土讃線 全線全駅完乗の旅 4日目(祖谷口〜大歩危)

旅の地図。

目次

プロローグ

路線図(プロローグ)。

2016年12月26日、琴平の旅館を出発したのは6時だった。冬の夜明けは遅く、まだ夜のように暗い。昨夜激しく降っていた雨は止んでいて、暗い街はしっとりと静まり返っている。街灯を頼りに水たまりを避けながら駅に急ぐ。日中は金比羅参りで賑わう参道も、途中すれ違ったのは地元の方と思しき中年男性ひとりだけだった。

今日は土讃線の徳島県内に未乗で残された、阿波川口・小歩危・大歩危の各駅を訪れる計画を立てた。まずはもっとも手前にある阿波川口を目指すが、琴平からでは6時58分発の始発普通列車に乗っても到着が10時近くと遅くなりすぎる。そこで早起きして6時40分発の特急列車に乗ることにした。これなら8時前に阿波川口に降り立つことができる。目的地近くに泊まればゆっくり寝ていられるが、あいにく手頃な宿に空きがなかった。

やがて見えてきた琴平駅は暗闇の中に橙色の照明で浮かび上がり、暖かみのある雰囲気を醸し出している。広い待合室に入ると数人の利用者が見られるだけで閑散としている。開け放たれているので暖房もなく見た目とは裏腹にとても寒い。まずはよりどりみどりにたくさん並ぶコインロッカーに不要な荷物を詰め込んだ。

夜明け前の琴平駅舎。
夜明け前の琴平駅舎

まもなく駅舎内のコンビニが開いたので車内で食べようと軽く朝食を仕入れ、木造の上屋がレトロ感漂うホームで列車を待つ。そして6時42分、定刻より若干遅れて、中村行きの特急しまんと1号が滑り込んできた。7時が近いというのに未だ周囲は暗闇に包まれ夜のよう。

車内は空席が目立ち乗車率としては10〜20%といったところ。僅かな利用者は大半がビジネス利用という感じで、書類やノートパソコンを広げる姿が見られる。いつものように坪尻駅の見える進行右側の席に陣取ると、朝食を食べつつ阿波池田に向かった。

中村行き しまんと1号。
中村行き しまんと1号

思えばこの区間はいつも普通列車に乗っていたので特急利用は始めてだ。のんびり走る普通列車とは違い車体を傾けつつ飛ばしていく。当然の如く揺れやエンジンの唸り声も激しく、特急だから快適というよりは特急だから早いという感じだ。近くの席ではビジネスマンがテーブル上にノートパソコンを広げているが、振動の激しさにテーブルごと上下に大きく揺れ動いている。私ならこんな所で仕事をしたら酔ってしまいそうだ。

車窓はまだ暗闇。
車窓はまだ暗闇

わずか20分少々で阿波池田に到着した。普通列車が1時間近くかける事を考えると早すぎるほどに早い。阿波川口には特急が止まらないので、ここで高知行の普通列車に乗り換える。列車を降りると冷たく張り詰めた空気と、白みはじめた空にようやく朝を実感する。

普通列車は7時20分発という利用しやすそうな時間帯だが、車内には数人の乗客しか見当たらない。遠距離までいく人は先ほどの特急に乗ることを思えば、この先続く小さな駅に向かう人しか利用しないのだから当然か。

空の白み始めた阿波池田駅。
空の白み始めた阿波池田駅

阿波池田を出発すると車窓には前回の旅で見覚えのある景色が広がる。そして祖谷口を出るといよいよ新規完乗区間だ。左手には両岸を岩場に囲まれた吉野川の流れが続き、いかにも急峻な流れが作り出した景色という感じ。ただダムが近くにあるのだろうか、どんより緑がかった川面で岩を削るような流れには見えない。

阿波川口あわかわぐち

  • 所在地 徳島県三好市山城町大川持
  • 開業 1935年(昭和10年)11月28日
  • ホーム 2面2線
路線図(阿波川口)。
阿波川口駅舎。
阿波川口駅舎

列車は駅舎と反対側にある2番線に到着した。駅舎に向かうべく跨線橋に上がると1番線にたくさんの人が列車を待つ姿が見えた。高校生を中心にざっと10人くらいは居るだろうか。旧山城町の中心地だけあり、山間部の早朝にしては思いのほか利用者が多く賑やか。かつては急行列車が停車していた時代もある。

