越美北線 全線全駅完乗の旅 7日目(越前富田〜柿ケ島)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2018年7月31日、早朝5時前に大野市内の宿を出発した。5時18分発の九頭竜湖行きに乗るためで、薄明るい静かな街を越前大野駅に急ぐ。まもなく日の出を迎える空は、群青色に染まり雲ひとつ見当たらない。神社の脇を通れば早くもセミの大合唱。今日も厳しい暑さになることが予想され、連日の猛暑に少しうんざりするものがあった。

駅に到着すると人の気配がない。いつも見かけるバスやタクシーも見当たらない。駅前の水路に並ぶ小さな水車が、カタカタと回る音だけが響いていた。窓口は閉まっていたけど券売機は稼働していたので、下唯野までの乗車券を購入して無人の改札を通り抜けた。

ホームには単行のディーゼルカーが縦列に並び、静かにエンジン音を上げていた。5時10分発の福井行きと、5時18分発の九頭竜湖行きだ。前々から早朝の九頭竜湖行きにどれだけ利用者があり、どんな目的で利用しているのか興味があり、答えを求めて乗り込むと、乗客はひとりもいなかった。

越前大野駅で発車を待つ、普通列車の九頭竜湖行き 721D。
普通 九頭竜湖行き 721D

私だけを乗せて発車した列車は、広々とした大野盆地を一直線に駆け抜けていく。日の出時刻はとうに過ぎているが、山々に囲まれた土地柄まだ日は差し込んでこない。車窓には若干赤みを帯びた青空を背景に、大野富士とも称される荒島岳がくっきりとその姿を見せていた。今日はまずあの山に登ろうと考えていて、はたして頂を制することはできるだろうか、期待と不安を感じながら見つめた。

下唯野しもゆいの

  • 所在地 福井県大野市下唯野
  • 開業 1960年(昭和35年)12月15日
  • ホーム 1面1線
路線図(下唯野)。
下唯野駅ホーム。
下唯野駅ホーム

九頭竜川が源流から続いてきた深い谷間を抜け出し、これから大野盆地に流れ込もうかという辺りで、小さな集落に接するように駅はある。九頭竜川の流れる北東側には平地があり住宅と畑がひしめく。荒島岳のそびえる南西側には崖のような急斜面が迫る。九頭竜川が気の遠くなるような時間をかけて作り出した河岸段丘だ。

列車を降りると単式ホームに待合所があるだけの小さな駅だった。稜線上からは後光のように光が溢れ出し、まもなく太陽が顔を出そうとしている。鳥のさえずり、セミの声、谷間を吹き抜ける冷たい風、自然豊かで心地よい。ゆっくり列車が去っていくと、近くに鉄橋があるらしく、ごとごと渡る音が聞こえてきた。

ホームは2両ですら収まるか怪しいほど短いのが印象的だ。裏手には桜ではなく栗の木が並んでいるのが珍しい。木造の待合所に入ると昨日の名残りなのか、日も当たっていないのに熱気がこもっていた。室内に変わったものは見当たらないけど、清掃が行き届いているので居心地は良さそうである。

下唯野駅の待合所。
待合所

ホーム端のスロープを下るとそのまま道路に出る。道路があるというだけで特にこれといって何もない。徒歩での利用しか想定していないのか、越美北線の各駅で目にしてきた駐輪場すら見当たらない。景色だけを見たなら駅前と気付かないだろう。そうこうしていると、いよいよ太陽が稜線上から顔を出し、赤みを帯びた眩しい光が差し込んできた。

荒島岳あらしまだけ

荒島岳と聞いても山好きか地元住民でもなければ、ほとんどの人は場所すら想像がつかないと思う。福井県にある標高1523mの山だと聞けば地味な山だと思うだろう。日本百名山の一座だと付け加えれば、多少見る目が変わるかもしれない。

この山は越美北線のすぐ脇にそびえているため、車窓からよく見え、駅から登山口までもとても近い。例えば勝原駅からは原生林の中を登る「勝原コース」、越前下山駅からは急峻な尾根を登る「下山コース」、そしてここ下唯野からは、日本百名山の筆者である深田久弥も利用した「中出なかんでコース」とよりどりみどり。これほど百名山に直結した路線は珍しい。それなら何れかの駅で登ろうと考え、他に見どころの少ない当駅に決めた。

