高山本線 全線全駅完乗の旅 1日目(岐阜〜長森)

旅の地図。

目次

プロローグ

2022年6月14日、梅雨入りの発表されたこの日は、朝から雨が降っていた。

コロナ禍で思うように旅ができず、約2年ぶりに再開した全駅完乗の旅は、本州中央部を横断する高山本線を舞台に選んだ。宿泊した名古屋から電車に揺られること約30分、起点の岐阜駅に降り立ったのは7時50分のことであった。

高山本線は名古屋にほど近い岐阜と、日本海に面する富山とを結ぶ路線で、全長は225.8km、駅数は45駅ある。岐阜と富山の周辺こそ人家の集まる平野をゆくが、大部分は山間をうねうねとゆく風光明媚な路線だ。いわゆるローカル線であるが、沿線に下呂温泉・飛騨高山・白川郷といった著名観光地が点在しているため、コロナ禍になる以前は外国人観光客で賑わっていた観光路線でもある。

岐阜ぎふ

  • 所在地 岐阜県岐阜市橋本町
  • 開業 1887年(明治20年)1月21日
  • ホーム 3面6線
路線図(岐阜駅)。
岐阜駅舎。
岐阜駅舎

織田信長が天下布武の足がかりとした岐阜城のお膝元で、域内を通る中山道には指折りの大きな宿場町が置かれるなど、古くから商工業で栄えてきた土地である。現在では約40万の人口と県庁を擁する県下最大の都市となっている。当駅は隣接する名鉄岐阜駅と共にその玄関口の役目を担っている。

高山本線の起点であると同時に、大動脈たる東海道本線の主要駅でもあるので、列車は次から次へとやってくる。ほとんどは大垣や名古屋といった近隣都市に向かう普通や快速であるが、高山や金沢に向かう特急もやってくる。時には長大な貨物列車も走り抜けていく。6番線まである構内はフル稼働といった様子であった。

岐阜駅ホームと、停車中の特急ひだ1号。
岐阜駅ホーム

近代的な高架駅で長いホームが並んでいるけど、飲食店はおろか売店のひとつすらなく、行き交うのも学生や会社員といった装いの人たちが目立つ。下呂・高山方面に向かう特急は数多く発着しているけど、観光客の大半は名古屋から利用するのだろう、ここには通勤通学のための駅といった雰囲気が漂っている。

ちょうど到着した列車からなだれてきた人波に流されるように、階段を下りていき、自動改札を通り抜けてコンコースに出た。高架下に収められた駅舎には、みどりの窓口や旅行会社といった主要駅らしい設備が集まり、テナントの並ぶ商業施設も併設されている。充実はしているけど用はないので横目に眺めながら歩き抜けていく。

高山本線ホームの駅名板。
ホーム駅名板

駅前に出るとまず目に飛び込んでくるのが黄金色に輝く織田信長像である。暗い雨に打たれながらも輝きを放つその姿は、西日でも当たろうものなら眩しいほどの光を放ちそうに思える。駅前にその土地に縁のある人物の像があるのは珍しくないが、それらは渋い色をした銅像や石像がほとんどで、これほどまで見事な黄金色というのは珍しい。

趣味が良いのか悪いのか何ともいえないが、確かなのは私の視線がそこにいき、カメラまで向けてしまったことで、観光的には成功しているといえよう。遠目には色にばかり目がいくけど、近くまできて見上げればマントを羽織り火縄銃を手にすっくと立つ姿は悪くない。マスクを着用しているのが今という時代をよく表している。最近は銅像から狛犬までマスク姿が目立ち、早く外される日がきてほしいものだと思う。

駅前に立つ黄金の織田信長像。
駅前に立つ織田信長

信長像のある広場に隣接して、行き先別にいくつものバス乗り場が並んでいて、眺めていると次々にバスがやってくる。しかし明らかに捌ききれないほどの利用者があり、バスはどんどんやってくるのに、全員が収まる前に満員となり発車していく。結果としてじわじわ列が伸びていき、ついには信長像のすぐ前にまで傘が並びはじめた。

市内散策にはバスで向かおうと思っていたのだが、この混雑を目の当たりに気が削がれ、いったん駅に戻って通勤通学時間が過ぎるのを待つことにした。

川原町かわらまち

岐阜の街にはもう何度も訪れたことがある。金華山・岐阜城・神社仏閣・公園・博物館、有名どころは概ね訪問済みである。そんな中にあって未訪問なのが、格子戸のある古い家屋が並ぶという川原町で、考えるまでもなく目的地はここと決めていた。

