牟岐線 全線全駅完乗の旅 8日目(阿波福井〜木岐)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2019年7月31日、汗を浮かべながら列車に飛び乗った。余裕を持って宿を出たはずが、帽子を忘れたことに気づいて取りに戻ったり、朝食用のパンを買ったりしていたら、いつしか発車時刻が迫っていた。日差しのない早朝から汗だくで日中が思いやられる。

もう少し涼しい季節に訪れたかったけど、訪問予定の田井ノ浜駅が海水浴シーズンのみ営業する臨時駅のため、否が応でも真夏に訪れるしかなかった。

普通列車の海部行き 4525D。
普通 海部行き 4525D

5時44分、列車は徳島駅を抜け出した。冷房の効いた車内に腰を落ちつけ、パンを頬ばりながら朝焼けの徳島平野を見つめる。

駅ごとに通勤通学客を拾い集め、徐々に混雑しはじめるが、阿南周辺でほとんどが降りてしまう。平野を離れて山間にくると、老人が1人か2人、乗ったり降りたりする程度となり、車内は閑散としてしまった。

前回到達駅の阿波福井を発車すると、エンジンを唸らせながら、両側から樹林の迫る谷間をさかのぼっていく。時々枝葉が車体や窓をかする音がする。目にも耳にも深山に分け入るという雰囲気になってきた。

やがて全長2km近い海部トンネルに突入。暗闇のなか分水界を越え、紀伊水道から太平洋の側になり、阿南市から美波町に入った。抜けだすと間もなく山深い景色から一転、明るい日ざしの降りそそぐ港町に到着。時刻は7時になろうとしていた。

由岐ゆき

  • 所在地 徳島県海部郡美波町西の地
  • 開業 1939年(昭和14年)12月14日
  • ホーム 2面2線
路線図(由岐)。
由岐駅舎。
由岐駅舎

太平洋に面した漁業の街である。背後には山々が迫り、わずかな平地には家屋がぎっしり詰め込まれ、海と街と山とにきれいに分かれている。街のなかでも山沿いに置かれた当駅は、牟岐線南部における主要駅のひとつで、2006年(平成18年)に日和佐町と合併して美波町になるまでは由岐町の代表駅であった。

涼しい車内に後ろ髪を引かれながら熱気の漂うホームに降り立った。他にも2〜3人が降りて、入れ替わりに5〜6人が乗りこんでいく。向かいのホームには大勢の学生が並んでいて、3両も連ねた徳島行きが滑りこんできた。

朝らしい活気のある光景だと思ったけど、ほどなく上下の列車が去ると誰もいなくなり、聞こえてくるのはセミの声ばかりとなった。雲ひとつない快晴で、風はほとんどなく、立っているだけで汗ばむほど暑い。

開業当時からの木造上屋であったり、構内踏切などを観察して歩いていると、ぽつぽつ利用者が集まりはじめた。やってきたのは徳島行きの特急むろと2号だった。牟岐線に1日1本しかない上りの特急列車である。見送りながら眺める車内は空席ばかりであった。

由岐駅に入線する特急「むろと2号」。
由岐駅ホーム
昭和14年の文字がある、ホーム上屋の建物財産標。
ホーム上屋の財産標

道の駅でも併設してそうな木目調の明るく大きな駅舎に向かう。改札口に接した窓口が有人駅を思わせるが、下ろされたカーテンと「駅スタンプは物産館で保管しています」の貼り紙が、無人化されていることを物語る。床には券売機の撤去されたらしき痕もある。なんだか斜陽感があるけど待合室は広くきれいで過ごしやすかった。

建物は単なる駅舎ではなく「ぽっぽマリン」なる複合施設になっていた。物産館や観光案内所のほか、2階には郷土資料館まである。物産館では野菜や海産物などの特産品から、回数券や定期券まで扱っているとあり、窓口機能の一部が移管されている様子。さらにレンタサイクルや軽食コーナーもあるなど、鉄道旅行者にも便利そうな施設となっている。しかし残念なことに出入口には休館日の文字が掲げられていた。

広々とした待合室。
広い待合室

これだけの施設となれば駅前は利用者のための駐車場になっているのだろうと思いきや、出てみるといきなり道路で、海の方角に向けて家屋を伴いながら伸びていた。現役なのか判断に迷う商店や、とうの昔に廃業しましたという建物、それに空き地なども散見される。たまに車が走り抜けていくばかりで人通りはなく、そこはかとなく寂れた印象を受ける。地方の街ではおなじみの駅前風景であった。