跨線橋の上から眺めると平地らしい平地のない険しい地形であることがよく分かる。吉野川と山すその間にあるわずかな土地に国道や鉄道、小さな商店街がひしめく。そしてはるか山上に向けて斜面上を家や畑が続いていて、これを見ると四国に来たなあと思う。

私が乗ってきた列車は止まったままで阿波池田行きとすれ違うらしい。せっかくなので両列車を見送ろうと思うが遅れているのかなかなか姿を現さない。冷たい空気と傘を差すほどでもない微妙な小雨が体温を奪っていき寒い。ようやく姿を現した普通列車は2両編成で、いつも1両の姿ばかり見ていたから新鮮だ。

阿波川口駅の構内。
阿波川口駅の構内

列車が去りすっかり人気のなくなった駅舎に入ると意外なことに駅員が居て、委託駅らしく窓口を閉めると駅前の家に消えていった。雨の朝とあってかまだ薄暗く、蛍光灯に照らされた誰もいない待合室は寒々しい。雰囲気だけではなく本当に寒くて柱に取り付けられた温度計を見ると6度しかなかった。

待合室にはたくさんの掲示物が貼り出され、いつ運転されたのか「四国山脈横断列車」なる列車のヘッドマークや、このあたりの駅ではおなじみの生花も飾られていた。きちんと管理されているので寒いけど居心地は悪くない。

阿波川口駅の薄暗い待合室。
阿波川口駅の待合室

駅前に出るとすぐ正面に山が迫り、吉野川と山に挟まれた土地であることを否が応でも実感させられる。駅前の道路は商店街のある古くからの道路だが交通量は少なく、車の行き交う駅裏の国道とは対照的だ。迎えを待っているのか高校生くらいの女の子がひとり佇んでいた。

傾斜地集落けいしゃちしゅうらく

駅舎の観光案内図を見ると、周辺には賢見神社・田尾城跡・鮎戸の瀬といったものが見どころとして記されていた。しかしこれは2駅先の大歩危駅までを範囲とするもので、図上で見るよりずっと距離があって歩き旅にはあまり参考にならなかった。近そうな賢見神社ですら目の前に立ちはだかる山の向こうだ。

歩いていれば何かに当たるだろうという適当な感じで、まずは駅のすぐ裏手を流れる吉野川を見物がてら商店街を進む。食料品店・電気店・洋装店・書店・理髪店と、よりどりみどりに小さな店が並んでいて、贅沢をいわなければ割りと何でも揃いそうだ。人通りはないけどしっかり営業している店が多いのも嬉しい。

人通りのない駅前商店街。
人通りのない駅前商店街

しばらく進むと吉野川最長の支流という銅山川と、それを渡る赤いトラス橋が現れた。名前の通り上流には日本屈指の銅山として知られた別子銅山がある。別子銅山といえば愛媛県という印象が強いけど、徳島県の上流部でもあるのだ。

この川は渡らずに隣に並ぶ土讃線や国道の橋の下をくぐって吉野川に降りていく。鉄橋上を通過する特急列車を見送りながら少し進むと、一段低い場所にあるため駅からは全然見えなかったが、車が100台くらいは停められそうな広々した駐車場に出た。川沿いに広がる岩場の上という力技で作ったような立地で、こうでもしないと車を置く場所もないのだろう。

吉野川の岩場に咲く花。
吉野川の岩場に咲く

この狭い道路は駐車場を通り抜けると、そのまま水面ギリギリの場所まで岩場の中を下っていく。このあたりはどの駅に行っても川下りを楽しむラフティングの看板が目にとまるが、こういう所から出入りしているのか。

吉野川は雨の後でもエメラルドグリーンの美しい色合いをしており、豊富な水が蕩々と流れている。駐車場から水面までは結構な高さがあり縁に立って覗き込むと怖いくらい。柵も何もないので少しふらふらっときたら痛いどころでは済まなさそう。

阿波川口の駅裏を流れる吉野川。
駅裏を流れる吉野川

再び商店街に戻ると銅山川を渡り対岸にあるという神社に向かう。川沿いにはいくつも建物があるが、どれも長い支柱で支えられて宙に浮くようにして建つ。いくら土地がないとはいえすごい場所に建てたものだ。

山の斜面には歩行者用の細々とした道があっちへこっちへ延びて迷路のよう。大体この辺だろうと適当に上がっていく。そして斜面上に広がる住宅や畑の隙間を通り抜けているとそれらしい場所に出た。思った以上に鳥居も拝殿も小じんまりとした神社だが、石の表面など年季の入った表情をしていて歴史は深そう。