待合所でパンをかじってから中出コースを目指して出発。まずは線路に迫る段丘崖の上に出ると、広々とした田園地帯に出た。蕨生わらびょうという地区名から察するに昔はワラビの生い茂る原野だったのかもしれない。目の前にはこれから向かう荒島岳が山頂までくっきりと見え、向こうからはさぞかし眺めが良いだろうと期待が膨らむ。

朝日を浴びた荒島岳。
朝日を浴びた荒島岳

山麓に広がる田んぼや集落の中を30分ほど歩いただろうか。いよいよ登山口の標識が立てられた狭い脇道が現れた。傍らには親切にも下唯野駅の時刻表まで設置されていた。鉄道利用者のことも考えているんだと嬉しくなるが、冷静に考えてみればそういう人は事前に時刻くらい確認してるから、ここにあってもあまり役には立ちそうもないとも思った。

林道のような杉林に囲まれた薄暗く静かな坂道を上がっていく。日が差し込まない谷間には朝の冷気が漂っていた。なだらかな斜面で植林以前は農地だろうかと思ったけど、日本百名山には「スキー場の中出から」という記述があり、ここがそれなのかなとも思う。涼しく快適だと思ったのも束の間、アブがまとわりついてくるようになり、それを振り切るように半ば駆け足で上がっていくとまた汗が吹き出してきた。

開けた場所に出るとそこが登山者向けの駐車場だった。平日のせいか車は2台だけと閑古鳥が鳴いていた。登山届提出所の他にもトイレやベンチに、足湯ならぬ足水とでも言おうか、足を浸すための冷たい湧水まで用意されていた。開けて風通しが良いせいかアブが全然来ないのも助かる。ここで息と準備を整えたところで登山開始。

登山道へと続く道路。
登山道へと続く道路

道端には慈水観音と刻まれた石碑があり、奥の方には緑に埋もれるようにして小さな祠が佇んでいた。気になるけどアブの多さに足を止めるのがためらわれ、しかも草木の茂る中は余計に危なそうなので遠巻きに眺めながら通り過ぎた。

道路は未舗装の砂利道に変わり、路面は雨の日など川になるのか、こぶし大の石がゴロゴロしていて歩きにくい。谷間の植林地が続くがさほど密生していないので明るい。登山というよりは野山の散策に訪れた気分になってくる。要所ごとに立つ「荒島岳登山道」という標識だけがそれを否定してくれる。

駐車場から30分ほどで登山道に入ると、狭い谷底のような急斜面が連続しはじめる。ゆっくり登りたいが、アブがしつこく群がってくるため、逃れようと自然と足が早くなる。気温の上昇も相まって、滝のような汗を流しながら登っていく。アブと暑さで景色に関する記憶は薄く、まるで修行のような道のりだった。

気がつけば植林帯は抜けて明るいブナ林に変わっていた。根本がぐにゃりと曲がる姿が豪雪を想像させる。明るさに加えて谷間を脱して傾斜が緩やかになり、精神的にも肉体的にも歩くのは楽になった。「ひえ畑」という札が立てられているのを見て、昔はここに畑でもあったのだろうか、そんな想像を巡らしながら歩く余裕も生まれてきた。

ブナ林に包まれた登山道。
ブナ林に包まれた登山道

それにしてもアブの多さには閉口させられるものがある。序盤にまとわりつかれた時にはすぐに消え去るだろうと、さして気にもせず振り切るように駆け上がってきたのだが、これがいくら登っても追いかけてくるのだ。立ち止まろうものならすぐに食いついてきて、チクッとした痛みが走る。

随分と登ってきたように思うがまるで眺望は開けない。谷間を抜け出しても木々が茂っているため見えそうで見えない。展望台と銘打たれた箇所もあったけど、木々の生育によるものか、どう見てもバードウォッチングくらいしかできない所であった。残念ではあるが猛暑日だけに、眺望よりも木陰に恵まれていることがありがたくも感じられた。

高さを実感できないまま登り続けてきたため、木々の隙間からちらりと箱庭のような大野盆地が見えた時、想像以上に標高が上がっていたことに驚いた。地図で確認すると駅との標高差はおよそ千メートルであった。

