されるほど賑わった路線である。

路線の規模からすると完乗するのは簡単に思える。ところがいざ実行に移そうとすると「池の浦シーサイド」という駅が立ちはだかる。この駅は海水浴客のために夏期のみ営業する臨時駅なのだが、近年は利用者数の低迷もあって年間わずか4日間しか営業しないのだ。しかも停車する列車は1日2往復しかない。つまり参宮線を完乗するチャンスは年間4日間、列車にすると16本しかないということになる。

どうしてもこの夏に訪ねたかった理由がこれで、いまを逃せばまた来年まで待たされることになってしまう。さらにこの営業状況では駅そのものが廃止されかねず、来年などと言っていると永遠に機会を失う可能性すらある。そのような訳で数少ない営業日に合わせる形で、参宮線を目指しているのである。

多気たき

  • 所在地 三重県多気郡多気町多気
  • 開業 1893年(明治26年)12月31日
  • ホーム 2面4線
路線図(多気)。
多気駅舎。
多気駅舎

多気は紀勢本線の途中駅だが参宮線の起点でもある。明治26年の開業と地方の鉄道とは思えないほど歴史があり、元々は伊勢神宮の参拝客輸送を目的に建設された参宮鉄道の駅だった。それが国有化されて参宮線の駅となった。当時は亀山が起点だったが当駅から分岐する紀勢本線が全通した際に、亀山〜多気は紀勢本線に編入され多気が起点となった。

駅舎は平屋建ての簡素な形だが、線路に並行して奥行きのある建物なので、正面から受ける印象よりはずっと大きい。周辺は多少の商店と住宅がある程度で、大半が農地になっているのだが、みどりの窓口まである有人駅で、利用者も結構あるから不思議だ。

明治時代の開業だけあってか、幅の広い長々としたホームがあり、最近の短い列車では持て余し気味である。そんなホームが4番線まであり、紀勢本線と参宮線、さらに貨物線まで分岐している構内は広々としていた。

多気駅ホーム。
多気駅ホーム

まずはどこへ行こうか駅前にあった多気町の案内板に目を向ける。面白そうな場所が点在していると思ったが、これは多気町全体の地図であり、歩いていけるような距離ではない。駅から徒歩圏内となると「桜づつみ公園」と「板倉遺跡」位しかない。だが桜の季節でもないし、夏ということで涼を求めて、近くを流れる櫛田川まで行ってみる事にした。

櫛田川くしだがわ

さすが8月だけあり朝から蒸し暑く、歩き始めると同時に汗がしたたってくる。駅で買ってきた飲み物を口にしつつ、田んぼの中を続く細い道路を歩けば、10分程で堤防の下に到着した。堤防上までは小さな階段が伸びており、上がってみると、鏡のような水面が川幅一杯に広がる櫛田川に到着だ。

上流側には紀勢本線の鉄橋があり、下流側には大きな頭首工(用水路などに水を取り込む堰)が見える。この頭首工で水をせき止めている場所なので、こんなにも水面が穏やかになっているようだ。

静かな川面には、鉄橋から頭首工に周囲の山々と、様々なものが映り込んでいて美しい。ぼんやりと川を眺めていると、鉄橋を普通列車が通過していった。

櫛田川を渡る普通列車。
櫛田川を渡る普通列車

頭首工の上には小さなトラス橋がかかっており、どうも人が渡れそうな感じがする。まあ渡れなくとも、こういった年季の入った大きな構造物は、眺めるだけでも楽しいので、近くまで行ってみる事にした。

川沿いでは近所の人なのだろうか、自転車に乗ってきて釣りをしている人の姿が見られる。風がなく静かで動きのない景色と相まって、絵画でも眺めているようだ。

上流側から見た頭首工。
上流側から見た頭首工

トラス橋の所までくると、思った通り歩行者用の通路になっていた。橋の上部が何だかやけに低くて、頭をぶつけそうな気がしてしまう。その中でも入り口部分は特に低かったので、頭を気にしつつ渡り始める。