寄木三躰神社。
寄木三躰神社

こうして歩いていると坂道を上がり下りするお年寄りの姿が散見され、年を取ってからこういう場所に住むのは大変だろうな。でもこの立地こそが健康でいられる秘訣なのかもしれない。

次は駅から見上げた山の上に広がる集落に行ってみようと、再び適当な道を選んで上がっていく。軽トラくらいは走れそうな物から明らかに歩行者用のものまで、道は縦横無尽に伸びていて、はたして合っているのか少し不安だ。住宅や農地だけでなく杉林や竹林の中まで進んでいき、途中には歩行者用か大量にお茶のペットボトルが入ったゴミ入れもあった。

相変わらず雨は降ったり止んだりを繰り返し、その度に傘を広げてみたり畳んでみたりを繰り返す。降るのか降らないのかはっきりしろと言いたくなるような空模様だ。

斜面上の集落を目指す。
斜面上の集落を目指す

神社から15分位は経過して随分と上がってきた気がするが、どこまで行っても住宅や農地が点在している。ここまで上がってきたご褒美か、早くも花を咲かせる桜の木があった。

そしていよいよ視界が開けてくると、急峻な山々の谷底を流れる吉野川や密集する家々の姿が眼下に広がる。想像以上に眺めの良い場所にやってきた。ゆっくり楽しみたいところではあるが時計を見ると次の列車まで30分しかなく気が急いてくる。

駅周辺を見下ろす。
駅周辺を見下ろす

通りかかったおじさんに駅への近道を尋ね、半ば走るように下っていく。路面はコンクリートで舗装されているが人通りが少ないのか苔むして緑色をしており、雨で濡れていることもあり滑って転びそうで怖い怖い。だが急いだおかげで15分で駅にたどり着くことができた。

窓口も閉まったままの静かな待合室で休んでいると婆さんがやってきた。同じ列車に乗るらしくほとんど同時に向かい側の2番のりばに向かう。跨線橋は安全だけど上り下りする姿を見ると良し悪しだなとも思う。しばらくして駅員が現れ向かいのホームから何か言っている。どうやら切符はあるのかということで、婆さんはせっかく渡った跨線橋を駅舎に戻っていった。早く窓口を開けておかないから…。

次の列車は高知行きの普通列車4225Dで、車内は例によって空いているので座席は選び放題だ。当然吉野川を見下ろす進行左側のボックス席に陣取る。

阿波川口駅に入線する高知行き普通列車 4225D。
高知行き 普通列車 4225D

出発するとすぐに先ほどの銅山川を渡り長いトンネルに入った。その先からは急峻な小歩危峡とも呼ばれる渓谷美を見下ろしながら静々と進んでいく。

小歩危こぼけ

  • 所在地 徳島県三好市山城町西宇
  • 開業 1935年(昭和10年)11月28日
  • ホーム 2面2線
路線図(小歩危)。
小歩危駅舎。
小歩危駅舎

列車を降りると阿波川口で一緒に乗車した婆さんも降りた。ここに一体どんな用事があるのかと興味が湧くような山深い場所だ。列車が去った後ふと見ると駅舎には向かわず線路を歩いてどこかへ消えていく。その慣れた様子からしてこのあたりの住人だろうか。

この駅は開業時には地名そのまま西宇という駅名であったが、1950年(昭和25年)に隣駅の阿波赤野を大歩危と改称するのと同時に、現在の小歩危に改称されている。いかにも観光目的という感じのする改称だが、分かりやすく印象にも残りやすい駅名である。

駅は山の中腹にへばりつくように設置されていて、山に沿うようにカーブした相対式ホームはとても狭く、駅舎も転げ落ちそうな高台に建つ。遮断器も何もない簡素な構内踏切や、壁面から路面まで至るところが苔むす様子が、利用者の少なさと湿っぽい谷間の駅であることを感じさせる。

小歩危駅構内。
小歩危駅構内

下を走る国道よりも一段どころか三段くらい高い場所にあるため、ホームからは道路沿いの小さな集落や吉野川を見下ろすように眺められる。さらに駅裏の斜面を見上げれば、いったいどこから出入りするんだろうと思うような場所に住宅がある。このあたりは本当どこにでも家が建っている。