川原町は駅から北に約3km、岐阜城の鎮座する金華山のふもとにして、水運で栄えた長良川の傍らという、いかにも歴史の深そうなところにある。歩いても1時間とかからないが、市街地の一角だけにバスの便が豊富なのでこれを利用する。

通勤通学の波が去った午前9時過ぎ、すっかり人のまばらになったバス乗り場に向かい、待つほどもなくやってきたバスに乗り込んだ。乗客は私とおばさんの2人だけ。先ほどまでの混雑は何だったのかと思う。走り出したバスは繁華街を通り抜けていくが、忘れた頃に数人の乗降がある程度で、終始空いたままという閑散ぶりであった。

バスの車窓。
バスの車窓

30分ほど揺られて長良川の畔にあるバス停で下車、傘を開いて歩くこと数分で、すぐにそれと分かる町並みが現れた。左右にうねるように伸びる通りに、格子戸を備えた古めかしい木造家屋、それに土蔵などが押し合うように軒を連ねている。降りつづく雨のためか時間的なものか観光客の姿はなく閑静で、加えて暗くしっとり濡れた様が、ひなびた場末の町を思わせるいい雰囲気を醸し出していた。

そんな町並みに隣り合うようにして長良川が流れている。ここは船で行き交う荷物の集散地としても賑わったところだ。住所もそんな歴史を表すかのように湊町となっている。川原町というのは一帯の通称のようなもので、実際には湊町・玉井町・元浜町などが並んでいる。

川辺に目をやれば出番に備える鵜飼観覧船がずらりと休んでいた。時期ともなれば鵜舟のかがり火がゆらめくなかを、賑わいを載せて動きまわるのだろう。

格子戸の並ぶ川原町の家並み。
川原町の家並み
方々の軒下にかけられた提灯。
方々の軒下にかけられた提灯

街角には古風な装いで立つ石像があり、例によってマスクをさせられている。何者だろうかと近づくと松尾芭蕉であった。この界隈は芭蕉に縁のあるところで、奥の細道の旅に出る前年には、近くの妙照寺に滞在して鵜飼見物などを楽しんでいる。その時に詠んだ「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の句は、鵜飼というものを見事なまでに表していると思う。

種々の格子がはめ込まれた家屋。
種々の格子からなる家屋
家屋に取り付けられた元浜町の町名板。
川原町だけど元浜町

この手の通りでは観光客向けの店や施設が手ぐすね引いて待ち構えているものだが、平日の朝からやってられるかと言わんばかりに、建物という建物が戸も窓もしっかり閉ざしている。開いていたのは伝統工芸品の岐阜うちわの店くらいのものだった。

こうなるとひたすら通りの景色を楽しむしかないので、どんどん先に進んでいくと、ほどなく情緒ある家並みは途絶えてしまった。ゆっくりしたのは来る者拒まずといった佇まいの庚申堂くらいのもので、たいして時間をかけることなく町の散策を終えた。

金華山きんかざん

川原町の散策が思いのほか早く終わってしまったので、傍らを流れる長良川の対岸まで足を伸ばし、鵜飼観覧船の並ぶ長良川を、斎藤道三や織田信長が居城とした岐阜城天守を頂く金華山が見下ろす、岐阜のシンボル揃い踏みという眺めを堪能する。

自然と歴史のぎっしり詰まった金華山は、数ある岐阜の名所にあって私がもっとも好きなところである。雨のなかで山に登るのもどうかと思うし、既に2回も訪ねたことがあるが、岐阜の旅とあっては外す訳にはいかない。幸いにしてロープウェイがあるので、これを利用すれば雨だろうと雪だろうと気軽に向かうことができる。

長良川と金華山。
長良川と金華山

再び長良川を越えたら、川原町を横目に通り過ぎ、金華山のふもとにある岐阜公園に入り込んでいく。織田信長の居館があったとされるところだが、いまは瑞々しい草木に包まれた市民の憩いの場になっている。辺りには美術館や博物館といった文化施設に、登山道やロープウェイなど山上への交通路が集う。