構造物に取り付けられている銘板を見ると、昭和29年製と読み取れる。結構古そうだとは思ったが、やはり歴史のある頭首工のようだ。

トラス橋を渡る。
トラス橋を渡る

橋の上からは上流側も下流側もよく見渡せる。これまで見えなかった下流側には、満々と水をたたえた上流側とは対照的に、広々とした河原が広がっていた。こちらも青空を背景にした夏らしい景色であり、どちらの眺めも甲乙つけがたい。

頭首工から下流側を望む。
頭首工から下流側を望む

この櫛田川は多気町と松阪市の境界になっており、渡り終えた所はもう松阪市である。といっても周囲には大きな石碑が1つ立っているだけで、日差しを遮る物すらない暑いだけの場所である。

とりあえず石碑の所まで行ってみると、頭首工の完成記念碑のようなものだった。台座には櫛田祓川頭首工、昭和31年完成といった文字が見える。突然出てきた祓川はらいがわとは何かと思ったら、この場所は櫛田川と祓川という、2つの川の分岐点になっているのだった。

川沿いに建つ石碑。
川沿いに建つ石碑

そろそろ駅に戻ろうと再び橋に向かうと、原付きバイクが渡ってきてビックリする。さっきは歩行者を2人程見かけたし、近くに道路橋がない事もあってか結構活用されているようだ。

暑い中をトボトボと駅まで戻ってきて、参宮線の列車を待つ。本日最初となる列車は、4両編成でやってきた伊勢市行きの普通列車だ。車内はロングシートが並び長時間は乗りたくない車両だが、1駅で下車するこんな旅では、かえって利用しやすい存在である。

伊勢市行き 917D。
普通 伊勢市行き 917D

外城田ときだ

  • 所在地 三重県多気郡多気町土羽
  • 開業 1963年(昭和38年)4月1日
  • ホーム 1面1線
路線図(外城田)。
外城田駅ホーム。
外城田駅ホーム

田畑の広がる中にポツンとホームが1面あるだけの駅で、近くに人家はなく遠くの方に集落が見えている程度だ。駅設備も小さなベンチが1つある程度なのだが、そんな駅にも関わらず、ホーム上に公衆電話が設置されているのが面白い。こんな所の公衆電話とか一体誰が使うんだと思うが、中を覗くと結構使用感があるから不思議だ。

ホームの中央付近にある階段から、駅前を走る道路に降りる。すると目の前には商店の廃墟が…。と思ったら自転車置き場だった。中は広いのに入り口は狭く、奥の方に入れたら出すのに苦労しそうな変な作りだ。自転車置き場として作られた建物には見えないのだが、やはり何かの店だったのだろうか…。

自転車置き場。
自転車置き場

さすがに観光案内板のような物は一切なく、周囲を見回しても目に留まるのは田畑と山だけで、緑に囲まれた駅だった。次の列車までどこへ行き、何をしようか悩ましい所でもある。

裏山うらやま

駅前には線路と平行して走る道路があり、狭いながらも結構交通量がある。もう1つ駅前から田んぼの中へと伸びていく、あぜ道といった感じの狭い道路があり、静かそうなこちらに進んでみた。見た目から予想はしていたが、どこまで行っても田んぼが広がるばかりで、変化といえば農作業をするおばちゃんが居た事くらいのものである。

駅前通り。
駅前通り

これはダメだと駅に戻り、線路沿いの道路から近くに見える柿畑に向かう。大して広くもない道路なのだが、頻繁に車がやってくるので、歩きにくくて落ち着かない。そこで道端の、まだ青い柿を一瞥してから、近くにあった踏切を渡り、駅の裏手へと行ってみた。

青々とした柿。
青々とした柿

駅の裏手には近くまで山が迫っており、山中へと入っていく未舗装の林道が目に留まる。山の中なら木陰もあり涼しそうだし、冷たい水でも出ているかもしれないと、木々に囲まれた緩い坂道を上がっていく。

順調に進んでいたのも束の間、水どころかヤブ蚊が群がってきて、これはたまらない。結局ある程度進んだ所で走って逃げ帰ってきた、涼むつもりが汗だくになっただけ、というオチである。