こんな場所でもしっかり駅舎が残っているのが嬉しいところで、外観などリフォームされているが開業当時のものと思われる古い木造駅舎だ。普通なら2枚に分けそうな大きな木製の引戸を開けて中に入ると意外と広く、待合室の中にトイレまで併設されている。

小歩危駅舎内。
小歩危駅舎内

窓口はあるが当然無人駅なのでカーテンはおろされている。ただどこに行ってもアルミサッシばかりだった窓口のガラス戸が木製というのが渋くて趣がある。そんな窓口の前にはどういう由来なのだろうか、阿波川口のホームで見かけたのとまったく同じ黄色い木製ベンチが置いてある。座る人が少ないからか雨風に当たらないからか、向こうは随分使用感が出ていたが、こちらは色褪せることもなく鮮やか。

その阿波川口で走り回ったせいで小腹が空いてきたが、この駅どう見ても食事処などありそうにない。そこで今朝の琴平で買っておいた菓子パンを取り出し、ちょっとお腹を満たしてから行動を開始だ。

ホオズキが飾られていた。
ホオズキが飾られていた

駅舎の正面側にもしっかり木製の引戸があり、取り払われたりアルミ製になっている事が多い中でよく残っているものだ。その向こうには下を走る国道に向けて、50段くらいはありそうな長い階段が伸びている。歩幅と合わないため歩きにくく、適当に歩いていると踏み外しそうなので慎重に下っていく。

国道沿いにはかつて郵便局や何かの商店だったらしい空き家が見られる。すぐ近くには食堂の看板がかかる建物もあった。もう店らしい店はほとんど残っておらず寂れている。駅前食堂好きとしてはこういう所が営業していれば立ち寄るのだが残念。

四国交通のバス停があるので時刻表に目をやると、阿波池田とかずら橋方面を結ぶバスが1日4往復走っている。池田方面は全ての時間帯で44分発と4ばかりが並ぶ時刻表だった。

小歩危峡こぼけきょう

ここには線路と並走する国道しか道らしい道はなく、上流と下流のどちらに進むかの二択となるが、どちらに進んでも小歩危峡の渓谷美は楽しめそうである。どちらでもいいけど地図によると上流側の方が建物が多くて何かありそうなので上流側に向かう。集落は寂れているが国道のほうは大繁盛で次々と車がやってきて騒々しい。

少し進むと長い吊橋が吉野川をひと跨ぎにしており、その幅は見るからに歩行者専用と言わんばかりの狭さ。袂には赤川庄八と刻まれた銅像が立ち、橋の名前が赤川橋ということからして橋となにか関係のありそうな人物だ。説明の刻まれた石碑もあったが特に興味がなかったらしく全然記憶に残っていない。

吊橋は水源と森林管理のための市道で、自由に渡れるが自己責任でと書いてある。せっかくだからと少し進むと吉野川の渓谷美を一望できて眺めは素晴らしい。このまま対岸まで行こうかと思ったけど、足もとに敷かれた木材は軽くしなり、隙間からはるか下を流れる水面が見え隠れ、さらに雨で濡れて滑りやすくなかなか怖い。自己責任の文字もあって半分も渡らず引き返してしまった。

赤川橋から見下ろす小歩危峡。
赤川橋から見下ろす小歩危峡

国道に戻って先に進むといよいよ民家は姿を消し、急峻な吉野川を見下ろすように進む。交通量は多いが通学路の標識が立っているだけの事はあり、しっかり歩道が整備されていて歩きやすい。山を見上げれば土讃線の線路が横切り、たまに特急列車がごう音を上げて走り去る。こんな所を歩くのは私くらいかと思いきや、酒を手にした爺さんとすれ違った。

雨の方は相変わらず降っているような止んでいるような微妙さ。霧雨とでも言うのだろうか細かい雨だ。傘を差すほどでもないが差さないでいると何だかじっとりしてくる。

とぼとぼ歩いていると徐々に前方にホテルだろうか大きな鉄筋コンクリート造りの建物が見えてくる。それとは別に対岸にも東屋のような小さな建物があり一体何なのか気になる。しかしあそこへ行くには先ほどのつり橋を渡るしかなさそうだ。

小歩危峡を見下ろしながら進む。
小歩危峡を見下ろしながら進む

やがて久しぶりにちょっとした平地らしい広い場所に出る。新しい郵便局もあり駐車場の関係でこちらに移転したのだろうか。大きな建物や住宅も散見され少しだけ賑わいのある所だ。