雨に映えるアジサイを楽しみながら園内をゆくと、大きく立派なロープウェイ乗り場が見えてきた。建物内には休憩所と切符売り場に加えて土産物店も入居している。好天の休日ともなれば賑わうのだろうけど、雨天の平日とあって閑古鳥が鳴いていた。

往復ともロープウェイ利用が楽だけど、節約と変化を求めて下山は歩くことに決め、片道チケットを手にひとり改札口に並ぶ。貸し切りかなと思っていると発車時刻が迫るにつれてぽつぽつ集まりはじめ、定員46名のゴンドラにアテンダントを含め6人で乗り込んだ。

金華山ロープウェイ乗り場。
ロープウェイ乗り場

時間厳守とばかり忙しくドアが閉められ、すぐに動きはじめたゴンドラは、するすると滑るように高度を上げていく。遠くはるかに広がっていく市街地は見応えあるが、乗車時間が約3分と短いため、堪能する間もなく到着がアナウンスされた。

山上には岐阜城の遺構が点在しているが、戦後再建された天守のほか、リス園や展望レストランといった観光施設のほうが幅を利かせている。ロープウェイで訪れる観光客の多くもそちらが目当てにちがいない。

傘を開いたらひとり静かに樹林のなかを伸びる小路で天守に向かう。道中には一ノ門跡や馬場跡といった案内板が立つが、江戸時代を迎えることなく廃城となり、長い歳月のうちに破壊され開発され自然に飲まれ、往時の姿はほとんど残されていない。ここにそんな物があったのかと想像するばかりである。

雨に濡れて生き生きとする枝葉。
瑞々しい山上の緑

汗を浮かべながら緩やかな坂道を上がっていくと、視界を遮っていた木々が開けはじめ、山頂に座す天守がその全容を現した。鉄筋コンクリート製で本来のそれとは見た目からして異なるという代物だけど、70年近くもこの地で雨風に耐えてきた成果とでもいおうか、これがないと違和感があると思えるほど景色に馴染んで映る。

辺りには雨もやが漂い静けさに包まれていた。市を代表する観光地とは思えないほど誰もおらず、何本も並べられた織田家の家紋である織田木瓜の印されたのぼり旗だけが、ゆらゆらと揺れ動いている。雨降りの平日なればこその閑寂で落ちついた雰囲気である。

岐阜城天守。
岐阜城天守

内部はこの手の天守ではおなじみの資料館になっていて、各階で展示物を眺めては階段に向かうという繰り返しで、一階また一階と上がっていく。岐阜城や信長にまつわる物品が展示されていた気がするけど、印象が薄かったらしくなにがあったのか覚えていない。

最上階もまたこの手の施設ではおなじみの展望台になっていて、遥かに広がる濃尾平野を一望することができた。眼下には建物がすし詰めにされた岐阜市街があり、川原町や長良川など歩いてきた道筋を視線で追う。次に向かう長森駅も確認できた。遠くには乗鞍岳・御嶽山・伊吹山といった名だたる高峰から、伊勢湾までも見渡せるそうだが、残念ながら厚い雲と雨もやにさえぎられて姿を捉えることはできなかった。

貸し切りだったこともあり東西南北と場所を変えつつ飽かず眺めていたが、どやどやと賑やかな中高年の団体がきたのを合図に階段を下りた。

天守からの眺望。
天守からの眺望

時刻は12時半になろうとしているので、腹ごしらえをしてから下山しようと、展望レストランに向かう。昼時だというのに先客はなく、案内されたのは大きなガラス窓を前にした、天守の展望台と変わらないほど眺めのいい席だった。

岐阜に来たのだから岐阜名物を食べようと思ったけど、そもそも岐阜の名物とはなんだろうか、飛騨牛や高山ラーメンは岐阜県ではあるけど何か違う。考えてもこれといったものが思い浮かばず、近所のようなものだしと名古屋名物の味噌カツに落ちついた。ついでにアルコールでもと頭をよぎったけどそれは思いとどまった。

複数の店員が私のためだけに動く貸切りの空間で、岐阜市街を見下ろしながら揚げたてのカツを口に運ぶ。なんだか城主にでもなったような豪勢で優雅なひとときを味わった。

味噌カツ定食。
味噌カツ定食

山中には10本もの登山道がめぐらされていて選択に迷う。バスの便が良い岐阜公園界隈に下りるものだけでも、七曲り登山道・百曲り登山道・馬の背登山道・めい想の小径と4本もある。それぞれに魅力があるので悩ましいが、時間が押しているので距離が短め、それでいて傘を差しても歩きやすそうな、百曲り登山道を選んだ。