駅裏の林道。
駅裏の林道

暑い中をあちこち歩きまわっただけで、大した収穫もないままに駅に戻ってきた。何もない駅だが、幸いにして自販機だけはあるので、飲み物を購入して駅のベンチで休憩にする。少しして駅前に車が止まったので、出迎えにでも来たのかと思っていると、列車の時間になったら学生が下りてきた。

次の列車は鳥羽行きの普通列車で、問題の臨時駅「池の浦シーサイド」に停車する数少ない列車だ。もっともこの日は営業日ではないので停車はしないが。

外城田駅に入線する鳥羽行き 919C。
普通 鳥羽行き 919C

田丸たまる

  • 所在地 三重県度会郡玉城町佐田
  • 開業 1893年(明治26年)12月31日
  • ホーム 2面2線
路線図(田丸)。
田丸駅舎。
田丸駅舎

下車するとまず目に留まるのが、存在感たっぷりの大正時代に建てられたという木造駅舎だ。外観は概ね建築当時のままのようで、随所に歴史を感じさせる作りが残っている。木板にペンキで書かれた駅名板など味わい深い。

駅舎内もそんな感じかと思ったら、こちらは割と手が加えられていて外観程の風情はなかった。新しくはないが特別に古いという程でもない、そんな雰囲気の待合室である。やたら目立つ存在の窓口に降ろされたシャッターには、営業時間は7時半〜17時と書かれている。営業時間内なのに閉まってると思ったら、既に無人化されているのだった。

待合室。
待合室

そんな駅舎内において、出入口の引き戸だけは木製で目を引く存在だ。下のガイドが石造りだったり、やたらと年季の入った作りになっている。窓はアルミサッシ化されているのに、ここだけ木製で残っているのが不思議で、しっかり新しい木材で補修もされている。

駅舎とは反対側にある上り線のホームには、大きな待合室があり、中を覗くと長い木製ベンチがあった。こういったホーム上の木製ベンチも、最近はあまり見かけなくなって、何だか懐かしい物である。

木製ベンチ。
木製ベンチ

田丸城たまるじょう

どこへ行こうかと駅前に出ると、目の前に「史跡 田丸城跡」の標識が立っていた。しかも僅か500mとすぐ近くで、悩むまでもなく目的地が決定だ。早速標識に従い、小さな商店や住宅の建ち並ぶ中を進む。昔ながらの街並みといった面持ちで、城跡がある位だから歴史もあるのだろう。

やがて田丸城の外堀だったと思われる大きな横長の池が現れ、覗き込むと鴨が悠々と泳いでいた。近くには保育所があり、ちょうど園児が散歩から帰ってきた所で、静かだった街が急に賑やかになる。このうだるような暑さの中でも子供は元気である。

田丸城の外堀。
田丸城の外堀

外堀を橋で越えると左手に玉城町役場があり、最近は合併で市役所や支所ばかりなので、町役場という響きがなんだか懐かしい。役場と向かい合うようにして「村山龍平記念館」という施設もあった。村山龍平は朝日新聞の創業者で、ここ玉城町の出身なのだそう。

役場のすぐ隣にはいかにも城跡といった石垣があり、その手前に広がる内堀には、大賀ハスという蓮が一面に咲いていた。

大賀ハスと石垣。
大賀ハスと石垣

周囲には城の見取り図や、草に覆われた「史跡 田丸城址」の石碑が建っており、ここが田丸城跡になるようだ。城跡に来たのであれば、やはり天守跡にも行かねばという事で、石碑の脇から上を目指して進む道路を上がっていく。

やがて見えてきたのは天守どころか、城とは関係のない中学校だった。まあそれは良いとして、せっかく暑い中を上がってきたのに、中学校から先は下り坂に変わる。結局中学校まで上がって、また下ってきただけの道路であった。

下りてきた所から再び上り坂の道路があるが、今度は中学校の裏側へ行くだけの感じで怪しい。近くに山の中へと伸びる遊歩道のような小道があったので、こっちが正解じゃないのかと分け入っていく。すると最初は良かったが、途中から足元を覆う草をかき分けつつ進む状態に…。