林間から見えた大野盆地。
林間から見えた大野盆地

猛烈な暑さとアブの多さに気力体力を失いかけたころ、小荒島岳に向かう分岐点にたどり着いた。往来が少ないのか雑木や笹などをかき分けるようにして、急斜面を2〜3分も登ると、突然頭上が開けて山頂に出た。

小荒島岳は標高1,186mで、荒島岳のなだらかな稜線上にコブのように飛び出した所で、その名の通り小さな荒島岳という感じである。山頂というと聞こえは良いが、古墳のようになだらかな丘陵なので、まるで下界は見えず、小さな木製の標柱が立っているだけと味気ない。その代り荒島岳の堂々たる山体を正面に見据えることができ、荒島岳を眺めるための展望台のような所だと思った。

アブはどこかに去ってしまい頭上には赤とんぼが群れをなす。まるで楽園にでも訪れた気分だった。ようやくゆっくり休憩を取ることができると、大きめの石に腰を下ろして携行食を取り出す。食料は豊富だが想定を超える猛暑に水が残り少ないのが気になった。

飛び交うトンボを眺めながらこの先どうするか考えた。時刻を確認すると次の列車まで4時間ほどしかない。荒島岳に向かえば急いで下山しても乗れるかどうか怪しい。逃せば18時過ぎまで列車はないので次の駅には行けなくなる。加えて猛暑・アブ・疲労・水の乏しさなども考えると、これ以上進むのは無謀だと判断して下山を決めた。

小荒島岳から望む荒島岳。
小荒島岳から望む荒島岳

アブから逃げるように立ち止まることなく一目散に下っていく。こんなに登っていたかと思うほど、下っても下っても下りきらない。少しずつ増やした貯金を散財しているようで、もったいないような感情が湧いてくる。心残りではあるが、日本百名山に「いっぺんで登ってしまうよりも、幾度か登り損ねたあげく、ようやくその山頂を得た方がはるかに味わい深い」という一節がある。いつか涼しい時期に再訪しようと思う。

登山口まで下りてきた頃には疲労困憊で、冷たい湧水に直行、喉を潤し、頭を冷やし、へたり込むようにして足を「名水治水」と名付けられた足水に浸した。痛いほどの冷たい水が気持ち良い。これほどきついと感じた登山は初めてだ。猛暑とアブに打ちのめされた。幸いここでは両者から逃れることができ、ホッとすると同時にもう動きたくない心境である。

正午を回ると下山してくる人がポツポツ現れはじめた。ある中年夫婦などは頭から養蜂家のようにネットを被り、一切肌を露出させない重装備をしていた。見た目はともかくあれならアブ対策には完璧だと感心する。こうした人達と雑談を交わしながら携行食を口にしていると、少しずつ気力体力ともに回復してきた。

助けられた「名水治水」。
助けられた「名水治水」

1時間ほど休んだところで重い腰を上げて駅に向かう。そろそろ動かないと列車に乗り遅れてしまう。すると先ほど言葉を交わした中年夫婦の車が追いかけてきて、駅まで送ってくれるという。もちろん二つ返事で乗せてもらった。人の親切が身に沁みるとはこのことである。今日は残念でしたねえと言うので何かと思ったら、荒島岳山頂は雲の中で何も見えなかったのだという。それを聞いて登頂できなかった残念な気持ちが少しだけ和らいだ。

およそ半日ぶりに戻ってきた駅はとにかく暑かった。そして猛烈なまでのセミの声に包まれていた。時間に余裕ができたので待合所で休もうと考えたが、座っているだけで汗が流れるような状況に諦めた。仕方がないので近くの神社を訪ねたりして時間を潰し、最後はホーム端にある木陰に立ち、扇子で仰ぎながらやり過ごした。

暑さに耐えていると薄緑色をした単行列車がやってきた。ドアは手動と古めかしいが車内は冷房がよく効いていて気持ち良い。始発列車とは打って変わって混雑していて、ボックスシートには地味な出立ちをした旅行者が陣取り、ロングシートには原色のカラフルな出立ちをした中高年ハイカーが並んでいた。十数人は乗っていたが、例によって生活利用者と思しき人は見当たらなかった。