潮吹岩しおふきいわ

待合室には阿波沖海戦についての資料がいくつも貼り出されていた。幕末の戊辰戦争において新政府軍と旧幕府軍との間にあった戦闘で、日本初の近代軍艦による海戦といわれる。由岐はそのなかの一隻が座礁した所で、港近くには阿波沖海戦小公園が整備され、大砲のレプリカなどが展示されているという。

しかし向かうのはそこではなく、東に4kmほどの所にある潮吹岩だ。海に浮かぶ岩のひとつであるが、打ちよせる波の力で潮を吹き上げるのだという。そのような自然の力を目にできるとあっては行ってみるしかない。

歩きはじめると小さな街はすぐに抜け出してしまい、急峻な山並みが海まで迫る険しい海岸線の細道となった。駅周辺こそ平坦だったが、あとは坂道の連続で汗が噴き出す。すでに標高は100mほどになっている。

歩きはじめると小さな街はすぐに抜け出てしまう。船溜まりを眼下に徐々に山中に入り込んでいく。駅周辺こそ平坦だったが、あとは山と谷の織りなす複雑な地形となり、日当たりの良い坂道に汗が噴きだす。真夏の炎天下での4kmは手強いものがある。

街の奥にある船溜まりを見下ろす。
街の奥にある船溜まり

谷間にへばりつく志和岐という集落を過ぎると、いよいよ家の一軒すらなくなり、樹林に包まれた薄暗い道となった。海から立ち上がる山の中腹を、右へ左へ山肌なりにうねうねと伸びている。右手には海原を見下ろせるはずだが、密生する枝葉が視界をさえぎる。街から2〜3kmしか来てないのに、はるかな奥地の雰囲気になってきた。

平坦ではないが崖というほど急峻でもない山肌には、そこかしこに人為的な石積みが顔を出している。昔は段々畑でもあったのかもしれない。そんな時代は往来する人の姿もあったのかもしれないが、誰にも出会うことはなく、車ですら現場に向かうのだろう土木会社の数台が追いこしていったのみである。

海沿いの山肌につけられた薄暗い道をゆく。
潮吹岩への道のり

蒸し暑さのなかに潮吹展望台の標識が見えてきた。意外なことにバス停まであるが、時刻表がないところを見ると廃止路線のようだ。そこから延びる脇道に入っていく。

すぐに道は行き止まり広々とした展望台に出た。駐車場のほか大きな東屋にトイレまで置いてあり、展望台というより小さな公園のようである。周辺の木々は刈り払われ、眩しい日ざしが降りそそぎ、遠く水平線まで見渡せる。国定公園や潮吹岩についての案内板もあり、観光地らしく整備されているが、人も車も見当たらない。

岩は逃げないのでまずは東屋で足を休める。日影かつ爽やかないい風が吹き抜けるので、汗はすぐに引いてしまい、昼寝でもしたくなるほど心地よかった。

潮吹展望台の入口に立てられた標識。
潮吹展望台への入口

おもむろに展望台の縁までいくと潮吹岩らしきものが海に浮かんでいた。足下から伸びる斜面の先にあるため、木々の頭ごしに辛うじて見えるような状態だ。距離にして約300m、標高差にすると約150mくらいあるだろうか。大小の黒々した岩塊からなり、打ちよせては砕ける波で周囲は白く泡立っている。説明板によると岩のひとつに南北に貫通する洞窟があり、満潮時に波がよせると落雷のような音響と共に、海水を約30m余りも吹き上げるという。

海から吹き上げてくる風に立ち、砕ける波や漁船の音を耳に、遠く近くを眺めて過ごす。残念ながら時期ではないらしく、一度たりとも落雷のような音もなければ、潮を吹き上げてもくれなかったが、潮吹岩から広がる太平洋の海原は十分な満足感を与えてくれた。

眼下にある潮吹岩から、遠く水平線へと広がる太平洋の海原。
太平洋と潮吹岩

帰りは自然歩道「四国のみち」の道標に誘われ山道に入っていく。車道を歩くより楽しそうだし、由岐に向かっているのでちょうどいい。

ところがじきに後悔しはじめた。絡み合うように茂る細かな枝葉が、風を完膚なきまでにさえぎり半端なく蒸し暑いのだ。湿度の高さを表すように蚊が群れでたかってくる。それを振りきろうと足を速めるものだから、呼吸が乱れて汗がとめどなく流れる。踏み跡の乏しい荒れた道沿いには、放棄された石垣が至るところにあり、南国の密林に潜む古代遺跡に迷い込んだような気分である。