草に埋もれた道。
草に埋もれた道

ようやく開けた場所に出たと思ったら先程の道路で、無駄に遠回りをしただけであった。まあこういう事もあるから、地図も見ない適当な街歩きは面白い。

石垣沿いに伸びる舗装路を歩いていると、意外にも途中で観光客と思われる女性とすれ違った。平日にこんなところに来るのは自分くらいだろうと思ったが、そうでもないようだ。

田丸城の石垣。
田丸城の石垣

山頂辺りまでくると、本丸跡という広々とした草地に出る。周囲には立札のある、記念植樹らしい木が沢山植えられていた。せっかく緑で一杯の良い場所なのだが、急に雲が増えてきて頻繁に太陽の光が遮られ、何だか暗くスッキリとしない。

目的の天守跡は、本丸跡の一角に見つけた。行ってみるとコの字型の石積みが残っていて、高松城の天守跡でも、同じような形の石積みがあった事を思い出した。

田丸城天守跡。
田丸城天守跡

低い城山ながら平地に囲まれているので、天守跡からは遠くまで見渡す事ができた。駅から街の中を通ってきたので、城山の周囲にも街並みが広がっているものと思っていたが、どこまでも広がる農地に「あれっ」という感じだ。

天守跡からの眺め。
天守跡からの眺め

本丸跡の片隅には水飲み場があり、試しに蛇口をひねると普通に水が出た。暑さで参っていた所だったので、ありがたく水分補給に利用させてもらう。

帰り道に本丸跡のすぐ隣に見かけた「城山稲荷神社」に立ち寄る。ズラリと並んだ赤い鳥居をくぐっていくと、奥に小さな拝殿があった。参拝を済ませると次の列車に乗り遅れては大変と、急ぎ足で駅へと向かった。

城山稲荷神社。
城山稲荷神社

先ほど無駄に中学校への道を上がった時に、下の方の道路脇にチラッとSLの姿が見えたので、その前を通りつつ駅に向かう。展示されていたのはC58の414号機で、きっと地元に馴染みのある車両なのだろうと思ったが、予想に反して北海道で活躍していた車両だった。

昭和48年に廃車となった後、北海道から田丸駅のすぐ近くまで、線路上を牽引されてやってきたそうだ。屋根付きな事もあり状態は割と良さそうに見えたが、急いでいるのでじっくり見ている暇もなく、一瞥して駅へと向かった。

C58 414。
C58 414

汗を流しつつ急いで駅まで戻ってきたものの、急ぎすぎたか次の列車まで20分も時間が余ってしまった。まあ乗り遅れるよりはマシだろうと、古い駅舎を観察して時間を潰した。

次の列車は鳥羽行きの普通列車で、毎度おなじみの新しい車両だ。車内にはロングシートが並び、どうも旅に来たという感じがしない車両でもある。

田丸駅に入線する鳥羽行き 921C。
普通 鳥羽行き 921C

宮川みやがわ

  • 所在地 三重県伊勢市小俣町本町
  • 開業 1893年(明治26年)12月31日
  • ホーム 2面2線
路線図(宮川)。
宮川駅舎。
宮川駅舎

この駅も先程の田丸駅と同じく、古い木造駅舎が残っていた。路線が開業した明治26年から数年間の間だけ、ここが終着駅だった事もあるようだ。

駅舎に入ると何だかガラーンとしている。出入口には戸もなく吹き抜け状態で、昔は賑わったのだろう広い待合室には、窓際にベンチが少々並ぶ程度である。シャッターの降りた窓口と相まって寂しさが漂っている。

待合室。
待合室

出入口の脇にはホーロー製の駅名板が取り付けられていた。木製の駅名板もいいが、これもまた木造駅舎にはよく似合う。

駅名板。
駅名板

離宮院公園りきゅういんこうえん

駅前に出ると交通量の多い道路が通り騒々しく、周辺も新しい住宅が多く見られて、古びた駅とは対照的な景色だ。興味を引くようなものは見当たらないので、避暑もかねて駅の裏手に広がる、大きな公園に向かってみる事にする。

離宮院公園という名前のこの公園は、街の規模にしてはやけに大きく、しかも駅に隣接した良い場所に作られている。離宮院という名前にも歴史が秘められていそうで、どういう経緯で存在する公園なのか興味深い。

