美祢線 全線全駅完乗の旅 4日目(長門湯本〜長門市)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図。

2017年8月25日、美祢線の旅の最終日である。残る未訪問駅は板持と長門市のみ。正確にいえば長門市は山陰本線の駅なので美祢線としては板持のみだ。しかし線路の終点は長門市なのでそちらにも顔を出しておくことにする。

残り2駅で気が緩んだわけでもないが朝からもたついてしまい、厚狭駅にやってきた時には8時を回っていた。乗車するのは必然的に8時34分の長門市行きとなる。いつもは6時27分の始発を利用しているのだから2時間以上も遅い出発だ。

ホームに向かうと2両編成の列車が停車していた。乗客は少なく2両もあるからいつになく空いている。しかも美祢線では数少ないボックスシートのある車両なのが嬉しい。景色が眺めやすいから旅にはこれが良い。最終日なのでしっかり車窓を眺めたいと思っていたので、願ったり叶ったりの車両である。

厚狭駅で発車を待つ、普通列車の長門市行き 705D。
普通 長門市行き 705D

厚狭川の流れや緑あふれる山々、駅に残る石炭や石灰石輸送の痕跡、大きな工場や山間に点在する石州瓦の住宅、雨が降ったり晴れ間が出たり、心ゆくまで車窓を楽しむ。乗車時間の長さもあって鉄道旅らしいひと時を堪能することができ、板持駅に到着すると終点まで乗り通したい気分に後ろ髪を引かれながら席を立った。

板持いたもち

  • 所在地 山口県長門市西深川
  • 開業 1958年(昭和33年)7月25日
路線図。
板持駅ホーム。
板持駅ホーム

日本海に向けて田畑や住宅のひしめく平野が広がる。山間を走ることが多い美祢線では珍しい風景。駅自体もホームがぽつんとあるだけと、駅舎や交換設備が当然のように存在する美祢線では珍しい姿。それは路線開業時に当駅が存在せず、戦後になり地元の請願で開業したという歴史によるものだろう。明治・大正生まれの駅が並ぶ美祢線にあって、唯一の昭和生まれという駅である。

しぐれ模様の中を列車に揺られていたが、駅を目前にして日が差しはじめ、到着時には青空が広がりはじめていた。雨上がりの景色がしっとり輝き、雨に冷えた涼しい風が吹き抜け、見た目にも気分的にも晴れやか。

それにしても駅の簡素さはどうだろう、戦後になり新設されただけあって線路脇にホームがあるだけ、駅舎も駅前広場もない。そんなホーム上には木造待合所、押したら倒れそうな木製支柱の照明、傾いた駅名板などが並び味わい深い。ローカル線ではありふれた姿であるが、美祢線では当駅でしか見られない珍重すべき姿をしている。

ホーム裏手の駐輪場。
ホーム裏手の駐輪場

駅に接する道路はひとつだけだが、ホームから降りるには階段が2箇所に、スロープが1箇所とよりどりみどり。降りてみると昭和感あふれるブロック積みで作られたトイレと、対照的なまでに新しい駐輪場があった。周辺には水田や住宅が入り交じるように広がり、あまり駅前感のない駅前風景である。

赤崎神社楽桟敷

江戸時代の野外劇場ともいえるものがある。すり鉢状の地形を利用して、底の部分に舞台を配し、それを取り巻くように斜面上に桟敷席が広がる。踊りを奉納するために作られた楽桟敷がくさじきと呼ばれるもので、長門市方面に2kmほどの所に鎮座する赤崎神社にある。そのようなものがあると知り訪ねてみたいと思っていた。

行き先は決まっているが、駅にひとりの婆さんがやってきたので、周辺の見どころを尋ねてみた。知られざる面白いものがあるかもしれないと淡い期待を抱いてのことだったが、
「何もないですねえ田舎なものですから」という聞き慣れた答えが返ってきた。
「長門市まで行けば多少はありますが…」と付け加えられたが、この辺りに何もないという答えが変わることはなかった。

板持駅付近の景色。
板持駅付近の景色

赤崎神社までは国道が直線的に通じているが、交通量が激しく景色にも魅力がないので、適当な脇道に入っていく。右へ左へと曲がる狭い道路沿いに住宅が並び、古くはこちらが主要道であったと思われる。多少遠回りになろうとも交通量が少なく歴史を感じさせる脇道の方が歩いていて楽しい。

上流に位置する渋木駅からの付き合いとなる深川川を渡ると、堤防上に雑草に埋もれるように立つ標柱を見つけた。なにかの史跡かと確認すると「国指定天然記念物ゲンジボタル発生地」と記されている。そっくりな標柱を渋木でも目にしたことを思い出し、刻まれた文言に目をやると、なんとここから渋木までの全体が発生地なのだった。向こうと一体のものかと思うと初めて訪れた土地なのに親近感を覚える。

深川川。
深川川

のんびり歩くこと30分ほどで赤崎神社が見えてきた。鳥居までは市街地が押し寄せてきているが、その向こうは緑に包まれた山で、高台にある社殿に向けて木陰の石段が伸びている。訪れる人は少ないらしく足元には雑草が繁茂していた。