だがそれもじきに終わり再び山に囲まれた険しい地形に変わる。ここで土讃線は大きなトラス橋で対岸へと渡り、道路には「ここから大歩危峡」の看板が立つ。裏側を見ると「ここから小歩危峡」になっていた。前方には狭そうな洞門が口を開けていて危なそうだし、駅名の由来ともいえる小歩危峡も終わったので、鉄橋を通過する特急列車を眺めて引き返した。

吉野川を渡る特急列車。
吉野川を渡る特急列車

昼も近いので国道沿いにあった軽食・喫茶の店「いちょう館」に立ち寄る。うどん・そばがメインのようなので何となく祖谷といえばそば、山間部といえば山菜という単純な式で山菜そばを注文。前回の祖谷口と同じような流れだが、出てきたのは極太そばではなく普通の太さのそばだった。何とも寒々しかったがこれで一気に体が温まり汗がにじむ。

山菜そば。
山菜そば

また吉野川沿いを駅に向かっていると、ラフティングの小さなボートが追い抜いていく。意外と速度は早くあっという間に視界から消え去る。こんな小雨の降る寒い中をよくやるものだ。

駅に戻ってきたが列車まで時間があり手持ち無沙汰に。そういえばこの駅舎には正面だけでなく側面にも出入口があったなと、何か面白いものでもないか行ってみると「もみじや食堂」という大きな看板のかかった昭和感漂う食堂があった。先ほど国道で見た食堂はこっちが正面だったか、かつての駅前食堂らしいがもう随分前に廃業した様子。

小歩危の駅前食堂。
小歩危の駅前食堂

次に乗車するのは高知行きの4231D。乗降客はなかったが車内は地元客や観光客でごった返している。いつものようにがら空きを想像していただけにこれは少し意外で、土讃線の普通列車が混雑していたのは初めてのことだ。それでも座る場所はあるので、僅か1両である事を考えれば実は人数的には大したことないのかもしれない。

高知行き4231D。
普通 高知行き 4231D

出発すると車窓左手には小歩危峡が続き、まもなく先ほど見た大きなトラス橋で対岸に渡る。ここからは大歩危峡の渓谷美が楽しめる区間ではあるが、混雑している上に車窓右側に背を向けるように座っているので全く楽しめなかったのが残念。

大歩危おおぼけ

  • 所在地 徳島県三好市西祖谷山村徳善西
  • 開業 1935年(昭和10年)11月28日
  • ホーム 2面3線
路線図(大歩危)。
大歩危駅舎。
大歩危駅舎

吉野川と急峻な山に挟まれた場所にある駅だが、3番線まである比較的広い構内を持つ。名前の通り大歩危峡の最寄り駅であり、かずら橋への玄関口にもなっているので観光色も濃く特急も全て停車する。また旧西祖谷山村で唯一の鉄道駅でもある。

列車は最も駅舎寄りの1番線に到着して、高校生や観光客らしき人たちと一緒に降り立つ。ホーム上には小さなかずら橋が設置してあり、駅の裏手を流れる吉野川へと降りていく遊歩道の入口があるのも目にとまる。もっともそんな所に寄り道する人はなく、降りた人はすぐに線路を横断して駅舎に吸い込まれていく。

比較的利用者の多そうな駅だが跨線橋はなく、ホームも駅舎に接した物はないので利用者は必ず構内踏切を渡ることになる。跨線橋を設置する駅としない駅の基準がよくわからない。ただ小歩危と違い遮断器は設置されている。

大歩危駅ホーム。
大歩危駅ホーム

せっかくなのでまずは駅裏の遊歩道に向かう。一番奥にある3番線の脇が入口で、ホームの手すりには「祝 大歩危駅遊歩道完成」の横断幕が掲げられている。最近整備されたようにも見えるが、横断幕の日付を見ると2004年と10年以上前だった。

遊歩道は駅と吉野川の間にある桜のたくさん植えられた斜面上にあり、思ったよりも本格的に整備されていて歩きやすい。ちょっとした展望台のような木造のテラスに立てば、遮るものもないため吉野川の渓谷美を一望できる。眺めはよいが小雨のぱらつく肌寒い陽気のせいもあってか周囲に人気はなく、川音だけが響いていた。