駅を出て2,3分も歩くと公園に到着して、入口には鳥居が立っていた。どういう事だろうかと思いつつ中に進むと、すぐ脇にある小さな広場の木陰で、自転車を傍らに止めたおっちゃんが昼寝をしていた。そしてこれが公園内で見かけた唯一の人物でもあった。

離宮院公園入口の鳥居。
離宮院公園入口の鳥居

近くにあった案内板を見ると、公園の簡単な説明や地図が載っていて、芝生広場や休憩所にトイレと、公園らしい設備が点在している。そして現在地とは公園を挟んだ反対側に、官舎神社が建っており、公園を散歩がてら神社まで行ってみる事にする。

公園の中には想像以上に木々が生い茂っており、まるで森林公園といった様相である。木々の隙間から見える休憩所や、離宮院の土塁跡という遺構に立ち寄りつつ、先へ先へと進んでいく。

離宮院公園の歩道。
離宮院公園の歩道

芝生広場とやらにも立ち寄ると、本当に一面の芝生が広がっていた。ここからは宮川駅のホームがすぐ目の前に見え、駅舎を通らずホームに直接出入りできるように、階段が設置されている。ここから出入りすれば、駅から公園まで徒歩0分といった距離である。

芝生広場。
芝生広場

やがて公園を縦断する歩道上に、白い鳥居が並び始める。赤い鳥居が並ぶ姿はよく見かけるが、白い鳥居が並んでいるのは何だか新鮮で、暗い木陰とのコントラストが美しい。

歩道上に続く鳥居。
歩道上に続く鳥居

まもなく開けた場所に出ると、目の前が官舎神社の拝殿であった。近くには沢山の風鈴が下げられていて、その音色が涼し気で心地よい。

しかし、いきなり拝殿というのも、何というか裏口から入ってきたような変な感じがする。そこで改めて公園とは反対側にある鳥居から入り直し、手水舎に立ち寄ってから拝殿に戻ってきた。

官舎神社の拝殿。
官舎神社の拝殿

小ぶりな拝殿はきれいに手入れがなされており、気持よく参拝を済ませる。公園も神社も周囲にはまるで人気がなかったので、当然ながら誰もいないだろうなあと思ったのだが、意外にも社務所は開いており御朱印を頂くことができた。

官舎神社の御朱印。
官舎神社の御朱印

御朱印と一緒に頂いた参拝のしおりを開くと、ここに離宮院の歴史が書かれており、気になっていた駅裏に大きな公園ができた流れも大体わかった。

要約すると、かつて存在した離宮院が荒廃して森林と化していた所へ、鉄道や田畑ができてと開発が進んでいき、最後に官舎神社の境内として残っていた大部分を、離宮院公園として整備したようだ。離宮院跡全体が官舎神社の敷地のようで、神社とは反対側の公園入口に鳥居があるのも納得である。

公園からの帰りは駅舎を通らず、先程見かけた階段から直接ホームに上がり、跨線橋を渡って駅舎側のホームに戻った。列車を待っていると利用者もポツポツと集まってきて、どこから来たのかJRの職員らしき人たちも現れた。無人駅とはいえなかなかの賑わいになった所で、鳥羽行きの普通列車がやってくる。

宮川駅に入線する鳥羽行き 923C。
普通 鳥羽行き 923C

山田上口 やまだかみぐち

  • 所在地 三重県伊勢市常磐一丁目
  • 開業 1897年(明治30年)11月11日
  • ホーム 2面2線
路線図(山田上口)。
山田上口駅舎。
山田上口駅舎

天井の高い大きな木造モルタル造りの駅舎で、同じ木造でも木材が表に見えていないので、田丸や宮川とは随分と雰囲気が異なっている。

駅舎に足を踏み入れると、その広々とした待合室に驚く、ここまでの参宮線の駅では一番広いかもしれない。そして更に驚きなのが、これだけの広さがありながら、ベンチが1つもないという事…。どうやら休ませる気はないようで、無駄に広いという感じである。

広々とした待合室。
広々とした待合室

窓口部分はやたら大きなシャッターで閉じられており、床のコンクリートを見るとキヨスクか何か売店でもあったようで、待合室の角の部分に痕跡が残っている。この駅かつては相当に賑わっていたのだろうか?