楽桟敷が知られた存在とはいえ人の姿はなく、セミの賑やかな石段を上がっていくと、こじんまりした拝殿が佇んでいた。晴れたり曇ったり目まぐるしく天候が変わり、雨上がりで風がないこともあり、日が照りつけてくるとたまらなく蒸し暑い。境内を散策しているといつしか汗でぐっしょり濡れてきた。

目指す楽桟敷は拝殿のすぐ脇に広がっていた。すり鉢状になった地形そのままに、底の部分に踊りが奉納される小さな広場、それを三方の斜面から見下ろすように階段状の桟敷席が取り囲む。石積みで作られた段差がずらりと並ぶ様はまるで棚田のよう。残る一方は大きく開けて市街地のみならず日本海まで顔を出す。現役なのだが全体に草むしていることもあり何かの古代遺跡を思わせる光景であった。

桟敷席の傍らに建つ赤崎神社の拝殿。
赤崎神社に隣接する楽桟敷

赤崎神社に踊りを奉納するためのこの施設は、1596年(慶長元年)に牛馬の疫病が流行した際に平癒の願をかけ、その成就のお礼として楽踊り・地踊り・三番叟を奉納したことが始まりという。当初は地形そのままの簡素な施設だったようだが、徐々に石積みをして桟敷席が作られていき、1963年(昭和38年)に国の重要有形民俗文化財に指定されるまでは、各桟敷に所有者が決まっていて、それ以外の人は使用することができなかったという。いわば全席指定席かつ一般販売なしの野外劇場だったという訳である。

雑草がはびこり使用されてるとは思えないが、来月には祭りがあり踊りが奉納されるというから、今週末あたりきれいに刈り払われるのだろう。良かったのか悪かったのか分からないが、年間を通してもっとも草に埋もれた時期に来てしまったのかもしれない。

赤崎神社楽桟敷。
棚田を思わせる桟敷席

駅に戻ってくるとすっかり曇り空に変わっていた。それで涼しくなるならありがたいが、到着時にあった涼しい風は鳴りを潜め、じっとり汗ばむ嫌な蒸し暑さだけが漂っている。

立ったり座ったり歩いたり、檻の中にいる熊のようにして30分ほど待ったところで、線路の先に列車のヘッドライトが見えた。乗り込むと冷房がよく効いていて気持ち良い。それと同時にシャツが冷たく貼り付いてきて気持ち悪くもある。先客は10人ほどで混んではいないが空いてもいなかった。

板持駅に入線する、普通列車の長門市行き 707D。
普通 長門市行き 707D

いよいよ最後の未乗区間であるが景色としては平凡なもので、鉄橋で深川川を見下ろしたことと、山陰本線の線路が左手から近づいてきたことしか記憶にない。まもなく右へ左へ線路が分岐しはじめ、いくつもの線路が並ぶ長門市駅に到着した。

長門市ながとし

  • 所在地 山口県長門市東深川
  • 開業 1924年(大正13年)3月23日
路線図。
長門市駅舎。
長門市駅舎

駅名そのままに長門市の代表駅である。山口県の日本海側における主要都市のひとつで、古くから漁業や鉄道の町として栄えてきた。鉄道としても地域の中心的存在で、下関や山陰各都市に至る山陰本線を軸に、県下有数の漁港である仙崎に至る仙崎支線や、陰陽連絡線の美祢線が分岐する要衝である。そのような立地から機関区を擁していた時代もある大きな駅だ。

どこか懐かしい肉声による案内放送に出迎えられて降り立った。広々とした構内には歩くのが面倒に思えるほど長いホームが置かれ、木材や鉄骨に支えられた上屋が連なっている。美祢線では見られなかった景色に、山陰本線の主要駅としての風格を感じる。

ホームは駅舎に接する1番のりばと、島式の2〜3番のりばがあり、両者は跨線橋で結ばれている。山陰本線はその全てを使用するが、美祢線が使用するのは2〜3番だ。他にも1番のりばの裏側にあたる駅舎脇に、仙崎支線用の0番のりばがあるのだが、運行本数の減少による影響か錆びついたレールが雑草に埋もれていた。

長門市駅ホーム。
長門市駅ホーム

駅の裏手には側線がずらりと並ぶ。何両も連ねた客車や貨車でひしめいていた時代もあるのだろうが、わずかな車両が止まるだけで閑散としている。

ホームには通商人の方へという古びた看板が残り、線路横断や売買をしないようにという内容に、海産物を背負った行商人で賑わっていた時代を垣間見ることができる。当駅には国鉄時代から長きに渡り午前4時台という早朝に、漁港のある仙崎から到着する列車と、下関や厚狭方面に向かう列車が運転されていたのだ。それはJRになっても存続していたが、いつしか時刻表から消えてしまった。

国鉄時代の旅行記を読んでいると、行商人というのは当たり前のように登場するありふれた存在なのだが、今では目にすることすら稀である。

ホームに残る行商人に向けた注意看板。
ホームに残る通商人へのお願い

構内の外れには数多くの蒸気機関車が配置されていた長門機関区の跡地が見える。転車台や扇形庫といった大規模な遺構はすっかり撤去されて更地と化し、いくらか残されたレール上にはディーゼルカーが1両ぽつんと昼寝をしている。昼夜を問わず活気にあふれていたことなど夢であったかのような静かな光景である。