足を踏み入れると名前の通りに右へ左へ九十九折りに下りていく。岩肌がむき出しになっていたり多少の険しさはあるけど整備されているので歩きやすい。眺望はないけど濡れてつやめく濃い緑や、枝葉からしたたる微かな水音が心地いい。誰にも出会うことなく30分ほどでふもとの岐阜公園に着いた。

百曲り登山道沿いに広がる深い緑。
深い緑のなかを下る

辺りには岐阜市歴史博物館や名和昆虫博物館といった、魅力的な博物館があるのだが、時刻はもう14時に迫っていて時間がない。そろそろ次の駅に行かないと高山本線の旅でありながら、高山本線に乗ることなく日が暮れてしまいかねない。

取り急ぎバスで岐阜駅まで戻り、券売機で長森までの乗車券を購入、足早にホームに上がると14時15分発の美濃太田行きが止まっていた。発車まであと3分と迫っている。これを逃したら次は30分後までなく、これはいいタイミングだとばかり飛び乗った。

車内には2人がけシートが並んでいて、それぞれに1人が座っているくらいの乗車率で、混んではいないけど空いてもいなかった。ちょうど最前列の席が空いていたのでここに陣取る。ワンマン列車なので、すぐに降りるには一番いい席だ。

普通列車の美濃太田行き 727C。
普通 美濃太田行き 727C

定刻通りエンジンを唸らせはじめた列車は、速度を上げながら構内の外れで東海道本線から別れ、高山本線に足を踏み入れた。東海道本線は複線電化であったが、高山本線は初っ端から単線非電化で早くもローカル線の香りが漂う。ほどなく高架から地上に下りて、車窓には田んぼまで流れはじめたからなおさらだ。

岐阜から長森までは4.2km、ほぼ一直線で、列車は快調に飛ばして約4分で到着した。せっかく乗車したのにもう降りるとは物足りないが席を立つ。

長森ながもり

  • 所在地 岐阜県岐阜市蔵前
  • 開業 1920年(大正9年)11月1日
  • ホーム 2面2線
路線図(長森駅)。
長森駅舎。
長森駅舎

田園のなかに住宅を散りばめたような景色が広がる濃尾平野の一隅、北には岐阜城を載せた金華山を望み、南には家屋や寺社の連なる中山道が通る。宅地化の波が寄せる古くからの農耕地といった様子の、岐阜市郊外に置かれた小さな駅である。

ワンマン列車だったので運転士に切符を手渡し、学生らしき5〜6人に混ざるようにしてホームに降り立った。それぞれは傘も差さず歩いたり、迎えの車に収まったりして、あっという間に去っていき、雨のしとつくホームには私ひとりが残された。

プレハブ小屋に毛の生えたような簡素な駅舎に入ると、通路を挟んでベンチが向かい合う狭い待合室があるのみで、駅員はいないし無人化されて久しいらしく窓口すら存在しない。それどころか簡単な券売機すらない。県下最大都市の中心部から数キロの駅とは思えぬ、僻地の小駅だと言っても違和感のない造作である。

長森駅ホームと、通過する特急ひだ10号。
長森駅ホーム

駅前に出ると水たまりの点在する舗装すらされていない広場の向こうに、人気のない家屋と田んぼの並ぶ狭い道路が伸びていた。往来のない路面を薄暗い雨が叩くばかりで物寂しい。雨ざらしながら絡み合うように数多並ぶ自転車だけが、こう見えて利用者はそれなりにあるのだと誇示しているようであった。

琴塚古墳ことづかこふん

駅前を数百メートルばかり進むと中山道に行き当たり、火まつりで知られる手力雄神社もあるので、向かうとすればその辺りが妥当だろう。ところがそこには名鉄各務原線の手力駅まであるのが問題で、いずれそちらの旅もすることを考えると、その時に訪ねるため温存しておきたい。そこで目をつけたのが駅裏方向に約2kmのところにある琴塚古墳だ。国の史跡にも指定された県下最大級の規模を誇る前方後円墳である。