ここの駅名板は何だか手書きっぽく、味わいのある書体になっている。田丸、宮川、そしてここ山田上口と、どの駅の駅名板も古いながら趣が異なっており面白い。

駅名板。
駅名板

駅前に出ると、駅を起点に片側2車線の大きな道路が伸びており、さらに広い中央分離帯には大きなクスノキが並んでいる。大きな待合室がある駅舎に、立派な道路が伸びているが、その割に利用者や交通量は少ない…。なぜこんな作りになったのか、この駅の過去を知りたくなってくる。

駅前通り。
駅前通り

この大きな道路の先に一体何があるのか行ってみると、何だか徐々に狭くなってしまい、自然消滅的に普通の道路に変わってしまった。どうして駅前部分だけこんな豪華仕様にしたのか謎のまま、大した収穫もなく駅に戻ってきた。

出雲神社いずもじんじゃ

駅の名所案内によると近くの宮川堤が千本桜で有名とある。さぞかし素晴らしい桜並木なのだろうと思うが、残念ながらいまは桜の季節ではない。なにより朝からの猛暑と歩き疲れで徒歩10分と書いてある宮川まですら向かう気にならなかった。代わりに宮川よりは手前にある出雲神社まで行ってみることにする。どのような神社か知る由もないが、伊勢でありながら出雲というのが気になる。

日差しの照りつける住宅地の中をダラダラと歩き、到着した神社はといえば…。木製の小さな鳥居と社がある、本当に小さな神社であった。ただその割には立派な狛犬が鎮座しており、どことなくアンバランスな感じがする。

出雲神社。
出雲神社

何と書いてあるのか読めないが、古い石碑も並んでいて歴史はありそうな神社だ。そして肝心の出雲の名前の方だが、神社の隣に出雲町公民館というのがあり、まあそういう事なのだろう。

近くまで行ってみるが、周囲を住宅に囲まれた場所柄、よそ者は長居をしにくくて早々と退散する。

住宅に囲まれる出雲神社。¥
住宅に囲まれる出雲神社

これが午前中であれば、さらに宮川堤防へ向かう所だが、暑さもピークで歩き回る気にはなれず駅に引き返した。朝から飲んでばかりいて食べていないせいか、どうも胃の調子まで悪くなってきていけない。しかしこの暑さでは、飲まなきゃやってられないのも事実である。

次の列車は駅舎とは反対側のホームで、仕方ないが暑いホーム上で列車を待つ。やってきたのは鳥羽行きの普通列車で、自分の他にはおっちゃんが1人乗っただけである。

山田上口駅に入線する鳥羽行き 925C。
普通 鳥羽行き 925C

伊勢市いせし

  • 所在地 三重県伊勢市吹上
  • 開業 1897年(明治30年)11月11日
  • ホーム 4面5線
路線図(伊勢市)。
伊勢市駅舎。
伊勢市駅舎

久しぶりの大きな駅で、伊勢神宮への玄関口だけあり、参宮線では最も利用者が多い。ここまでの駅では数人程度しか居なかったホームも、乗る人に降りる人でごった返していた。まあ利用者が多いといっても、隣接する近鉄と比べたら半分以下のようだけど…。

JRと近鉄の伊勢市駅の間には、何本ものレールが並ぶ広々とした空間が広がり、両駅を結ぶ跨線橋からよく眺める事ができた。ここは今春に廃止された、JRの伊勢車両区だった場所で、錆びたレールの先では建物を取り壊している最中だった。

伊勢市駅構内。
伊勢市駅構内

改札を抜けると久しぶりの有人駅で、みどりの窓口まであり賑やかだ。人混みを避けてさっさと駅から出て駅舎を振り返って見ると、シンプルで小ざっぱりとした2階建てで、改装して間がないのかピカピカである。駅前広場も同じような感じで随分ときれいな印象が残っている。