密生した樹林と、苔むした石垣、荒れた路面が、密林の遺跡を思わせる四国のみち。
密林を思わせる四国のみち

幸いにもそんな状況は長続きせず、樹林が薄くなり明るくなってくると、木々の間に間に海が見えはじめ、吹きつける風で蚊も飛ばされてしまった。進むほどに標高は下がり、打ちよせる波音も近くなってきた。

意気揚々と駆け下りるように進んでいると、視界の隅に微かに動くものを捉え、マムシだと思うやいなや飛び退いた。ところがマムシの頭だと思ったそれは、よくよく見ると手のひら大のカニであった。海からきたのか山に住んでるのか知らないが、山肌を観察するように歩いてみると結構な数がうごめいていた。

道はひたすら下り坂で、とうとう海の近くまで下ってくると、小さな漁港に飛び出した。そこは往路で目にした志和岐の集落であった。

志和岐の漁協と購買部の建物。
志和岐の漁港近く

ようやく駅まで戻ってくると意外にも併設された種々の施設が開いていた。どういうことだろうと思ったが、休館日の札が取り払われているのを見て気がついた、休んでいたのは昨日のことで、今朝までその掲示が残されていただけなのだ。閉まっていると思っていただけに、なんだか儲けた気分である。

とはいえ列車まで30分ほどしかないので、ゆっくりはしてられない。2階にある郷土資料館だけでも見学しようと、海水魚の泳ぐ大型水槽や物産館を横目に階段を上がっていく。

展示室は単に古びた民俗資料を並べただけではなく、それらを利用した生活や背景にあるものを、図や写真を交えながら解説してあるので分かりやすく面白い。品数はそう多くはないが、だからこそひとつひとつが印象深く残る。漁業・祭り・行商・信仰・津波・海難事故、海と共にあった土地の生活が凝縮されているようであった。

由岐沖で座礁したエルフセリア号の浮き輪(許可を得て撮影)。
座礁船の浮き輪(許可を得て撮影)

次に向かうのは夏季のみ営業する田井ノ浜駅で、暑い盛りに牟岐線を旅することになった原因ともいえる駅だ。この駅さえ訪れてしまえば、残りの駅は好きな季節に訪れることができると思うと、自由を手に入れるような気分である。大げさではなくそのくらい牟岐線を完乗するうえで問題になっていた駅なのだ。

10時51分発の海部行きに乗りこむ。車内は旅行者や地元住民らしき老人で混み合い、4駅先の日和佐にある薬王寺に向かうのだろう、お遍路さんの姿もあった。田井ノ浜を目指している人はどれだけいるのかなと思う。

由岐駅に入線する海部行き普通列車 4535D。
普通 海部行き 4535D

発車するとすぐに短いトンネルに入り、抜けるとそこはもう隣りの入り江で、早くも件の駅が見えてきた。この辺りはリアス海岸だけに、集落のある入り江と、海に突き出した山や岩礁が交互に現れてくるため、鉄道はトンネルで集落同士を結ぶような形になっている。

由岐から田井ノ浜までは距離にして0.8kmしかない。牟岐線でもっとも短い区間である。腰を落ちつける間もないとはこのことで、後ろのドアから前のドアに移動して、小銭の準備をしたらもう到着といった具合だ。牟岐線でもっとも慌ただしい区間ともいえそうだ。

田井ノ浜たいのはま

  • 所在地 徳島県海部郡美波町田井
  • 開業 1964年(昭和39年)7月11日
  • ホーム 1面1線
路線図(田井ノ浜)。
田井ノ浜駅ホーム。
田井ノ浜駅ホーム

白砂の眩しい砂浜に面した臨時駅である。目前に広がる遠浅の入り江は、夏になると海水浴場が開設されるため、それに合わせて毎年7月中旬から8月上旬にかけて営業している。停車する列車は日中の上下数本で、例年は特急列車も含まれていたが、今年は普通列車のみとなっている。海水浴客のために開設される全国的にも珍しい駅で、JR四国に2つしか存在しない臨時駅のひとつでもある。

列車を降りたのは親子連れや旅行者など5〜6人だった。利用者数を記録しているらしく降りた人たちを数える中年男性の姿がある。車内から駅にカメラを向ける人たちもいる。この普通の駅とはちょっと異なる雰囲気に、特別な駅にきたという実感が湧いてくる。