長門市は本州で最後まで蒸気機関車が残された地で、1974年(昭和49年)11月まで現役の姿を目にすることができた。翌年1月にはSLさよなら列車が運転され、それを牽引した機関車の動輪が駅前に展示されている。

長門機関区跡。
長門機関区跡

久しぶりの有人改札を抜けた先には、右手にみどりの窓口と券売機が並び、左手に待合室がある。その待合室の狭いこと狭いことベンチが5つか6つ窮屈に並んでいるだけでしかない。それというのも大部分が改修工事中で立ち入れなくなっているのだ。仮設された壁の向こうからは工事の音が騒がしく響き、この駅でどこよりも賑やかな所であった。

居場所のない駅舎を抜けると、客待ちをするタクシーが並び、青海島や下関方面に向けてバスが発着する駅前らしい駅前に出た。しかしそれを取り巻く街並みの方は、空き店舗や空き地が目につき往来も少ない。鉄道と共に発展し、鉄道と共に衰退した街に見えた。

日本海

瀬戸内海にほど近い厚狭から、ひたすら山間を走り抜けること4日間、ついに日本海を目前にした長門市にたどり着いた。せっかくなので日本海を見に行こうと思う。それと同時に厚狭では瀬戸内海を訪ねておけば良かったなと今更ながら思う。ひとつの路線でふたつの海を目にする機会は滅多にないことだ。

昼になるので海辺に向かいながら食堂を探すが見つからない。地方の駅前はどこも似たようなものだが、あるのは食堂の看板ばかりで店の方はもぬけの殻だ。長門市名物の焼き鳥を扱う店はあるがアルコールも入ることになりそうなので思いとどまる。

閑散とした駅前通り。
閑散とした駅前通り

海を求めて適当に歩いていると漁港が見えてきた。湊漁港という所らしい。時間が時間だけに静まり返り人間どころか猫すら見かけない。車の走行音やセミの鳴き声といったどこでも付いてくる音さえなく、絵画でも見ているかのような景色だった。ちゃぱちゃぱと打ち付ける微かな波音、たまに聞こえるトンビのピーヒョロロロという声だけに現実感がある。湾内とはいえあまりに穏やかで日本海というより瀬戸内海を思わせる。

さらに先にある只の浜という海岸を目指して足を進めるが、うだるような暑さと空腹にすっかり参ってしまい、あと少しというところで我慢できず駅に引き返した。

静まり返る漁港。
静まり返る漁港

どうにか駅に戻るとアイスを食べながら一休み。まだ帰るには早いので路線バスで青海島に渡ろうと思いたち、さっそく時刻を調べてみると、とんぼ返りでもしないと時間的に厳しいことが判明。それでは向かう意味がないというもの。始発列車で出発できなかったツケがこんな形で回ってくるとは思わなかった。

仕方がないので街歩きをしながら近くの海岸までやってきた。青海島はすぐ目の前に浮かんでいて、本土との間にわずかな隙間しかないため地続きのように見える。行く宛もないのでぼんやり海を眺めていると、空には鈍色の雲が広がり風が強まり、瀬戸内海のように穏やかだった海が徐々に日本海らしくなっていく。

地続きのように見える青海島。
地続きのような青海島

長門市では何をしたということもなく消化不良な感じで悶々とする。板持駅で出会った婆さんは、長門市なら見どころがあるようなことを言っていたが、詳しく聞いておくべきだった。

しかし考えてみれば長門市は山陰本線の駅なのだ、美祢線の旅ではついでに立ち寄ったようなものであり、あまり本気を出して巡り歩く必要もないだろう。いずれ山陰本線の旅で再訪することになるのだからと、美祢線の旅はこれで終えることに決めた。

エピローグ

路線図。

美祢線の旅、最後を飾るのは15時22分発の厚狭行き。ゆっくり車窓を眺めて余韻に浸りたいところであるが、車両はロングシートばかりで、しかも地元民や観光客で混み合い車窓どころではない。美祢線は最初から最後まで利用者の多い路線であった。

まもなく発車という段階になり、構内放送が「厚狭行きひとり階段を上っています」と慌ただしい口調で告げる。まもなく階段から下りてきた男性が乗り込むとドアが閉まった。有人駅ならではの対応で無人駅なら置いてきぼりだ。

長門市駅で発車を待つ、普通列車の厚狭行き 714D。
普通 厚狭行き 714D

定刻通り発車すると、景色の眺めにくさと疲労からウトウトしてしまい、気がつけば分水界を越えた於福駅であった。ここで運転士による車内放送があり、大雨の影響で対向列車に遅れが出ているためしばらく停車するという。最後の最後で不穏なことになってきた。

幸い10分ほどで動き出したが徐行運転となり遅れは拡大、達成感と疲労感、そして遅延を伴い厚狭駅に到着した。

(2017年8月25日)

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