伊勢神宮いせじんぐう

伊勢市でどこへ行くかと言ったら、やはり伊勢神宮以外にないだろう。外宮から内宮へと参拝するので、まずは駅前から外宮へと伸びている外宮参道に向かう。

表参道。
表参道

こちらもよく整備されており、参道の両側には色々な店が建ち並んでいる。歩行者専用の道路になっていて、ゆったりと歩けるのも良い。未だに食事を取っていないので、何か食べたくもあるが何よりこの暑さだ、かき氷の文字に引き込まれそうになる。

しかし時刻が既に14時になる所で、これから外宮・内宮と回る事を考えると、ゆっくり食事をしている場合ではなさそう。食事は最後に取っておく事にして、今は外宮へと急ぐ。幸いにして駅から外宮は近く、10分程度で神域入口にある火除橋に到着した。平日な上にこの暑さだからか参拝者はさほど多くはなく、パラパラと人が居る程度でありがたい。

火除橋を渡り外宮へ。
火除橋を渡り外宮へ

火除橋を渡ると手水舎や一の鳥居があり、この暑さだからかホースで水撒きをしていた。しかし暑すぎて、焼け石に水の言葉がピッタリの状態である。

まずは手水舎に立ち寄ってから、一礼して一の鳥居をくぐる。ここから先は木立に囲まれた広い参道が正宮まで続いており、木漏れ日の中を大きく飾り気のない神明鳥居が並ぶ姿は荘厳で美しい。

緑あふれる参道。
緑あふれる参道

周辺に巨木が立ち並ぶようになると、まもなく正宮が見えてくる。ここでもホースで水を撒いていたが、ただ周囲を蒸し暑くしている程度である。すぐ脇には警備員が居て何だか物々しい所である。

正宮は私幣禁断で賽銭箱がないのだが、次々と賽銭が投げ込まれて小銭やお札で一杯だ。こうなると何だか賽銭を投げない方が、変な人のように見えてしまう。

正宮。
正宮

参拝を済ませると御朱印を頂き、早々と外宮を後にして内宮へと向かう。時間があれば境内にある多賀宮や土宮といった別宮を回るところだが、時間が押しているので今回は正宮だけである。

外宮から内宮へは歩いても行ける距離だそうで、そんなに近いのなら歩きたい所だが、暑さと歩き疲れで自然とバス乗り場に足が向かう。バス乗り場は外宮の目の前にあり、歩ける距離でバスなら200円位だろうと料金を確認すると、430円と予想外に高かった。これはやっぱり歩こうかと思わず考えてしまった。

まもなくやってきたバスは、まるで路面電車のようなデザインの面白い車体だった。これは昭和36年に廃止された、三重交通の路面電車を模したデザインなのだそう。かつて伊勢市駅から外宮を経由し、内宮までを結んでいた路線で、残っていたら非常に便利に活用できたのに残念な事だ。

外観だけのハリボテかと思いきや、車内も木目調のレトロ感たっぷりな作りで、随所に当時の路面電車の写真が飾ってあった。これはかなり本気で作り込まれていて、三重交通なかなかやるなあ。

外宮前のバス乗り場。
外宮前のバス乗り場

バスに乗り込むと冷房が半端なく効いており、まるで冷蔵庫の中にでも入っているような冷えっぷりだ。今年の夏でどこよりも冷房が効いていた場所だったかもしれない、おかげで体が芯から冷えてシャキッとしてきた。しかし短時間だから良いけど、1日乗ってたら風邪でも引きそうなレベルである。

路面電車風のバス。
路面電車風のバス

内宮前のバス停で降りると、内宮の入口である五十鈴川にかかる宇治橋へと向かう。ここは鳥居の背後に宇治橋のかかる、よく写真やテレビで見かけるお馴染みの場所である。

こちらの方が外宮より参拝者が多く賑わっていたが、それでも平日とあってか空いている方のようだ。これで空いているとか休日には来たくないな…。

内宮、宇治橋。
内宮 宇治橋

宇治橋の上からは、五十鈴川の穏やかな流れを見渡せ、なんとも言えない厳かな気持ちになる場所であった。近くでは小さな女の子が、大きな一眼レフで写真を撮りまくっていた。