駅裏の遊歩道。
駅裏の遊歩道

改めて構内踏切で線路を横断して駅舎に向かう。寄棟造りの古民家風にデザインされた木造駅舎で、開業当時の駅舎をリフォームしたのか建て替えたのかよくわからない感じ。改札脇には木彫りの児啼爺こなきじじいが出迎えてくれ、そのユーモラスな姿はひと際目を引く存在となっている。このあたりは児啼爺発祥の地だそう。

駅舎に入るとこちらも木材を生かした内装で、コインロッカーや観光パンフレットが並ぶ様子は観光地らしい。大きな窓口もあるので有人駅かと思ってしまうがこう見えて無人駅。窓口や駅務室だった場所は観光案内所になっている。そして切符は券売機で購入するように張り紙がなされていた。

こうして色々と整備されてはいるが、一緒に降りた観光客らしい人たちは大半がタクシーでどこかへ消えていき、こうして駅舎でぶらぶらしているのは私と迎えを待つ高校生くらいのものである。

古民家風の待合室。
古民家風の待合室

駅前ではタクシーが何台も暇そうに客待ちをしており、運転手が何人か集まって雑談をしている。乗らないかなあという感じで、バスはまだまだ来ないけど、どこへ行くのかと話しかけてくる。残念ながら待ち時間がいくらあろうとタクシーを利用する気はない。というか利用する金がない…。

たまに特急列車がやってくると何人か観光客の乗降があり、普通列車など長時間停車する列車だと、ホームに降りて駅舎やミニかずら橋を眺める人の姿があった。

伝説の里でんせつのさと

ここでは近くにある大歩危峡に行くのもよいが、吉野川の景観は朝から何度も眺めている。そこで少し趣向を変えて、少し遠いが祖谷のかずら橋へ行ってみることにした。問題はバスの時間を確認するとたっぷり1時間以上もあることだ。いくらバスがなければ歩けばいいの私であっても、距離にして11キロ以上、おまけに峠越えまであってはそんな気すら起きない。

仕方がないので時間を潰しがてら周辺の散策に出かける。駅こそ割りと広い場所にあるが集落の方には平地らしい平地がなく、どこへ行くにも細く曲がりくねった坂道が続く。

出発してまず現れるのは知る人ぞ知る歩危マートという商店。派手な看板は駅からも目を引く存在で、食料品から土産物までなんでもござれに扱っている。「ぼけあげ」なる笑ってしまうほど巨大な揚げが印象に残るが、さすがに購入はしなかった。

唯一賑わう歩危マート。
歩危マート

駅と吉野川をまとめて跨ぐ大きな県道の橋で対岸に向かう。橋の上からは駅を見渡すことができ、行き交う列車を観察するには絶好の場所だ。すぐ隣には祖谷口駅の近くにあったようなコンクリート製の主塔が建っており、かつてはここにも長いつり橋が架けられていたのだろう。

対岸には国道や郵便局があり駅側と合わせてひとつの集落のようだが、こちらは阿波川口や小歩危と同じ旧山城町だ。もっとも今ではどちらも同じ三好市になっている。

こちら側も険しい場所に住宅や商店が点在して駅側と同じような雰囲気。かつては何かの商店だったらしい建物や空き家も見られ、小雨のぱらつく薄暗い様子のせいもあって、どこかうら寂しく感じる。

駅対岸の国道。
駅対岸の国道

大した収穫もないので駅に戻ろうと思ったが、国道ばたの斜面を上がっていく苔むした階段が気になる。傍らに「伝説の里」なる標識が立つが、他に説明もなく何だかよくわからない。それでも後になって行っておけばよかったとなるのは悔しいので、一体どんな里があるのか階段を上がっていく。

上がった先には整備された山道が斜面上を右へ左へと延びており、何かのコースらしくあちこちに標識が立つ。これはちょっとした探検気分で面白くなってきた。そんな山中にも当たり前のように住宅や農地が点在していて、人の庭先のような場所も通り抜けていく。

伝説の里への入口。
伝説の里

しかし進めども進めども終点には至らずバスの時間が気になり自然と足が早くなる。1日4往復しかないバスなので逃す訳にはいかないのだ。こんな時に限って小康状態だった雨はまた激しくなってきて参ってしまう。とうとうこれは相当に長いコースだと感じはじめ、名残惜しいが程々の所で国道に降りてきた。

駅に戻る途中でこのコースの物と思われるマップがあり、見れば何とコース通りに歩くと11キロ以上と、かずら橋まで歩くほどの距離があるではないか。頑張って進んでいたら大変なことになるところだった。もっともこれはこれで見どころがたくさんあって面白そうなのでいずれ訪ねてみたい。