ホーム出入口。
ホーム出入口

ホームには上屋も待合所も座るところさえもなく、駅名板だけが現役の駅であることを誇示している。営業するからと設置されたのは、出入口の上にある「田井ノ浜海水浴場」と記された横断幕くらいかもしれない。列車はもちろん降りた人たちもすぐに去っていき、静けさのなか波のざわめきが耳に届きはじめた。

ホーム出入口の傍らには灯台を模したと思われる建物がある。なにかしらの観光施設のようでもあるが、上部は海水浴場の監視所らしく、先ほど利用者数を数えていたおじさんが詰めているのが見える。下部は切符売場になっていて、窓口が2つも用意されているが、どちらも雨戸で固く閉ざされていた。

閉鎖された窓口。
閉鎖された窓口

駅を出ると視界いっぱいに砂浜が広がった。道路もなくいきなり砂浜なのである。文字通りの駅前海水浴場だ。駅にはどんな秘境駅だろうと道があって然るべきで、そもそも道がなければ利用できないだろうと思うが、世の中には道のない駅というものが存在したのだ。なんだか空想の駅でも見ているような不思議な心地であった。

あしずり展望台

裸足ならやけどしそうな熱砂を踏みしめ波打ち際まで下りていく。強烈な日ざしと照り返しに焦げつきそうだ。こんな陽気なのに平日とあってか海辺には10人前後しかいない。駅前商店ならぬ「駅前海の家」も閑古鳥が鳴いていた。

強くも弱くもない耳に心地いい波がよせてくる。透きとおった海水は環境省の水質検査で最高レベルの評価を得たという。

入り江なので沖合に目をやれば左右に岬が伸びている。下部は岩ばかりで上部は深々とした緑をかぶっている。容易には近づけなさそうだが、左の岬には自然歩道「四国のみち」の一部にもなっている遊歩道がある。そこには展望台まであり、海岸からでもよく見ればその姿を確認できる。目指すは田井ノ浜を一望できそうなあの場所だ。

駅前にある田井ノ浜海水浴場。
田井ノ浜海水浴場

海水浴場から道路まで出てくると民宿があった。そこに自販機もあったのでペットボトル飲料を買っていく。今日はすでに4〜5本は飲んでる気がする。砂に水をまくようなもので、水分はいくらでも体に染みこんでいく。

そこから数分も歩くと道路脇の斜面を上がっていく階段に出会う。足を踏み入れるのがためらわれるような、あまり歩かれてる感じのしない細々したものだが、四国のみちや展望台の道標が立っているので間違いない。

「あしずり展望台まで300m」の道標。
歩道入口の道標

入口こそちょっと怪しかったけど足を踏み入れてみればよく整備された遊歩道だった。勾配があれば擬木の階段があり、急な斜面沿いには手すりがあり、分岐があれば道標が立つ。手間と金のかかった道だが人にも獣にも出会わない。

樹林のなかは木陰と引きかえに風がなく熱気がこもっていた。連続する階段に汗が流れ、額の汗がぽたりぽたりと足下に落ちていく。海が近いだけに強烈な磯の香りが漂っていて、それが肌のねっとりした感じと、喉のかわきを増幅させている気がする。自ずとペットボトルに手が伸び、早くも中身が底をつきそうだ。

岬の先端近くまでくると、切り開かれた明るいなかに、海原を背景のようにして佇む展望台が見えてきた。それは手すりで囲まれた小さな空間で、傘を広げたような東屋がちょこんと置いてある。海面からの高さは50mくらいか。眺望を思うと自然に足が速くなる。

樹林の階段がつづく四国のみち。
四国のみち

到着した展望台は妙に生臭かった。訝しんでいると数匹の魚が半干し状態で転がっているのに気がついた。直下の岩礁に下りていく獣道のようなものがあるので、釣り人が捨てたのかとも思うが、わざわざここまで持ってくるかと考えると、犯人は鳥かもしれない。

生臭さには閉口させられるが眺めのほうは文句なしだ。小島の浮かぶ太平洋、入り江の連なる海岸線、田井ノ浜の海水浴場や駅、あれこれが視界に広がる。動きのない絵画のような景色でありながら、打ちよせる波音、漁船のエンジン音、空をまわるトンビの声、そして遠く子どもの歓声などで活き活きとして見える。