駅舎どころか広場や街灯すらない勝手口のような駅裏に出て、傘を手に田んぼのなかを伸びる細道をゆく。田んぼの多くは田植えを終えたばかりで雨の波紋が広がっている。住宅が点在しているけど人には出会わず、車もたまに走り抜けていく程度と静かなものだ。

古墳への道のり。
古墳への道のり

平野だけに道路は縦横にめぐらされているので、のんびり歩けそうな裏道を選びながら、あみだくじの線を引くように進む。行く手をさえぎるように横切る大きな県道だけは避けようがなく、そこだけは足を止め、車列が途切れるのをじっと待って小走りに通過。歩きやすい道であるほど、こういう場面で信号どころか横断歩道すらないのが困りものだ。

沿道を彩るアジサイ。
沿道を彩るアジサイ

あちこちでバス停を目にするので、帰りはこれが使えないかと時刻表を見ると、本数が充実していてこれは使えると思うが、どこをどう走るのかまったく分からなくて断念。見知らぬ土地のバスというのは、そのような利用者ばかりが想定される有名観光地でもない限り、よそ者が利用するにはハードルが高い。

碁盤目のような道筋に田んぼや住宅がゆったり置かれているかと思えば、狭く曲りくねる道筋に、昭和感のある家屋や寺社がぎっしり並ぶところもあった。独特の雰囲気ですぐに古くからの集落だと分かる。個人商店やその痕跡のようなものも残されていて、これは面白いとばかりうろついていると、犬に思いきり吠えられた。

神社と公民館。
神社と公民館

徘徊するように歩くこと小一時間で古墳前までやってきた。うっそうとした樹林に包まれて姿形は判然とせず、宣伝するような看板や駐車場の類もないので、なんだか自然の小山のようだなと思う。国の史跡といっても地味な佇まいである。

片隅がブランコや滑り台のある小さな公園になっていて、そこに琴塚古墳の概要や図面などが記された案内板が設置されていた。それによると築造は5世紀頃とされ、全長115mで県下3番目という大きさの前方後円墳、往時は内外二重の堀に囲まれていたという。被葬者は景行天皇の妃の五十琴姫命と伝わるそうだ。

外堀はすっかり道路や畑になって見る影もないが、内堀は広く平坦な草地として残され踏み跡もあったので、そこから墳丘をひとまわりしようと辿っていく。内側に墳丘があるのはもちろんのこと外側には外堀とを隔てていた堤らしきものもあった。貴重な史跡ではあるけど興味のない人を引きつける派手さはないので、訪れる人はあまりないのだろう、徐々に踏み跡はあいまいになり消えてしまった。

草木の繁茂する内堀。
草木の繁茂する内堀

平野に置かれた墳丘なので眺めが良さそうだけど、ぐるりと柵に囲われていて立ち入ることはできない。もっとも柵がなかったところで道はないし、人を寄せ付けないほどの密林状態なので、立ち入ろうという気すら起きなかっただろうが。開けた箇所でもないかと思ったけど、東西南北どちらから眺めても深山を思わせる暗緑の山であった。

せっかくの墳丘が判然としないのは残念だけど、めぐらされた柵の緩やかな曲線や直角の曲りなどから、ここは前方後円墳のあの辺りだなと容易に推測することはできる。

樹林に包まれた墳丘。
樹林に包まれた墳丘

内堀のなかで雨に濡れた草をかき分けたり、水たまりを飛び越えたりしていると、いつしか靴は湿り気を帯びてきて蚊にも刺された。ひとまわりして最初の公園に戻ってきた時には、手はかゆく両足とも靴下までべたべたという有様であった。マムシに出会わなかったことが幸いなくらいで酷いものである。もしまた訪れることがあるなら、木々の葉が落ちて見通しがよく、乾燥して蚊もいない冬場にしようと思う。

なんだかもう歩く気力が失せてきたので、まっすぐ駅に戻り、待つこと数分でやってきた岐阜行きに乗り込んだ。車内は夕方とあって混んでいたのでドアの脇に立つ。

普通列車の岐阜行き 742D。
普通 岐阜行き 742D

動き出した列車は約5分で岐阜に到着。ドアの前にいた私は押し流されるようにホームに降ろされ、余韻に浸る間もないまま旅の初日を終えた。

(2022年6月14日)

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