祖谷のかずら橋いやのかずらばし

小腹が空くので歩危マートに立ち寄りパンを買って駅に戻ると、ようやく待ちに待ったバスが現れた。バス停には観光客どころか他に乗車する人すらいない。乗車時間が長いので混んでいるのは勘弁と思ったが、車内には高校生くらいの女の子から婆さんまで4人だけ。土讃線といい勝負の空気輸送ぶりだ。

酔いやすいけど落ち着くのでつい選んでしまう最後部の座席に収まると、早速歩危マートのパンに手を付ける。あとはのんびり車窓を楽しんで向かうことにしよう。

かずら橋に向かうバス。
かずら橋に向かうバス

大歩危駅を出発するとすぐに吉野川の支流が流れる谷に分け入り、みるみるうちに標高を上げていく。山深い土地だがどこまで行っても住宅が点在する。時々大きなカーブがあり車体と一緒に体を大きく傾けつつ峠を目指す。

やがて長いトンネルを抜けると下り坂に変わった。川の流れも逆になり吉野川から祖谷川の流れる谷に来たらしい。祖谷川は下っていくと先日訪れた祖谷口駅の近くで吉野川と合流する。

こちら側にも山間に集落が点在しており、ホテルなのか何なのか大きな建物も見られる。そして数少ない乗客が1人また1人と減っていき、山を下りきって祖谷川を渡る頃には婆さん1人だけとなっていた。

がら空きの車内。
がら空きの車内

このあたりが旧西祖谷山村の中心地らしく商店街もあり賑わいを感じる。ここで意外にも爺さんが1人乗車して少しだけ乗客が増えた。あとは乗降客のないままに祖谷川を遡っていき目的のかずら橋バス停に到着した。

バスはここでしばらく停車するようで、止まったままのバスを横目に眼下を流れる祖谷川に向けて下っていく。道沿いには土産物店や宿も散見されるが、あまり繁盛している様子はなく廃屋的なものまであり栄枯盛衰の感がある。その一方で祖谷川を挟んだ対岸の中腹には何だあれはと思うほど、近代的で巨大な駐車場や大きな建物が建つ。もっと秘境感があると思ったので微妙な感じ。

対岸の巨大駐車場。
対岸の巨大駐車場

何だか人の気配がなくて年末ではこんなものかと思ったが、かずら橋の近くまでやってくると結構賑わっていた。私とは反対側から続々と観光客やってきて外国人の姿も見られる。どうやら対岸のあの駐車場までマイカーや観光バスでやってきている様子。どうりでこちら側はひっそりしている訳だ。

祖谷川まで下ってくるとすぐ目の前にかずら橋が架かっている。周辺はいかにも観光地という感じに整備されていて、よく見る写真では人工的なものが全然見えないので、もっと秘境めいた場所を想像していたのでちょっと意外な感じ。

かずら橋を渡る人を眺めていると、へっぴり腰で恐る恐る渡っていく様子が面白い。

祖谷のかずら橋。
祖谷のかずら橋

外から眺めたあとはいよいよ実際に渡ってみることにする。道路を離れて山伝いの小道を進むとすぐにかずら橋が見えてくる。遠くから見ると細く頼りない感じだが、近くで見ると太い木材に何重にも巻かれたカズラは迫力がある。

袂にある小屋で入場料550円を支払うといよいよ足を踏み入れる。人が恐る恐る渡る姿を見ると、そんな大げさなと思ってしまうが、いざ渡ると隙間だらけの足元で踏み場所を選ぶように進み、手も離せないので同じような体勢になってしまうのであった。

かずら橋を渡る。
かずら橋を渡る

足元はスカスカで激しく水の流れる水面が丸見え。それが怖いかといえばそうでもなく、むしろ渡って楽しい橋である。やはり観光用ということで安全なものという頭があるからかもしれない。自己責任などと書かれた小歩危にあったつり橋の方が余程怖い。きっとかずら橋も山中に何気なくあればかなり怖い事だろう。

すかすかの足もと。
すかすかの足もと

何度か渡ってみたくなる橋だが一方通行なので渡り終えるともうおしまい。帰りのバスまでは2時間もあるので近くにある琵琶の滝を見物したり、祖谷川の川べりまで降りてみたりと宛もなく時間を潰して歩く。