これは良いところだと思ったが長居はできなかった。暑すぎるのである。樹林は蒸されるように暑かったが、日なたの展望台は焼かれるように暑い。いつしかペットボトルは空になり、私まで半干しになる前にと退散する。

あしずり展望台から眺める田井ノ浜。
展望台からの田井ノ浜

駅前にある海の家はとにかく快適だった。丸太を組んでトタンを被せたような作りだが、内部は日影かつ風通し抜群で、これ以上ないほど過ごしやすい。いくつものテーブル席や桟敷席がありながら貸し切りというのも大きい。

ちょうど昼なので食べ応えがあって腹持ちも良さそうな焼きうどんを注文。勢いで缶ビールまで頼んでしまう。すぐに出てきたそれは濃いめの味付けで、空腹と疲労と暑さのあとにあって最高にうまい。肉体労働でもしてきたように食が進む。

残ったビールを口に運びながら、店員のおばさんたちの世間話や、涼しい風に乗ってくる波音に耳を傾ける。広い浜辺では数人が遊んでいる。ゆっくり時が流れる雰囲気に、南国の離島にでもやってきたような気分になっていく。

海の家の焼きうどん。
海の家で昼ごはん

頃合いをみて駅に向かう。乗車するのは12時55分発の海部行きだ。近くには縄文時代のものといわれる田井遺跡があり、訪ねてみようかと思っていたのだが、ちょうど列車があったのと、暑さとアルコールで歩く意欲を失ったことで見送る。

前降り後乗りのワンマン列車なので後ろから乗りこむと、前側では降りる人たちが列を作っていた。切符や運賃を手渡しながらどんどん降りていく。親子連れから若い女性グループまで、いざ海水浴といった装いの人たちばかりだ。なかには外国人の姿まであった。平日でこれだけ利用者があるなら、休日ともなれば相当な賑わいになるのかもしれない。

田井ノ浜駅に入線する海部行き普通列車 4543D。
普通 海部行き 4543D

車内は混んでいたが大勢が降りたので楽に座れた。足下にはアルコール類の空き缶やつまみの袋などが散乱している。ホームは談笑する行楽客で華やいでいるが、車内は学生と老人でひっそりしている。窓ガラスを挟んで別世界のようである。

列車は短いトンネルをくぐり抜けて隣りの入り江に出た。そこはもう次の駅である。駅間距離は1.5kmしかない。先ほどの0.8kmといい大都市近郊のように近い。景色を楽しむどころではなく、ゴミを踏まないように気をつけながら席を立った。

木岐きき

  • 所在地 徳島県海部郡美波町木岐
  • 開業 1939年(昭和14年)12月14日
  • ホーム 1面1線
路線図(木岐)。
木岐駅ホーム。
木岐駅ホーム

古くからの漁村を思わせる、海と山々に囲まれた入り江の集落である。港には小さな漁船が並べられ、海辺には民家が軒を連ね、山間に向けては田畑が伸びている。駅はそんな集落と農地を隔てるように横切る築堤上にあり、両側にはトンネルが口を開けている。

のどかな風景に置かれた小さな駅、という見た目から想像するより利用者があり、高校生から老人まで数人と降り立った。見通しのきく築堤上なので明るく開放的なものを感じる。列車が去ると、鳥のさえずり・セミの声・小川のせせらぎ、豊かな音が聞こえはじめた。生活にも自然にも溶け込んだいい駅だなと思う。

ホームから十数段の階段を下りると、駅舎があったと思われる空き地があり、その一隅に切符売場の小屋があった。こんなに小さな駅で切符を扱うとは意外に映る。もっとも窓口には板が打ちつけられ、併設されたトイレは閉鎖され、まるで意味のないものと化していた。

木岐駅の出入口と切符売場。
出入口と切符売場跡

駅前からは集落に向けて小路が伸びている。沿道には車庫らしきシャッターの下りた建物が並んでいる。駅前に不揃いな車庫だけが並んでいるのは不思議な光景だ。集落内に作る場所がなかったのか、遠方からの鉄道利用者のものなのか、小さな商店の跡なのか、想像を掻き立てられるものがある。

満石神社

数分も歩くと漁船の群れが見えてきた。静かに上下する海面に合わせて、微かに揺れ動いている。いずれもエンジン音もなければ漁師の姿もなく眠りについている。刺すような強い日ざしと、人だけが消えたような静寂が、昼下がりの漁港らしい趣である。