下唯野駅に入線する、普通列車の九頭竜湖行き 727D。
普通 九頭竜湖行き 727D

下唯野を発車するとすぐに九頭竜川を渡る鉄橋に差しかかる。同時に列車はどんどん速度を落としていく。まるで景色を楽しませるサービスのようだが、実際には鉄橋の出口に駅があるからだ。この区間はわずか1.0kmと越美北線で最も駅間距離が短い。川を挟んだ両岸の集落それぞれに駅があるのだ。

清流を期待して川面に目をやると、どういう訳か透明度のまるでない白味を帯びた緑色をしていた。この車両のような色合いだ。雨でも降ったのか工事でもしているのか、上流に目をやるが回廊のような深い谷間が続いているばかりで、原因は分からなかった。

柿ケ島かきがしま

  • 所在地 福井県大野市柿ケ嶋
  • 開業 1960年(昭和35年)12月15日
  • ホーム 1面1線
路線図(柿ケ島)。
柿ケ島駅ホーム。
柿ケ島駅ホーム

九頭竜峡とも呼ばれる急峻な渓谷は目前で、大野盆地の東の果て、大野盆地の最上流部などと表現できそうな所だった。そのため下流側にはどこまでも田んぼが広がるが、上流側には両岸から切り立った山並みが迫る。この先は岐阜県との県境まで山また山で、平地らしい平地は姿を消すことになる。

予想はしていたけど乗降客は私だけだった。ホームは小高い築堤上にあるため農地や集落が視界に広がる。線路側に目をやれば渡ってきたばかりの九頭竜川に架かるトラス橋が口を開けていた。ホーム端に立つと木々の隙間から川面が少しだけ見えたが、流れがゆったりしているせいか水音は聞こえず、聞こえるのはセミの鳴き声ばかりである。

駅は単式ホームに待合所があるだけと、景色が異なることを除けば下唯野と瓜二つの姿をしていた。待合所に入ると締め切られていただけに蒸し風呂状態で、急いで全ての窓を全開にして風を通す。室内は座布団がとてもきれいで寝転がりたくなるほどだ。そんな宿泊者のためではないだろうが壁には鏡が設置してある。無人駅は汚れが目立つことが多いが、近所の方がこまめに清掃しているのか、クモの巣ひとつ見当たらず好印象である。

なぜか鏡のある待合所。
待合所

築堤下には集落へと続く狭い道路があり、ホームとは高低差があるためスロープと階段を使い下りていく。駅前には作業場か倉庫のような飾り気のない建物が一棟あるだけで、商店はおろか自販機のひとつすら見当たらない。平地には田んぼが目立つが、山すそを中心に蔵のある昔ながらの大きな家が点在し、寺院らしき屋根も見えていた。喉が乾いて仕方がないけど潤せそうな様子がまるでないのには少し落ち込んだ。

阪谷さかだにの巨石群

下唯野が荒島岳の麓とすれば、柿ケ島は経ヶ岳の麓といえよう。両者は九頭竜川により明確に隔てられている。日本百名山に加えられているため荒島岳の方が有名だが、標高は経ヶ岳の方が少しだけ高い。そんな経ヶ岳の噴火や山体崩壊などによる堆積物で麓はなだらかに埋め尽くされ、その上には同じように崩れ落ちてきた岩塊が多数あるという。昭和の大合併で大野市の一部となるまでは阪谷村と呼ばれていた所で、阪谷の巨石群などと呼ばれている。経ヶ岳に登るのは無理としてこの巨石群だけでも見に行くことにした。

疲れていてあまり歩きたくないので、駅近くで農作業をしていた爺さんに道を尋ね、一番近いという杉林に囲まれた緩やかな坂道を上っていく。荒島岳のために上から下まで登山装備なので里歩きには体が重い。さらに足の疲労で力が入らずダラダラした足取りである。

30分ほどで小学校が現れると郵便局や病院まである比較的大きな集落に出た。この辺りが旧阪谷村の中心地だと想像する。中ほどには大きなケヤキが印象的な白山神社があり、少し休もうと境内の石積みに腰を下ろした。ケヤキは天然記念物ではないようだが、前回の旅で訪れた春日神社の大イチョウより大きく見えた。