土産物だけでなくイワナや鮎の塩焼きを提供する店もあるが、1匹が結構高いのでとても食べる気にもならない。代わりに人気のない小さな公園で祖谷川を眺めつつ、歩危マートで買ったパンの残りを食べた。

琵琶の滝。

ひと通りの場所を巡るとバス停まで戻ってくるが、まだまだ時間がたっぷりあり困る。周辺の集落を散策してみると崖っぷちや山の中腹など際どい場所に家が点在している。そんなに泊まる人が居るのかと思うほど旅館や民宿があり、観光用なのかボンネットバスの姿もあった。ただ賑わっているのはかずら橋の周りだけで、他はひっそりしていたのが印象に残る。

善徳天満宮なる標識があり、いいものを見つけたと思ったが、6kmの文字には見て見ぬふりをするしかない。

代わりに対岸の駐車場に併設された建物に向かうと、食堂や土産物売り場になっていて、ここで買い物をして時間を潰す。途中かずら橋の近くを通ったが、こんなに薄暗くなってきたというのにまだ観光客がやってきて繁盛している。

暮れゆく集落。
暮れゆく集落

いよいよ周辺には行くべき所もなくなり、バス停に戻ってぼんやり待っていると、斜面の下からガサガサ音がする。見るとどこからやってきたのか猿が1匹こちらを威嚇していた。

周囲は徐々に暗くなり気温も下がってきて何ともいえない寂しい雰囲気が漂う。そこへようやくバスが現れ、そのほのかな明かりに何だかホッとする。車内に乗客の姿はなく貸切りで、定位置ともいえる一番後ろに陣取った。しばらく停車するらしく運転手は降りて近くにある公衆トイレに行ってしまい、車内は文字通りの貸切り状態。

大歩危行きのバス。
大歩危行きのバス

17時10分、発車するとすぐに車窓は闇に包まれはじめ、峠を越えた頃には真っ暗になってしまった。ぱらついていた雨は本降りともいえる激しさになり寒々しい。

エピローグ

路線図(エピローグ)。

なにがあった訳でもないがバスは数分遅れで大歩危駅に到着した。定刻であっても乗り継ぎには5分しか余裕がないから気が急く。慌ただしく運賃を支払ったら小走りに駅舎を通り抜けてホームに向かう。

すでに乗車予定の阿波池田行きが停車していたので、雨が降っていたけど傘も差さず列車に向かい、乗車したのは発車1分前のことだった。鉄道で5分の乗り継ぎなら余裕だが、遅れがちな路線バスで5分というのはある種のギャンブルだなと思った。

普通列車の阿波池田行き4244D。
普通 阿波池田行き 4244D

先ほどの混雑があるのでどうかと思ったが幸いにして車内はがら空き。余裕でボックス席に収まるとようやく落ち着いた。

車窓は暗闇で自分の顔しか見えず、往復ともに大歩危峡の景色には縁がなかった。阿波川口のあたりで国道を走る先ほどのバスを追い抜く。向こうもこちらと同じ阿波池田行きだ。

その阿波池田では次の列車まで1時間もあるので、何か面白いものでもないか駅前のアーケード街をブラブラするが何もない。駅の脇にある小さな公園でイルミネーションがきれいだった事だけが印象に残る。

阿波池田のイルミネーション。
阿波池田のイルミネーション

次に乗車するのは琴平行きの普通列車で、まだ19時と早いが琴平方面への普通列車としてはこれが最終だ。他に乗客は旅行者風の男性がひとりだけ。我々のような旅行者がいなければ乗客はいなかった訳で、この時間で最終になるのも道理である。

普通列車の琴平行き4248D。
普通 琴平行き 4248D

阿波池田を出発すると車窓には街やヘッドライトの明かり流れていく。県境の峠越えに向けて高度を上げていくと見下ろす夜景が美しかった。まもなく山の中に入り完全に暗闇に包まれたが、先日訪れたばかりの区間なので車窓が目に浮かぶ。

秘境駅の坪尻に到着すると驚くべきことに同乗の男性が降りた。もしかして宿泊するつもりなのかもしれない。

そして貸切りとなった列車は乗降もないまま、今朝と同じように橙色の明かりに照らされた琴平に到着した。コインロッカーから今朝の荷物を取り出したら、今宵の宿に向けて高松行きの列車に向かった。

琴平に到着。
琴平に到着

(2016年12月26日)

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