そんな港を取り囲むように瓦屋根の家屋が並んでいる。所々に営業しているような廃業しているような商店が挟まっているが大半は住宅だ。この辺りは遍路道でもあるらしく薬王寺までの距離が記されていたりするが、あまりの暑さからか、お遍路さんどころか住民にすらまったく出会わない。どこまでもひっそりと静まりかえっていた。

木岐の家並み。
木岐の家並み
木岐漁港。
木岐漁港

集落の外れまでやってくると、満石神社の道標が現れはじめた。皮膚病を治すという御神水を求め、遠路はるばる訪れる人もあるという神社だ。それに併記するようにして椿園の文字もある。治すべき病はないし椿の花期でもないが迷うことなく向かう。

いつしか平地はなくなり、海にせまる山肌を削りとった小路になった。舗装や柵などで整備はしてあるが路面には落石が散乱している。道を間違えたかと引きかえす人もありそうな不穏さがあるが、法面にむき出しの岩肌にペンキで記された満石神社の文字を目に、確信を持って足を進めていく。

満石神社への細々した道路。
満石神社への細々した道路

間もなく視界が大きく開け、太平洋へと連なる海原が広がった。ごつごつした岩がいくつも海面から顔を出し、大小の波が叩いたり洗ったりを繰り返している。吹きつけてくる潮風と打ちよせる波音が心地いい。静かな港とは対照的な活力に満ちている。

引き寄せられるように海岸に下りていく。大ぶりな石がごろごろした砂浜ならぬ石浜だ。強い日ざしに肌がひりひりするが、全身に受ける風でそれほど暑くは感じない。

眺めの良さそうな岬の方に向かうと、足下は石から岩に変わっていく。窪みにできた水たまりでは、取り残された無数の小魚が泳いでいる。周囲には深く澄んだ海が広がり、波は荒々しさを増してきた。進むほどに自然は美しくなっていくが、そこはかとなく怖いものも漂いはじめた。美しさと恐ろしさはいつでも表裏一体だ。

神社近くの岩礁。
神社近くの岩礁

寄り道から戻ると満石神社にやってきた。社務所や手水舎に由緒の記された石碑などが並んでいて、そこから石段を少し上がると、竜宮城を思わせる赤い拝殿があった。全体に清掃が行き届いているので実に清々しい。

境内には御神水と記された井戸がある。皮膚病に効果があるという水にちがいない。汲み上げるためのロープ付きバケツまで置いてある。こんなもので汲めるのかと覗きこむと、思ったより浅い所に水面があった。驚いたのはそこに数匹のカニが生息していることで、外敵と思ったらしく慌ただしく動いて水面が揺れうごく。井の中の蛙はよく耳にするが、井の中の蟹というのもあるんだなと、たわいもないことが頭をよぎった。

それにしてもカニはどうやって入ったのだろう。井戸の周囲は膝丈くらいの垂直の石板で囲まれている。それに餌はどうしているのかも謎めいている。皮膚病を治すのみならず、カニのことを考えると、なかなか神秘的な井戸である。

満石神社の拝殿。
満石神社の拝殿

牟岐線は太平洋沿いを南下するローカル線で、阿波室戸シーサイドラインなる愛称まであることから、沿線風景には自然豊かな海や、ひなびた漁村を想像する。しかし現実には海すら簡単には見せてくれない。そんななか徳島から20駅目にして、ようやく思い描いていた沿線風景に出会うことができ、なんともいえない満ち足りた気分であった。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

駅に戻ってきたのは14時半を回ったところだった。ホームに立つと目眩がするほど暑い。待合所に入れば蒸し風呂状態。たまらず日陰に逃げこむ。海沿いでは風に助けられていたことを実感させられる。まもなく上下の列車があるので、どちらに乗るべきか迷っていたが、あまりの暑さに決心がついた。宿に帰ろう。

14時46分発の徳島行きに乗車。旅行者と老人で混んでいたが座れないほどではなく、車両の中ほどにあるボックス席に相席させてもらう。牟岐線でよく目にする、お遍路さんの姿もあるが、逆周りとなる徳島行きで遭遇したのは初めてだ。

木岐駅に入線する徳島行き普通列車 4564D。
普通 徳島行き 4564D

あまりに暑かったので車内の涼しさはまるで天国だ。徳島が近づくほどに混雑は激しくなるが、涼しいというだけで快適そのもの。臨時駅の田井ノ浜駅を訪れることができた達成感もあり気分は上々。とはいえこれから先の区間は涼しい季節に訪れようと思う。

(2019年7月31日)

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