白山神社と大ケヤキ。
白山神社と大ケヤキ

集落を抜けると谷間とは思えないほど広々とした田園地帯に出た。平地ではないので全体が緩やかに傾斜していて阪谷という地名通りだなと思う。傾斜地なので田んぼは階段状に並ぶことになるが、とても緩やかなので一枚一枚が平地同様に大きく、一段ごとに少しずつ高さを上げながら、九頭竜川から経ヶ岳に向けてどこまでも続いているように見えた。

巨石群は探すまでもなく見つけることができた。見通しのよい田んぼの中に巨大な岩が点在しているのだ、標識や案内板の類がなくても自然と視界に入ってくる。姿形は角ばっていたり丸まっていたり、岩肌むき出しのものから木々が生い茂るものまで様々で、田んぼの海原に浮かぶ小島のようである。

巨石のひとつに近寄ると見上げるように大きい。何かに利用している風はなく、ただそこに存在しているという言葉がしっくりくる。思わず登りたくなるがそれは思いとどまった。少年時代をこんな地で過ごしたなら、毎日のように登って遊んだかもしれない。地元では石でも岩でもなく伏石ぶくいしと呼ばれているという。これほどの巨石を運んでくる山体崩壊とはどのようなものだったのか、のどかな現在の景色からは想像もつかない。

田んぼに点在する伏石。
田んぼに点在する伏石

この広い谷をさかのぼれば六呂師高原に行き当たり、その一角には台地に水が溜まり形成された池ケ原湿原があるなど魅力的だ。午前中であれば行ってみようとなるところだが、すっかり疲弊していて坂道はこれ以上一歩たりとて上りたくない。考えるまでもなく点在する伏石を眺めながら駅に向けて下っていく。

九頭竜川の近くまで下りてくると八町やまちという集落があり、「八町岩めぐり」なる案内板が立てられていた。犬岩や弁天岩などと記された地図と共に簡単な説明が記されていた。それによると八町には巨大な岩がいくつかあり、その中でも四つには呼び名が付けられ、それぞれに言い伝えもあるという。気持ちとしてはめぐりたいけど道を逸れる元気はない。

ところが運良く獅子岩は道の近くにあったので、せめてこれだけでもと立ち寄ってみた。遠目にはそれほどでもないが近寄ると相当大きい。立札には名前の由来が記されていて、見る方向によっては獅子に見えるからというそのままの理由だった。実際どうなのかというと、片面は上部がせり出すほど切り立っているので頭のようであり、反対側は猫の背中のようになだらかで、確かに獅子や狛犬に見えなくもない。

八町の獅子岩。
八町の獅子岩

駅に戻ってくると18時近い。そろそろ夕飯にしたいけど食事処などある筈もなく、食料が手に入りそうな商店すらないのだからどうしようもない。少し休んでから時間つぶしがてら近くにある徳善寺を尋ねてみたりするが、それ以上はもう色々と限界で、待合所でひたすら時間が過ぎるのを待った。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

大野盆地の彼方に真っ赤な夕日が沈んでいく。徐々に暗くなるに従い気温が下がり過ごしやすくなってきた。カナカナとヒグラシの鳴き声もよく聞こえるようになった。ひとり駅に佇んでいると寂しさも漂いはじめた。それだけに先の見通せないカーブした線路の先、暗い針葉樹の影から明るい前照灯が顔を出し、レールを光らせながら近づいてくる列車に安堵感のようなものを感じた。

柿ケ島駅に入線する、普通列車の福井行き 734D。
普通 福井行き 734D

車内はどんな状況だろうか。当駅まで乗ってきた混み合う列車を思い出す。あの列車から降りて一歩きして帰るなら、私のようにこの列車に乗るしかない。そうなるとまた同じような顔ぶれがこの列車に乗っているはずだ。座れないほど混雑してたら嫌だなあと思いつつ、手動ドアを押し開けて乗り込むと、混雑どころか乗客の姿はひとりもなかった。

乗客の行方は少し気になるけどあれこれ詮索する元気はない。深い疲労感から力が抜けるように座席に腰を下ろすと、刻々と暗くなる景色をぼんやり眺めながら帰途についた。

(2018年7月31日)

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