宇治橋からの眺め。
宇治橋からの眺め

宇治橋を超えると神苑と呼ばれる、広々とした庭園が広がる。境内はとにかく広大であり、大きな木々に囲まれた広い参道を歩くのは心地よい。

神苑
神苑

外宮は橋をわたってすぐが手水舎だったが、ここは随分と進んでからようやく手水舎と一の鳥居が現れる。手水舎の近くでは五十鈴川の川沿いまで降りる階段があり、ここが手水舎ができる前からあった御手洗場だ。せっかくなので手を洗ってみると、冷たい水かと思ったらそうでもなかった。

御手洗場。
御手洗場

やがて幅の広い石段が現れると、ここが正宮の前である。特に寄り道をしたという程でもないのだが、宇治橋からは20分もかかっていた。

内宮の正宮。
内宮 正宮

参拝を済ませると周りの人は別宮の方に向かっていくが、自分は外宮と同じく御朱印を頂きに向かう。混雑していたらどうしようかと思ったが、他には誰もおらずスムーズに頂けた。やはり平日というのはどこも空いていて良いものである。

外宮と内宮の御朱印。
外宮と内宮の御朱印

内宮だけでも回る所は沢山あるが、参宮線の多気〜伊勢市間の上り線にも乗車しないと完乗にならないので駅に向かう。何とも慌ただしい、お伊勢参りであった。

内宮を出た所で再びバスに乗っても良かったのだが、すぐ脇から伸びているおはらい町の賑わいが目に留まる。バスで430円払うよりも、ここを通って何か食べたほうが面白そうだし、下り坂だから楽だろうと駅まで歩く事にする。

おはらい町。
おはらい町

おはらい町は、内宮から五十鈴川に沿うようにして、延々と飲食店から土産物まで、様々なお店が建ち並び、伊勢神宮よりも賑わっている位だ。統一されたデザインの建物に、電線のない通りというのは美しいもので、歩いているだけでも楽しい通りである。

おかげ横丁入口。
おかげ横丁入口

途中で五十鈴川を眺めてみたり、おかげ横丁の中をブラブラと寄り道をしていると、すっかり遅くなってしまう。

おかげ横丁
おかげ横丁

やがて店も途切れ住宅地へと変わってくると、右手に猿田彦神社が現れる。ここも有名な神社で御朱印もあるが、おはらい町を通る中で疲れがピークに達しつつあり、もはや寄り道をする気力もない。

西日が照りつける中を、交通量の激しい道路脇の歩道をトボトボと歩いていく。下り坂とはいえやはり歩くと遠い訳で、大体において歩いている人が自分しか居ないではないか。あまりの暑さに負けてコンビニで飲み物を買うと、店員のおばちゃんが「お兄さん汗がすごいよ」とおてふきを何枚もドカドカ付けてくれる始末である。

ようやく外宮が見えてきた時の達成感といったらない。教訓としては外宮と内宮の間はバスを利用する事、少なくともこんな暑い日はね…。

伊勢市駅に到着すると17時になる直前で、おはらい町やおかげ横丁で寄り道があったとはいえ、内宮から1時間以上もかかった訳だ。帰りの列車を確認すると、名古屋行きの快速「みえ22号」の時間が迫っており、急いでホームへと向かった。

伊勢市駅に入線する快速みえ22号。
快速みえ22号 名古屋行き

エピローグ

路線図(エピローグ)。

車内は満席の混雑で、どうせ座れないのならばと最前列で前面展望を楽しみつつ帰る事にした。暑かっただけに涼しいだけでも救われる。

宮川橋梁。
宮川橋梁

この参宮線はかつては複線の区間があり、今の赤字ぶりからは想像もできない程に、賑わっていた時代があった。そのため列車の前方を眺めていると、線路の右側に空き地が続く複線の痕跡が目に付く。そんな跡地を追っていると面白くなってきて、あっという間に多気駅に到着した。1日かけて進んだ区間を僅か18分で戻ってきた訳だ。

多気駅舎。
多気駅舎

今日はまず参宮線のほぼ半分となる、多気〜伊勢市までを完乗した。明日はいよいよ暑い最中の8月に参宮線に来た理由の1つである、臨時駅の池の浦シーサイドに立ち寄りつつ、参宮線の終点となる鳥羽までの旅だ。

(2016年8月5日)

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